Chapter 2


「~~!? ~~!」


 咄嗟とはいえ、ケサダは叫び声を放たなかった。それだけじゃなく、受け取った銃を取り落すこともしなかった。


「どういうことでさっ、首魁ボス!?」

「授けてやるなんざ、最初から言っちゃいねぇよ。俺自身やるのが嫌だから、お前に代わりに捨ててくれって頼みたくてな」

「だったら、最初っからそうおっしゃってくだせぇよ! 無縁墓地ブーツ・ヒルに埋められた無法者アウトローどもが、化けて出てきちまったらどうするんですかい! そんなことより、首魁ボス! 今の話は本当なんですかい!?」

 

 先程取り落としかけた銃を、ケサダはそろそろと、ダイナマイトでも扱うかのよう慎重に置くと、軽く足で蹴って脇へ追いやった。

 賢明な判断である。無骨に見えるが、銃とは実は繊細に仕上がっている武器なのだ。昔と比べると頑強な作りになっているが、うかつな衝撃で壊れてしまうことがないわけではないし、下手をすれば暴発の危険もある。


「ああ、本当さね」

「なんで言ってくださらなかったんですかい?」

「お前らを巻き込まねぇうちに、黙って出てくつもりだったんだよ。突然押しかけたところを何も言わず匿い入れてくれたことだけで、俺ぁ十分だってんだ」

「そんな水臭ぇことなんておっしゃらねぇでくだせぇ! 憎き【ピンカートン探偵社】と一戦交える必要があるってのならば、アタシだけじゃなく、エメも喜んでご一緒させていただきやすのに!」

「必要ねぇってんだよ」


 ブッチは、はっきりと言い切る。


「お前らの手ぇ借りる必要なんざ、そもそもねぇよ。それ以前に【ピンカートン探偵社】と戦り合うつもりなんざ、俺にはさらさねぇってんだ」

「なにをお言いになります、首魁ボス! アタシらだけじゃありませんぜ、首魁ボスが生きていたって聞けば、他の奴らだって」

「馬鹿野郎! お前はもう、堅気だろうが!」


 正直、堅気を無法者アウトローの流儀に巻き込みたくない。

【ワイルドバンチ強盗団】というかつての縁で繋がり合える者であっても。堅気としての安寧と所帯を得た者であれば、尚更。


「お前らが【ピンカートン探偵社】にとっ捕まることがあれば、それは俺の落ち度でしかねぇんだよ。それだけじゃねぇ。俺ぁもう、誰かと戦争するなんざ嫌だってばね」

首魁ボス!?」

「嫌だってのは、戦争だけじゃねぇ。闘争も、紛争も、抗争も……その、全部が全部」

「そ、そんな、首魁ボス……!」

「嫌だ嫌だの繰り返しで、俺に失望したか? じゃあ聞くけどよ……お前は、俺にこれ以上、なにを喪わせる気だ? 俺はこれ以上、なにをどれだけうしなえばいいってんだ?」


 国だとか州だとか、ケチなものに区分されず、誰もが自由に生きて死んでいくことが当たり前であった新大陸フロンティアは、一つの時代の斜陽に飲み込まれつつある。

 そんな場所に果たして、無法者アウトローが、誰よりも純粋を愛する連中が生きられる場所など、あるのだろうか? 

 あったとしても、生き続けることが果たして出来るのだろうか?

 ブッチは断言する。出来やしないだろうと。


「レイ、ローガン、ベン、ハンクス、ローラ、ニュース、デカ鼻、ミークス……それに、キッド。俺と【ワイルドバンチ強盗団】そのものを信じ、忠誠を誓ってくれた仲間、数多くの部下と協力者がどうなったか……ケサダ、てめぇ、知らねぇとは言わせねぇぞ」


 ある者は拿捕された、官憲や探偵に。

 ある者は殺された、騎兵隊や賞金稼ぎに。

 ある者は自ら命を絶った、信じた女や友人に裏切られて。


「それだけじゃねぇ、過去も現在も未来も、昨日も今日も明日も……俺が俺であるっていうことですら」


 挙句の果てが、【不死者】だ。唯一無二の相棒の【存在】ザ・サンダンス・キッドを、虚構じじつにさせられて。


「だから、必要ねぇってばね。分ったら、さっさとアトリを呼んでこい。これ以上の問答は」

首魁ボスは」


 だから、発せられたケサダの言葉は、弾劾の銃弾となる。


「結局、首魁ボスは……なにをなさりてぇんです? 首魁ボスは、結局……どこに征(い)こうとしてるんです? アタシらみたく無法者アウトローじゃねぇはずの、あのお嬢さんをお連れになって」

「アトリとは、どこにもかねぇよ」


 ブッチは答える。真意と本懐、純粋な願いそのものを。


「俺にとってアトリってのは、俺が望む時が叶う瞬間、アイツが……キッドが俺の許に帰還すもどってくることへの希望でしかありえねぇんだよ」


 この世界とは全く異なる世界の少女、アトリ。

 ザ・サンダンス・キッドの【存在】を虚構じじつとして認識しない、唯一の存在。

【不死者】へと堕ちぶれたブッチが抱える孤独を、理解し得る唯一の存在。


「アトリは、ただそれだけでしか有りえねぇんだよ」


 ブッチは、胸中全てを吐露する。

 瞬間――ばぎぃッ!






「嫌だ嫌だの繰り返しで、俺に失望したか? じゃあ聞くけどよ……お前は、俺にこれ以上、何を喪わせる気だ? 俺はこれ以上、何をどれだけうしなえばいいってんだ?」


 扉の隙間から、ブッチの声が洩れ出てくる。

 帰ってきてくれたんだ! という安堵で胸が膨らむ――ことはなかった。


「アトリとは、どこにもかねぇよ」


 その言葉は、アトリの胸の中にある柔らかい部分を壊す。


「俺にとってアトリってのは、俺が望む時が叶う瞬間、アイツが……キッドが俺の許に帰還すもどってくることへの希望でしかありえねぇんだよ」


 本当は、全部分かっていたはずなのだ。アトリが、いつか帰還すかえってくるはずのブッチにとっての唯一無二の相棒ザ・サンダンス・キッドの代わりでしかないってことぐらい。


「アトリは、ただそれだけでしか有りえねぇんだよ」


 それを、今の今まで都合よく忘れていただけ。


「……ばかみたい」


 けれども。吐き出した声は、みっともなく湿っていた。

 本来であれば、出会うことはずなどありえなかった。お互い、生きる世界が全く違うからだ。

 出会いの切っ掛けとなったのは、ザ・サンダンス・キッド。だけど、今は――













 ザ・サンダンス・キッドは、実在の人物である。時のアメリカ大陸の西部開拓時代に実在し、その名を馳せた無法者アウトローが一人だ。

 残念ながら、日本では知っている人は知っているけれども知らない人は全く知らないっていう、超マイナーな人物だ。

 けれども、本国アメリカにおいてはローカルヒーローの扱いを受けているぐらい有名人である。一九六九年に公開されたアメリカン・ニューシネマの傑作、【明日に向かって撃て!】の題材になったことでも有名だ。

 西部開拓時代において最大規模の無法者アウトロー集団であった【ワイルドバンチ強盗団】の一員、その主幹的立場の一人。

 特筆すべきは、首魁ボスであるブッチ・キャシディの相棒であったことだ。相棒は相棒でも、終生の――おそらく最期を遂げるまで。もしかすれば、全てが終焉しおわった後も。

 史実によれば一九〇八年十一月、官憲や探偵といった追跡者から逃れるために潜伏していた南米ボリビアの小さな山村の小屋で、ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドの二人は見つかるのだ。騎兵隊に追い詰められ、その果てに自ら命を絶った物言わぬ骸になり果てて。

 ――と、これがアトリが元いた世界における、史実と記録が語る、事実における彼ら二人の最期だったとされている。一応【生存説】があるから「これが絶対確かな真相だ!」とはいえなくて、結局うやむやなのだけれど。

 だけど、【異世界】ではそんな史実と記録から大きく反する。

 一九〇八年十一月、ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドは、ボリビアの地で死んでなどいなかったのだ。

 騎兵隊に囲まれ、逃れられない最期を悟り、二人は自ら命を絶とうとする。

 しかしその際、ブッチ・キャシディは人間から【不死者】へと堕ちるのだ。代償として支払うには、決して望まぬ代価――ザ・サンダンス・キッドの【存在】が、過去・現在・未来に関わらず、この【異世界】から失われることと引き換えに。

 かけがえのない【存在】が虚構じじつとなってしまう。【不死者】に成り果て、死ぬことも出来ない――そんな絶望の真っ只中のブッチは、しかしなんの因果か出会ってしまうのだ。ザ・サンダンス・キッドの【存在】、この【異世界】における矛盾点を共有し合える、アトリと。

 でも、よくよく考えてしまえば、それだけでしかないのだ。仲良くなったつもりでも、ブッチにとってアトリはただそれだけでしかないのだ。


「……ッ!」


 唐突に、ずきずきとしたものが走り抜ける。胸中に収まるもの全てに向けて、錆びた針が押し込まれたかのような痛みが。

 アトリは思わず口元を押さえた。その際お守りが落ちて、地面に転がる。

 首にかけて通していた紐は、もうとっくに切れてしまっていた。けれど、アトリはそんなことになんて気付くことはなかった。

 思わず、よろめいてしまう。幸い、転倒はしなかった。その際、取り返しのつかないことをしてしまう。よろめいた際、ブッチから貰った大切なお守りを、踏みつぶしてしまったのだ。

 もっとも、今のアトリが、そんなことに気付くことなんてなかった。ばぎぃッ! という、お守りが上げた断末魔ですらも。

 涙が、溢れ出る。






 ばぎぃッ! というその異音は、そう大きなものではなかったはず。

 けれども、ブッチの聴覚はしっかりと捉えていた。

 背後の扉に駆け寄る。きちんと閉めていたはずの扉が、ほんの僅か開いている。


「アトリ……!?」


 扉の先に、アトリはいた。


「アトリ、お前……」


 でも、ブッチはそのアトリを知らなかった。ひどく傷つき、涙を流す一人の少女の姿など。

 だが、よくよく思えば、それだけのことをブッチはしてしまっていたのだ。


「アトリ……そこで、聞いていたってのか? 話を、聞いていたってのか?」

「…………」

「違うんだ……これは、アトリ。誤解させちまったかもしれねぇけど、違うんだ」

「…………」

「俺は……そういうつもりで、言ったんじゃねぇんだ。俺は、ただ」

「……ザ・サンダンス・キッドのことを、思えばこそ……言えることなんですよね」

「……ッ!」

「……そう、ですよね。……ブッチさんがあくまで大切なのは、ザ・サンダンス・キッド……なんですよね」


 絶句するブッチを前に、淡々と、アトリは言う。

 涙を零しながら、淡々と。しかし、声を震わせることなく。

 頬を涙で濡らしながら、しかし、声を不毛の荒野みたく乾かして。

 その言葉は、ブッチに対する呪詛だ。


「アトリ、お前……」

「……そんなこと、そんなことぐらい、わたしは、わたしにだって、分かってるんですよ……でも!」


 瞬間、アトリの吐く声が、熱を帯びる。


「じゃあ、わたしは、一体、なんですか? わたしは、なんだっていうんですか? ブッチさんの記憶の中にザ・サンダンス・キッドが存在していなきゃ、わたしなんて……わたしなんて、必要もなにもないじゃないですか!」


 声は、どす赤い憤怒に染まっていた。


「わたしなんて、ブッチさんにとって、必要な存在でもなんでもないじゃないですか! わたしなんて、ブッチさんにとってみれば【異世界】ってものに関しての、興味本位ぐらいにしかならない、役立たずの変な知識を持っているってだけの!」

「アトリ」

「どうせ、わたしなんて、ブッチさんにとって都合のいい存在じゃないですか! それ以外じゃ、わたしなんてどうせ、ただうるさい能無しの、足手まといにしかすぎないじゃないですか!」

「落ち着けってばね、アトリ」

「わたしなんて、どうせ、ブッチさんにしてみれば、ある程度の利用価値があるってだけなんでしょう! 必要なくなったらハイさようならって放ったらかしにできるみたいな!」

「アトリ、お前、少し落ち着けってばね」

「実際、そうでじゃないですかっ! どうせ……どうせ、わたしなんて、わたしなんて」

「だから、少し落ち着けって!」

「落ち着けるわけなんて、ないじゃないですかっ!!」


 宥めようとしたブッチの言葉が、アトリに届くことはなかった。


「わたしは、そもそも、落ち着いてなんていないんですよっ!」

「アトリ、お前、なにを言って……」

「落ち着けるわけなんてないって言っているんです! そもそも、一体、どこで落ち着けばいいっていうんですか、わたしは!? 【異世界】でブッチさん以外の誰も知らないっていうわたしが落ち着ける場所なんて、そもそもどこにもないっていうのに!」


 喚き散らすアトリを前に、ブッチは戸惑いを隠せない。

 声をあまり大きく発さず、表情をあまり変えることもなく、思考をきちんとまとめた上で振る舞いを行う――それが、ブッチが知る限りのアトリであったはず。


「アトリ、お前……」

「……もう、嫌だ……嫌ですよ、こんなの」


 やがて、力尽きたように、アトリは言う。


「……なんで、【異世界】なんていう知らない場所に来てしまってまで、一人っきりにならなきゃ……ひとりっきりでいなきゃいけないんですか、わたしは……」

「アトリ、お前……」


 最初は、うまいこと利用してやろうと思っていた。なのに、気付けば余計な情を持ってしまっていた。

 こことは全く違う【異世界】の知識をうまいこと取り入れて、それを己の知識として使いこなすことで唯一無二の相棒の【存在】ザ・サンダンス・キッドを取り戻すために。

 やがて、アトリは袖口で顔を拭う。流した涙を、乱暴に拭い取る。

 その際、目が合う。その目に、もう、涙なんてない。

 あるのは、虚無。まるで、荒涼とした闇を見ているような。


「……ブッチさん、あなた、残酷ですよ……!」

「……ッ!」

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