この世界は嘘からできている。

平椋

偽る4月編

1話 非日常は突然に

 ガタン


 鈍い痛みが背中に走る。


「チッ……つまんねぇわ。帰るぞ」


 そう言って三人はその場を後にする。一人残された木山あくむは三人が見えなくなったのを見計らいまだ残る背中の痛みに耐えながら立ち上がった。


「……おれも帰ろ」


 人の姿が見えない校舎裏。授業は終わり太陽が西に傾き始めている。運動場からは野球部とサッカー部の荒々しい声が聞こえる。


 木山あくむはずっと独りだった。

 その原因は自身の名前にある。

 保育園児だったころ友達に「悪夢」というのが何を指すのか教えられた。

 その園児は親から教えてもらったのだろう。そして他の園児達にも言って回った。その子には悪意はなく、ただ純粋に自分の知識を自慢したかっただけだ。

 小学校は同じ園の子たちと進級し、その子たちが新しくできた友達に「悪夢」について広めた。

 同じ園出身の子たちはともかく小学校からあくむを知った子たちからしたらそんな風に言われているあくむを変に意識するだろう。

 実際、学年が上がりクラス替えを重ね、仲が良かった子たちとクラスが別れたことであくむは独りになった。


 だが、唯一あくむに関わってきた子がいた。


 その子は独りのあくむを仲間と嗤い、何かとちょっかいを出した。それは決していいものではない。俗に「いじめ」と呼ばれるものだった。


 最初こそあくむは声をかけてくれる子ができて嬉しかったが、それは偽物だと知り、笑顔を作ることはほとんどなくなった。

 そのまま小学校を卒業し、中学校を卒業した。

 高校は中学の同級生が誰も行かない遠いところにしたが、心身が最も育つ期間にいじめに遭っていたため、あくむの性格はひどく歪んだ。

 そんな性格を高校生活で表に出した結果、あくむは再びいじめの対象となった。

 高校では、無視されるだけだった中学とは違い暴力に変わった。その仕打ちに苦痛を覚えたが、それも一年近く続けば慣れてきて、あくむはこの『日常』を何とも思わなくなっていた。


 ゴロンと近くでキャッチボールをしていた野球部のボールが前を素通りしていく。


「すいませーん」


 何年生からもわからない野球部員が帽子を取り、あくむの方へ手を大きく振っている。

 仕方なく、数歩先で居心地が悪そうに転がっているボールを拾い上げると、目視で野球部員との距離を測り、投げた。

 綺麗な放物線を描き、見事野球部員のミットの中へと吸い込まれる。


「ありがとうごさいまーす」


 あくむは右手の感覚を確かめるように軽く握る。そして再び歩き出した。

 名前の他に嫌いなところがある。

 それは、ずば抜けた身体能力だ。

 誰からの遺伝かわからないその才能は、小さい頃は遺憾なく発揮していた。しかし、いじめられ始めた頃を界に、親との繋がりのなさから実の子ではないのではないかという恐怖と他の子とは違うという異端さから忌避するようになった。

 今でもその隠した爪は研ぐこともなければ、使うこともなく忘れることに努めていた。


 空は朱に染まり青の面影を無くしつつある。

 信号の変わる音。車のエンジン音。人のざわめき。雑多音を耳に馴染ませながら見慣れた交差点を歩く。

 この場においてあくむも誰かの日常の雑音に消えることができる。  

 コンビニの曲がり角に差し掛かったその時だった。


----世界は機能を止めた。


 時間は止まり、車のエンジンのわずかな振動さえ伝えていなけでば、鳥は重力を忘れ、翼を広げた状態でその場に停止していた。時計も今は休暇中と言わんばかりだ。

 全ての色は失われ、灰をかぶったように薄暗い。さっきまで綺麗な朱に染まっていた空も今は分厚い雲に覆われたように色を失っている。

 そんな世界はまるで漫画の一コマの背景のようだった。


「なんだよ、これ……」


 唯一、あくむだけはこの世界の理から外れ、一人唖然と立ち尽くしていた。

 おかしくなったのは世界なのか、それともあくむなのか、もしくは暇な神のタチの悪い悪戯か。

 自分の頭を何度叩いても、色は取り戻さないし、頬を引っ張っても、時間は動き出さない。

 色のないコンビニの中を覗き見る。

 輪郭は取れているものの全て色を失っているため何が何だか見分けがつかない。客も数人いるが、他と同じでピタリとその場で停止し、同様に色を失っている。

 コンビニから離れ道路の中央で停止している車へ近づき、車内が見える距離まで来たところで目を凝らす。

 そこに目新しいものは何も無く、ただ時と色を失くした運転手がいるだけだった。

 改めて、動いているものはあくむ以外に無く、また色を持っているものもあくむ以外存在しなかった。


 ----独り。


 そんな言葉が頭をよぎった瞬間謎の焦燥感に駆られ走り出した。

 訳がわからない。

 何が起こっている?

 ついさっきまで何でもないただの日常だったはずだ。

 移動しているにも関わらず風景は代わり映えしない。見慣れたはずの道なのに、どこか知らない場所に来たような感覚に陥る。

 そんな心中、安心ができるのは自分の家に他ならない。

 何かこの現状を解決するものがある訳じゃない。他と同様あくむ以外の景色に染まっているだろう。

 けれど、もしかしたら……という淡い期待の可能性を抱きながら、家まで続く道を息を切らすことなく走った。 


--しかしそこにあくむの家は存在しなかった。

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