第32話 二度


 セロが戻ってこないと言い始めたのは、リリーだった。

 アイルに一言告げてからもう三時間以上経っている。当初は近くを見ているのだろうと考えていたリリーも、流石に不安になる。


 疲れ果てて眠ってしまった子供たちをザジーに託し、リリーはセロを探そうと試みる。だが。


「奴はもういない」


 リリーの足は、アイルに止められた。


「え……いないってどういうこと?  まさか、あの怪我で一人で行っちゃったとか……!」


 リリーが最後にみたセロの姿は、酷いものだった。

 いくらベイルであるからと言っても、見ていられなくなるほどの怪我。本人が何ともないと言ったとしても、見ているこちらに痛みが伝わって来そうなほどだ。


「一人……ではないな。ツヴァイがいる」

「ツヴァイっ? え、それって主犯格の……」

「そうだ。二人が衝突した気配はないし、おそらく和解したんだろうな」

「和解って、そんな簡単に……!  だって、あんなに憎んでいたじゃない! セロさんが大切にしていた都市が襲われて、怒って。セロさん、許さないって……」

「ああ。怒っていた。すごく」

「じゃあ、どうして止めなかったの?」

「あいつが決めたことだ。俺は口出しできない」


 そう言うと、アイルは腕を組んで、目を閉じた。何かを知っていてわかっていたとしても、彼はこれ以上何も言わないだろう。アイルはそういう人間だ。


「セロさん……」


 空を見上げて、セロの名を呼ぶリリーの声は寂しげでもあり、どこか安心しているようでもあった。



 ☆☆☆☆☆



 脅威が去り、平穏が訪れたことを実感できたのは、レメラスの出来事からひと月ほど経ってからだ。

 ベイルであるザジーやベルティの手を借り、地下で命を落としたダーレンを弔った。葬儀屋に頼むにしても、立地が悪い。勝手にレメラスに入ったことを知られれば、お偉い人に目をつけられたりすることもあるだろう。警察が機能していないこのご時世では、逮捕なんてものはないが、リリーの研究者という道は閉ざされてしまう。


 だからベイルの二人は協力して、リリーの未来を守る手段をとった。

 それがどんな方法だったのか、彼女は知らない。

 でも、弔うことはできたのだと、自分自身を納得させるまでひと月もかかったのだ。

 それからしばらくして、リリーは約束通り、第五特区に足を運んだ。


 リリーの右隣には変わらず護衛をしてくれるアイル。あたりを注意深く観察しながら、第五特区有数の露店が並ぶ通りを歩く。時折、睨むようにして見る先には、人一倍はしゃいでいるベルティがいる。


 声を駆けれれればすぐにそちらへ行き、店主と話をする。その姿はまぎれもない人間だ。

 ここに居る者すべて、彼女が世界に脅威をもたらす存在のベイルであるとは思ってもいないだろう。


「ねえ、アイル」

「なんだ」


 いつだって離れずに、リリーの傍にいるアイルは目を合わせることなく反応する。


「私はこれでよかったのかな?」


 そう聞くのは、これからの生活のことを考えての質問だった。

 多数の犠牲により作られた今、目の前にある平和が永遠に続くとは考えていない。いつか終わりが来るのだろうと覚悟もしている。それでも。

 誰もが穏やかな日々を、当たり前のように過ごせる世界であってほしい。リリーが願うのはそれだけだ

 そしてその時、隣にアイルがいてほしい。そう強く思うが、言葉にはできない。


 リリーは人間。そして、アイルは人間でもあり、ベイルでもある。さらに、ベルティはベイル。

 生まれも育ちも種族も異なる彼らが、永遠を生きるが、リリーはそうもいかない。その時に、彼らはどうなるだろうか。

 また、同じように世界を憎んでしまうのか。

 皆を率いてまとめる力があるセロはいない。


 二度とあんな怖い思いはしたくない。けど、今の現実がこのまま続いているのはいいのだろうか。

 答えが出ないまま、時間は流れていくのかもしれない。けれど。

 今はただ、幸せに暮らしたい。そう、心の底から思えた。


「お前の選択に間違いはない。俺が保障する」


 はっきりと答える彼の表情は穏やかで、その瞳の中にはリリーの姿が映っている。リリーは胸の高鳴りを感じた。


「ありがとう」


 リリーの口から零れた礼の言葉に、返事はなかった。だが、いつもの仏頂面の中に優しさが垣間見えて、自然と笑顔になる。すると、彼の顔はますます険しくなってしまうのだが、それはそれで良いと思った。


「リーリーちゃぁーん!」


 少し先の露店の前で、ベルティがリリーに向け、大きく手を振っている。


「はーい。今行きまーす」


 彼女の手招きに応じて小走りに駆け寄ると、ベルティはリリーの耳元に手を伸ばす。


「ほらやっぱりぃ。アタシの見込みは間違ってないんだぁ」


 何の話をしているのか。

 不思議に思って振り返ると、アイルが驚いた顔をしていた。頬が赤い気がするが、日焼けか、それとも他の何かのせいなのか、よくわからない。


「付き人くんも照れちゃってるぅ」


 照れている? アイルが?

 どうしてと思いながら、ベルティを見れば彼女は何かを購入していた。

 そして買ったばかりのそれを、リリーの耳に飾り付ける。


「似合ってる、うふふ」


 店主から借りた鏡をリリーに向ける。そこにうつったのは、蒼が輝くピアス。銀の金具に埋め込んだ蒼が、きらりと光を反射させている。

 銀・蒼。

 ふたつの色が、どうしてもセロを思い起こさせる。

 それでも先に出てくるのは、美しさへの率直な感動だった。


「綺麗……」


 リリーの反応を見て、ベルティはにこにこと微笑んでいる。

 確かに素敵なデザインではあるが、自分が身に着けるにはあまりにももったいない気がした。しかし、ここで返すわけにもいかない。

 それにしてもどうして突然、このようなものをプレゼントされたのだろう。

 理由がわからず、隣に立つベルティを見上げると、彼女もまたこちらを見て、声を落として言う。


「実はねぇ、付き人くんに相談されてたのぉ。リリーちゃんを元気づけたいから、何か見繕ってって」

「へっ!?」


 素っ頓狂な声が出た。慌てて口を押さえるが、時すでに遅し。ベルティは「キャッ」と楽しげに笑っていた。


 アイルがそういう考えで動くとは信じられなかった。

 途端に顔に熱が集まっていくのを感じ、慌てて手で顔を隠す。


「やーん、リリーちゃん可愛いぃ~!」


 嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、もう、何を言えばいいのかすらもわからなくなってしまった。


「もう、からかわないでくださいっ!」


 ベルティを静かにさせようとするも、楽しそうに、そして嬉しそうに頬を緩めて笑う。どうにかして顔の熱を逃がしたかったものの、その行動では適わなかった。

 代わりに。


「あ」


 リリーは路地の奥。建物の影で暗くなってしまった道の先に何か白いものが横切ったように見えた。

 その白に惹かれ、リリーの足はふらりと赴く。その後ろを、二人がついて来るのも気にせずに。

 細い道は薄暗いながらも、人通りがないわけではない。すれ違う人がいる中をリリーは歩く。

 道の端には木箱が置かれており、壁際に寄せられたゴミ袋の山がある。それらを通り過ぎ、建物に囲まれた道を進む。すると、奥の方で何かが崩れるような音と誰かの声が聞こえてきた。


 リリーは走り始める。

 近づくにつれて大きくなる話し声は二人分。

 言い争いというより、じゃれ合っているようにも聞こえる。


「あ……」


 二人のうち一人、真っ白な服を着た人が、躓いたからか積まれていた廃棄処分するはずだったのであろう金属の棚の下敷きになっていた。怪我をしているのか、腕を伸ばし、もう一人の真っ黒な服の人その手を掴んで引っ張りだそうとしている。

 見覚えのある姿に、リリーは目を見開く。


「セロさんっ……!」


 叫ぶようにして呼ぶと、彼はリリーを見た。


「あはは、見つかっちゃった」


 そう呟き、苦笑いを浮かべるその姿は紛れもない、セロだ。


「ツーちゃぁぁぁん!」


 立ち止まるリリーの横を、ベルティが駆け抜けていく。そして彼女はもう一人の黒づくめの男――ツヴァイに抱き付いた。


「ベルティっ……ちっ……だから僕はここに来るのが嫌だったんだ。兄さんがどうしてもっていうから来たのに……」

「あはははは。そんな怒らないでよ。こういうのも楽しいでしょ」

「全然楽しくない! だいたい兄さんは――」

「ごめんって。ほら、さっき買ったばっかりの本が……あ」

「またそうやって本で釣るんです? 早く出してくださいよ。それで手を打ちますから」


 セロは無言になり、だらだらと汗をかき始めて、顔を地面につけていう。


「ポケットの中にあるんだ……俺を助けて……」


 胸から下は棚に組み敷かれている。だが、右腕は肘までなら自由がきいているようだ。最初はツヴァイに引っ張られていたが、その手をポケットに伸ばしてみたが取り出すことはできなかったらしい。

 ツヴァイはその様子に気づいているようで、嫌そうな顔をしながら呆れている。

 けれどすぐに、「仕方のない人ですね」と言って頭を抱えるだけだった。


 上から押しつぶされているセロ。リリーが初めてセロに出会ったときと重なり、リリーは口角を上げて言う。


「『人助けに理由なんて要らないんだから! ほら、アイルも手伝って!』」


 リリーの力だけでは、ぴくりとも動かない棚。踏ん張るも、少しの隙間も生み出せず、力んで顔が赤くなる。


「二度も同じ目に遭う馬鹿だ」


 そう言いながらも、アイルは棚に手をかける。男性ならではの力で、棚は少し持ち上がり、できた隙間からセロは這い出た。


「『いやぁ、助かったよー。ちょっとミスして、埋もれちゃってさぁ。君らがいてくれてよかった。本当にありがとう』」


 何一つ変わらずに、頭を搔きながらへらへらと言う彼に、リリーはほっと胸をなでおろすのだった。



 了

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