第22話 歪歪


 どさりと音を立てて血の海に落ちたフェディエール。立ち上がる程の力もなく、まるで人形のようにフェディエールは動かない。


 その様子にアイルは目をくれることもなく、膝から崩れ落ちたままだった。リリーが消えた場所を見つめ、呆然としている。

 そんな彼にかける言葉を見つけられなかったセロは、代わりに周囲を警戒した。ツヴァイの閃光は見当たらず、彼の気配もないことを確認すると、もう近くにいないのだとわかり、すぐさまフェディエールの傍へ向かった。


「フェディエール。聞こえる?」

「指揮官、殿。申し訳、ありません……」


 そっと肩を叩いて声をかける。すると瞳は閉じたまま、小さな声でフェディエールは答えた。


「ううん、謝らなくていいから。ねえ、体は治せるかい?」


 ベイルであれば、自分の体の治癒ができる。しかし、一向にフェディエールの傷口は塞がらず、ドクドクと血があふれ出ていく。これはまずい。嫌な予感がしていた。


「申し訳ありませ、ん。私の肉体に、限界が来たようです」


 その言葉の意味をセロはすぐに理解した。

 まもなくフェディエールは眠りにつく。ここに集まった仲間たちのように、結晶に包まれ、長い時をその中で眠り続けるのだ。何年も何十年も。無理矢理起こそうとすれば、力が溢れてしまうこともある。

 止める手立てはなく、ただ流れに任せることか出来ない。何もできない。それがまた悔しくて、セロの顔が歪んだ。


「つっ……ツヴァイが強制したからだっ……ごめん、フェディエールっ。ごめんっ」


 何度もセロは謝った。でも、それで何も変わらないとわかっている。だからフェディエールが眠る前にできることをしなければならない。

 悔しくて目を強くつむったが、意を決したように真っ直ぐな瞳をフェディエールに向けた。


「ねぇ、あの歪みは何処に繋がったかわかる?」

「レメラス、です。リリー殿とダーレン殿だけではなく、ここで暮らしていた子供たちも皆そこに……」

「くそっ、やっぱり、フェディエールの予測は正しかったというのか……」


 レメラスの消失により、全てが回避されたと思っていた。しかし、今回フェディエールの力を利用し、この場にいた人間を月人が残した兵器を作り出す術式を発動させるための人柱にしようとしている。

 発動は避けねばならない。

 何の罪もない人々を死なせるわけにはいかない。


 行かねばならない、レメラスに。


「指揮官殿」


 フェディエールの呼び声に、セロは顔を向ける。

 その時にはフェディエールの手足は既に結晶に覆われ始めていた。


「私には時間がもう、時間がありません」

「フェディエール……」

「レメラスへの道は、繋ぎます。だから、どうか。どうか……子供たちを救ってくださいっ。彼らの未来を! 守ってくださいっ!」


 最後の力を出し切るかのように、フェディエールは強く叫ぶ。

 すると、セロとアイルの足下がぐにゃりと歪み始めた。それはここにやって来てから何度か見かけた空間の歪みと同じものだ。そこへ吸い込まれるかのように、二人の体は沈んでいく。

 呆然としているアイルは、あがくことも声を出すこともなく、静かに、まるで幼子が溺れるかのように姿が消えていく。

 一方でセロは、フェディエールの最後の力を感じながらとっさに手を伸ばす。


「フェディエール! 約束は守るよ! だからっ……!」


 体が歪みの中へ完全に取り込まれる前にセロが呼んだとき、フェディエールはとても優しい顔をして見送っていた。



 ☆☆☆☆☆



 歪みに沈んだのは一瞬で、瞬きをしたら目の前は結晶集まる洞窟の中でも、木々が生い茂る森の中でもなく、真っ黒に染まった廃墟都市――レメラスが広がっていた。


 かつて守ることができなかったレメラス。

 真っ黒に染まり、命が全て消えた都市。

 まさかここに再び訪れて、今度は世界を守るほどの負担がかかることになるなんて、なんと奇妙な生き方だろうか。

 果たして今度は守ることができるのか。例え弟を手にかけてでも。

 自分自身の存在に、力に、疑問を投げかけつつ、拳を握り締めた。


 そんなセロの隣には頭を抱えたままのアイルが項垂れている。

 リリーを失い、途方に暮れているようだ。


「アイルくん」


 呼びかけたが、アイルはセロを見ようとしない。

 リリーが居なくなったことが、彼にとってこんなにも大きな問題となっていたのかと、セロは感じていた。


「アイルくん、行くよ?」


 アイルは首を横に振る。


「フェディエールがリリーちゃんたちはここに居ると言っていたよ。助けに行かないと」


 優しく言っても、アイルは虚を見つめたままだ。

 てこでも動かない様にセロはレメラスとアイルを交互に見る。

 一刻も早く助けにいくべきである。ここで立ち止まっている時間が惜しい。セロはアイルと共に進むことを諦め、ひとりレメラスの中へと向かうことを決めた。


 アイルに背を向けて歩き出す。

 すると、レメラスの奥の方から崩れるような音が響いた。


「ツヴァイ!? いや、これは違う。ザジーか!」


 音に続いて、黒煙が天に上るのが見えた。

 火の手には警戒が強まる。セロはレメラスを駆けた。

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