第8話 シルヴァと少女

「昨日は帰れずすまなかったな。改めて、君の父となるシルヴァンだ。これからよろしくな、アデル」

「こちらこそよろしくお願いします」


 カタカタと揺れる馬車の中、シルヴァ様は私に改めて向き合うとそう言った。私も挨拶を返すと、シルヴァ様は穏やかな微笑みを浮かべる。間近で見る推しの微笑みに私の心臓はドクリと音を立てた。


 今は王宮からシルヴァ様、ベルとうさま、私の3人で自宅へ帰る道中だ。私たちの家は王宮から少し離れたところにあって、馬車で行き来する必要あった。私の隣にはベルとうさまが座っていて、馬車の揺れに耐えられずバランスを崩す私をさりげなくフォローしてくれている。最初はベルとうさまのお膝の上に乗せられそうになったが、流石にそれは全力でお断りした。いくら幼女であるとはいえ結構な重さはあるはずだ。ベルとうさまの細い足に負荷をかけるわけにはいかない。


 一方のシルヴァ様はというと、少しぎこちない動きで私の前に腰を下した。多分、緊張しているんだと思う。無理もない。もともとシルヴァ様は子供との触れ合いに不慣れだってベルとうさまが言ってたし、ロレシオ殿下も子どもだけど大人びすぎて普通の子どもとは違うから、一般的な子どもとの接し方が分からないんだと思う。まぁ、私も一般的な子どもとは言えないんだけどね。精神年齢、とっくに成人してるし。


 そんなシルヴァ様の様子を見かねたのか、ベルとうさまはシルヴァ様にまずは挨拶をするように勧めた。そして、冒頭に戻る。


 今日も推しが尊いと私は内心悶えていると、シルヴァ様は話を変えるようにして言った。


「…ところで、ベルとは随分と仲良くなったようだな」


 ベルとうさまと仲良くなったことは間違いないので、私はその言葉に大きく頷く。


「はい!ベルとうさま、とても優しくて素敵な方です!お料理も上手で、昨日の夕飯もとても美味しかったですよ!」


 ベルとうさま、マジで万能!料理上手で子どもの面倒見も良くて超スパダリ主夫!流石、推しの嫁!


 私がベルとうさまをそう褒めると、ベルとうさまは「アデルは人を喜ばせるのが上手ですね」と言いながら照れくさそうに笑った。


「そうか。羨ましいな。私もベルの夕飯を食べたかった。どうにも、ベルの料理を食べないと仕事のやる気もおきん」


 心底羨ましそうに言うシルヴァ様にベルとうさまは大袈裟ですよと言いながらも、今日は思う存分食べてくださいなんて言葉をかけている。ラブラブだ。


 目の前で繰り広げられる推し達の尊いやり取りを眺めていると、ふいにシルヴァ様と視線が合った。何か言いたげな瞳に私が首を傾げるとシルヴァ様は恐る恐る口を開いた。

 

「…なぁ、俺はとうさまとは呼んでくれないのか?」


 その少し寂しそうな眼差しに私の心臓はギュッと掴まれる。効果はばつぐんだ。


「と、とうさまとお呼びしてもよろしいのですか?」

「もちろんだ。寧ろ、娘に様付で呼ばれるのは寂しい」

「で、ではシルヴァとうさまと」

「ああ」


 私がそう呼ぶとシルヴァ様は嬉しそうに笑った。―ほわっ!嬉しそうな笑顔も素敵!流石、私の推し!顔がいい!


 私たちのやり取りを静かに見守っていたベルとうさまは、私たちの会話がひと段落すると嬉しそうに笑って言った。


「ふふ、これでようやく互いに打ち解けることができましたね。一安心です」 


 

※※※


「嫌です!一人で入れます!」

「駄目です。危ないでしょう?」


 あの後、無地に家に着き、ベルとうさまの作った美味しい夕食を食べながら、楽しい話に花を咲かせかなり仲良くなった私たち親子であったが、直ぐに崩壊の危機はやってきた。そう、お風呂だ。


 いくら幼児であるとはいえ、推しに裸を見せるなどましてや推しの裸を見るなど無理である。平常心でいられるはずがない。そもそも精神年齢成人済の私は一人でも問題なくお風呂に入れるのだ。だから、一緒に入ってくれるというベルとうさまの申し出を断り、一人でお風呂にはいろうとした。しかし、過保護なベルとうさまはそれを許さなかったのだ。それで私が盛大にごねているところである。


 ベルとうさまは困ったように眉を下げながらも、ベルとうさまかジルヴァとうさまのどちらかとお風呂に入るように私を諭した。滑ってころんで頭を打ったら大変だの、お風呂の水深が深いから溺れたら大変だの色々と理由をつけては根気強く説得してくる。わがままを言って申し訳ないという気持ちはあるが、これだけは譲れなかったので私は必死に首を横に振り続けた。


 私たちの言い合いを心配そうにシルヴァとうさまが隣で見守る中、言うことを聞き入れない私にベルとうさまは仕方がないですねと深いため息をつきながら言った。もしかして折れてくれたのかと私がベルとうさまを見上げると、ベルとうさまは綺麗な笑顔を浮かべて言った。


「では、3人で入りましょうか」

「…え?」



 そのあとの二人の行動は早かった。ベルとうさまの言葉にシルヴァとうさまは私をひょいと捕まえると、軽々と抱き上げたままお風呂場へと連行した。あれよあれよとベルとうさまに来ていた服をはぎ取られる。いつの間にかバスローブ一枚になったシルヴァとうさまが、再び私を抱えるとそのまま浴室へと私を連れていく。


 ベルとうさまも物凄い早業でバスローブ姿になると私たちの後に続いて浴室へと入ってきた。もはや諦めるしかない状況に、大人しく私がされるがままになっていると、シルヴァとうさまは私の頭を洗い始めた。豪快に頭にお湯をかけてきたので、私は急いで目を閉じる。そして、そのまま石鹸を泡立てると、わしゃわしゃと頭を洗っていく。


「いたっ!」


 突然目に激痛が走り、私は目を抑えた。いきなり痛みに悶えた私にシルヴァとうさまは慌てた。


「す、すまない!目に石鹸が入ったか!?今すぐに泡を流すから!」


 そう言って桶に入れた水を勢いよく私にかけようとするシルヴァとうさまを、ベルとうさまが慌てて止める。


「待ってください、シルヴァ。そんなに勢いよくお湯をかけたら余計に目に水が入って痛いでしょう!」


 ベルとうさまはシルヴァとうさまから桶を奪うと、優しく丁寧に顔や頭に残った泡を洗い流し痛みを和らげてくれた。シルヴァとうさまは肩を落としながら、心底申し訳なさそうに私に謝った。私は大丈夫ですと首を横に振りながら、石鹸に手を掛ける。身体は流石に自分で洗いたい。


 すると、ベルとうさまが薄い布に石けんをつけて泡立てたものを私に差し出した。これで身体を洗えということらしい。私はありがたくそれを受取ると自分の身体を洗った。ある程度前を洗ったところで背中を洗おうとすると、シルヴァとうさまが背中は届かないだろうからと、私からさっと布を受取ると背中を洗ってくれた。今度は肌を傷つけないように気を遣ってか、凄く優しく丁寧に洗ってくれている。しつこいぐらいに、強くないか?とか痛くないか?とか聞いてくるので思わず笑ってしまった。


 二人が洗い終わると私はシルヴァとうさまに抱えられ湯船へと浸かった。確かにこの家の湯船は深くて、私の身長よりもあるため、私単体で浸かったら溺れてしまいそうだった。推しに抱えられて風呂に入るのは緊張するが、施設には湯船がなかったこともあり、久々にお湯に浸かったため、その気持ちよさに心癒され、次第にその緊張もなくなった。


「気持ちいですか?アデル。お湯は熱くないですか?」


 同じようにお湯に浸かりながら私にそう確認してくるベルとうさまに私は笑顔で頷いた。


「はい!気持ちいいです!」

「ふふ。それならよかったです」


 今日は濃い一日だったななんて思いながら、ゆっくりと瞳を閉じる。…なんだか眠くなってきた。



「アデルがのぼせる前に出た方がいいよな?」


 少しして大分身体も温まってきたところで、シルヴァはベルに確認する。ロレシオ殿下と接する機会は多いものも、自分は護衛の仕事で殿下の世話は待女やベルが行っているので、あまり自分が子供の世話をする経験がない。ましてや子どもをお風呂にいれる経験などなかったので、今日は戸惑ってばかりだった。ベルがフォローしてくれているので何とかなっているが、アデルの目に石鹸が入ってしまったときはこれでアデルに嫌われてしまったらどうしようとかなり焦った。多分、戦場で敵に背後を取られた時より焦った気がする。


「そうですね。そろそろ上がりましょうか…て、アデル?」


 言葉を途中で止め、自分の腕の中に視線を集中させたベルの様子を見て、シルヴァも自分の腕の中にいる存在へと視線を移した。随分と大人しいなとは思っていたが、腕の中の小さな少女は小さな寝息を立て目をつぶっていた。

 

「…寝ているな、これは」

「よほど疲れてたんですね」

「そうだな」


 まだ片手で数えられる年数しか生きていない少女。自分の腕にすっぽりとはまる小さな身体は想像以上に軽く、そして華奢だ。下手をすれば潰してしまうんじゃないかと不安になるくらい脆い存在に思えた。


「…可愛いな」

「ええ、可愛いですね」


 すうすうと眠るあどけない寝顔を見て、不思議と幸せな気持ちになった。きっと亡くなった友人も、毎日こんな感情でこの子の寝顔を見守っていたんだろう。


 ふと視線をあげると、少女を見ていたベルと視線が重なった。なんとなく照れくさくて互いに微笑み合う。


「湯冷めしないように早く上がって着替えさせましょうか」

「ああ」


 シルヴァは湯船から立ち上がると、少女を極力揺らさないように気を付けながら脱衣所へと向かった。二人で息をあわせながら湯冷めさせないように素早く少女を用意していた寝間着に着替えさせる。少女の眠りは大分深いようで着替えさせている間も彼女が起きることはなかった。


 すやすやと自分の腕で眠る少女を見つめながら、この小さな大切な存在を遺してくれた今は亡き友人に感謝の祈りを心の中で捧げるのだった。

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