第12話




――酷い目にあった。



 鍼埜ムシロは警察署を出ると、本音を零した。


 理不尽な対応と、自分が犯人じゃないと信じなかった連中に対する怒りを瞳に宿し、玄関から階段を降りる。


 この顔はさながら殺人者の顔である。ここで再逮捕されても仕方がなさそう……あ、逮捕はされてない? これは失礼した。



「ムシロ!」


「貉兄!」


 車で迎えに来ていたのは、兄・貉だ。

 感動の再会に、ムシロは駆け足で貉に詰める。


「心配したんだぞ! 妹!」


「お兄ちゃああーん!」


 駆け足の左足を強く踏み込み、地面を思い切り蹴った。そして、右足を真っ直ぐ突き出すとロケットのように飛び出す。


 そう、これが俗にいう《飛び蹴り》である。


「ぬるい!」


 しかしそこは警察で柔道やらに覚えのある貉、ひらりと体を回転させて避けた。


 しかし、飛び蹴りを避けたと同時に『ガン』とも『ボコ』とも聞こえる嫌な音。


 車のドアの板金がべっこりと足型にへこんだのである。


「うわああああ! 俺のオデッセイぁあーー!」


 ローンはまだまだ残っている。



「なにすんだよてめーは!」


「なにすんだじゃねーっての! なんであんた刑事のくせにあっちを助けもしないでボケっとしてんの? バカ?」


「仕方ねーだろ! お前は素行不良でバリバリに容疑者から外れなかったんだからよ! いくら俺が刑事だかからっつっても、お前くらい分かりやすい犯人キャラを開放するなんてできなかったんだよ! ああ……こんなにへこんで……」


「ワッシャ!」ともう一度気合いを口に出して、貉のオデッセイにエルボードロップをすると、綺麗なクレーターがもう一か所できあがり、貉はいい大人なのに嗚咽を漏らして泣いた。



「何時来が死んだなんて……。そんで犯人が羽根塚で自殺したとか……。どんだけファンタジーなんだって」


 色黒たらこ唇のムシロは、疲労の表情を見せたが、それよりも友達である何時来と、知っている教師である由々実が死んだということを、いまいちしっくりきていない。



「そうだ。あのな、お前が拘留されてる間、エクボがうちに来て、事件のこと色々聞いてったぞ。なんかすげー心配してたっぽいけど……。ここには来てないんだな」

 貉の言葉に、ムシロの表情がまた変わる。


「エクボが? なんで……」


「友達だからとかなんとか言ってたぞ。俺も身内が重要参考人でしょっぴかれたもんだから、全く情報が入って来なくてよ。ろくなこと教えてやれなかったけど」



 と言いながら、貉はへこんだオデッセイを撫でながら、鼻水を啜った。



「それにしてもよ貉兄」


「なんだよ! もう蹴るなよ! お前には見えてないだろうけど、俺の心もべこべこにへこんでんだからなっ!」


 うわ、露骨にどうでもいいって顔してる。

「違うって。あの荒崎ってデブなんなんだよ! 頭ごなしにあっちのこと犯人扱いしやがって……! 今度会ったらぶっ殺してやる!」



 ウァーン、と自動ドアが開く音。


「あ、お前!」


 そこに登場したのは、まさしくその荒崎ってデブだった。


「なんだお前? 釈放されたのか。残念だな、お前みたいなあからさまに社会の為にならない奴は、ずっと檻に入っておけばよかったのにな」


「あぁ!? そりゃ身辺次第だろ!」


「? 身辺次第……?」


「荒崎さん、多分人権侵害だって言いたいんですよ」


 ナイスフォロー狭山!


「ああ、そうか。あーあ、お前が犯人じゃねえからよ、また事件長引くじゃねーか。大人しく捕まっとけよ」


「……うふふ」


 引きつった笑いで飛び蹴りの準備動作に入ったムシロに、貉が慌てて割って入った。


「ちょ、なにしてんだムシロ! す、すみません荒崎さん……」


 あははは、と笑う貉に、狭山が「頼むぜ鍼埜!」と偉そうに言い下す。

「いえ、妹が粗相をしまして申し訳ありません。長い拘束だったんで、気が立ってるんだと思います」


「なんだ、お前も俺らが悪いというのか?」


「いえ……」


 ムシロが貉のへこへことする姿にたまらず口を挟むが、貉は「やめろムシロ! 我慢しろ」と宥めた。


「なんでこんなに言われっぱなしで……」


「すみません荒崎さん。うちの妹はまだ子供でして……。未成年の犯罪を未然に防ぐために言ってくださったんですよね?」


「んなわけねーだろ!」


 ムシロが顔を赤くして食って掛かろうとする腕を掴み、それを更に強く握った。

「でももしも本気で言ってるんでしたら」


 厚い金属が衝撃を受けた破壊音。


 貉の右腕はオデッセイの板金を思い切りへこませていた。それはムシロがへこましたそれとは段違いのへこみ具合である。



「マジで殺しますよ? 家族コケにされてヘラヘラしてられるほど僕も大人じゃないんで」


 敵意に満ちた睨みを荒崎に向け、その眼光に隣に居た狭山は「ひっ」と声を漏らした。



「本気かどうかは……これからのその妹の素行次第だ。疑うのが俺らの仕事だって、そのくらいは分かってんだろ? 鍼埜」


「……とーぜん」

 荒崎が去った後、貉はムシロに向くと「腹減ってるだろ。何食いたい?」と尋ねた。


「うーん、いっぱい食べたいのあるけど……けど、それより」


「うん?」


 照れ臭そうにムシロははにかむと、「エクボに会いたい」と言った。


「ぐはは! なに照れてやがんだ! よっし、三人で飯だな!」


 豪快に笑い、貉はオデッセイに乗り込もうと振り返った。


《べっこべこのオデッセイ》



「俺のオデッセェエエーイ!」




「くっくっくっ、地獄のようなおしるこが出来てるわよ……」


 地獄のおしるこ? ちょっと食べるのは遠慮したい耳障りのおやつを勧めたのは、エクボの母だ。


「くくく、甘いもの、最高……。特にこの漆黒の闇と粘着質な汁……、それにこの喉に詰まらせただけで人を死に至らしめることのできる白玉……。最高、喪女には最高のお菓子ね……。私は、42歳でメランコニックバードのフィギュアを抱いて、白玉を喉に詰まらせて死ぬのよ。でもそれなら本望……」


 ああ、もう面倒なのでピンポーンとインターホンを鳴らしてやった。

「あら、お客様? 珍しい……もしかして、死神かしら?」


「くくく、いいね。ソウルソサエティー……」



 じゅるじゅるとおぞましい音でおしるこを啜るエクボの背に、玄関から母が呼ぶ声がこつんと当たった。


「どうしたのママ……」


 ゆらり、と玄関まで歩いてゆくと母が「お友達が来てるわよ……。良かった、お友達いたのね」と気味悪く笑う。


「友達……?」


 玄関のドアを開けると、エクボの表情は固まった。


「ムシロ……」


 表情が固まったのは、エクボはこういう時にどんな顔をすれば分からないからだった。綾波的な感情である。



「エクボ、なんかごめん。何時来の時に助けてあげられなかったりとか……その、それとありがと」


「わ、私……結局なにも出来なかったから」



 ムシロは、エクボの手を握る。エクボの手に、懐かしい体温が伝わってきた。



「ムシロ……」


「エクボ、本当はね。あっちもすごく会いたかった。けど、ギャルになっちゃったからちょっと話辛くて……」

「本当…… 趣味最悪…… だよね」


「うっさい!」



 エクボとムシロは、実に10年ぶりに笑い合った。

 由々実が飛び降り自殺をしたと、警察と学校からも正式にアナウンスがあり、奏寺何時来殺人事件は、一応の終息へと向かった。


 何時来を殺した犯人であるとされた由々実が、その事実に耐えられなくなり自らの命を絶ったと、遺書の内容からしてそのように説明がなされたのだ。


 つまり、何時来殺しの犯人は羽根塚由々実であり、犯人の由々実は教え子殺しという罪悪感に耐えきれず、自殺を選んだ……、とのことだ。



 怪談トイレのある旧校舎もしばらく警察が封鎖していて、その間、さすがのエクボもステルススキルを発揮できなかった。


 トイレ飯に相談することが出来なかったということだ。

【アヤカシユメカゲ】や、【グラウンドで何時来が死んでいた謎】、【酒を買っていなかったのに酔っていたムシロと何時来】など、まだすっきりと見通せていない謎もそのままに、無理矢理解決とされたのだ。



 それらのことに引っかかりを感じながらも、一日、また一日と時だけが経ち、次第に生徒達とエクボの中で事件の記憶が薄れてゆく。


 ムシロとは再び仲良くなれ、登下校も共にするようになった。高校生活に入ってようやく訪れた満たされた生活。


――もしかすると、このまま事件のことは放っておいた方がいいのではないか。



 旧校舎が封鎖から解ける前に、エクボがそう結論付けるのは仕方がなかったことなのかもしれない。

■二番目の殺人と終わらせないナゾ


録路高校人気行事ベスト3


1. 録路ナンバー1ラップコンテスト

録路高校全校生徒を対象に行われる何故か2年に一度開催されるコンテスト。様々なスタイルの形式で繰り出されるラップは、録路高校名物だぜ! ちなみに第6回優勝者はRAPとラップ(フィルムの方)を間違えた奴だ。チェケ!


2. 独創的スイーツコンテスト

読んで字の通り、より独創的で美味いスイーツを作った生徒が優勝する大会。チーム制で、12人一組でなんかよくわからない大皿スイーツを作る。毎回妙なスイーツが出来るので人気。


3. 体育祭

やっぱりベタに盛り上がるから人気。文化祭と同率3位だったが、結局わけのわからないコンテストが残った。




 ムシロが開放され、由々実の件が落ち着いたのは、旧校舎が閉鎖されて2週間が経ってからだった。


 たった2週間ではあるが、皆すっかりと落ち着き、あの事件が無かったかのような空気が流れていた。



 旧校舎が再び解放されたのは、事件から1週間ほどの期間だったが、エクボはあれ以来訪れてはいない。


 正直、あの事件を忘れてしまいたかったというのもあるし、ムシロが戻ってきたことはそもそものエクボの目的と合致する。


 後ろめたさは感じていたが、日々の生活をこなしていく間に、エクボの中でも事件の記憶が薄れていったのだ。


「あのさ……」


 最初に口を開いたのはムシロだ。


 クラスでも一目を気にせずに話すようになったムシロは、スマホをいじりながらエクボに話しかけた。


「あ、新兵器……」


「え! てめっ!」


 同じくタブレットを操作するエクボが呟くと、なぜかムシロが悔しがるように短く叫ぶ。


「くくく……課金……」


「あーー! ずっりぃ~ぞ!」


 おっと、これはどうやらゲームアプリを二人で対戦しているらしかった。



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