第四話 インパール作戦

戦がひとやすみしたところで、激しい雨が降ってきた。

 日本軍の不幸はつづく。

 暴風雨で、艦隊が坐礁し、米英軍に奪われたのだ。

「どういうことだ?!」

 山本五十六は焦りを感じながら叱った。

 回天丸艦長・森本は、

「……もうし訳ござりません!」と頭をさげた。

「おぬしのしたことは大罪だ!」

 山本は激しい怒りを感じていた。大和を失っただけでなく、回天丸、武蔵まで失うとは………なんたることだ!

「どういうことなんだ?! 森本!」とせめた。

 森本は下を向き、

「坐礁してもう駄目だと思って……全員避難を……」と呟くようにいった。

「馬鹿野郎!」五十六の部下は森本を殴った。

「坐礁したって、波がたってくれば浮かんだかも知れないじゃないか! 現に米軍が艦隊を奪取しているではないか! 馬鹿たれ!」

 森本は起き上がり、ヤケになった。

「……負けたんですよ」

「何っ?!」

 森本は狂ったように「負けです。……神風です! 神風! 神風! 神風!」と踊った。 岸信介も山本五十六も呆気にとられた。

 五十六は茫然ともなり、眉間に皺をよせて考えこんだ。

 いろいろ考えたが、あまり明るい未来は見えてはこなかった。

  大本営で、夜を迎えた。

 米軍の攻撃は中断している。

 日本軍人たちは辞世の句を書いていた。

 ……もう負けたのだ。日本軍部のあいだには敗北の雰囲気が満ちていた。

「鈴木くん出来たかね?」

「できました」

「どれ?」


  中国の野戦病院の分院を日本軍が襲撃した。

「やめて~っ!」

 看護婦や医者がとめたが、日本軍たちは怪我人らを虐殺した。この〝分院での虐殺〝は日本軍の汚点となる。

 ジュノーの野戦病院にも日本軍は襲撃してきた。

 マルセル・ジュノーは汚れた白衣のまま、日本軍に嘆願した。

「武士の情けです! みんな病人です! 助けてください!」

 日本の山下は「まさか……おんしはあの有名なジュノー先生でごわすか?」と問うた。「そうだ! 医者に敵も味方もない。ここには日本人の病人もいる」

 関東軍隊長・山下喜次郎は、

「……その通りです」と感心した。

 そして、紙と筆をもて! と部下に命じた。

 ………日本人病院

 紙に黒々と書く。

「これを玄関に張れば……日本軍も襲撃してこん」

 山下喜次郎は笑顔をみせた。

「………かたじけない」

 マルセル・ジュノーは頭をさげた。


  昭和二十年(一九四五)六月十九日、関東軍陣に着弾……

 山下喜次郎らが爆撃の被害を受けた。

 ジュノーは白衣のまま、駆けつけてきた。

「………俺はもうだめだ」

 山下は血だらけ床に横たわっている。

「それは医者が決めるんだ!」

「……医療の夢捨…てんな…よ」

 山下は死んだ。

  野戦病院で、マルセル・ジュノー博士と日本軍の黒田は会談していた。

「もはや勝負はつき申した。蒋介石総統は共順とばいうとるがでごわそ?」

「……そうです」

「ならば」

 黒田は続けた。「是非、蒋介石総統におとりつぎを…」

「わかりました」

「あれだけの人物を殺したらいかんど!」

 ジュノーは頷いた。

 六月十五日、北京で蒋介石総統と日本軍の黒田は会談をもった。

「共順など……いまさら」

 蒋介石は愚痴った。

「涙をのんで共順を」黒田はせまる。「……大陸を枕に討ち死にしたいと俺はおもっている。総統、脅威は日本軍ではなく共産党の毛沢東でしょう?」

 蒋介石はにえきらない。危機感をもった黒田は土下座して嘆願した。

「どうぞ! 涙をのんで共順を!」

 蒋介石は動揺した。

 それから蒋介石は黒田に「少年兵たちを逃がしてほしい」と頼んだ。

「わかりもうした」

 黒田は起き上がり、頭を下げた。

 そして彼は、分厚い本を渡した。

「……これはなんです?」

「海陸全書の写しです。俺のところに置いていたら灰になる」

 黒田は笑顔を無理につくった。

 蒋介石は黒田参謀から手渡された本を読み、

「みごとじゃ! 殺すには惜しい!」と感嘆の声をあげた。

  少年兵や怪我人を逃がし見送る黒田……

 黒田はそれまで攻撃を中止してくれた総統に頭を下げ、礼した。

 そして、戦争がまた開始される。

 旅順も陥落。

 残るはハルビンと上海だけになった。

  上海に籠城する日本軍たちに中国軍からさしいれがあった。

 明日の早朝まで攻撃を中止するという。

 もう夜だった。

「さしいれ?」星はきいた。

 まぐろ               

「鮪と酒だそうです」人足はいった。

 荷車で上海の拠点内に運ばれる。

「……酒に毒でもはいってるんじゃねぇか?」星はいう。

「なら俺が毒味してやろう」

 沢は酒樽の蓋を割って、ひしゃくで酒を呑んだ。

 一同は見守る。

 沢は「これは毒じゃ。誰も呑むな。毒じゃ毒!」と笑顔でまた酒を呑んだ。

 一同から笑いがこぼれた。

 大陸関東日本陸軍たちの最後の宴がはじまった。

 黒田参謀は少年兵を脱出させるとき、こういった。

「皆はまだ若い。本当の戦いはこれからはじまるのだ。大陸の戦いが何であったのか……それを後世に伝えてくれ」

 少年兵たちは涙で目を真っ赤にして崩れ落ちたという。


  日本軍たちは中国で、朝鮮で、東南アジアで暴挙を繰り返した。

 蘇州陥落のときも、日本軍兵士たちは妊婦と若い娘を輪姦した。そのときその女性たちは死ななかったという。それがまた不幸をよぶ。その女性たちはトラウマをせおって精神疾患におちいった。このようなケースは数えきれないという。

 しかし、全部が公表されている訳ではない。なぜかというと言いたくないからだという。中国人の道徳からいって、輪姦されるというのは恥ずかしいことである。だから、輪姦さ               

れて辱しめを受けても絶対に言わない。

 かりに声をあげても、日本政府は賠償もしない。現在でも「慰安婦などいなかったのだ」などという馬鹿が、マンガで無知な日本の若者を洗脳している。

  ジュノー博士は衝撃的な場面にもでくわした。

 光景は悲惨のひとことに尽きた。

 死体だらけだったからだ。

 しかも、それらは中国軍人ではなく民間人であった。

 血だらけで脳みそがでてたり、腸がはみ出したりというのが大部分だった。

「……なんとひどいことを…」

 ジュノーは衝撃で、全身の血管の中を感情が、怒りの感情が走りぬけた。敵であれば民間人でも殺すのか……? 日本軍もナチスもとんでもない連中だ!

 日本軍人は中国人らを射殺していく。

 虐殺、殺戮、強姦、暴力…………

 日本軍人は狂ったように殺戮をやめない。

 そして、それらの行為を反省もしない。

 只、老人となった彼等は、自分たちの暴行も認めず秘密にしている。そして、ある馬鹿のマンガ家が、

 …日本軍人は侵略も虐殺も強姦もしなかった……

 などと勘だけで主張すると「生きててよかった」などと言い張る。

 確かに、悪いことをしたとしても「おじいさんらは間違ってなかった」といわれればそれは喜ぶだろう。たとえそれが『マンガ』だったとしても……

 だが、そんなメンタリティーでは駄目なのだ。

 鎖国してもいいならそれでもいいだろうが、日本のような貿易立国は常に世界とフルコミットメントしなければならない。

 日中国交樹立の際、確かに中国の周恩来首相(当時)は「過去のことは水に流しましょう」といった。しかし、それは国家間でのことであり、個人のことではない。

 間違った閉鎖的な思考では、世界とフルコミットメントできない。

 それを現在の日本人は知るべきなのだ。


  民間の中国人たちの死体が山のように積まれ、ガソリンがかけられ燃やされた。紅蓮の炎と異臭が辺りをつつむ。ジュノー博士はそれを見て涙を流した。

 日本兵のひとりがハンカチで鼻を覆いながら、拳銃を死体に何発か発砲した。

「支那人め! 死ぬ!」

 ジュノーは日本語があまりわからず、何をいっているのかわからなかった。

 しかし、相手は老若男女の惨殺死体である。

「……なんということを…」

 ジュノーは号泣し、崩れるのだった。                       

         5 日本軍の虐殺






  ユダヤ人たちを乗せた貨物列車が、アウシュビィッツ強制収容所に到着した。もはや、名簿係も名札もなにも必要ではない。ユダヤ人女性は髪をきられ、女や男にわけられて、ガス室へ入れられるのである。

 シュウウウゥ…っ、とガス室に猛毒ガスが広がるのと同時に、きゃあぁ…つ!という悲鳴が響き渡る。そして、それから間もなく、バタバタと毒ガスによってユダヤ人たちは床にドサリと倒れていった。

 そして、数分後には、死体の山があるだけとなる……。

 ー虐殺者の数、実に六百万人、……おそるべき数字で、ある。……


 アンネ・フランクの日記……

〝だれよりも親愛なるキティーへ、

「本日はDデーなり」きょう十二時、このような声明がイギリスのラジオを通じて出されました。まちがいありません、まさしく、きょうこそはその日、です。いよいよ上陸作戦が始まったのです!

 イギリスはけさ八時に以下のようなニュースを流しました。カレー、ブローニュ、ルアーヴル、シェルプール、そして(例によって)パドカレー一帯に、空からの猛烈な攻撃がくわえられた。さらに爆撃地帯に住むひとびとの安全のため、爆撃避難を…と英軍はビラをまくであろう。

 十二時、アメリカのアイゼンハウワー将軍が、「本日はDデーなり」の声明を読み上げました。「フランスの国民には犠牲がともなうかも知れないが、われわれは必ずや上陸してナチスを追い出す。そのために後ほんのしばらく我慢していてほしい」そのあと、ベルギーの首相、オランダの国王、イギリスの国王、フランスのドゴール将軍のあと、ついにイギリスのチャーチル首相の演説……。

 隠れ家は興奮のるつぼです。まちにまった解放があるのでしょうか?とにかく、希望です。希望がもてます!

 ちなみに、チャーチルはDデーには、自分も軍隊の先頭にたって出陣したい、といい、フランスの将軍やアメリカの大統領にとめられたそうです。なんと豪気な老人でしょう。もう、七十歳以上いっているというのに。でも、希望がみえてきました!〝


「わたしは今、希望をもって十五才の誕生日をむかえることができました。今年こそは皆さんをわたしの家へ招待したいと思います」

 アンネ・フランクは、隠れ家の誕生日会において、そんな風に明るくスピーチをした。 一同から拍手がおこる。デュッセルさんは、立派な作品が書けるようにと万年筆をプレゼントした。ファン・ダーン一家はブローチを、パパとママは下着だった。マルゴーは、大事にしていたペンダントをアンネにプレゼントした。大事な大事な宝物を…。

〝キティー、

 15才の誕生日に、みんなから素敵なプレゼントを頂きました。でも、一番の宝物は、人間って素晴らしい、生きてるってことは素晴らしい、って知ったことです。〝


〝「心の奥底では、若者はつねに老人よりも孤独である」なにかの本でこの格言を知ってから、わたしはずっとこれを忘れられずにきましたし、これが真理だということを確信しました。この生活の中で、わたしとたちより大人たちのほうが苦しんでいるのでしょうか?いいえ。そんなことはありません。大人たちはすでに確固とした自分というものをつくりあげていて、それに従って生活できるからです。それにくらべて私たち若者は、現在のように、あらゆる理想が打ち砕かれ、踏み躙られ、人間が最悪の面をさらけだし、真実や正義や神などを信じているかどうか迷っている時代において、自己の立場を固守し、見解をつらぬきとおすということは二倍も困難なことなのです。

 わたしたちは、この世界が破壊され序序に崩壊していくのを目の当たりにみています。しかし、希望がないわけではありません。もうすぐ、こんな戦争も終り、平和がやってくる……といいと思います。〝


〝親愛なるキティーへ、

 やっとほんとうの希望が湧いてきました。ついにすべてが好調に転じたという感じ。えぇそう、本当に好調なんです!すばらしいニュース!ヒトラー暗殺が計画されました。しかも今度は、ユダヤ人共産主義者がたくらんだものでも、イギリスの資本主義者がたくらんだものでもありません。純血のドイツ人の将軍、おまけに伯爵で、まだかなり若いひとだそうです。〝神の摂理〝か、総統の命に別状はなく、あいにく被害は軽いかすり傷と火傷だけですみました。同席していた数人の将軍、将校らのなかに死傷者が出、計画の首謀者は射殺されたとのことです。

 いずれにせよ、この事件は、ドイツ側にもいまや戦争に飽き飽きして、ヒトラーを権力の座からひきずり降ろそうと思っている将軍や軍人が大勢いることを、物語っています。このようにして、ドイツ人同志が殺しあってくれれば、連合軍にとって都合がいいのです。 あぁ、はやく、ヒトラーがこの世からいなくなればいいのに…。〝


〝前にもいったように、わたしは何事につけ、けっして本当の気持ちを口には出しません。そのおかげで、男の子ばかり追いかけてるお転婆娘とか、浮気っぽいとか、知ったかぶり、とか、安っぽい恋愛小説の愛読者だとか、いろいろ汚名をこうむってきました。活発なほうのアンネはそんなことは笑いとばし、へっちゃらって顔をします。が、おとなしいほうのアンネは、まったく正反対の反応を示します。正直な話、ショックで泣きたくもなります。努力しても、汚名は消えません。

 胸のうちですすり泣く声がきこえます。

 いい面を外側に、悪い面を内側にもっていきたい。それができるはずなんです。きっとなれるはずなんです。もしも…この世に生きているのがわたしひとりであったならば。〝     (アンネの日記はここで終わっている。)


『隠れ家』の一向は、食事中に、解放後の夢について語っていた。まず、ファン・ダーンが口火を切った。

「私は、解放されたら、タバコをプーカプカとやりたいものですな。ペーター、お前は?」 ペーターは少し考えてから、「僕?」といい、続けて「僕は…いろんな場所にいってみたい」と答えた。

 ファン・ダーンのおばさんは、「いいわね。わたしはオペラをみにいきたいわ。マルゴーあなたは?」といい、マルゴーにせかすように尋ねた。

「私?……私もいろんなところへ行ってみたいわ。そして公園の芝生で寝転がるの」

「私はひとりっきりになりたいわ」

「おいおい、エーディット。私のことを忘れんでくれよ」

 オットーは冗談めかしに言った。そして、

「アンネ、お前は?」

 と、愛娘にきいた。

「私は学校にいきたい。そして、皆と一緒に勉強がしたい!」

 アンネは純粋な瞳のままでいった。

「ほおーっ、そりゃあすごい答えだ。マルゴー的答えだね」

 冗談が飛び、一同は大笑いしていた。


  一九四十四年八月四日。

 マルゴーとデュッセルは本を読んでいた。もうすぐ昼なので、ファン・ダーンのおばさんは食事を作っているところだった。ファン・ダーンはテーブルのイスに座って、新聞を読んでいるオットーに、

「なにかかわった記事はありますか?」

 と、きいた。が、別になにもないので「いえ、別に」とだけオットーは答えていた。

 ペーターの部屋では、ペーターとアンネが楽しそうにおしゃべりしていた。しかし、そんな平凡な時間もやぶられようとしていた。

「ミープたち、遅いわね」

 シチューをつくりながら、ファン・ダーンのおばさんが呟いたとき、ウーウ、というサイレンの音が響いて、すぐ前で止まった。

 午前十時半のあたりに、プリンセンフラハト二六三番地に建つ家の前に、一台の車が停った。ツカツカと制服姿のナチス親衛隊幹部カール・ヨーゼフ・ジルバーベルクと、私服で武器を携行した、ドイツ秘密警察(グリユーネ・ポリツアイ)所属の、数名のオランダ人が車から下り立った。『隠れ家』にひそむユダヤ人について、誰かが密告したのは明らかだった。

 秘密の扉をぶちあけて、ナチスの手先達が銃をかまえて『隠れ家』に入ってきた。そして、その後、私服の男がツカツカ歩いてきて、

「五分でしたくしろ」

 と、低い声で命令した。

「あぁ……神さま」

 一同は愕然とするしかなかった。ーもう、すべての終りだ…。ー

 グリューネ・ポリツアイは、八人のユダヤ人の他、潜伏生活を助けたクレーフルとクレイマンを連行しーミープは逮捕をまぬがれたーさらに『隠れ家』に置かれていた現金などをすべて押収(着服)した。



「なにっ?!原爆は完成しない……研究が大幅におくれているだと?!」

 SSの高官は電話を切って、テーブルを強くたたいた。なんてこった、ドイツの存亡がかかっているというのに!

 ペーミンデの事務所で、高官の男はふりかえってから、つったっているウォルナー・フォン・ブラウン博士に、「すまない博士、原爆は間に合いそうにない」

 と、残念そうに告げた。

「そうですか」

 フォン・ブラウンは冷静に答えた。しかし、心の中では安堵の溜め息をついていた。ーよかった。…原爆などをV2号につんで飛ばしたら、それこそ世界中が火の海だ…。

 そう考えていた次の瞬間、

 V2号ロケットが爆発した。ー事故?いや、違った。連合軍が基地をかぎつけて、大編隊を送りこみ、大空襲を開始したのだ!

 次々と〝ドイツ存亡の星〝〝期待のロケット〝が爆発していき、そして炎に包まれていった。…結局、ドイツ最後の秘密兵器V2もまた戦局を大きくかえることはできなかったのである。もはや、ドイツは敗色一色に染まっていた。


「ヒムラー長官、収容所のユダヤ人たちはいかがしましょう?」

 廃墟の中を歩いていた軍服のヒムラーに、SS上官が尋ねた。ヒムラーは冷静な顔をくずすことなく、

「全員、殺してしまえ」

 と平然と命令していた。


  ソヴィエト赤軍のベルリン総攻撃が始まった。

 五十六歳の誕生日を、アドルフ・ヒトラーは地下壕の中で迎えた。形式的な祝賀に連なった要人、軍首脳は、ヒトラーにベルリン脱出を勧めたが、ヒトラーは同意しなかった。ヒトラーはベルリンにとどまり、帝国を死守するといったという。そして、二十九日、ヒトラーは愛人のエバァ・ブラウンと地下壕の中で結婚式を挙げ、それからピストルによってふたりは自殺した。ガソリンをかけて焼き尽くす間、ゲッベルスらは右手をあげて敬礼していた。夜、ゲッベルスは妻と子供とともに自殺。遺体は、ヒトラー夫妻ほど念入りに焼却されることなく、その黒こげのまま放置された。誰も、マイケルでさえも、それ以上かかわっている余裕はなかった。

  ナチス・ドイツは降伏した。


  こうして、アンネたちが連れていかれてから、約九ケ月で戦争が終わった。オットーだけは生き残ったが、他のひとたちは生き残ることができなかった。


ファン・ダーン   1944年秋  アウシュビィッツ収容所のガス室にて死亡

夫人 ペトロネラ  1945年春  テレージュンシュタット収容所にて死亡

長男 ペーター   1945年5月 マウトハウゼン収容所にて死亡

デュッセル     1944年12月 ノイエンガメ収容所にて死亡

オットー・フランク 1945年 アウシュビィッツ収容所から解放 1980年 没

夫人 エーディット 1945年1月6日 アウシュビィッツ収容所にて死亡

長女 マルゴー   1945年2月ころ ベルゼン(ベルゲン)収容所にて死亡


アンネ・フランク  1945年3月   ベルゼン(ベルゲン)収容所にて死亡




  ジュノーの努力もむなしく、日本軍によるアジアでの侵略、野蛮行為はやまなかった。日本人はいつも第二次世界戦争というとナチスやヒトラーの虐殺のことばかり考える。

 まるで映画『シンドラーのリスト』のような光景だ。

 しかし、過去の日本人だって、ナチスの虐殺と同じようなことをしていたのだ。

 中国人被害者はいう。

「殺された何百人の人のうち若い女性はひとりだけでした。妊婦でしたが、強姦され、腹を切られて胎児が飛び出したまま死んでいました。すざまじい状態でした。

 その占領の当時、強姦され殺された女性もいましたが、強姦されても言わない人もいます。わたしが知るかぎり、親切な日本人はひとりもいませんでした。

 過酷な労働を強いて、賃金ひとつ払わない。母は精神に異常をきたして廃人のようになって死にましたが、それは日本軍によって父を殺されたからでした。

 私たちは只の田舎の農民でした。しかし、日本軍人がわれわれの家庭をめちゃくちゃにしたのです。

 日本人を恨んでないといったら嘘になります。もちろん十一歳のときに感じた恨みと今の恨みは違います。日本人全部が悪かったとは今思ってません。悪かったのはひとにぎりの軍国主義者です」

「日本軍たちは村の家を焼き払った。

 父や母もころされた。母は輪姦され、殺されたのです。

 私が思うに、ここにきて日本人が事実を無視するとか、認める認めないの問題じゃないんです。日本軍国主義者たちが勝手に他国を侵略して、多くの罪なき民を殺し、家々を焼き、女性をもてあそんだのは厳然たる事実だ。

 だから日本人の一部が何を言おうがそんなことは問題じゃない。これは賠償金しかない。謝罪もほしい。毛先生は戦争で国と国とが争って被害を受けるのは国民だ、といってます。 日本政府は賠償金をわれわれに払うべきなんです」

「八・一三(上海陥落)から八一五にわたって南京は爆撃されたんです」

「南京で殺されたのは圧倒的に市民が多かったです。銃ももたない農民や一般市民が虫ケラのように殺された。われわれのおじいさんもおばあさんも子供も殺された。

 被害者がやられたと訴えているのに、やった張本人の日本人がやらなかったと否定するのはどういうことですか! まるで子供じゃないですか!」

参考文献『目覚めぬ羊たち』落合信彦著作(小学館出版)より引用*



  南京大虐殺を日本人は認めていない。

 まさに子供だ。確かに三十万人という犠牲者の数は多すぎるかも知れない。原爆でも落とさない限りそんなに殺せないだろう。

 その盲点をついて、一部の日本人は「南京大虐殺なんてなかった」などと主張する。こうした連中は「侵略」じたいも認めない。

 侵略を少しでも認めたら、虐殺も認めざる得ないからだ。

 日本軍人全員が虐殺をしていたかは知らない。

 しかし、日本軍人は過ちを犯した………

 これだけは忘れないでいてほしい。

 



  昭和天皇は自らの『戦争責任』を自覚していたという。だから当時日本を統治していたGHQ連合軍のダグラス・マッカーサーとの会談や写真撮影のときも、

「朕には戦争責任がある。私の命はどうなってもいいから国民を日本国をなんとか無事にお願いする」というような意味のことをマッカーサーに言ったとされる。

 マッカーサーは驚いた。昭和天皇・裕仁は命乞いをして醜態をさらすと勘違いしていたのだ。まさに守護神である。

 このことは秘書と昭和天皇陛下とマッカーサーしか知らないことではあったが、自己顕示欲とプライドの高い自慢屋のマッカーサーは晩年『回顧録』でばらしている。

 マッカーサーの回顧録は自慢話や憶測や勘違いからの誤記が多く、参考文献としては信憑性が低いが、昭和天皇は例の写真で覚悟を示したのであった。

 マッカーサーは軍服で、昭和天皇は黒のモーニング姿にネクタイ。マッカーサー元帥はいばったようにわざと演出し「猫背で身長の低い近眼の男(GHQやマッカーサーの談)」を負け組の元帥として貶める意図で写真を撮った。

 だが、この無礼は日本の知識人たちを激高させた。作家の高見順は「かかる写真は、誠に古今未曾有」、詩人の斎藤茂吉は「うぬーっ、マッカーサーの野郎!」と怒ったという。

 現在の今上天皇である明仁皇太子(当時)は御学友とともに租界地の新聞で、例の昭和天皇とマッカーサーの写真を見て「日本が勝った!」「マッカーサーはネクタイさえしていない!田舎っぺだ!」「日本の三千年の礼節が、たった200年の白人米国文化に勝利した!」と逆に裕仁の株をあげただけにおわった。

 マッカーサー元帥は全ての日本人を支配する雲上人としてふるまい、吉田茂などごく一部の日本人以外は会いもしなかったという。例の記念写真の時もたばこが嫌いな昭和天皇にわざとたばこを差しだし「一服したら?」とすすめたらしい。

 こうしたことは最近の研究でわかったことで、当時のマッカーサーの人気はすざましかったという。ファンレターが全国から何万通と届き、中には「あなたの子供を産みたい」などの手紙まであったという。

 だが、元帥の目標は米国大統領である。日本人など好きではなかった。だから、後に「日本人の精神年齢は十二歳だ」と発言したのだ。

 この言葉を聞いてやっと我に返った日本人はマッカーサーを嫌悪しだした。歴史に詳しいひとならご存知だが、マ元帥は朝鮮戦争で「朝鮮半島に原爆を落としてくれ」とトルーマン大統領に要請してクビになっている。

「アイ・シャル・リターン(もう一度戻ってくる)」とフィリピンで負け惜しみを言って遁走し、アメリカ代表のような地位を得たと勘違いし日本に飛行機で来て、日本を支配し、無礼を働いたマッカーサー元帥。嫌われるのは当然だが、昭和天皇も元帥を嫌いだった。

 のちに米国訪問した昭和天皇は、死去したマッカーサー元帥の記念館となっていた施設にも絶対に訪問しなかった。車でわずか数十分でもいかなかった。

どれだけ恨みが強いか?がわかるエピソードである。マッカーサーの夢は米国大統領に当選することであったが、無理だった。

ちなみに玉音放送を阻止しようと軍部の過激派がクーデターをおこした事件をご存じだろうか?終戦というか敗戦の当時の内閣は鈴木貫太郎内閣である。昭和天皇にご聖断をあおいだ。一方で、軍閥系の最高責任者だった軍人・阿南惟幾(あなみ・これちか)は電話で「(外国と徹底抗戦を叫ぶ軍部関係者に)まだ本土決戦!一億総玉砕の道はある」と嘘をいった。ご聖断の有効の為である。

鈴木貫太郎首相はかつて軍部の若手将校の暗殺者に銃で殺されかけており、死後、荼毘に付すと骨とともに身体の内部にあったであろう銃弾が発見された、という。阿南は玉音後、「ご聖断はくだったのである!もし、不服ならこの阿南を殺しその屍をこえていけ!」と軍幹部たちに怒鳴るように伝えた。

「朕はどうなってもいい。日本国の「国体」や日本人達の命が無事ならば朕は死んでも構わない」敗戦の玉音放送後、阿南は皇居外苑で自刃して果てる。自らの死で軍部の強硬派を抑えたのだ。昭和天皇は自ら統帥権の呪縛をやぶって、敗戦のご聖断を下し、人間として象徴天皇としての道を選んだ。まさに英雄、まさに天皇陛下万歳!陛下は共産主義の悪もわかってらしたという。

クーデターは失敗におわり、昭和天皇が録音した『玉音(天皇の言葉)』が1945年8月15日に放送された。

二度のご聖断で、敗北を決定した昭和天皇。まさに満身創痍の決断である。


         6 ポツダム宣言





  甲板で、榎本中将は激をとばした。

「日本の勝利は君たちがやる! 鬼畜米英なにするものぞ! 神風だ! 神風特攻隊で米英軍の艦隊を駆逐するのだ!」

 若い日本兵一同は沈黙する。

 ……神風! 神風! 神風! ……

 榎本陸軍千余名、沖縄でのことである。地上戦戦没者二十万人……


 七月七日、トルーマン米国大統領はドイツのポツダムに着いた。

 そこで、「ポツダム宣言」を受諾させ、日本などの占領統治を決めるためである。

 会議のメンバーは左のとおりである。


 アメリカ合衆国     ハリー・S・トルーマン大統領

 ソビエト連邦      ヨゼフ・スターリン首相

 イギリス        ウィンストン・チャーチル首相               

 中華民国(中国)    蒋介石国民党総裁(対日戦争のため欠席)



  なおトルーマンは会議議長を兼ねることになったという。

 一同はひとりずつ写真をとった。そして、一同並んで写真をとった。

 有名なあの写真である。しかし、トルーマンは弱気だった。

 彼は国務省にあのジェームズ・バーンズを指名したばかりだった。

 トルーマンは愛妻ベスに手紙を送る。

 ……親愛なるベスへ。私は死刑台の前まで歩いているような気分だ。

 ……失敗したりしないか。ヘマをやらかさないか、頭の中は不安でいっぱいだ。

 議題は、

  一、ソ連対日参戦

  二、天皇制維持

  三、原爆投下(米国しか知らない秘密事項)

 

 七月十六日、トルーマンの元に電報が届く。

 ……手術は成功しました。ただ術後経過はわかりません。

              ヘンリー・スティムソン


 つまり、手術とは原爆の実験のこと。それに成功した。ということはつまり米国最新の兵器開発に成功したことを意味する訳だ。

 トルーマンは「ヤルタの密約」を実行するという。

 つまり、八月十五日に日本攻撃に参戦するというのだ。

 それまでのソ連はドイツ戦で大勢の兵士を失ったとはいえ、軍事力には自信をもち、いずれは米国政府も交渉のテーブルにつくだろうと甘くみていた。よって、ソ連での事業はもっぱら殖産に力をいれていた。

 とくにヨーロッパ式農法は有名であるという。林檎、桜桃、葡萄などの果樹津栽培は成功し、鉱山などの開発も成功した。

 しかし、「ソヴィエト連邦」は兵力を失ったかわりに米国軍は核を手にいれたのである。力関係は逆転していた。



  一九四五年八月昼頃、日本陸軍総裁山本五十六はプロペラ機に乗って飛んでいた。

 東南アジアのある場所である。

「この戦争はもうおわりだ」

 五十六はいった。「われわれは賊軍ではない。しかし、米国を敵にしたのは間違いだ」 だが、部下の深沢右衛門は「総統、米軍が賊軍、われらは正義の戦しとるでしょう」というばかりだ。

 五十六は「今何時かわかりるか?」とにやりといった。

 深沢は懐中時計を取り出して「何時何分である」と得意になった。

 すると、五十六は最新式の懐中時計を取りだして、

「……この時計はスイス製品で最新型だ。妻にもらった」といった。

 そんな中、米軍は山本五十六の乗る大型のプロペラ機をレーダーと暗号解析でキャッチした。米軍はただちに出撃し、やがて五十六たちは撃墜され、玉砕してしまう。

  Bー29爆撃機が東京大空襲を開始したのはこの頃である。黒い編隊がみえると東京中パニックになったという。「急げ! 防空壕に入るんだ!」爆弾のあれ霰…一面火の海になる。その威力はすごく阪神淡路大地震どころの被害ではない。そこら中が廃墟と化して孤児があふれた。火の海は遠くの山からも見えたほどだという。10万人が死んだ。

 しかしリアクションの東京大空襲だった。被害者意識ばかりもってもらっても困るのだ。……恐ろしい戦争の影が忍び寄ってきて……勝手になにもしないで忍び寄ってきた訳じゃない。侵略戦争の果ての結果だった。しかし、これで幼い子供たちが親兄弟を失い、女の子は体を売り、男の子は闇市で働くことになる。がめつい農家は傲慢さを発揮し、高価な着物などと米や野菜を交換した。日本人はその日の食事にもことかく有様だった。



「……お元気でしたか?」

 スティムソンはトルーマンを気遣った。

 するとトルーマンは「私はとくになんともない。それより……」

 と何かいいかけた。

「…なんでしょうか?」

「あれが完成まで到達したそうじゃ。ジャップたちを倒すために『聖なる兵器』などと称しておるそうで……馬鹿らしいだけだ」

「馬鹿らしい?」H・スティムソンは驚いた。

「日本軍は満州を貸してほしい国連に嘆願しておるという」

「日本軍はドイツのように虐殺を繰り返しているそうです。罰が必要でしょう」

 トルーマンは、

「そうだな。どうせ原爆の洗礼を受けるのは黄色いジャップだ」と皮肉をいった。

 スティムソンは「確かに……しかし日本の技術力もあなどれません。戦争がおわって経済だけが問われれば、日本は欧米に迫ることは確実です」

「あの黄色が?」

 トルーマンは唖然ときいた。

  日本軍の満州処理を国連は拒否し、日本軍は正式に〝賊軍〝となった。

 同年、米国海軍は、甲鉄艦を先頭に八隻の艦隊で硫黄島に接近していた。

 同年、米国軍は軍儀をこらし、日本の主要都市に原爆を落とす計画を練った。アイデアはバーンズが出したともトルーマンがだしたともいわれ、よくわからない。

 ターゲットは、新潟、東京、名古屋、大阪、広島、長崎……

 京都や奈良は外された。


「さぁ、君達はもう自由だ。日本にいる家族までもどしてあげよう」

 連合国総指揮者・マッカーサーたちは捕らえた日本軍人たちを逃がしてやった。

 もう八月だが、マッカーサーは原爆投下のことを知らされてない。

 捕虜の中に田島圭蔵の姿もその中にあった。

 ……なんといいひとじゃ。どげんこつしてもこのお方は無事でいてほしいものでごわす。 田島は涙を流した。

 米軍たちにとって日本軍人らは憎むべき敵のはずである。しかし、寛大に逃がしてくれるという。なんとも太っ腹なマッカーサーであった。

「硫黄島戦争」の命運をわけたのが、甲鉄艦であった。最強の軍艦で、艦隊が鉄でおおわれており、砲弾を弾きかえしてしまう。

 米軍最強の艦船であった。

 それらが日本本土にせまっていた。

 日本軍部たちは焦りを隠せない。

 ……いまさらながら惜しい。原爆があれば……


  野戦病院ではジュノー博士は忙しく治療を続けていた。

 もうすぐ戦は終わる。看護婦は李春蘭という可愛い顔の少女である。

 中国人は龍雲という病人をつれてきた。

「ジュノー先生、頼みます!」

 中国人はジュノー医師に頭をさげた。

「俺は農民だ! ごほごほ…病院など…」

 龍雲はベッドで暴れた。

 李春蘭は「病人に将軍も農民もないわ! じっとしてて!」

 とかれをとめた。龍雲は喀血した。

 ジュノー病室を出てから、

「長くて二~三ケ月だ」と中国人にいった。

 中国人は絶句してから、「お願いします」と医者に頭をさげた。

「もちろんだ。病人を看護するのが医者の仕事だ」

「……そうですか…」

 中国人は涙を浮かべた。


  すぐに大本営の日本軍人たちは軍儀を開いた。

 軍部は「なんとしても勝つ! 竹やりででも戦う!」と息巻いた。

 すると、三鳥が「しかし、米軍のほうが軍事的に優位であります」と嘆いた。

 回天丸艦長の甲賀が「米軍の艦隊の中で注意がいるのが甲鉄艦です! 艦体が鉄でできているそうで大砲も貫通できません」

 海軍奉行荒井は「あと一隻あれば……」と嘆いた。

 軍人はきっと怖い顔をして、

「そんなことをいってもはじまらん!」と怒鳴った。

 昭和天皇は閃いたように「ならもうやることはひとつ」といった。

「……どうなさるのですか?」

 一同の目が天皇に集まった。

「あと一年以内に朕は降伏すべきであると思う。沖縄では戦争で民間人が犠牲になった」 天皇は決起した。「あと一年以内に降伏である」



  ツィツィンエルホーン宮殿で『ポツダム会議』が開かれていた。

 ソ連対米英……

 スターリンは強気だった。

 どこまでもソ連の利益にこだわる。

 トルーマンはスターリンに失望した。

「…神様は七日間で世界をつくったのに……われわれは何週間もここで議論している」

 会議は回る。

 余興で、ヴァイオリンとピアノの演奏があった。


 ………スターリンはすべて自分勝手になんでも決めようとする。私はソ連に、いやスターリンに幻滅した。………

            トルーマン回顧録より


  そんな中、米国アリゾナ州ロスアラモスで原爆実験成功という報が入ってきた。

 ……壮大で戦慄。まさに空前に結果。爆発から30秒後に辺りが火の海になった。全能の神の手に触れたかのように震えを感じた。………

               オッペンハウアー博士回顧録より


 トルーマンは自信を取り戻した。

 この最新兵器があれば、ジャップたちを終戦に導かせられる。

 原爆の人体実験までできるではないか……

 ……ソ連抜きで日本に勝てる!

 〝手術は八月十五日以降なら、八月十日なら確実でしょう〝

 トルーマンはスターリンに、

「われわれはとてつもない兵器を手にいれました」といった。

 その当時、情報をつかんでなかったスターリンはきょとんとする。

 しかし、チャーチルは情報を握っていた。

 チャーチルは「なにが卑怯なもんか! 兵器使用は国際法で認められた立派な戦法だ。卑怯といえばジャップじゃないか。天皇を担いで、正義の戦争などと抜かして…」

「それはそうですが……」

 チャーチルは無用な議論はしない主義である。

「原爆使用はいかがでしょう」

 チャーチルは提案した。「原爆を脅しとして使って、実際には使わずジャップの降伏を待つのです」

 トルーマンは躊躇して、

「確かに……犠牲は少ないほうがいい」

 といった。声がうわずった。

「どちらにしても戦には犠牲はつきものです」

「原爆を落とすのはジャップだよ。黄色いのだ」

「そういう人種偏見はいけませんな」

「しかし……原爆を使わなければ米兵の血が無用に流れる」

 チャーチルは沈黙した。

「とにかく……実際には使わずジャップの降伏を待つのです」

 やっと、チャーチルは声を出した。

「……首相………」

 トルーマンは感激している様子だった。


  さっそくゼロ戦に戦闘員たちが乗り込んでいった。

 みな、かなり若い。

 鈴木歳三も乗り込んだ。

 しかし、鈴木とてまだ三十五歳でしかない。

 海軍士官・大塚浪次郎も乗り込む。「神風だ! 鬼畜を倒せ!」

「おう! 浪次郎、しっかりいこうや!」

 大塚雀之丞は白い歯を見せた。

 英語方訳の山内六三郎も乗り込む。

「神風だ!」

 若さゆえか、決起だけは盛んだ。

 しかし、同じ英語方訳の林董三郎だけは乗せてもらえなかった。

「私も戦に参加させてください!」

 董三郎は、隊長の甲賀源吾に嘆願する。

 が、甲賀は「総裁がおぬしは乗せるなというていた」と断った。

「なぜですか?! これは義の戦でしょう? 私も義を果たしとうごりまする!」

 林董三郎はやりきれない思いだった。

 高松がそんなかれをとめた。

「総裁は君を大事に思っているのだ。英語方訳が日本からいなくなっては困るのだ」

「…しかし……」

「君も男ならききわけなさい!」

 董三郎を高松は説得した。

 こうして、神風特攻隊は出陣した。


「日本軍がせめて……きたのでしょう?!」

 病院のベッドで、龍雲は暴れだした。看護婦の李春蘭は、

「……龍雲さん、おとなしくしてて!」ととめた。

 龍雲は日本軍と戦う、といってきかない。そして、また喀血した。

「龍雲のことを頼みます、ジュノーさん」

 病院に蒋介石総裁がきた。

「あなたがジュノー博士か?」

 蒋は不躾な言葉で、ジュノーに声をかけた。

「ジュノーさん」

「はい」

「……元気で。お体を大切になさってください。戦は必ずこちらが勝ちます」

「しかし……」

「心配はいりません。わが軍の姿勢はあくまで共順……中華民国は共和国です。連合軍とも仲良くやっていけます」

 蒋介石自身にも、自分の言葉は薄っぺらにきこえた。

「誰か! 誰かきて!」

 李春蘭が声をあげた。「龍雲さんが……!」

「……す、すいません!」

 ジュノーは病室にむけ駆け出した。

         7 生還






結果

インド国マニプル州インパールの位置

インド国ナガランド州コヒマの位置

本作戦は参加した日本陸軍部隊・インド国民軍に多大な損害を出して、7月1日に中止された。日本陸軍の損害は、『戦史叢書』によれば、戦死者が第15軍の主力3個師団で計11400人・戦病死者が7800人・行方不明者1100人以上(計20300人以上)にのぼり、そのほか第15師団だけで3700人の戦病者が発生した。インド国民軍も、参加兵力6000人のうちチンドウィン河まで到達できたのは2600人(要入院患者2000人)で、その後戦死400人、餓死および戦病死1500人の損害を受けて壊滅した。イギリス軍は、まだ生きている日本兵にガソリンを撒いて、火を付けて焼き殺したとされる。

一方、イギリス軍の人的損害は、ルイ・アレンの調査によれば前哨戦で920人・コヒマ周辺で4064人・インパール周辺で12603人の計約17500人の戦死傷者が出た。また、作戦末期に日本軍を追撃した第33軍団は、7月から11月まで週平均兵力88500人が投入されたうち、戦死者はわずか49人であったが、2万人を超えるマラリア患者を中心に47000人の戦病者が発生し、死傷病者は総計50300人にも上る容易ならざる損害を受けた。『戦史叢書』はスリムの回顧録『敗北から勝利へ』による数字として、作戦期間中の英印軍の死者15000人および戦傷者25000人という値を挙げている。

この作戦失敗により、英印軍に対し互角の形勢にあった日本軍のビルマ=ベンガル湾戦線は崩壊、続くイラワジ会戦ではイギリス軍の攻勢の前に敗北を喫する。翌1945年(昭和20年)3月には、アウン・サン将軍率いるビルマ国民軍が連合軍側へと離反し、結果として日本軍がビルマを失陥する原因となった。

本作戦を特集したTV特番『NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 〜ビルマ・インパール〜』(1993年6月13日放送)では「一将功成らずして万骨枯る」とこの作戦を総括した。

戦後、インパールのあるマニプール州などのインド東北部は、隣接するナガランド州などの分離独立運動による政情不安のため、インド政府は外国人の立ち入りを規制している。このため遺骨収集などは進まなかったが、1993年には多数の遺骨が発見されたチェンマイにある学校の敷地内に慰霊碑が建立されるなどし、1994年には日本政府がインド政府の協力の下、インパール近郊のロトパチン村に慰霊碑を建立した。地元住民の中には、食料と交換した軍票やヘルメットなどの遺品を保管し、遺族の訪問に備えている者もいる。

イギリスの国立陸軍博物館(英語版)は2013年、インパール作戦及びコヒマの戦いをイギリス最大の作戦に票決した。またインドのヒンドゥスタン・タイムズは2017年6月、戦いに関する遺物保存や記念活動の取材ビデオを公開し、当事者の証言や、マニプル州の住民は多くは英軍のほうに従軍していたことなどを紹介した。

NHKは2017年8月15日、新資料や日英双方の参加者、地元住民の証言からなるドキュメンタリー番組をNHKスペシャルの枠で放映した。


日本軍敗北の責任


インパール作戦の失敗後、日本陸軍はビルマ方面軍の高級指揮官・参謀長らの敗戦責任を問い、そのほとんどを更迭した。牟田口第15軍司令官も軍司令官を解任され、予備役に編入される懲罰人事を受けた。独断撤退を行った佐藤中将は作戦当時「心身喪失」であったと言う診断が下され、軍法会議で刑事責任を追及されることなく、やはり予備役編入とされた。佐藤中将自身は軍法会議で撤退の是非を論じることを望んでいたが、河辺方面軍司令官は、親補職の師団長を軍法会議にかけるには天皇の親裁を要することから、不祥事が重大化することを懸念して軍法会議を回避した。責を問う軍法会議が開催されることで、軍法会議の場で撤退理由をはじめとするインパール作戦失敗の要因が明らかにされることと、その責任追及が第15軍、ビルマ方面軍などの上部組織や軍中枢に及ぶことを回避したとも言われる。河辺中将は方面軍司令官を退いたものの、翌1945年3月に大将に昇進し、終戦時には第1総軍司令官の要職にあった。

戦後、日本軍敗北の責任は主に牟田口にあるとする評価が支配的である。戦時中からも、戦病死した山内正文師団長は、死の床で「撃つに弾なく今や豪雨と泥濘の中に傷病と飢餓の為に戦闘力を失うに至れり。第一線部隊をして、此れに立ち至らしめたるものは実に軍と牟田口の無能の為なり」と語っていた。この点、伊藤正徳は、牟田口が作戦の主唱者であった以上は責任甚大であるのは当然としたうえで、牟田口一人に罪を着せるのは不公平であると述べる。仮に牟田口が暴走したのだとしても、これを断固として押さえつけるのが上層部の責務であって、インパール作戦の無謀の責任は牟田口と大本営が少なくとも五分と五分、あるいは引きずられた上司の罪をさらに重いものと見るのが公平であると評している。

戸部良一は『失敗の本質』において、インパール作戦でずさんな計画が実行された原因について、牟田口軍司令官や河辺方面軍司令官の個人的性格も関連しているが、より重要なのは「人情」という名の人間関係・組織内融和が優先されて組織の合理性が削がれた点にあると主張している。


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