なつかし



過去の記憶が蘇る。

白柳未介に惹かれ、夫婦となり、封令師としてではなく、一人の男として愛した記憶。

若々しい男の姿は、今でも夢に浮かんでくる愛すべき男の姿をしていた。


「くう…」


思わず目を逸らす。

精神は既に枯れ切っている。

だが、愛した男の前に立つと、精神が若返ってしまう。


「(ダメだよ、これは戒濁の術中、旦那が生きているなんて有り得ない、もう六十年前に死んでいるんだ、これは幻覚、これは嘘、これは幻)」


六十年分の愛が溢れ出ている。

目の前に立つ男が余りにも心に響いてしまう。

白柳未介はその姿にして見れば容姿など可も無く不可も無く、極めて普通な顔だ。

むしろ、その言動からして損をしている様な人間だ。

他者から見れば面白い人間ではあるが、恋愛感情には届かない友人枠と言った所。

そんなどうしようも無い男を、白柳めゐはどうしようも無く愛してしまったのだ。


「どうかしたんですか?あの、お嬢さん?」


名前を伺って無いので、白柳未介は彼女をお嬢さんと呼ぶ他ない。

その呼び方も久方ぶりであり、白柳めゐの心臓を高鳴らせた。


「(あ、好き…いや違うッ)」


決して、帽子のツバを掴んで帽子を上げて此方を見つめる姿が格好良く、ときめきを感じてしまうとか、そういう事では無いと彼女は邪念を振るうと共に握り拳を作った。

これが戒濁の術中ならば、支配を解く為に愛すべき夫を攻撃しようと顔面を殴るのだった。


「えぇい、黙れ偽物めッ」


「ぐべぁッ!?」


顔面を殴られる白柳未介。

涙目を浮かべながら白柳めゐを見ている。


「な、こ、これが最近流行りの挨拶って奴ですかッ」


「な、この、ッ愛くるしい悲鳴を挙げるなッ!いや違う、苦しい悲鳴を挙げるなッ!!」


「虐待宣言ッ!?」


ボケた突っ込みを放つ白柳未介。

正に夫婦漫才、それを傍から見ていた師匠たち。

幼い少女は面白可笑しく笑っていた。


「ぐひゃっひゃっ!!な、殴られてやんのぉ、ぐひゃ、ひゃッぎゃほッごほほッ!!」


口から酒を出している。

かなり大爆笑であるらしく、酒が気管に入って咽ていた。

笑いながら苦しい表情を浮かべている幼い少女に、八城道信は彼女に話し掛けた。


「…新門か、それがお前の弟子か?」


どうやら知り合いであるらしい。

新門と呼ばれた幼い少女は、口元を袖で拭いながら八城道信の方に顔を向けた。


「ひ、ひゅぅ…ふッ、なんだい、誰かと思えば八城の坊主じゃないか」


その言い方からして、新門の方が年上であるらしい。

二人が会話をしている最中、白柳めゐは自らの手の感触を確かめている。

殴った感触、それは、何時までも、彼女の頭の中で懐かしさを反復させていた。


「(あぁ、旦那だ…普段はダメで口煩く、喧しいかと思えばうざったらしい、あたしの旦那が、此処に居る…)」


其処に立つ白柳未介。

記憶に従順するかの様に、彼女の目に存在し続けている。

生きている、動いている、それだけで彼女は感動していた。


「(はあ…懐かしの日々、旦那と過ごした毎日を思い出してしまうよ…)」


白柳未介がボケて、白柳めゐが突っ込む。

漫才の様な面白おかしい毎日、封令師としては決して有り得ない喜びと笑いの感情が生まれ出した日常。

彼の傍に居るだけで、白柳めゐは心の底から楽しいと思い、愛していた。

だからこそ、彼が死んだ時は誰よりも取り乱したものだ。

彼が居なくなった日を数え、夜は眠れず、飯はろくに喉を通さず。

哀しみを忘れる為に戒濁との戦いに身を投じた。

そうして、何時しか彼女の後ろには多くの屍が生まれ、年老いてしまった。

哀しみが形骸するには、聊か長い年月を掛け過ぎた。

結果、子供もおらず、再婚もしていない、他の男と、白柳未介以外にまぐわった事も無い堅物の女傑へと成った。


彼女はそれで良いと思っていた。

思い出の中に、白柳未介が居てくれれば、それで良かったのだ。

だが…再び、彼女の心に青春が芽生えてしまった。

気が付くと、白柳未介が顔を覗き込んで来る。


「あれ?どうかしましたかお嬢さん、顔が赤くなってますが…」


そう言って手を伸ばす。

白柳未介の手が、彼女の額に触れようとした時、彼女は体を引いてその場から離れようとする。


「か、顔を近づけるな、お前の顔など、恥ずかしくて見ていられるか…」


まだ、戒濁の術中である。

だから、そう簡単に心の隙など見せはしないと、白柳めゐは思っているのだろう。

だが、既に口から漏れるのは自らの夫に対する恋慕の声だ。

しかし、悲しい事に、白柳未介は悲嘆の表情を浮かべている。


「そ、そんなに俺の顔は恥ずかしいのか…」


彼の言葉に反応して、新門が彼の肩に手を置く。

いや、手を置くと言っても、彼女の身長は、白柳未介には届かない。

手を伸ばしても肩に手を乗せる事は出来ないので、彼女は、手を覆っている長い袖を彼の肩に置くのだった。


「まあ恥を塗りたくった様な顔だからなぁ」


「恥知らずなのは先生も一緒でしょうがッ!ま、まあとにかく、無事であるのならばそれで良かったですよ」


白柳未介はそう彼女に伝えた所、丁度、山中に響く鐘が鳴った。

それは、最終選別の終了を指していた。


「あ、終わったのか…良かったあ、何とか、戒濁を封じる事が出来ましたよ」


白柳未介の腰に携えた刀。

それは、白柳未介がこの六道山で手に入れた鬼爪を指していた。


「取り敢えず、黒柩、お前も合格だ、なんとか、封具をモノに出来たな」


そう言われて、白柳めゐは自らの薙刀を見つめる。


「(そういえば…私は、本来捕まえる筈の戒濁とは違う戒濁を封じていたな…)」


彼女が本来、封じ込んでいた戒濁は『武者童子』ではない、もっと別の戒濁だったのだが、今回、記憶の中では『武者童子』を封じ込んでいた。


記憶の齟齬があると、白柳めゐは思っていた。


「へえ、黒柩、ですか…じゃあ、黒柩さん、また、御縁がありましたら」


帽子を下げて、白柳未介は頭を下げた。

彼の行動に、白柳めゐは手を伸ばそうとした。

本当はもっと、白柳未介の傍に居たかった、だが、封令師としての彼女の性分がのめり込み過ぎるなと抑止した。

これによって、白柳めゐは、かつての旦那とは、それっきりであった。


最終試験が終了後。

今回の参加者では、封令師になったのが十五人ほどだった。

百人が最終試験に臨み、死亡したのが十名、残りは棄権した。


またもや、彼女の記憶とは食い違う。

彼女の記憶の中では、最終試験での合格者は五人ほどだった。

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