かいふく


封令禁書開封事件より三か月。

事態の収束の為に活動していた白柳めゐは自宅へと戻っていた。

其処は、武家屋敷でありながら学生寮でもある。

寮母を務めている彼女は、数少ない封令師の弟子を其処に住まわせていた。


木で編み込まれた足を伸ばせる椅子に座る。

疲弊感を相貌に露わしながら、白柳めゐは弟子の一人を呼び寄せた。

その応答に対して即座に駆け寄る弟子の一人。

涙目を浮かべながら、敬愛する白柳めゐの椅子に手を懸けて座り込む。


「御師様、お休み下さいよぅ」


黒い髪は脂で濡れている。

暫く風呂にすら入っていないのだろう。

着込んでいるシャツは何日も洗っていない為にしわだらけ。

身なりは汚らしい少女ではあるが、しかし、素体は悪くない。

清潔な恰好をすれば、美少女と言っても良い程だ。


「なんだい蜂華、止めるんじゃないよ」


白柳めゐの弟子。

数少ない治癒能力を宿す戒濁を封印した少女、赤枝あかし蜂華ばちか


「だ、だって、御師様、全然眠って無いじゃないですかぁ」


彼女は、師匠である白柳めゐを心配して言う。

対して、白柳めゐは、心配性な彼女の言葉を一蹴した。


「口喧しいよ、さっさとしな」


この三か月間、殆どは再封の為に活動し続けていた。

自宅へ戻る時は、大抵は疲労を募らせていたり、怪我などしている時だけだ。

赤枝蜂華の回復を頼りにしている様子であり、最初こそ、赤枝蜂華も頼られていると嬉しく思っていたが…。

それでも、白柳めゐの身を磨り潰す行動に、赤枝蜂華は身の心配をしていた。


「うぅ…します、しますけどぉ…御師様、死にますよぅ」


ゆっくりと、赤枝蜂華は枯れた枝の様な白柳めゐの指に手を触れる。

死ぬ、と言う言葉に、鼻で笑う白柳めゐ。


「この程度で死ぬほど、軟な体はしてないよ」


赤枝蜂華の体が光り出す。

封令師は、基本的に封具と呼ばれる、戒濁を閉じ込め、縛り付ける道具を使用する。

だが、道具と言えども、破損する可能性がある。

耐久値が高くとも、消耗品である為に、壊れてしまえば封印が緩み、戒濁が復活してしまう。

なので、封具の取り扱いに自信が無い封令師は、自らの肉体を封具として、戒濁を抑える者もいた。

肉体ならば、自身が死なぬ限り、長期間封じる事が出来る。

破損しても、自然経過と共に肉体が回復するからだ。

そして、赤枝蜂華は、肉体に戒濁を封印する封令師であった。


「『癒蝶』」


指先から蛍の様な光が出る。

その光が、白柳めゐの掌から流し込まれると、彼女の疲弊が消えていった。

単純な疲労であれば、十分もあれば取れる。

体中の倦怠感が取れていくと、白柳めゐは安堵の息を漏らした。


「ふぅ…これが終わったら着替えも持って来な、暫くしたら、また出ていくからね」


体力が回復すれば、白柳めゐは再び封印の旅に出る。

休んでいる暇など無い白柳めゐに、赤枝蜂華はぽろぽろと涙を流していた。


「は、はいッ…うぅ…」


「何を泣いてるんだい、お前は」


弟子の様子に、白柳めゐは聞いた。


「だ、だって…ただでさえ、兄弟子が死んで…御師様も死んだら…」


八城道輝の死。

封令禁書を開封し、災い齎す戒濁を噴出した大罪人。

封令師の間では最悪な人物として批判されるが、同じ釜の飯を食って来た弟子たちには情が残っていた。

呆れる様に、白柳めゐは言う。


「あのバカの為に涙を流す必要は無いよ、…あたしだってそうさ」


封令師は戒濁を封印する、その仕事は危険なものだ。

その道中で命を落とす事など、珍しくも無い事である。

それは、赤枝蜂華も分かっているのだろう、頭では理解出来ているが、だが、心ではその悲劇が起きないで欲しいと願っている。


「でも…蜂華にとっては、家族なんですよぅ、だから、死なないで下さいよぅ」


天涯孤独であった赤枝蜂華。

この学生寮へとやってきて、同じ志を持つ仲間に恵まれた。

戒濁を倒す為に集った者たちは、彼女にとっては家族も同然だった。


「あたしは封令師さ、布団の上で臨終するつもりなんて毛頭無いよ、戒濁と戦って死ぬ、それがあたしの矜持だからねぇ」


「でも」


言い返そうとする赤枝蜂華に、ゆっくりと手を挙げる白柳めゐ。

回復を断ち切ると共に、背凭れに体重を預ける。


「これくらいで良いよ、さっさと着替えを持って来な」


八割方回復をした所で、着替えを持ってくる様に白柳めゐは言った。

赤枝蜂華は、立ち上がると、涙を拭いて頷いた。


「わ、分かりました、御師様」


慌ただしく、何もないのに躓きそうになる赤枝蜂華を後目に、弟子の後姿を見続ける白柳めゐ。


「…ふぅ」


息を吐くと共に、白柳めゐは、先程から感じていた気配に向けて声を掛ける。


「なんだい、影柘かげつげ


その言葉は、椅子の下に向けられた。

椅子の下には、影が出来ている。

その影から、ぬるりと出てくる黒子姿の人間が現れた。

伝言役にして補助を務める封令師である。


「封令禁書に記された戒濁の一体を発見致しました」


男の声がマスク越しに聞こえてくる。


「そうかい、情報は?」


「他者の記憶に寄生する戒濁です、本体は無く、人間の記憶に住み着いています」


戒濁は個体によって姿かたちが違う。

犬や鬼と言った姿をとるものが居れば、近代をモチーフにした姿をしていたり、霧や闇と言った自然現象にも該当する姿をする戒濁も存在する。


「中々厄介だね…対処法は確立しているのかい?」


「規制された宿主を倒すか…それか、記憶に潜る他ありません」


封令禁書には、封印した戒濁の情報が書かれている。

もしもの時に、封印が解かれた場合を想定して対処法が描かれており、その情報は貴重であるが故に封令禁書は再度、人の手に触れられぬ様に厳重に保管されていた。


「記憶に潜る?」


「その戒濁は複数の人間に寄生し、共有する夢を作ります、その夢の中を根城として生き永らえているのです」


夢を媒介にした異空間。

其処に戒濁は住み着いている。

宿主を殺害し、宿主毎戒濁を察処分するか。

戒濁の住む夢の中へと潜り込み、戒濁本体を封印するか。

前者であれば、難易度は低くなる、ただ宿主を殺せば戒濁諸共この世から消え去る。

だが、後者であれば難易度は高くなるだろう、何せ戒濁の支配する領域に自ら足を踏み込む事になるのだから。


「そうかい…あい分かった、では、あたしも記憶に潜り込むとするかね」


そして、白柳めゐは後者を選んだ。

敵の得意とする領域で戦う事に決めたのだ。

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