薔薇に纏わる。

石衣くもん

白バラ事件とプロポーズ

「花、大きくなったらお花屋のお兄さんと結婚する!」

 

 家の近くの商店街にある、小さな花屋のお兄さんが私の初恋だった。

 お母さんと一緒に商店街に買い物に行くたびに、必ずその花屋に立ち寄っては、結婚すると騒いでいたらしい。

 お兄さんは優しい笑顔が素敵で、幼稚園児にもわかるよう、丁寧に花の説明をしてくれて、それがますます幼い私を虜にしていたようだった。

 結婚! と騒ぐ私に母が謝るたび、お兄さんは、

 

「いやいや光栄ですよ、二人でこの花屋を切り盛りしていこうね、花ちゃん」

 

と笑っていたそうな。


 

 小学三年生になっても、変わらずお兄さんと結婚すると毎日花屋に通っていたある日。

 

「うわぁ、白いバラの花束だ!」

「明日僕の友達の結婚式があるんだけどね、その時に使うブーケを作ったんだよ」

「とってもキレイ……でもどうして白いバラなの?」


 そう問いかければ、お兄さんはいつもの優しい笑みを浮かべて

 

「バラの花言葉はね、色や大きさ、後花束にするなら本数によってそれぞれ違ってくるんだよ。

 白いバラの花言葉は、『心からの尊敬』って意味があるから、友達とお嫁さんの結婚にぴったりだと思ってね」

 

と教えてくれた。小学生には少し難しくて、ピンと来なかったが、なんだかとってもそのお友達とお嫁さんが羨ましくなって、

 

「花も白バラの花束がほしい! お兄さんと結婚式する時に使うの! ねえ、いいでしょ?」

「うーん、僕が花ちゃんにあげるには、まだちょっぴり早いんじゃないかな」

「子ども扱いしないで!」


 すっかりへそを曲げた私に、お兄さんは苦笑しながら、ちょっと待っててねと言って、奥からまだ蕾のままの白いバラ三本が植わった鉢を持ってきた。

 

「じゃあ、花ちゃん。この三本のバラがちゃんと咲いたら、これを花束にするから、頑張って育ててくれるかな?」

「わかった!」


  意気揚々と白バラを受け取って、早く育って欲しいと毎日たくさん水をやった。お兄さんに、

 

「あんまり水をあげすぎると、元気なくなっちゃうからね」

 

と言われていたにもかかわらず、毎日大量の水をやり続けた。早く咲いてねと祈りながら。



 結果はご想像通りだ。毎日大量の水攻めにあっていた白バラは、蕾を開くことなく枯れてしまった。

 あまりにそれがショックだった私は、バラが枯れてしまった時、学校を休んで泣きながらお兄さんのところに枯れた白バラを持って行った。

 

「ごめんなさい……花、バラに早く咲いてほしくて、お水上げすぎちゃったの」

「大丈夫だよ、花ちゃん」

 

 そう言って、いつも通り優しく微笑んで、バラを受け取ってくれた。

 バラは根腐れを起こしていたけれど、お兄さんがなんとか持ち直してくれたようで、暫くしてからとても綺麗に咲いた。

 だけど、それ以来わたしはお兄さんに結婚して、とは言えなくなってしまった。バラを枯らしてしまった自分にそんな資格はないような気がしたのだ。


 

 白バラ事件から早十五年。私は変わらずお兄さんが好きだったし、お兄さんも私のことを憎からず思ってくれていた。

 

「花ちゃん、こんなおじさんで本当に良かったら、僕と結婚してくれますか」


 五年の交際を経て、先日、プロポーズされた。本当に嬉しかったし、すぐにオーケーしようと思った時。脳裏によぎったのがあの白バラ事件だった。

 

「少し考えさせてほしい」

 

と私が言った時、少しだけお兄さんは悲しそうな顔をして、笑った。

 

「もちろん、花ちゃんの正直な気持ちを聞かせてね」

 

と。


 

 正直な気持ちは、本当に飛び上がるほど嬉しい。ただ、自信がなかった。

 ぐるぐると考えに考えたけれど、上手くまとまらなくて、正直にすべてを話そうと花屋を訪れた。

 結婚は嬉しいけど、バラを枯らしてしまった自分は、花屋さんのお嫁さんになる自信がないと。

 そうしたら、お兄さんは安心したように笑って

 

「良かった、花ちゃんが結婚を嬉しいと思ってくれて。大丈夫だよ、あのバラだって、ちゃんと咲いたじゃないか」

 

と言ってくれた。でも、と渋る自分に、お兄さんはちょっと待っててと一旦店の奥に引っ込み、一冊の本を持って戻ってきた。

 

「花ちゃん、僕が昔話したバラの花言葉の話、覚えてる?」

 

と問い掛けてきた。

 

「え、バラの花言葉が、色とか大きさとか数によって違ってくるってやつ?」

「そう! よく覚えてくれてたね、あれはね花の鮮度によっても変わってくるんだ」


 そう言って、お兄さんが渡してきたのは花言葉事典という本のバラのページだった。

 

「白い、枯れたバラは、『生涯を誓う』? 」

「そう、あの時の花ちゃんはその意味を知らなかっただろうけど、僕はとても嬉しかったよ」


 お兄さんはそっと私の手を取り、いつの間にか用意してあった白いバラの花束を差し出して

 

「花さん、僕と結婚して下さい。もしオーケーなら、このバラが枯れるまで手元に置いて、もう一度、僕に渡してくれませんか」


 私は泣きながら、白バラの花束を受け取って、

 

「枯れるまで待てないです」

 

と笑った。

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