38.守護者

 蛇人との問答で得るべき答えは既に得ている。


 魔笛の音色を防ぐ古の印エルダーサインはここジーカに在ると言う事実。


 それだけ分かれば十分だ。


「されど剣士よ。万が一にも屍神に挑むことになれば汝の魂は打ち砕かれ消え失せるであろう。それでも事を成すか?」


 問われるまでもない、ただ成すのみ。


 私の思念を受けて蛇人たちは苦笑を浮かべたようだった。


転生てんしょうしても汝の魂の本質は何も変わらぬ。なれば守り手を打ち倒し持っていくが良い」


 蛇人がそう告げると周囲が歪み揺らめきだす。


「万が一の時には、思い出すが良い。汝の魂がかつて名乗った名を。さすれば気付く、打ち砕かれるような正気など汝の魂にはすでに無いことを」


 蛇人の言葉もどこか歪んで聞こえたが、その姿が消えてしまえばすぐに聞こえなくなった。


 そして、気付けば私は一人奇妙な死体の前に立っていた。


※  ※


 周囲は石造りの壁に覆われ、床は石畳である。


 その奇妙な死体は直立し、二本の腕を前に伸ばして大剣の柄を両の手で掴み石畳に突き立てている。


 死体、そう表現するのは既に骨と皮だけの存在であるからだ。


 奇妙、そう表現するのは頭が蛇人とも違うトカゲめいた頭を持った人型であるからだ。


 トカゲと言うよりは……竜の頭か。


 直立する死体の奥には箱が置かれており、魔力を持たない私にもその箱からプレッシャーを感じる。


 そのプレッシャーが告げる、そこには名高き魔法の道具が収められているだろうことを。


 なればこの直立する死体こそ守り手であろうことは明白。


 私は死体の前に立ち、告げた。


「故あって古の印エルダーサインをもらい受ける」


 暫し反応を待ったが特に動きもない。


 箱に近づかなくては動いださないのかもしれないと思えば、私は死体の脇を通り箱へと近づいた。


 箱に近づくと、箱は微かに鳴動し暗い紫色に淡く輝いた。


 その瞬間に背後から泡立つような殺意を感じ、私は体が命じるままに飛びのいた。


 着地と同時に剣を抜き構えようとした矢先に、大剣の切っ先が風を切りながら胴を断とうと迫っていた。


 下手に下がれば石壁に追いやられてしまう、そう判断した私は前へと転がる。


 転がる私の上を大剣が横切れば、即座に剣を死体に向かって突き出した。


 途端、死体が何やら短い言葉を吐きだすと私の身は大きく竦み突きを放つことが出来なくなった。


 刹那、無防備な状態に陥った。


 もう少し体が竦む時間が長ければ死体が振るう大剣に断たれていただろうが、私は腹の底から気合を発してその竦みから脱するとまずは距離を取る。


 振り戻された大剣が胸元の衣服を斬り裂いたが今はそれどころでは無い。


 死体が放つ謎めいた言葉は何かの呪いか。


 下手に攻撃を加えれば次こそ死ぬかもしれない、死ねばスラーニャを救えない。


 胸中に不安がさざ波のように湧き起こると、ラカ殿の言葉が脳裏によぎる。


 水面を忘れるでないとの言葉が。


 胸中の不安はそれこそ波が引くようにすっと消えていった。


 そうだ、取り乱しては死ぬ確率が上がる。


 この竜頭人身の奇怪な死体の前では僅かな心の揺らぎも命とり。


 ……それにしても、南の地にも強敵が隠れていたのだなとしみじみと思う。


 何処であっても己より強い者などいくらでもいるのだと思えば、自身に驕りがあったのではないかと反省させられる。


 その結果が娘を失うようなことに繋がって堪るかと、私は奇妙な死体を見据えて剣をトンボに構えた。


 私の心の葛藤、その動きを見ているかのように奇妙な死体は攻撃の手を止めていたが、私が構えると再び攻撃を開始した。


 死体が奇妙な言葉を短く吐き出すと、体が強張るのを感じた。


 だが、今回は私もほぼ同時に腹から気合を発して剣を振るっていた。


 結果、私の身は竦むことなく私の一撃は大剣を持つ死体の腕を切り飛ばした。


秘言ひごんを破るか。良かろう、汝は古の印を扱うに足る」


 竜に似た頭を持つミイラ状の死体は厳かにそう告げると、その姿はかすみに様に霧散して消えてしまった。


 斬り飛ばした腕も、得物であった大剣も、すべて消えていた。


 夢か幻を見ていたのだろうか? いや、夢や幻であっても命の危険に変わりはなかっただろう。


 いまだかすかに残る強張り、竦み自体は私自身の体の働き。


 もしあの大剣に断たれていたならば、私は自身の死を自覚し死んでいたかもしれない。


 小さく息を吐き出すと私は未だにプレッシャーを放っている箱を覗き込んだ。


 そこには五芒星に似た形の奇妙に光沢のある金属が八つほど収められていた。


 これがエルダーサインか。


 手に持った瞬間に、聞き知った声が響く。


「セイシロウ!」


 ロズワグンの声が私を呼ばわっていると気付いた瞬間、私はジーカの石畳の上で寝転がっていた。


「な、何があった?」

「それは余が聞きたいわ。いきなり倒れて応答なしだ……待て、何だ、その手に持つモノは」


 ロズワグンが私に声を掛けながら顔を近づけ安堵の息を吐き出したが、不意に驚きに目を見開きながら私の右手の方をじっと見ている。


「手がどうした? ……これはエルダーサイン……」


 右手に私自身も視線を動かすといつの間にか細い紐を何束か握りしめており、その暇に括りつけられていたのは奇妙な光沢を放つあの金属の印、エルダーサインだった。


「何? ……貴公、一体何をやったのだ?」


 驚きと戸惑いを含む視線と口調で問われるが、私がここで倒れていたと言うのであれば何があったのかはっきりとは分からない。


 ただ、体験したと思われる事象を説明するしかなかった。


 蛇頭人身の存在から幾つかの話を聞き、竜頭人身の守護者と戦い認められてこのエルダーサインを手にしたと口にするとロズワグンは私の言葉を吟味するように両の目を閉じた。


「その印から感じる異質な魔力……いや力から察するに多分、それがエルダーサインとやらであろう。だが、そう告げているのは貴公が出会ったと言う異形達ばかり。疑う訳ではないが、それがエルダーサインであると言う確証が欲しい」

「言わんとするところは分かるが、どう確証を得ると?」

「大魔術師の住居でもある、エルダーサインについて書かれた書の一つや二つはあるだろう」


 ロズワグンの言葉になるほどと頷きを返してから、私はグラルグスとロウがいない事に気付いた。


「あの二人は?」

「貴公が倒れたのは過労であろうと思ったらしくてな、率先して偵察に出向いておるよ」


 そろそろ戻る頃合いじゃろうがとロズワグンが周囲を見渡すとグラルグスの声が響き渡った。


「姉者っ! 敵が来るぞっ!」


 焦りと緊張を孕んだ声に呼応するようにジーカの外より鋭い殺意が感じられた。


<つづく>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る