32.別れ

 スラーニャが、何故か無事なスラーニャがサレスに立ちはだかる様にして前に出た。


「さ、さが……」


 剣を杖代わりに膝を震わせながらどうにか立っている私の言葉は明瞭なモノにならない。


 下がれ、逃げろと言いたいが言えないもどかしさを覚えるも、歯噛みする余裕もない。


「覚悟を決めたか。殺すには惜しいが、致し方あるまい。己の生まれを呪え」


 サレスの静かな言葉が頭の中に響き渡る。


 視界が赤く染まりはじめる。


 そんな中、サレスは剣を振り上げスラーニャは身動き一つせずその剣を見つめているように見えた。


 振り下ろされんとしたその刹那、声が響く。


「サレス様、今は剣をお収めください! 大主教様のご命令です! 最後の忌み子は屍神招来ししんしょうらいにえとすべしと」


 声を発したのはあの小娘ではなかった。


 取り急ぎ現れ伝言を告げたのは、見知った顔であった。


 芦屋あしや卿、その人である。


「アシヤか。あの老魔導士は討ち取れたか?」

「ザイン様曰く、無理に攻め落としても旨味が少ない。我らの力を見せたのだからそれで十分だと」


 その言葉を聞いて、サレスは剣を収めた。


「……魔王に伝えよ、魔笛は既に不要」

「心得ました、サレス様」


 道化じみた小娘が恭しく一礼しつつ、芦屋卿の脇を通る際に一言告げた。


「おや、いつもと違う武器をお持ちで?」

「普段使いのアレは名品でしてな、戦場で使うならばこちらで」


 赤く染まる視界、忌々しくも鳴り響く笛の音、グルグルと回る視界。


 言葉の意味も分からずに私はただただ立っている事を目的にして立っていた。


「……痛みなく死ねる保証は消えた。だが、お前の勇気に免じて父母や家族は殺さん」

「それで、いい」


 スラーニャの声が響く。


 待て、行くな、私の言葉は声にはならず、歪む視界の向こうで一度だけスラーニャは振り返りバイバイと告げた。


 芦屋卿が何か言葉を口にすると、サレスとスラーニャの姿は消えてしまった。


 これで終わり、か。


 頭を垂れると同時に力が抜けて膝から崩れ落ちそうになる。


 が、剣を握る腕の力は抜けなかった。


 未だに剣にすがるのかと自嘲しかけて、止める。


 ……いや、そうではない。


 まだ、あの子は死んでいない。


 最後の最後まで足掻くのを止めてなるものか。


 私が再び顔をあげると、そこにはまだ芦屋卿が立っていた。


 彼はにやつきながら語る。


「やれ、無様なものだな。俺を殺した報いだろうて。星が正しい位置に至る時、あの娘は死ぬ。神の器たる王の手によってな。色々と苦労したのだぞ、腕っぷしは強く欲深でありながら情の薄い愚か者を探し出して王位につけるのは」


 何のことを言っている? 回る視界が思考を妨げる。


「そは永久に横たわる死者にあらねど測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの……屍神は帰り来るがそれには星の位置が重要だ、分かるかね、神土かんど中尉。浅学なお前では分かるまいが」


 長口上に苛立ちを覚える。


 動けるならば今すぐに斬って掛かったほどだが……不意に私は違和感を覚えた。


 星の位置? 星々は動くのは知っているが、その位置がと言う事は時間的猶予はある?


「祭壇にて贄たる忌み子と器たる実の父が対面だ。お前は歯噛みでもしてその時を待つが良い」


 スラーニャの実の父……シャーラン王レオナルト。


 もしや、芦屋卿は出来うる限り情報を……?


「万が一、秘された祭壇に乗り込んでも無駄な事だ、サレス様を含めた四人の司教と大主教様がいらっしゃる」


 そう考えると、今の言葉も額面通り受け取るものではない。


 つまり……一か所に敵が集まっている。


「よしんば、お前が自棄を起こして器たる王を殺せば忌み子は無残に死ぬだけ。努々無駄な動きはせん事だ」


 無駄に策を練るな、策は一つに絞れ。


 だんだんと思考がはっきりしてくる。


 不快な笛の音は既に聞こえなくなっていた。


「ふむ、魔笛も止んだか。アレは魔力があろうとなかろうと関係がないからな。最も、印を持つ者には効かぬがな。所詮はお前は負け犬よ、あのおいぼれ魔導士と傷をなめ合っておれ」


 ザカライア老は無事であり、彼ならば何かを知っている、そう言外に告げていると仮定する。


 この長口上は挑発や恨み言に見せかけた助言か。


 そこまで告げた所で、芦屋卿は一つ呻いた。


「アシヤよ、言葉が過ぎる。貴様の口はどうして減らんのだ?」

「……これは魔王テスタール様」


 魔王、それはかつて勇者レオナルトに討たれた魔導士の事ではないのか?


 言葉の主を探そうと周囲を見渡すもそこには誰も居ない、だが、強烈な存在感が周囲には漂っている。


 ……各国が備えようとした訳だ。


「魔笛を聞き、なお立った男だ。余計な情報を与えるな」

「今やただの負け犬でございましょう、勇者すら謀った魔王様が何を恐れましょうや」

「たわけ。相手を甘く見るな!」


 怒気を孕んだ言葉が響けば、芦屋卿は突風に包まれて吹き飛ぶ。


「……魔力なき身でよう戦った。サレスの言葉もある。娘に助けられた命、大事に使う事だな」


 尊大な物言いで魔王は言いたい事だけを言ってその気配は消えた。


 芦屋卿もまた、いつの間にか消えていた。


 私は剣にすがりながら、ただ立っている事しかできなかった。


 我が身の未熟。


 ああ、こんな自分に腹が立つ!


 自分に対する怒りに包まれて、私は地面に突っ伏し意識を手放した。


※  ※


 次に目を覚ますと私は見知らぬ屋内で寝かされていた。


 周囲は薄暗く、誰の気配も感じなかった。


 グラルグスやロズワグンはどうしたのか? そして、スラーニャは?


 混乱していた意識が明確になるにつれて、私は一連の出来事を思い出した。


 私は、敗れた。


 スラーニャは私たちの命を守るために敵にその身を差し出した。


 ――何たる不覚っ!


 強烈な、抑えようのない怒りが胸中で暴れまわった。


 馬鹿がっ! 間抜けがっ! そう自身に罵詈雑言を浴びせても一向に気が晴れない。


 晴れる訳がない。


 ……だが、無駄に時間を潰している暇はない。


 自身に怒りをぶつけたり後悔するのは後で良い、むしろ死んでからすれば良い。


 今は足掻く時だ。


 あの子はまだ生きているのだ。


 星の位置が揃うまでは。


<続く>

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