第11話 檻の中で眠る


 古びた扉に背を預け、暗い中、冷たい空気で呼吸した。

 彼女の口からため息が漏れる。


「……どうして私はいつもこうなんだろう」


 少女──ウノ・メィズルは膝を抱えて呟いた。

 そして数分前のことを思い出す。魔法薬学の実習の最後のことだ。

 その授業でリオーネは大きな失敗をした。下手をすれば命に関わる失敗だ。

 他人への興味が薄いウノでさえ、流石に看過出来ない事案であった。

 彼女はリオーネに対してキツめの説教をした。彼女がミスをするのは一限目の攻撃魔法学に続いて二度目だった。気を引き締めさせる目的だった。

 いや──もしそうならばウノは今、何故こうして彼女から身を隠しているのだろうか。何故ああも彼女を遠ざけようとしたのだろうか。


「──わからない」


 自分のしている行動も、この胸のざわめきも。

 何よりリオーネ・クラシアという人物が分からなかった。


 人と仲良くなるという事が根本的に似合わないのがウノ・メィズルという人格だ。

 何をしても何をされても人との交流は上手くいかない。嫌うか嫌われるかをして翌日にはその人物と顔を合わせる事は無くなるのが常だ。


 だがリオーネは違った。

 彼女はするりとウノの懐に入ってくると、勝手に笑顔を振り撒くのだ。

 あなたの事は嫌いじゃないとそんな笑みを浮かべるのだ。

 それは出会って一日が経った今日も同じく、ウノが遠ざけている今も同じく。彼女はウノに笑って手を差し伸べる。


 気味が悪かった。

 ウノ・メィズルはリオーネ・クラシアが嫌いだ。

 きっと明日から自室以外で彼女の顔を見ることは無いのだろう。部屋の中でも会話することは無いのだろう。


 寂しくはない。いつもの事だ。

 ただ一つ心残りがあるとすれば、それは彼女の笑顔の温もりに触れられなかった事だろう。


「さて、これからどう時間を潰すか……」


 ウノは立ち上がると背後の扉を眺めた。

 この奥にはリオーネがいる。

 別にどうということもないが、何となく今はまだ気まずい。


 ウノは扉に背を向ける。

 扉の正面には下へ伸びる階段があった。ユップの忠告を思い出す。


「地下にはモンスターがいるのよね。……でも危険はないみたいなことも言ってたような……」


 ウノは少しの間、地下へ続く階段を眺めると、意を決して階段を下り始めた。


「どうせこれから沢山のモンスターを見ることになるだろうし、予習するくらいいいわよね……」


 ウノは光魔法を唱えると親指の爪ほどの光の玉を出し、足元を明るく照らす。

 じめっとしているせいか、階段が少し濡れており、滑りやすくなっている。

 ウノは慎重に一歩ずつ階段を下っていった。


「────ッ」


 最後の一段を下りた時、彼女の背筋が凍りついた。ぶるりと総毛立つ。

 ──ここは"ヤバい"。

 本能が全力で警鐘をな鳴らす。得体の知れない恐怖が奥から体を冷やしてくる。

 ウノは直感した。「ここでは私が被食者である」と。


「……その程度で私が引き下がるとでも?」


 しかし彼女は前へ進んだ。虚勢ではあるが勇気を纏った少女は階段から真っ直ぐに伸びる道を歩いた。

 ウノが光の玉を横に向ける。


「──ひっ……」


 彼女の口から小さな悲鳴が漏れる。

 照らした先にあったのは檻だ。

そしてその中には首輪を付けたゴブリンが二体いた。彼らは赤い瞳でウノをじっと見つめている。

 檻があっても背を向ければ殺されるという確証が彼女にはあった。


 ゴブリンの檻とは反対側に光を向ける。そこにもまた檻があり、今度はコボルトが入れられていた。


「────」


 ウノはゆっくりと道を歩く。道の左右は檻になっていて、中には首輪を付けたモンスターが入れられている。

 しかしいずれも低級のモンスターで噂に聞くような凶悪な奴らは見られない。

 恐らくはここが地下一階だからなのだろう。先程下ってきた階段にはまだ続きがあったのだが、その先からはこことは段違いの邪悪な気配が放たれており、行くのは躊躇われた。


 不意にウノの足が止まる。


「ここだけ空っぽなのね……」


 ウノの見つめる先には他と何ら変わらない檻がある。しかし他と違うのはその中にモンスターが居ないということだ。

 死んでしまったのだろうか、それとも元々いなかったのだろうか。

 パズルのピースが一つ足りないような違和感をウノはずっと見つめていた。

 すると──


 ──ガチャ


 階段の上から扉が開く音がした。それを聞き、ウノが焦ったような顔をする。


「(誰か来た……。誰? ここは生徒立ち入り禁止のはず……って事は先生!? ──どうしよう。ここにいるのがバレたら成績が……。と、とりあえず隠れなきゃ)」


 慌てたウノはどこかに隠れられる場所がないかと辺りを見回した。

 そして通路の奥に何やら扉があることに気がついた。近づいて扉を観察する。

 入口の扉と同じくらい古い扉だ。普通のものより二回りくらい大きいだろう。

 どこか不穏な気配を漂わせる扉にウノは入るのを躊躇する。

 しかし背後から聞こえる階段を下る足音がもうすぐそこまで来ているのも事実。


「迷っている暇はないようね」


 彼女は決意を固めると、光を消して扉をそっと開けた。

 小さな隙間から身を滑り込ませると、音を立てないように慎重に扉を閉める。

 中に入った彼女は扉に耳を当て、外の様子をうかがった。


「…………」


 足音が聞こえた。それは段々とウノが隠れている部屋の方へ近づいてくる。

 口に手を当て、息を潜める。

 足音がついに扉の前までやってきた。


「(──お願い)」


 ウノが祈る。

 すると、扉の前から気配が消え、足音が遠くへ離れていった。


「ふぅ……」


 ウノが扉に背を預け、安堵の息をはく。

 何とかバレずに済んだが、今出ていってしまっては隠れ仰せた事が水の泡だ。

 ウノはしばらくこの部屋に隠れることにした。

 ──ふと、ウノの前髪が宙に浮く。


「……風?」


 首を傾げたウノが前を向くと、再び風が彼女の前髪を持ち上げた。

 地下室に風とはどういうことだろう。

 ウノはその正体を確かめるために光魔法で前方を照らした。


「──ぐッ……!!!!」


 悲鳴を上げそうになる口を咄嗟に両手で塞ぐ。その手は震えており、顔は青ざめ、玉の汗を流している。

 ウノの呼吸が荒くなった。


「……ぐるるぅぅ……ぐるるぅぅ…………」


 彼女の顔にかかる風。それは寝息だった。

 ウノの目の前にいる黒い鬣の全長三メートルはあろうかという巨大な獅子の寝息であった。

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