第23話 ルディーナ夜会へ行く


「さ、ルディーナ手を」


 先に馬車を降りたロッシュ殿下が手を差し出してくれる。


 今日の建国記念の夜会は王城から少し離れた郊外の大ホールで行われる。なのでロッシュ殿下と一緒に馬車に乗って移動したのだ。


 殿下は藍色の上着フロックコートに白いズボンという格好で、胸には王家の証である猛禽類の金細工が輝いていた。

 殿下の手を取り、馬車を降りる。微風に白いドレスの裾が小さく揺れた。


 殿下は悩みに悩み、最終的には白いドレスが良いと言った。私はどれでも良かったので、殿下の希望通り白だ。


 だが、私はドレスの色どころではない。内心は真っ青だ。

 何せ、一連の報道のせいで私は今一番ホットな人物である。今日の夜会の参加者は殿下と両陛下以外は面識のない人達だ。しかし、向こうは私をよく知っている。蜘蛛が苦手とか、色々と。

 私の胸元に輝くのは例のサファイヤネックレス、これが何かも皆様が把握済み。

 もう、どんな顔をしてよいのやら。


 そしてもう一つ。ロッシュ殿下は今まで女性をエスコートして夜会の会場に入ったことは一度もないらしい。


 壮絶な注目を集めることは確定だ。


 地面にしっかりと足を付け正面を見る。白い石造りの巨大な建物が見えた。連続したアーチ状の構造が美しい。


 私は全身全霊で表面を取り繕い、歩く。

 殿下のエスコートに従い、穏やかな微笑みを作ってゆっくりと。体幹は柱の如く、まっすぐ地面と垂直に。


 殿下と二人で大扉を抜け、会場に入る。


 立派なホールだ。高い天井から大きなシャンデリアが幾つも吊り下げられ、窓には朱色のカーテン、壁は純白の大理石に様々な彫刻が施されている。床も白と黄色の石材が幾何学模様を作っていた。


 私達が足を踏み入れた数拍後に、会場のざわめきが消え、静寂が落ちる。あらゆる人の視線がこちらを向いていた。


 胃が、痛い。


 幾人かの令嬢とその家族らしき人々の視線が、私に突き刺さる。おそらく殿下を狙っていた女性達だろう。

 彼女らの瞳に宿るのは”怒り”とも”嫉妬”ともつかない、暗い炎。


 怖い。


 彼女達からすれば私は突然現れて、横から最高の男を掻っ攫っていった凶悪なとんびだろう。

 ここで『殿下が結婚適齢期を迎えて何年もの間、射止められなかった負け犬様達ですわー、滑稽ですわねー、オホホホ』とか思えたら気楽なのたが、残念ながら私は悪役令嬢ではない。


 槍衾やりぶすまのような視線の中を進み、給仕係の使用人さんに飲み物を貰う。果実水にしておく。レモンと葡萄の果汁を混ぜてあるようだ、美味しい。


 前から男性が近づいてきた。歳は30ぐらいだろうか。絹のサテンで作られた濃緑の上着には多くの刺繍が施されている。服の水準的にかなり上級の貴族だ。誰だろう。


「お久しぶりです。ロッシュ殿下」


「ジオネ伯か、久しいな」


 ロッシュ殿下が名前を出して教えてくれる。覚えるべき相手は一通り暗記してきた。ジオネ伯リュック・ラヴァンディエ、32歳既婚、子供は女児が2人、有力貴族の一人だ。


「お初にお目にかかります、ジオネ伯爵。ゼラート王国ベルミカ公爵家のルディーナと申します」


 左足を軽く下げて会釈。


「ジオネ伯リュック・ラヴァンディエでございます。……いやはや、お話を聞いて想像していた以上にお美しい。ロッシュ殿下が初のエスコート相手に選ばれるのも納得です」


「ありがとう、と返しておくよ」


 私を褒められて、ロッシュ殿下が少し照れたように笑う。嬉しそうだ。


 さて、ここは私も会話に入っていこう。無難な話題で。


「ジオネ伯爵の領地は硝子製品の製造が盛んでいらっしゃいましたよね。ベルミカ邸にも輸入したものが幾つもありました」


「それはそれは。ご愛用いただけていたなら嬉しい限りでございます」


「はい。やはりゼラート製とは質が違いますので。花瓶や水差しを使わせていただいております」


 領地を持つ貴族が相手なら、領地の特産品とかの話題が無難だ。きちんと勉強していますアピールになるし、話も広げやすい。

 そのまま最近人気の硝子製品について教えて貰ったりして、3人で談笑をする。

 聞き耳を立てている周りの皆様、私は常識的な会話のできる普通の貴族令嬢です。


 と、会場が不意に静まった。ホールの奥に目を向ける。国王陛下と王妃陛下が入場されるところだった。


 国王陛下は濃紺の上着フロックコートに黒いズボンという、ロッシュ殿下と似たような服装だ。隣の王妃陛下の亜麻色の落ち着いた雰囲気のドレスを着ている。


 参加者一同が陛下の方を向き、姿勢を正す。私も果実水のグラスを給仕係さんに返し、手を体の前で軽く合わせる。


「諸君。今年も無事に建国の日を迎え、フレジェス王国の歴史を一つ刻むことができたこと、嬉しく思う」


 国王陛下の開会の挨拶が始まる。内容は経済の発展が続く王国の状況に触れ、次の一年がより良きものになるよう祈念するもの。無難な内容だ。


 国王陛下の挨拶が終わると、伯爵以上の貴族が順番に国王陛下に挨拶に行くのが、この夜会の習わしらしい。挨拶は基本的に身分の高い順に行う。

 普段なら王太子は国王陛下への挨拶はしないが、今回は例外的にロッシュ殿下が最初に挨拶に行くことになっている。

 通常、最初に挨拶に行くエクリュ公爵には事前に調整済みだ。


 殿下と共に国王陛下の元へ向かう。当然、注目を集める。こちらを見ていない人もいるが、その人達も聞き耳は立てている。

 エクリュ公が動かず、ロッシュ殿下が陛下の元に行く。この時点で、何かあるのは分かる。


「父上、本日はご紹介したい人がおります。ベルミカ家のルディーナ嬢です」


 私と陛下は公式には初対面の設定だ。ロッシュ殿下の言葉を受け、私は深く頭を下げる。


「ゼラート王国ベルミカ公爵家のルディーナと申します。国王陛下及び王妃陛下にご挨拶できますこと、大変光栄に思います」


「テオドラ・ヴォワールだ。話は聞いているよ。ロッシュをよく補佐してくれているようで、感謝している」


 柔らかな、それでいて良く通る声で、陛下が言葉を返す。


「シャンタルよ。ふふっ、ドレス本当に似合っているわね。ネックレスも素敵」


「ありがとうございます」


「今日は楽しんでいって欲しい。これからも、公私ともに息子を支えてやってくれたまえ」


 事実上、私をロッシュ殿下の将来の妻として認める発言だ。会場に衝撃が走る。


 バキッ ベキッ


 なんか、変な音が聞こえた。まるで高貴な女性が感情を抑えきれず手にした扇をへし折ったような、そんな音だ。


 怖いよぉ。

 今夜あたり生霊が列を成して祟りに来そう。


「では、また城で」

「失礼させていただきます」


 私とロッシュ殿下は陛下の元もとを離れる。陛下に挨拶をする人は他にも大勢いるのだ、この場での挨拶は短くが基本である。


 引き続き、会場中が私とロッシュ殿下に注目している。つらい。


 この状況で様子見に徹する程、高位の貴族達は呑気ではない。次々とロッシュ殿下と私の所へやってきては、挨拶し雑談の体で探りを入れてくる。

 高位貴族の基礎情報を暗記して本当に良かった。何とか無難に乗り切れている。


 5組目との雑談を終えたところで、音楽の演奏が始まった。国王陛下への挨拶が一巡したところで演奏が始まり、そこからダンスタイムというのが、この夜会の流れだ。奥の大部屋に行けば食事も用意されているらしい。


「ルディーナ、踊ろう」


 ロッシュ殿下が手を差し出してくれる。私は「はい。喜んで」と殿下の手を取る。


 注目は相変わらずだが、ダンスならまだ心労は小さい。これでも一応は公爵令嬢、ダンスなら体に染み付いている。プレッシャーがあっても、ミスをする可能性は低い。


 殿下にリードされ、踊る。練習で何度か踊ったが、ロッシュ殿下のダンスは完璧だ。相方が上手いので、体は自然に動く。

 あちこちから感嘆の声が聞こえてくる。

 殿下は程よく高身長、女性としてはやや背の高い私と、バランスはバッチリ。見栄えはかなり良い筈だ。


 体を動かすうちに、緊張と羞恥は収まっていく。殿下とのダンスは純粋に楽しい。


 殿下の顔をじっと見る。優しげな黒い瞳が、シャンデリアの灯りを映し煌めいていた。ダンスの動きに合わせて、瞳に映る光も流れ、消え、また流れる。流星雲みたいだな、と思った。


 一曲、終わった。息を吐いて、手を離そうとしたが、ロッシュ殿下にギュと手を握られる。


「このまま次も」


 殿下は悪戯っぽく笑う。私は笑い返して「はい」と応えた。


 そのまま3曲踊り、壁際に移動して休憩する。ロッシュ殿下の額には僅かに汗が滲んでいて、何だか色っぽく感じた。


「ルディーナ、俺はそろそろ行かなくてはならない。奥の部屋で少し休んでから王城に帰るといい」


 ロッシュ殿下はこの後幾つか個別で会合をする予定が入っている。普段あまり中央ネイミスタに来ない貴族も、建国記念の夜会には参加しているケースがある。捕まえられるときに話しておくのだそうだ。


 ダンスの行われているホールから出て休めってアレだよね。他の男と踊らないでくれってことだよね。好きな人から向けられる独占欲は少し嬉しい。


「分かりました。そうします」


「では、また後で」


 ロッシュ殿下と分かれ、私は奥の部屋に向かう。踊っているうちに私への注目も少し薄くなっていた。奥の部屋に入るとスッと給仕の女性が飲み物を持ってきてくれる。私は水を貰い喉を潤す。


 すると、何やら綺麗な女性が近づいてきた。年齢は恐らく私と同世代か少し下、銀色の髪がさらさらと美しい。


 嫌な予感がする。スラッとした長身で銀髪碧眼、コレッタから聞いたレスコー侯爵令嬢メリザンド・レスコーの特徴に一致する。もしそうなら、ロッシュ殿下に猛アタックをしていた人物だ。怖い。


 女性は私の目の前まで来て立ち止まり、会釈する。


「ルディーナさまお初にお目にかかります。メリザンド・レスコーと申します」


 やっぱりそうだった。

 だが、感情は外には出さない。なるべく。


「ルディーナ・ベルミカです。宜しくお願いいたします」


「ふふっ、ルディーナさま、そんなに身構えないで下さいませ。……先程のダンス、拝見いたしました。貴方と踊っている殿下は本当に嬉しそうでしたわ。私にはあんな顔をさせることはできなかった。完敗です」


 メリザンドさんは悲しげに微笑む。なんだか、ちょっぴり罪悪。


「これからは社交にも出られるのでしょう? よろしくお願いいたしますわ」


 彼女の言う通り、今後は私も色々と人付き合いが出てくる。社交界にも参加しなくてはならない。面倒だけど、仕方がない。


「はい。そうなると思います。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 ペコリと頭を下げる。


「誰かから悪質な嫌がらせとかされたら、頼ってくださいね。レスコー侯爵家はフレジェスでも十指に入る有力家です。大抵の相手は黙らせられますから」


 実際、レスコーは領地の経済規模ならフレジェスで6番目か7番目だ。特に食料生産量ではトップクラスの筈。仲良く出来たら頼りになる。


「ありがとうございます」


 素直にお礼を言い、再び頭を下げる。

 そのとき気付いた。メリザンドさんの持つ扇が曲がっている。まるで一回へし折ってしまい、真っ直ぐに曲げ直して誤魔化しているように。


 ……やっぱり怖い。メルナなら生霊対策とか知ってるかな?


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