第5話 公爵怒る

 ベルミカ公爵邸の一室に公爵家の家族と主だった家臣が揃っていた。ルディーナがフレジェスへ放逐されたとの情報を受け、公爵が一同を集めたのだ。居並ぶ全員の目に、激しい怒りが浮かんでいる。


「優秀か否かという曖昧な基準で王位継承者を決めては、後の代で王位を巡った争いを誘発する。そう思えばこそザルティオを支えようとしていたが……ここまでコケにされたのは公爵家の歴史で初めてだな」


 ベルミカ公にとってルディーナを王妃としてのザルティオ王容認は、断腸の思いでの極限の譲歩だった。


「こうなれば、廃嫡を要求するしかない」


 長テーブルの最奥に腰掛けたベルミカ公爵が低い声で言った。一同が頷く。


 ルディーナの件だけではない。フレジェス王国との戦争は、国王が病に伏せる間にザルティオとその取り巻きが暴走した結果だ。大国に喧嘩を売り、大敗して国家に損害を与えたのだ。

 ザルティオと国王派は排除しなくてはならない。


「ですが父上、今回の件――」

「分かっている」


 長男リベリオの発言を遮り、公爵は言葉を続ける。


「やっていることが全くデタラメにも関わらず、手際が良い。何者かが裏で動いている筈だ。警戒しなくてはならない」


 ベルミカ公爵家の領地が王都から離れているとはいえ、ベルミカ公が状況を把握する前に、ルディーナはフレジェスに送られていた。王都のベルミカ公爵邸の人員も阻止に動けなかったことから、高度な情報統制が行われていたことも伺える。


「まずはライモン派と接触でしょうか」


「いや、まずは自派閥の足並みを揃える。ライモンを王に据えるとしても、主導権をライモン派には渡さん。リベリオよ、手分けして自派閥の貴族を回るぞ」


「承知いたしました、父上」


「もはや内戦も辞さないつもりだ。ライモン派も巻き込んで中央から一斉に兵力を引き上げる。各位そのつもりで動け。そしてメルナ」


「はい。旦那様」


 公爵に名を呼ばれ、一人の女性が一歩前に出る。歳は20代前半ぐらいで、やや青みがかった長い黒髪が印象的だ。


「人員を連れてフレジェス王国に渡れ。裁量は与える。ルディーナの状況を確認し、必要な対応を取れ。お前の判断を公爵家の判断として構わん」


 如何に信頼できる家臣とはいえ、本来なら過大な権限の委任だ。しかし海を隔てたフレジェス王国、公爵の裁可を受けようと思えば長い時間がかかる。


「承知いたしました」


 ルディーナの侍女、メルナが頭を下げた。



◇◇ ◆ ◇◇



「美しいな……」


 フレジェス王国第一王子ロッシュ・ヴォワールは声を漏らした。手には紙の束、ルディーナがフレジェスへ送られる船内で暇つぶしに小説を翻訳したものだ。

 執務室にはロッシュと彼の執事クロードの2人だけだ。ロッシュの呟きにクロードが返す。


「私はこの手のもの恋愛小説には疎いので出版業者の知り合いに見せましたが、感想は一言『欲しい』でした」


「やらんぞ。試しに翻訳を頼んだ行政文書も完璧だった。優秀な人材はいつだって不足している」


「はい、もちろんです。行政文書の方、単に語学力だけではあそこまで的確な翻訳はできないでしょう。語学以外の実力も確かかと」


「ベルミカ公は本気でルディーナ嬢に国の舵取りをさせるつもりだったのだろうな。元々はいずれ何かしらの理屈を付けて帰国させようと思っていたが……少し惜しくなってきた」


 ロッシュの言葉に、クロードは意味深に笑った。


「それに大層お美しいですしな。いや、あれ程の女性はそうそう居ません」


「確かに美人だが、その笑いは何だ?」


「いえ、何でも。……仕立てが終わるのが楽しみですね、坊ちゃま」


 不意に昔の呼び名を出してくるクロードにロッシュは苦笑いを返す。


「被服商人の営業にあっさり乗ったのを笑っているのか? 公爵令嬢なのだからドレスの3つや4つは必要だろう」


「ルディーナ嬢は普段着が数着仕上がってくるだけだと思っているでしょうから、驚くでしょうな。いやはや……」


「まぁ、いい。これなら仕事を振るのは問題ない。確かに何もすることがないのでは暇だろうしな。ただ前に言った通り、フレジェスでの生活に馴染んでからだ」


「承知しております。コレッタの報告では最近は図書館に通い詰めているとのこと。暫くは暇を持て余したりはしないでしょう」


「図書館か、本を楽しんでいるのなら好ましいが、フレジェスで仕事をするために必死に知識を習得しているとかだと良くないな。よし、少し様子を見に行くか」


 クロードがまた笑う。”少し様子を見に行くか”のところで声のトーンが高くなっていることに、ロッシュ自身は気付いていなかった。


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