第2話 そんな婚約破棄があるか

 王城に到着した私は応接室らしき場所に通された。使用人の少女がやってきてお茶を淹れてくれる。部屋に紅茶の優しい香りが広がった。


 クロードさんが「お待ち下さい」と言って出ていき、お茶を淹れてくれた女性使用人さんと二人だけになる。私より2歳ぐらい年下だろうか。銀色の髪を後で束ね、背筋をピンと伸ばし、壁際に立っている。


 暫くして、扉がノックされる。女性使用人さんが私に目配せした上で扉を開ける。


 私は立ち上がって姿勢を整え、体の前で軽く手を合わせた。


 一人の男性が入ってくる。


 姿を見て、最初に頭に浮かんだ単語は"綺麗"だった。


 黒髪に切れ長の黒い瞳、彫りの深い整った顔、背は男性の平均よりやや高いぐらいか。

 そして、濃紺の上着フロックコートに小さく輝くのは猛禽類を模した金細工、王家の一員であることの証だ。


 私は深く頭を下げる。


「ゼラート王国ベルミカ公爵家のルディーナでございます」


「ロッシュ・ヴォワールだ。どうぞ楽にして、座って欲しい」


 ロッシュ・ヴォワール、その名前は当然知っている。フレジェス王国の王太子、年齢は22、独身、文武に優れた人格者との評判、パッと出てくる情報はこの辺りだ。

 思ったよりも大物が出てきた。


 私は「失礼させていただきます」と言って椅子にかける。


 顔を上げるとロッシュ殿下と目が合う。夜空を切り貼ったような深い瞳には慈愛の色。

 私はその目を見て「ああ、大丈夫だ」と思った。この人は理不尽に人を傷付ける人ではない。直感的に理解し、不安がすっと消える。


「この度はゼラート王国が大変なご迷惑をお掛けしました。深くお詫び申し上げます」


 聞きたいことは山程あるが、私はまず謝罪を口にした。どうやら和平はなったらしいが、相手はこちらから戦争を吹っ掛けた国の王子である。


「君が謝ることではないよ。長旅お疲れ様。まずは安心して欲しい。君はヴォワール王家の客人として遇することに決まっている。私が後見人だ。生活は保証する」


 私は頭の中を疑問符で埋めつつ「ありがとうございます」とお礼を言う。


 ロッシュ殿下が微笑む。素敵な笑顔だしありがたい言葉だが、何故私が和平条約で引き渡されたのかは全く不明だ。勇気を出して聞いておこう。


「その……恐れてながら、何故私はフレジェス王国に?」


 私の質問に殿下は困ったような顔をする。


「聞いていないのかい?」


「はい。正直に申し上げると、突然和平条約に基づきフレジェス王国に引き渡すと言われて、2日後には船に押し込まれまして……何らまともな説明は受けておりません」


「なるほど……酷いな。端的に言うと、和平交渉でゼラート側が君の引渡しを条件に含めるように強く主張してね……」


 ……へ?


 …………ゼラートこっちが要求したの?


 混乱する私にロッシュ殿下は言葉を続ける。


こちらフレジェスは最初断ったのだが、『ゼラート王家にとって屈辱的な内容を入れなくては諸侯を押さえられない。要らないだろうが引き取ってくれ』と言われてね。こちらも戦争は終わらせたかったので止むなく受け入れた」


 ロッシュ殿下は「勝っているとはいえ、死者ゼロとはいかないからな」と愁いを帯びた瞳で呟きを加える。


 内容を反芻し、理解した。同時に怒りが込み上げる。


 王太子の婚約者を差し出すという屈辱的な犠牲を王家が負うことで、諸侯に和平案を納得させる、そんな話は嘘だ。

 まずザルティオ王子あの馬鹿が私を疎んでいることは国内では有名だった。なので差し出しても犠牲を払ったなどと誰も思わない。そして諸侯の多くはそもそも戦争に乗り気ではないので、今回のような穏当な和平降伏条件なら反対しない。


 断言するが、ザルティオは邪魔な婚約者を排除したかっただけだ。ボロボロに負けた上での事実上の降伏交渉で、自身の婚約破棄を目論んだのだ。


 互いに望んだ婚約ではないし、ザルティオが浮気をしていたのにも気付いてはいたが……

 想像を超えた愚行に目眩がする。


 最近オルトリ共和国の小説で「夜会で婚約破棄を高らかに宣言する馬鹿王子の話」が流行りらしい。そんな馬鹿な王子がいるかと笑っていたが、それを数段上回る馬鹿がいた。


 ということは公爵家にも事前の話し一切せずに事後連絡よね。お父様激怒してるだろうな。


「その、本当に申し訳ございません。恐らく諸侯を納得云々はゼラートの嘘です。王太子ザルティオ・ゼラートが口煩い婚約者を捨てたかっただけかと」


 私は正直に申し出た。こんな酷い嘘には加担できない。

 私の言葉にロッシュ殿下は目をパチクリさせる。


「は? えっ? 海戦でも陸戦でも一方的に蹴散らさせれからの『和平交渉』で?」


 素っ頓狂な声を上げるロッシュ殿下。


「はい。ですが、そうとしか考えられません。本当に申し訳ございません」


「……そんな、馬鹿な」


「まず間違いなく、そんな馬鹿です」


 沈黙が部屋に落ちる。暫くしてロッシュ殿下が小さく咳払いをした。


「何にせよ。貴女を王家の客人として扱うことに変わりはありません。東棟の部屋を準備させてあります。私はこの後仕事ですが、そこのコレッタを侍女として付けますので身の回りのことは申し付けて下さい」


 室内に控えていた少女が頭を下げる。


「ご配慮痛み入ります」


 私はただ頭を下げるしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る