第5話 禁忌など

 いきなりの叫び声に、医者は驚いたようにこちらを振り返る。


「なんだね君は。今食べさせてるから——」

「飲みこめてないでしょ、ずっとむせてるじゃないですか! 雑に薬草あげてるからですよ! 良いの作ってくるから、応急処置して待っててください」


 そしてその場にいたアシルの腕をぐいっと引っ張った。


「アシル、ついてきて!」

「は? なんで俺が——」

「いいから! 手伝い必要なの!」


 そう言って、走って屋敷の中へ戻り、途中ですれ違った使用人さんに「少量でいいのでお湯沸かしておいてください!」と頼みながら自分の部屋に向かう。その後ろを、アシルが若干戸惑いながらついてきた。


「到着!」

「おい、なんだこれ……」


 横でアシルの絶句したような言葉が聞こえるが、気にせず部屋の真ん中へ踏み出す。


 ユリスに割り当ててもらった新しい部屋は、五日ですっかり草が生えたような見た目になった。余っていたという棚を三つもらい、部屋右奥のベッドの場所以外に設置して、その棚に置いた木箱に飾りつけのように草をしまっている。まだ分類できていない草は、もちろん床に。ここは寝て草を愛でるだけの場所だ。


「ベッドがなければもっと収納できるんだけどね。床で寝るかな。あるいは要らない草を積んでベッドみたいにする……?」

「そんなことしたら掃除婦に言いつけるからな」


 彼の言葉を無視して、私は棚を指差しながら目当ての草を探す。


「鎮痛剤作るって言ってたけど本気かよ」

「本気よ、あのままじゃ怪我した人、いつまでたっても痛み治まらないじゃない。治療が長引けば。あの人も腐っても医者ね、使ってる草だけは合ってたわ」

「お前、あの葉っぱ数枚だけでどの草か分かったのか?」

「当たり前じゃない、簡単よ」


 ようやく見つけ、木箱ごとグッと引っ張り出す。その箱を傾け、中身をアシルに見せた。

「こんな風に葉の表が白くなってたでしょ? これはマタタビよ。開花時期になると、こういう風に白っぽくなるの」

「マタタビ……って聞いたことあるぞ。猫が大好きなヤツだろ?」

「そうね、でも人間にとっては有益な草なの。鎮痛効果が一番有名ね」


 前世でもよく取り扱っていたな、と思い出しながら、私はキッチンへと走る。さっきお湯をお願いした使用人さんが、平たく浅い鍋に水を張って火にかけていた。


「ありがとうございます」

 お礼を言いながら、木箱の中に手を入れる。そして、親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさの茶色い塊を幾つもガシッと掴み、皿に取り出した。


「なんだそれ、さっきリッピさんが飲ませようとしてのと違うぞ?」


 リッピというのは医者のことだろう。私は首を振りながら、両手に持ったその塊同士をコツンとぶつけあった。


「これはマタタビの実よ。この実の中に虫が産卵すると、こんな風にデコボコして異常発育した実になるの。それを熱湯に浸けてから天日干ししてカラッカラに乾燥させたのがこれね。まずこれをっていくの」


 鍋で水を沸かしている間、隣でフライパンを火にかけ、ゴロゴロとマタタビの実を入れていく。しばらく皮を熱したら菜箸で少し混ぜ、また別の部分の皮を煎っていく。少しずつ香ばしい匂いが立ち込めてきた。


「お湯もできたから、ここに入れていくわ」

「ちょっと待て。シャルロット、まさかお茶にして飲むんじゃないだろうな」

「そうよ、生の葉っぱ食べるより絶対飲み込みやすいでしょ」


 何か言いたげなアシルを気にも留めず、ゴボゴボと泡を吐き出しながら沸騰する鍋に、マタタビを入れていく。次第に、水に薄緑の色がついていく。これならすぐにお茶になりそうだ。だがしかし。


「問題は苦みね、飲めないと困るわ。んっと、マタタビには…………ガレンそうだ!」


 急いで部屋に戻り、細長い黄緑色の葉っぱを四、五枚と黄色の実を一つ取ってきてキッチンに戻ってくる。そして両手で勢いをつけてその葉をちぎり、鍋の中にバッと投入した。


「おい、何してんだよ!」

「何って、見れば分かるでしょ、葉っぱを混ぜたのよ。ガレン草って火を通すとかなり甘みが出るから、マタタビの苦みなんか打ち消してくれるの。フーシェにいたときに実験してみたのよ」


 私の返事に、アシルは恐ろしいものを見るような目で私を睨んだ。


「薬草を混ぜるって……それはやっちゃダメだろ」

「法律で決まってるわけじゃないでしょ」

「そういう話じゃないだろ! 先々代の王が、王が……」


 彼はその続きを声に乗せない。こんな形で、王が亡くなったことを口にしたくないのだろう。



 薬草はお茶にして飲んでもいいし、薬草同士を混ぜて調合してもいい。当たり前の話だ。だが、このラカレッタでは私が生まれる前から、その行為はタブーとなっている。


 先々代の王が病気になった際、調合を誤った薬草のお茶を飲んでしまい、それが原因で亡くなったという。言い伝えによるとかなり悲惨な死に方で、苦しみに目を見開き、吐血しながら絶命したらしい。おそらく毒草の成分が混ざってしまったのだと思うが、王のその事件以来、縁起が悪いということなのか、お茶にして飲んだり調合して飲みやすくしたりすることは暗黙の了解で禁止になってしまったようだ。


 私も、薬草はそういうものだ、生で食べるしかないものだと教えられて幼少期を過ごした。混ぜるなんて誰もやってなかった。転生前の記憶が蘇えるまで、疑問すら挟まなかった。



「出来上がり! どれどれ、味は……うん、甘い! 緑が濃くて不味そうだから、黄色の実を加えて鮮やかな黄緑にして、と」


 スプーンで味を再確認し、急いでコップに移していると、アシルは私が庭に戻るのを遮るかのように、廊下に繋がるドアの前に立った。


「法律がどうとか関係ない。俺はそんな不文律を破るようなこと見過ごすわけにいかないんだよ」

「だったら私も関係ないわよ。あなたのお父さんとも話はしてるわ」

「父さんと……?」


 よほど驚いたのか、彼はいぶかしげに目を細めて首を傾げている。


、って言われたの。ちょっと含みのある笑みでね。あれはそういうことよ。医者は仕事柄、お茶とか調合なんてことはできない。悪評が広まるからね。でも私なら大丈夫。だからきっと、私に依頼してくれたんだと思う」

「いや、でも実際に聞いたわけじゃないんだろ? どんな意味か分からないじゃないか」


 思わずため息が漏れる。依頼人の息子じゃなかったら「うるさいなあ」と暴言を吐いてしまいそうだ。


「じゃあいいわ。たまたまマタタビが日に当たって乾燥して、間違って火のついたフライパンに入れちゃって、手が滑ってガレン草と一緒に鍋に落としたことにするわ。全ては私のミス、あとで謝罪します」

「そんなのがまかり通ると思うなよ! 昔から決まってることに——」

「うるさい!」


 その言葉にカチンときた私は、コップを置いて依頼人の一人息子に掴みかかった。壁に押し付け、高級そうな服の襟をグッと持ち上げる。


「昔のことなんか知ったこっちゃないのよ! 今を生きる人がより健康で幸せになるために、私は私の持てる力を出し切る、それだけ! どいて!」


 こうして、呆然と立ち尽くす彼の横を通り過ぎ、怪我人のいる庭へ戻った。応急処置が終わったのか、包帯を巻かれているものの、相も変わらず「ぐうううううう」と地を這うような呻き声をあげている。


 私は医者の横に座り、コップを差し出して彼の手に握らせた。


「お待たせ、これ飲んでみてください」

「ちょっと君、勝手に——」

「リッピさん、私の責任でいいですから。見なかったことにしてください」


 怪我をしている男性は「痛え……ううう……」と体を震わせながら少しだけ起き上がり、ゆっくりとそのお茶を喉に流し込んでいく。


「苦くないですか? 大丈夫ですか?」

「うん……大丈夫、です……」


 さすがにここまでの即効性はないけど、温かいものを飲んで気持ちが落ち着いたのか、彼はゆっくりと横になり、ふうっと大きく息を吐いた。直に沈痛の効果も出てくるだろう。


「これは……何のお茶だ?」


 コップの中の茶色に澄んだ液体を見てリッピさんが訊いてくるが、「さあ」とはぐらかす。


「たまたま出来上がった特製のお茶です。じゃあ私、部屋に帰りますね。草の片づけしないと」

 屋敷の方を振り向くと、一部始終を見ていたらしいアシルが立っていた。


「お前……すごいな」

「そんなことないわ。すごいのは草よ」


 村の人には内緒にしておいてね、とだけ伝えて、マタタビの木箱をしまうためにキッチンへと戻った。

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