5.灰色の世界に色彩を。

『ごめんな、エリカ。俺が悪かった。愛してるのはお前だけだよ』


 九条ユリは新山つよしから受け取ったメッセージを見て固まった。



「なに、これ……?」


 自分と付き合っているはずの剛。『エリカ』などと言う女は聞いたことがない。ミスキャンパスというプライドが震えながら崩れようとしている。ユリがすぐに剛に電話する。



「ユリ~、声が聴きたかったよ~!!」


 電話に出た剛は明るい声で言った。ユリは対照的な冷たい声で尋ねる。



「エリカって誰?」



(え?)


 剛は血の気が引いた。

 そして思った。エリカ宛てのメッセージが間違えてユリに送られてしまったことを。剛がすぐに答える。



「メッセージのことか? 違うんだ、ユリ。エリカってのは親戚の子供で、そう、俺に懐いていて……」


 見え透いた嘘。

 一瞬で剛への想いが消えて行く。



「さようなら。エリカちゃんによろしくね」


「あ、ちょ、ちょっと待っ……」


 ユリはそんな剛の声を最後まで聞かずに電話を切った。



(信じられない!! この私が居ながら他の女なんかと!!!!)


 ミスキャンパスのプライド。

 中学から美人だと周りにもてはやされ常に男には困らなかったユリ。ただ男運はなく、いつも浮気をされたり二股をかけられたりしょっちゅう涙を流していた。



「なんでよ、なんでなのよ、いつも……」


 アパートの玄関でうずくまり涙を流すユリ。

 しばらく涙を流し、部屋に戻ろうとした玄関のドアが何度も叩かれる。



「ユリ、俺だ、ユリ!! 話をしよう!!」


 それはさっき電話を切った剛。ユリは涙を拭いて玄関に戻りドア越しに声を掛ける。



「なに? 何か用なの? 


 それは既に他人になったという呼び方。剛が青い顔をして答える。



「違うんだ、本当に違うんだよ、ユリ!! 俺が愛しているのはお前だけで……」



 ガチャッ


 開かれるドア。剛はユリの涙が残る顔を見て最悪の事態だと悟った。ユリが言う。



「帰って。大きな声で騒がれると近所迷惑なの」


「ち、違うんだよ、ユリ。エリカってのは俺の妹で……」



「親戚の子供じゃなかったの?」



(しまった!!)


 動揺した剛。最初に言った嘘など覚えていない。



「違うんだ、ユリ!! 俺を信じて……」



 バン!!!



(え?)


 勢いでユリに近付こうとした剛に、強烈な張り手が襲う。ユリが大きな声で言う。


「もうこの部屋も解約するわ。だから二度と来ないで!! 来たら警察呼ぶわよ!!!」


 住んでいるマンションとは別に剛達と遊ぶ為に借りたアパート。ユリはもう解約しようと頭で決めていた。


バタン!!


 ユリが勢いよくドアを閉める。それを見た剛が床に崩れ落ち込むようにして震えた声で言う。



「そんな、俺、何をやって……」


 剛はしばらくそこに座り込んでいたが、諦めたのかひとり寂しく帰って行った。






(男の人の部屋にご飯作りに行くだなんて……)


 真琴は朝、電車に揺られながら昨晩龍之介に言った言葉を思い出し、ひとり顔を赤くしていた。いつもの指定席である窓際の座席。

 窓から流れる景色、周りで静かに揺られるサラリーマンや学生達はいつもと同じだが、真琴の心だけは明らかに違っていた。


(どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。今思い出しても恥ずかしい!!)


 真琴は下を向きながら真っ黒なおさげを手で触る。



(スマホ……)


 同時に手にしたスマホで昨晩のアプリの復習をする。



(まだぎこちないけど、一応使えるようになったわ。龍之介さんのおかげ。後は本番を頑張らなきゃ!!)


 そんな彼女のスマホに一通のメッセージが届く。



『マコ、頑張れよ!』



 たったひと言。

 龍之介から送られたたったひと言のメッセージが真琴の心を勇気づけた。



 ――嬉しい


 祖母以外、誰とも関わらなかった高校生活。

 人からメッセージを送って貰うことがこんなに嬉しい事だと真琴は初めて知った。



『頑張ります』


 もっと可愛らしい心の籠ったメッセージを送りたかった。

 だけど彼の前では男子高生。それはできない。真琴は大切そうにスマホを胸に当て握りしめ、昨晩の龍之介のことを考えた。






(上履きは、ある……)


 学校に着いた真琴が靴入れにあった自分の上履きを見て安心した。目立たぬよう靴を履き替え教室へと向かう。



 ガラガラガラ……


 ゆっくりとドアを開け自分の席へと向かう。

 暗い陰キャの真琴に気付かない生徒も多い中、昨日彼女に声をかけたクラスメートが近寄って来た。



「朝比奈さん」


 名前を呼ばれ一瞬体がびくっとした真琴が恐る恐るその級友の顔を見つめる。



「中島さん……」


 中島なかじま亮子りょうこ

 真琴と同じクラスで同じカースト下位の女の子。真琴同様、クラスで目立たない存在である。亮子が言う。



「スマホ、今日は持ってきた?」


「うん、これ……」


 真琴は恐る恐る鞄の中から真新しいスマホを取り出す。それを見た亮子が少し驚いた顔をして言う。


「うわ、すごい。最新機種じゃん」


 ショップの店員に言われるがまま祖母と選んだスマホ。高いとは思っていたが最新機種だとは知らなかった。亮子もすぐにスマホを取り出してアプリを開ける。



「じゃあアドレス交換しようか」


「え、あ、うん……」


 言われるがまま同じアプリを開け亮子とアドレス交換を始める。亮子が言う。



「朝比奈さん、いつも本読んでいるでしょ。どんな本読んでいるの?」


「え、本? これだけど……」


 真琴は鞄の中から電車で読んでいる本を取り出して亮子に見せる。亮子がそれを見て嬉しそうな顔で言う。



「あ、これ私も読んだよ! ねえ、他にはどんな本を読んでいるの? 教えて、教えて」


「う、うん……、いいよ」


 あまりない経験にどう反応していいか分からない真琴が小さな声で言う。教室に入って来た担任を見て亮子が言う。



「あ、先生来た。じゃあ、また連絡するね」


「うん」


 亮子はそう言い残すと自分の席に帰って行く。



(もしかしたら、友達になってくれるのかな……)


 真琴は担任に見つからないようすぐスマホを鞄にしまうと、席に座った亮子の後姿を見つめる。



(いいのかな、こんな私で……、でも嬉しい……)


 まったく居場所のなかった学校の教室。

 その異質な空間の中でほんの少しだけ、自分が居てもいいかもしれない場所を見つけた気がする。真琴の灰色の世界の中に少しだけ色がつき始めた。



「ふん、なにあれ……」


 そんな真琴の様子を後ろから見ていたカエデが不服そうな顔で見つめた。






(緊張する。緊張するけど、楽しみ……)


 学校を終え駅のトイレで家から持ってきた男装セットに着替えた真琴が、近くのスーパーで龍之介の夕飯の為の買い出しに向かう。祖母以外の人に、こうやって買い物をしてご飯を作るのは初めてである。



(料理はやっぱりおばちゃん秘伝の肉じゃがね。死んだおじいちゃんの大好物だったって言うやつ。すごく美味しいし)


 買い物が楽しい。

 いつもやっている買い物がどうしてこんなに楽しいのだろうかと真琴が不思議に思う。



(あまり深く考えることはないわ。またスマホを教えて貰わなきゃいけないし。龍之介さんがカップ麺ばかりで体調崩したらそれができなくなるから。そう、それだけのこと)


 真琴は自分の言い聞かせるように龍之介の部屋へ行く理由を考える。スマホの為。男装したマコの中には、真琴では持ち得なかった積極性がいつしか生まれていた。




(あのアパートだわ……)


 買い出しを終えた真琴が、龍之介に描いて貰った地図を頼りにアパートに辿り着く。スマホの地図機能が使いこなせない、いやそれ以前にそんな機能があることすら知らない真琴はいつもアナログだ。



 ピンポーン


 古く錆びた階段を上り、真琴が二階にある龍之介の部屋のチャイムを鳴らす。


(でもやっぱり緊張する……)


 すぐに中から音がしてドアが開かれた。



「お、マコ。ほんとに来てくれたんだな。さ、入って入って」


「あ、お邪魔します……」


 真琴にとって初めて入る独身男性の部屋。

 緊張していた彼女だが、龍之介の明るい笑顔を見てそんな不安は一瞬で吹き飛んでしまっていた。

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