第15話 彼女が選んだ道は
「うん、わかった」
うなずいてから、俺は続けた。
「のんびりと自然に任せる方法と、手っ取り早いが荒っぽい方法がある。どっちがいいかな?」
面食らったシャルは少しのためらいの後、こう続けた。
「のんびりと――」
「荒っぽい方法でいくね?」
「どうして!?」
「ごめん、あんまり時間がないんだ」
残念ながら、俺はいつまでもここにはいられない。父親の仕事が終わってしまうと、強制的に連れて帰られてしまう。頭脳は大人だけど、体は子供だから仕方がないね。
「荒っぽい方法でいくけど、いいかな?」
「もう……コウ君はいじわるだね。だったら聞かなきゃいいのに」
表情を揺らしてシャルが続ける。
「いいよ。我慢する!」
俺は丹田から集めた力を右手に収束させた。白い輝きが手のひらからこぼれる。
「行くよ?」
「うん!」
目をぎゅっとつぶったシャルの下腹に右手の輝きを押し込んだ。
瞬間、
「うっ……あ!」
シャルの体が地面にどさりと倒れて、その細い体がくの字に折れ曲がる。腹を手で抑えて苦悶の表情を浮かべている。
「あ、あ、あ……うう!」
ちょうどライクに力を与えた時と同じように。ライクにちらりと視線を送ると、そのときのことを思い出しているのだろう、眉根をしかめた表情を浮かべている。
「はあ、はあ、あ、ううううう!」
シャルの表情がゆっくりと緩和へと変わっていった。
どうやら峠を越えたのだろう。
肩で大きく息をするシャルに話しかけた。
「大丈夫?」
「あんまり、大丈夫じゃないけど……大丈夫」
「痛みを感じた部分が丹田という場所だよ。僕の力はそこのエネルギーを使って使うんだ。いいかい、そこを強く意識して感じるんだ。そうすれば、段々と力が使えるようになる」
「……わかった」
「僕が帰るまで、毎日やるから。覚悟してね」
「え、これが毎日……!?」
マジかよ、という様子で表情が歪んだが、シャルは唇を引き締めてうなずいた。
「お願い! 頑張るから!」
その目には強い感情があった。
きっとそれは、彼女が過ごした父親との地獄のような日々で培った強さなのかもしれない。
その強さがあれば――
この子はきっと強くなる。
腹の底に広がる愉悦を感じながら、俺は人懐っこい笑顔で応じた。
「うん、頑張ろう」
それから数日、俺たちとシャルの修行は続いた。
もちろん、そんなに早く力は開花しない。ライクだって半年くらいはかかったはずだ。逆にいえば、時間さえあればそこに至れる。
問題は、その時間だ。
「用事が終わったぞ! 寂しくなかったか、コウ?」
ついに俺の父が戻ってきた。つまり、俺が帰宅する日が決まったということだ。
父と話をする俺を、シャルが不安げな視線で見つめている。彼女また、状況の変化に気づいているのだろう。
かわいそうだが、ここまでだ。
俺たちが開こうとした丹田への道を己のものにできるかどうかは、シャル本人の努力にかかっている。
ドーラン男爵が父に声をかけた。
「無事の帰還、誠にお喜び申し上げます。大変でしたか?」
「ははは、そうだな! だが、王族への忠義を果たせたと思えば苦労のうちにはならん!」
「さすがでございます」
「男爵こそ、すまなかったな! うちの愚息が面倒をかけなかったか?」
「いえ、特には。さすがはカル様のご子息という感じで、苦労はありませんでした。娘も楽しかったことでしょう」
「お、シャルちゃんと遊んでいたのか? 変なことを教えてないだろうな!?」
父親としては冗談で言った言葉だが、なかなか真実に近い。
変なこと――とは思わないが、他人からすればイケナイことを教えたかもしれない。
「そんなことしてないよ!」
にっこりと少年の笑顔を浮かべて応じる俺を見るライクの目が微妙に細まったことに俺は気がついた。こらこら、忠実な従僕、主人の言葉に意を唱えるとは何事か?
そこでドーラン男爵が口を開く。
「用事が終わったということは、もうお帰りですか?」
「ああ、そうなるな。明日にでも出るとしよう。男爵、世話をかけたな」
「いえいえ、カル様と時間を過ごせるなど、望外の喜びでございます。いつでもお越しください」
帰宅するに際して、俺は大人たちがいなくなったタイミングを見計らってシャルに話しかけた。
「僕は帰ることになる」
「……うん」
「もう修行はつけてやれない。これからは一人で継続するんだ。君が丹田を感じられるようになれば、僕のような力を手に入れられる」
「わかった。頑張る!」
それは適当な感情だけで言っている言葉ではなかった。その目は絶対にこのチャンスを掴み取りたいという意志に満ちていた。
きっと、それだけが己の境遇を変えるものだと信じているから。
だけど、それは近道ではない。本当の近道は、俺や俺の父に助けを求めること。無力な子供がするべきことは己の力を磨くのではなく、外部に助けを求めるべきなのだ。
「ねえ、シャル。助けて欲しいのなら、そう言えばどうだい? ドーラン男爵に嫌なことをされているんだろう?」
この数日で、きっとシャルの信頼度は上がっているだろう。
今ならば、俺の言葉を受け入れてくれるかもしれない。
シャルは深刻な様子で悩んだ後、しばらくしてから笑顔で首を振った。
「ううん、大丈夫だから!」
……やはり、そうなるか。
まだきっと、父親の行いを他に告げる勇気が持てないのだろう。まだきっと、俺への信頼はそこに至っていないのだろう。
腐っても父親は父親か。
翌日、俺と父は自領に帰ることになった。
玄関前に馬車がつけている。乗り込もうとする俺たちを見送りに、ドーラン男爵とシャルが現れた。
「カル様、ありがとうございました」
「いや、こちらこそだ、男爵。一緒に王国を盛り立てていこう。お前の忠誠に期待しているぞ」
「はっ」
大人たち同様、俺たち子供にも別れはある。
「じゃあね、シャル」
「うん。ありがとう、コウ君」
「困ったら、いつでも教えてね」
「ありがとう」
にこりとシャルがほほ笑む。それは、俺たちの縁を結びつける透明なロープが確かにあると安堵したような笑顔だった。
そこで、俺とシャルは別れた。
ごとごとと音を立てて馬車が進んでいく。男爵の邸宅がだんだんと小さくなっていく。
この数日、男爵は目立った動きがなかった。
おそらく、俺の妨害を――故意だとは見抜いていないとは思うが、強く警戒したのだろう。
であれば、もう男爵の我慢は限界に違いない。
ひょっとすると、今晩にもシャルに対して何かしらの働きかけが行われる可能性は高い。抵抗をしようにも、まだシャルは忍術が使えないが。
何事も熟すには時間がかかる。その間、シャルは耐え忍ぶしかない。
……まあ、本人もそこまでの緊急性を感じてはいないのだろう。己の力が高まるまでに、父が正気に戻ってくれればいいと祈っている感じか。
それこそが、シャルの選んだ道なのだ。
「頑張れよ」
俺は誰にも聞こえないような小声で口の中でそうつぶやくしかなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
風の騎士カル一行が帰った日の夜――
ドーラン男爵は離れで上機嫌に鼻歌を歌っていた。
邪魔者の親子が消えるなり、ドーラン男爵は娘に『今晩、離れにくるように』と告げていた。
ようやくこの日が来た!
ずっと待ちわびていた!
数日前、夜中にふと閃きを得て、男爵はシャルを『実験』に連れ出すことにした。
それをカルの、魔法が使えない愚鈍な息子に邪魔されたのだ。今でも、そのことを思い出すとハラワタが煮えたぎる。
魔力ゼロのゴミが、私の邪魔をするなんて!
男爵は『魔力至上主義』の考えを持っている。それも、かなり先鋭的だ。魔力のない人間には存在価値などない、と本気で思っている。
「だけど、悪くはなかった……」
少し考えてから、男爵は自分の閃きは正しいアプローチではないことに気がついた。それでは、愛しい娘を魔力ゼロの地獄から救ってやることはできない。
そこで、ドーラン男爵は必死に調べて、古代の文献の記載を見つけ出した。
『魔力ゼロの人間の心臓に、魔力を込めた短剣を突き立てること。短剣は決して抜いてはならない。抜くことなく1日中、短剣に魔力を流し続ける。さすれば、魔力ゼロは偉大なる魔法使いとして復活を果たす』
普通に考えれば、ありえないことだ。
だが、男爵の精神はもうその判断ができないところまで追い詰められていた。魔力至上主義の男爵には、魔力ゼロの娘がいる事実が耐え難いものだった。
テーブルに置いた書籍を手で人撫でして、ドーラン男爵は薄く笑う。
「もうすぐだ……もうすぐだよ、シャル。もうすぐ、君の苦しみを救ってあげられる」
そのとき、こんこん、とドアがノックされた。
そして、きいっと軋みの音を立ててドアが開く。
「待っていたよ、シャル」
書籍の横に置いていた短剣を手に取りながら、ドーラン男爵がにこやかに応じた。
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