グルメ聖女の“Best-before” 食中毒は美食の敵なので、異世界の衛生知識を広めたいと思います!

ぽんぽこ@書籍発売中!!

第1話 グルメ聖女の目覚め


『テーブル上の料理は、難解な書物よりも雄弁に語る』


 世の中には、そんな格言が存在するそうだ。


 食事は情報の宝庫。

 その地でどんな農作物が生産され、どの程度の加工技術を持ち、人々がどのような生活を送っているのか。


 ワンプレートの料理を見ただけでも、それらを推察できるという意味だ。


 しかし残念ながら――ジャイール王国の食卓は、あらゆる技術が未発達であると言えた。


 むしろ劣悪な衛生環境は『食事は楽しむもの』というよりも、『生きるために必要な命懸けの行為』という認識を民に刷り込ませていた。


 だがそれも今日で終わり。

 とある聖女の覚醒によって、食事の歴史を変える革命が今まさに起ころうとしていた――。





「この世界にも賞味期限を導入するわよ!」


 ブラッディ公爵家の長女、アリスはベッドから起き上がるなり、拳を上げてそう宣言した。


 いったいどれだけの間、寝ていたのだろうか。長いブロンドの髪はその輝きを失い、着ていた麻のナイトウェアは汗で肌に貼り付いている。


 それでもなお、彼女の美貌が損なわれることはなかった。むしろ、美しさに凄みが増しているようにさえ見える。


 だがそんな外見のことなど、今の彼女にとってはどうでもよかった。なぜならアリスは、この世界で初めて『賞味期限』という天啓を得たのだから。



「アリスお嬢様がお目覚めになられた……!」


「良かったぁ~! お嬢様だけでも無事なら、この公爵家も立て直せるかもしれないわ!」


「でもなにか変なことをおっしゃっていたわよね。ショウミキゲンって何なのかしら?」


「変な物を食べたせいで、悪魔憑きになっちゃったんじゃ……」


 アリスの部屋に集まっていた屋敷のメイドたちは、ヒソヒソと言葉を交わし合う。


 ちなみに悪魔憑きとは思春期の男の子がかかる、一時的な精神の病である。


 一定の年齢になると急に変な言動を始めるのでそう呼ばれており、二十五歳を迎えたアリスが罹るものではない――のはともかくとして。



「……聞こえているわよ」


「ヒッ!?」


 会話の内容を聞き逃さなかったようだ。アリスは低い声で注意する。


 すると四人のメイドたちは慌てて口をつぐんだ。



「はぁ……、とりあえず説明はお父様たちのところでするわよ。あと、その前にお風呂へ入りたいわ。お腹が空いたから、食事の準備もお願いね」


 アリスは一般的な貴族令嬢が好むような、容姿の良い男性やアクセサリーなどに興味を示さない。代わりに筋肉質な男と肉食を愛している。


 社交界では、行き遅れの『貴腐人』などと揶揄やゆされているほどだ。


 とはいえ、さすがに今の乱れた状態で父たちに会いたくはない。彼女はため息を吐きながらベッドから出ると、浴室へと向かおうとする。



「あれ? おかしいわね。お父様たちはお出掛け中かしら?」


 部屋を出る途中、たまたま窓から外を見たアリスは、不思議そうに首を傾げた。


 視界の先には、鬱蒼とした森と、登るのに数日は掛かりそうな高い山々が広がっている。その天辺に太陽が位置していた。


 いつもなら、アリスの父と兄が外にいる時間帯だ。


 鍛錬と称して屋敷の周りを駆け回ったり、剣や魔法での模擬試合をしたりしている。なのにその光景が今日は見えない。



(モンスター肉でも食べたくなって、森の奥にでも行ったのかしら?)


 ――どうして公爵家の当主たちがモンスター狩りをするのか?


 ジャイール王家から預かっているこのブラッディ領はけわしい山々と深い森に囲まれており、恐ろしいモンスターがそこら中に跋扈ばっこしている。


 それらを狩猟し、食用肉を得ることが公爵家に与えられた役目だからだ。


 ゆえに男たちは朝から晩まで、寝食を除いた時間のほとんどをずっとトレーニングに回していた。それがこの家の日常だった。



 そこへメイドの一人が恐る恐るといった様子で声をかけた。



「あ、あの、お嬢様。失礼ながら、旦那様と若様はまだお目覚めになっておりません……」


「はい? 二人が寝坊をするなんて珍しいわね……ってまさか」


 自分を含め、ブラッディ家の人間が病気になったところなんて、生まれてから一度も見たことがない。


 だが今回、アリスは死の瀬戸際に立たされ、何日も寝込んでいた。嫌な予感が彼女の脳裏をよぎる。



「お嬢様の誕生日をお祝いしたあの日。ブラッディ家の皆様は全員、『神罰』で意識不明の状態になっております……」


「剣で刺しても、魔法で丸焼きにしても死なない、あのお父様たちが!?」


 淑女らしからぬ大声を発しながら、アリスは慌てて振り返る。


 そこには沈痛な面持ちのメイドたちがたたずんでいた。彼女たちの表情は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えない。



「アリスお嬢様の生誕二十五周年を記念して、ブラッディ家が経営しております保存肉工場のお食事を、皆様が召し上がりになり……」


「ご当主様を含めたお三方が倒れて、本日が三日目でございます」


「――三日も!? そう、だったの……ごめんなさい、私も驚いてしまって……」


 言動こそ男並みにガサツだが、アリスの心は素直だ。

 誠実に答えてくれたメイドたちに対し、声を荒げてしまったことを素直に謝罪した。



「でも『神罰』だなんて、今まで一度も起きなかったのに……」


 ――神罰。

 それはこの世界では『食中毒』もしくは『食あたり』のことを指す。


 火を通した方が食中毒になりにくいのは体感的に理解しているのだが、『食べ物は神がお与えになったもの』という女神信仰がある。そのため、食中毒になるのは『神への信心深さが足りないため』だと思われていた。


 特に正しい調理法が広まっていない一般市民の間で多く見られ、毎年のように多くの死者を出している。


 だがその点に関しては、今のアリスなら強く否定できる。

 なぜならば、つい先ほどまで、夢の中でその女神様と会っていたのだから。そして他に直接的な原因があることを知っている。



「申し訳ございません! 私たちがもっとしっかりしていれば……!」


「あなたたちは何も悪くないわ。安心して、私が絶対になんとかするから」


「お嬢様が、ですか!?」


「なによ、そんなに驚くようなこと?」


「いえ、ですが……」


 確かに普段のアリスは自由奔放で、自分勝手なところがある。しかし、こう見えても彼女はブラッディ公爵家の長女であり、領民のことを思いやる気持ちは人一倍持っているつもりだ。



(それに今の私には、異世界の知識があるのよ)


 今のアリスの脳内には、この世界ではない別の世界で生きていた人間の記憶がある。


 死と生の境目にある場所で、女神からこの世界を変えるために託された記憶だ。それを上手く利用すれば、現状を打破することも可能なはず。



「食べ物にも、定められた命の期限があるの。それを私たちが判断できるようになれば、『神罰』なんて怖くないわ」


 自信満々にそう宣言したアリスだったが、メイドたちの反応はかんばしくないものだった。まるで信じられないと言わんばかりに、不安そうな視線を送っている。


 それも当然だろう。なにせ、これまで誰も『神罰』の原因を突き止められなかったのだ。どんな保存食でも、必ず腐ってしまう。だから、メイドたちは毎日の食事に恐怖しながら生きてきた。


 しかし、アリスの決意は固い。彼女は自分の考えが正しいことを証明するために、行動を開始しようとした。



「待つんだ、アリス」


 そんなアリスを引き留めた人物がいた。


 いつの間にか部屋の扉が開かれており、一人の青年が立っている。


 この国では珍しい漆黒の髪に、端正な顔立ち。彼女よりも少しだけ背が高く、スラリとした体型をしている。


 彼の名はヴェスター。アリスが幼い頃から共に過ごしてきた一歳上の幼馴染みで、今ではこの家の政務を担当している。



「きゃあああっ!?」


 突然のことに驚いたアリスは、悲鳴を上げながら胸元を隠す。しかしすぐに冷静さを取り戻すと、キッと彼を睨みつけた。



「いきなりなんなのよヴェスター! いくら幼馴染でも、レディの部屋に入るときはノックくらいしなさい!」


「そんなことを言っている場合じゃないんだよ、アリス。この領で起きている問題を、君はまるで分かっていない」


 ヴェスターは乱れた衣服を見られて戸惑うアリスに構うことなく、キッパリとそう告げた。




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