自主イベント参加短編作品集的な

磨糠 羽丹王

新匿名短編コンテスト・四季の宴より

雪原に佇む

「父ちゃん寒いね」


「ああ。寒いな」


「なあ父ちゃん。母ちゃんは何処に行ってしまったんだい」


「ぽん太。母ちゃんはなぁ。遠くに美味しい物を探しに行っているんだよ」


「ふーん」


 枯れ木に隠れた洞穴に、二匹のけものの影が並んでいる。

 雪に閉ざされた野山を眺める為に、暖かい穴の奥から出て来たのだ。


「何もいないね」


「ああ、何もいないな」


「なあ、父ちゃん。こんな時はネズミや虫たちは何処に居るんだい」


「さあな。雪の下にでも隠れているんじゃないか」


「ふーん」


 二匹はしばらく雪原を眺め、穴の中へと戻って行った。




「ぽん太。この雪が溶けて、色んな虫や動物が出てきたら、お前は独りで狩りをするんだぞ」


「ああ、大丈夫だよ父ちゃん。こうやって獲るんだろ」


 体がそれ程大きくない若い狸が、石ころに飛びつき狩りを真似る。

 そうかと思えば、それを見守る父ちゃんに指先を向けグルグルと回し始めた。


「どう? 父ちゃん目が回った?」


 秋にトンボの獲り方を教えた事を思い出し、父ちゃんは切れ長の目を更に細めて微笑んでいた。


「なあ父ちゃん。母ちゃんはこんなに雪が降っていたら、帰って来られないんじゃないのかい」


「そうだな。でも母ちゃんは、お前の為にいっぱい食べ物を獲ってくれているはずだよ」


「そうなのかい! 何だか嬉しいな。でも、母ちゃんはいつ帰ってくるんだい」


「そうだな。今は雪で帰って来られないから。春になってお前が自分で狩りを始めた頃に帰って来るかもしれないね」


「そっかー。早く母ちゃんに会ってみたいなぁ。一体どんな感じなんだい。父ちゃんに似ているのかい。それとも僕に似ているのかい」


「そうだなぁ、どっちだろうな。しばらく会って無いから、ボヤっとしか思い出せないな」


「何だい父ちゃん。本当は母ちゃんに捨てられたんじゃないのかい? それとも僕の事が嫌いで、どっかに行っちまったとかさあ」


「そんな訳ないだろう。母ちゃんはお前の事が大好きだ。さあ、今日はもう遅いから寝なさい」


「はーい。父ちゃんお休みー」




 雪解け水が集まり小川になる頃。

 月明かりに照らされた木々の間を、二匹の獣が駆け抜けて行く。

 体つきが大きくなった若い狸が飛び上がり、狙っていた獲物を捕らえた。


「見てよ父ちゃん。上手いもんだろう」


「ああ、狩りが上手になったな。もう独りでもやっていけるな」


「な、なに言ってるんだい。俺は父ちゃんと一緒に母ちゃんが帰ってくるまで……」


 そこまで言いかけた若い狸が、何かの気配を感じて振り向いた。

 小高い丘の上に一匹の狸の姿が見えたのだ。

 青い月明かりの下に佇むその姿は、若い狸の心を捕らえて離さなかった。


「と、父ちゃん。何だろう。何だか胸がドキドキするよ。何だろうこれ」


「そうなのかい。だったら会いに行ったらどうだい」


「良いのかい」


「ああ、行っておいで。捕まえた獲物を渡してご覧よ」


「う、うん。い、行ってみるよ」


「ぽん太。もし、あの娘と一緒に行きたくなったら。父ちゃんの事は気にせずに、そのまま行くんだぞ」


「父ちゃん……」


「早く行け」


 ぽん太は小高い丘の方へと嬉しそうに駆けて行った。

 娘の狸と仲良く過ごしているうちに、父ちゃんの事は忘れてしまい。そのまま娘と共に野山を歩き続け、幾日か過ごすうちに帰り道も分からなくなってしまった。




 夏の気配が漂う森に、幾日も雨が降り続いている。

 新緑の木々に隠れている洞窟から、切れ長の目をした獣が、雨に濡れそぼつ森の木々を眺めていた。

 その獣が洞窟に近づいて来る者の気配を察し、おもむろに四肢を伸ばす。

 しばらくすると、ずぶ濡れの狸が姿を現し、獣の前で頭を垂れた。

 その口には小さな命が咥えられていた。


「父ちゃん……」


「……ぽん太。どうした」


「この子が育たねえんだ。兄妹の中で一番体が小さくて、乳にありつけねえんだ」


「……」


「なあ、父ちゃん。頼むよ。このままだとこの子は死んじまう。父ちゃん助けてくれよ」


「全く、お前って子は……。分かったよ。置いて行きな」


「良いのかい!」


「ああ。でも、もう会いに来てはいけないよ。この子が不幸になるだけだからね」


「分かった。約束は守るよ。父ちゃん……ありがとう」


 父ちゃんが愛おしそうにぽん太の頬を舐めると、ぽん太も嬉しそうに舐め返し、父ちゃんの体に頭を強く擦りつけた。


「さあ、お行き」


 ぽん太は何度も何度も振り返りながら去っていった。

 父ちゃんは小さな命を咥えると、直ぐに洞窟の奥へと連れて行き、子狸の全身を舐め始めた。


「さあ、もっと鳴いて声を聞かせておくれ。もっとお前の匂いを嗅がせておくれ」


 目をつぶったままキュンキュンと声を上げていた子狸は、ふと乳の香りに引き寄せられて、獣の腹の方へと潜り込んで行く。


「さあ、たーんとお飲み。慌てなくて良いよ。お前の乳を横取りする奴はここには居ないからね」


 乳を与え始めためすの狐は、切れ長の目を更に細めながら、子狸を愛おしそうに腹に抱え、震える小さな命を温め続けた。




「父ちゃん寒いね」


「ああ。寒いな」


「ねえ父ちゃん。母ちゃんは何処に行ってしまったの」


「ぽん美。母ちゃんはなぁ。遠くに美味しい物を探しに行っているんだよ」


「ふーん」


 枯れ木に隠れた洞穴に、二匹の獣の影が並んでいる。

 雪に閉ざされた野山を眺める為に、暖かい穴の奥から出て来たのだ。

 二匹の前には何処までも続く雪原が広がっていた……。




 狸を育てる狐の話は、地元の猟師の間で長く語り継がれて来た。

 ただ、その狐を見かけたという話は、百年以上にも渡り続いていたことから、その狐はきっと神獣しんじゅう天狐てんこであろうと云われ。近隣の集落の者達が、洞穴の住処の傍にほこらを立て、この慈愛に満ちた天狐の石像をまつったと伝えられている。

 北アルプスにある稲荷神社の参道脇には、慈母天狐じぼてんこと呼ばれる狐の像があり。今もなお美しい雪原を眺めながら、苔むした姿でひっそりと佇んでいる。

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