27 「また会いましょう」





 次に見えた景色は、魔術城の内装の壁だった。しん、と静かな場所は研究棟だ。

 ラザルをとっちめなければならない。今すぐ、人間の真似事をしている目的を吐かせなければならない。

 シェノンは前を睨み、一直線にラザルの研究室に向かう。

 ラザルの研究室には行ったことがないが、避けるためにある程度の場所は知っている。研究棟の一階、一番端にある。


「ラザルはいる?」


 研究室に入ると、魔物研究室所属の魔術師が訪問者にぎょっとする。


「魔王の魔術師が、賢者であるラザル様を呼び捨てにするな」


 不躾な訪問者に、研究員の一人が不快感を露わにシェノンに噛みついた。


「大体ラザル様はここでは研究なされない。個人研究室で──待て、勝手に行くな!」


 どうやらここはラザルの個人研究室ではなく、魔物研究室の一つらしい。ラザルの個人研究室を一つ一つ部屋を開けて探していくのは面倒だ。

 「止まれと言っているだろう」などと付きまとってくる研究員を完全に無視し、シェノンは感知魔術を使おうとしたところで、探すまでもない気配に気が付いた。

 今の今まで、先ほど邪竜の元で感じていた感覚に紛れていたのか。


「……ちょっと待って、ここでは魔物を制御なく離したりしているの?」

「ラザル様は外で捕獲した魔物を放して研究されることもあるが」

「このレベルのものを?」

「おい、そっちは許可されるまで人の出入りが禁じられているんだ!」


 シェノンは躊躇いなく廊下を曲がり、その先にある研究室のドアを開けた。

 直後、鼻孔いっぱいに血のにおいが広がる。

 無理もない。部屋の中には血の海が広がっていた。

 扉を開いた勢いのまま、室内に入ろうとしたシェノンの足に固いものにぶつかる。下を見ると、狼の頭があった。

 魔狼だ。近くには別の魔狼の残骸、毛皮、牙の欠片、血に塗られた床にそれらは転がり、辿って行った先に『それ』はいた。

 大きな狼が、濡れた音と固いものを砕く音をさせ、何かをむさぼっていた。


「う、うわああああああ!!」


 ついてきていた研究員が悲鳴をあげ、しりもちをついた。血がついたようでそれにもぎゃぎゃあ悲鳴を上げている。

 悲鳴に、貪る音がやみ、二足歩行の狼の前肢から離れたものが音を立てて血の床に落ちる。

 齧られかけの魔狼の頭だ。


「ラザル」


 獣特有の細い瞳孔をした灰色の瞳が、シェノンに向かってにやりと笑った。

 鋭い牙が並んだ獣の口が開き、言う。


「また会いましょう」


 逃げるつもりだ。シェノンは魔術を構築するが、発動と同時に魔狼が血の床に溶けるように消えてしまった。

 血が跳ねるのも構わず、シェノンは魔狼が消えた場所に駆け寄り、完全に消えてしまっているのを見て歯噛みする。


「本来、魔狼は空間移動魔術なんて使えないくせに……!」


 魔術と、間違いようもなく魔狼の魔力。

 改めて周囲を見渡すと、広い研究室には消えた魔狼に食われたであろう魔狼の死体と、室内の空の檻が目についた。


「この檻には何が入ってたの」

「魔犬と魔狼、です。うう、まさか、ラザル様も──うっ」


 研究員の吐く音が室内に響く。

 シェノンも吐き気を覚えたが、ぐっと我慢していた。魔狼が魔狼を食った。魔族の中でのその意味は──。


「……ラザルは戻ってこない」


 戻ってくるつもりがない。

 部屋の外には、無遠慮な訪問者をもっと後から追いかけてきた者たちが集まり、悲鳴が連鎖しはじめていた。


 ほどなくして研究員の通報を受けたか、騒ぎを聞きつけたか、衛兵がやって来た。

 シェノンと同じものを見ていた研究員は半狂乱で、予想通りシェノンは一番に疑われ連行された。




「何があった」


 それほど時間が経たないうちに、エトの執務室に呼ばれた。

 その場にはレナルドもおり、連れてこられたシェノンを案じる目で見た。


「あれはラザルよ。ラザルが魔狼を食ってた」

「魔狼を食っていたのは魔狼だと聞いたが。その魔狼にラザルが食われたと研究員が言っているようだ」

「ラザルが食われたところなんて見てない、それは彼の想像」

「だがおまえの証言も食っていたのは魔狼であり、ラザルではないだろう。それともその魔狼がラザルだとでも言うのか?」


 シェノンは答えに窮する。勢いで言ったが、やはり信じられるはずがない。でも出来るところまでする価値はある。


「……ラザルの声で喋った。それに目の色が同じ灰色だった」

「それは魔狼の知られていない特性かもしれない」

「それなら、人間が魔狼を食べて魔狼にならない証拠は?」


 一切譲る様子を見せないシェノンに、エトは首を横に振る。


「シェノン、根拠のない推論を可能性の一つとしてではなく、それほど主張するのはおまえらしくないぞ」


 シェノンはそれを自覚していたから、唇を噛む。

 ──この手に何も、捨てるものさえなかった頃なら、何もかもを話せただろうか


「それなら証拠を見つけるところから始めましょう。ラザルが魔狼と魔犬をけしかけた犯人であるというとこからね」


 エトとレナルドが視線を交わし合った。


「……それはいつから疑い始めた?」

「その問いはどういう意味?」


 逆にシェノンがエトに問い返すと、レナルドが口を開いた。


「竜襲撃と同時に現れた魔狼と魔犬の死骸の数と、ララザル・フロストが調査のために捕獲していた数がほぼ一致した。ほぼと言うのは、今回襲撃時に回収された魔狼の死骸がラザル・フロストの手に渡っていたことは分かったんだが……あの部屋の惨状を知っているなら想像が容易いかもしれないが、数を正確に判別できる状態じゃなかった」

「なるほどね」


 賢者として自由に行動をしていたラザルが、魔国を訪れることは可能と思っていたが、正攻法で魔狼と魔犬を首都に入れ、今回放ったに過ぎないのか。


「魔狼たちが街に出現した空間移動術式の残りを保存してる。ラザルが一度運び込んだ後に、今回襲撃のためにまた別の場所にあの数の魔狼たちを移動させると考えるのはリスクがあるから、ラザルの研究室から移動した可能性が高い。だとすると、ラザルの研究室に全く同じ空間移動術式の痕跡があるはず」

「分かった、すぐに調べる」


 レナルドは、シェノンに場所を聞き、魔術具ですぐに指示を出し始めた。


「……ラザルが魔王信仰者の魔術師であったなら大変なことになるな」


 エトが嘆息した。

 魔王信仰者──魔術師の内、直接民を統治する魔王に仕える望む者たちのことだ。

 聖王の膝元にして、賢者の中にいたとなればとんでもない。

 それでも彼らは人間だ。魔族が人間の中に紛れられるかもしれないと知れれば混乱は必至だ。それもあって、シェノンは言えない。訂正しない。あくまでラザルは人間で、魔狼を食べた影響で姿が変容したという方向で持っていく。嘘でもない。


「第一位、シェノンの容疑は研究員の証言で晴れているので帰っても問題ありませんね?」

「構わん」

「ちょっとまだ帰らないけど」


 不満混じりにレナルドを見上げるが、レナルドは「帰れ」と言う。


「ずっと顔色が悪い」


 そう言われて、ずっと魔狼が魔狼を食っていた光景が頭の隅をちらついていることを自覚した。

 吐き気を無意識に我慢し続けていて、酷い悪夢を見た時の有様に近かった。


「……そうね、今日は帰る」


 レナルドはまだ仕事があるので、久しぶりにシェノンは一人でレインズ邸への帰路についた。



 レインズ邸に戻ったところで、とうとう雨が降り始めた。

 早めの帰宅に心配するソフィーに雨が降りそうだったからと誤魔化し、シェノンは部屋にこもった。

 ラザルは心臓を諦めたのだろうか。賢者のままでいた方が、魔術城の中を捜索できる機会があっただろうに。

 それとも──もうその必要がない?


「力ある魂は巡る、そんなことは自分自身でも証明されてる……邪竜の中にあったのは……」


 雨粒が伝う窓を目に映し、シェノンは一人ごちる。


「私は、どうすればいいの」


 窓にはうっすらと自分の姿が映り、シェノンは問う。


「私は、どうしたいの」


 望み。シェノン・ウォレスの望みは。

 胸が苦しくなって、シェノンは自らの首を絞めるように触る。こんなものなければ。憎くて、腹立たしくて仕方なかった。

 息が苦しくなるくらい、爪の跡がつくくらい首を握っていたシェノンは、耐えられない熱さに襲われ、手を離す。

 魔王の祝福の印が熱い。


「脈打ってる……?」


 熱さは、どくんどくんと鼓動を打つかのように波がある。

 ──魔王の心臓が、呼んでいる

 シェノンは魔術城の方を見た。






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