18 「……こっちの台詞なんだけど」





 シェノンが移動した先は、首都を囲む外壁の上だった。

 さっきまでいた城は、後方に見える。いた部屋は肉眼では判別できる距離ではない。

 首都外壁には魔術式がびっしりと浮かび上がり、石でできた壁とは別に、魔術師にうっすらと見える半透明の魔術の壁が空高くまで続いている。

 物理攻撃や魔術攻撃に耐える魔術防壁だ。

 石で作られた方の壁の上には、ただの大砲や魔術を使用する魔術具の大砲があり、魔術師が魔術具を、そうでない制服を身につけた兵士がただの大砲を構えていた。

 遠くからは、第二陣となる竜が数体見えはじめ、普通の大砲より倍の距離を狙える魔術砲が先に火を吹いた。

 体に響く音をさせ、振動を起こし、魔術弾が次々と飛んでいく。


「シェノンさん」


 大砲の音が響き渡る中、微かに呼ばれた声を拾い上げ見ると、キースがいた。


「キース、ここにいたの」


 団長であるレナルドは作戦室にいたので、直接の指揮はキースがしていたのか。


「はい。これで白金階級なので、竜討伐の前線に出ることになっています」


 キースが視線で示した背後には、大砲の操縦でも補佐でもなく、竜の方を睨む魔術師が見受けられた。

 見える限りで、徽章は白金か金だ。竜と直接戦う魔術師ということか。


「竜の殺し方は知っているの」

「最も弱いのが目、次に翼、それから鱗の継ぎ目を狙って急所を突く。とにかく、一点集中だと聞いています」


 魔王復活が予想されてから、対竜戦の対策が立てられていたらしい。

 今回のように首都に竜が接近した場合は、まず長距離大砲で妨害、地に打ち落とすことを狙う。あわよくば仕留め、漏れたものと高位の魔術師が戦う、という感じだろう。

 竜と戦うには高度な魔術を高威力で放ち、竜の鱗を貫き仕留めなければいけない。中途半端なレベルの魔術師が大勢で一点を狙おうとすれば、効率も成功率も低い上、そもそも竜に触れる前に殺される。


「『それ』を使うの?」


 方法としては問題ない。

 残りは竜を貫く手段だ。シェノンは、キースの手にある槍を視線で示した。槍は柄が魔術具特有の材質で、魔術石がいくつも嵌まっている。そのどれもに強力な魔術を感じる。


「はい。刃は竜の牙です」

「実践に使えるレベルに加工できてたのね」


 魔国で眠っていた竜はまだしも、この国で『死んだ』竜が封印されていた理由は様々ある。

 その内の一つが竜の研究とその爪や牙、鱗を魔術具の素材として利用できないかというものだ。

 人間は肌や爪などそのままでは転んだだけで傷がつくような有り様だが、魔族は違った。

 毛皮一つとっても、ただの熊のようにただ温かい服に加工できるということの他に、刃を通さないなどという効果があった。

 人間は、魔術石や魔術具に使用される鉄などと同じように、倒した魔族を素材にした。

 しかし竜が封印されてから四百年ほど。竜の素材化は難航していたはずだ。

 単純に解体が固すぎて難しい、爪、牙一つとっても同様に思った形に研磨など出来る研磨機がなく、すべての工程に魔術を要するとか。

 血に未知の毒素が含まれ、解体の際に空気が汚染されるとか。

 やっと刃の形に加工できても、魔族特有の魔術が残っており、魔術師に悪影響を与えるとか。


「それに加えて、レナルドの加護つきです」

「レナルド、加護の付与出来るの?」


 聖王の祝福を受けたレナルドの祝福と言ってもいい。

 シェノンは魔王の祝福による加護の付与なんてする予定もなく、やり方を知らなかったので、教師として教えることはできなかった。

 魔術の付与とはまた異なると聞いてはいたので……


「聖教会の神官に教えてもらったか、独学かな?」

「エト様に教わったそうです」

「ああ、エトか。エトは魔術師だけど、自分が出来ることはきっちり学ぶ方だからね」


 レナルドなら独学でも出来そうだと思っていたら、神官になれる素質を持つエトに習ったらしい。

 聖王の祝福を受けるレナルドの加護となれば、聖遺物まではいかずとも魔族には大層な効力を誇るだろう。


「シェノンさんも使いますか」


 予備が何本かあると、キースが近くにいる誰かを呼び寄せようとしたため、「私はいい」とシェノンは首を横に振る。


「……そういえば先ほど最初の一体が空中でいきなり『崩れて』墜落したのですが」

「私がやったやつかな」

「竜は魔術耐性が強いと聞きましたが」


 キースが珍しく、驚きを露にシェノンを見た。


「だから竜に直接魔術を仕掛けているっていうより、周りの空間をいじってる」

「空間に干渉する魔術ですか……それは簡単に真似できませんね」


 空間を竜の体ごとばらばらにする。

 元より触れられる物体ではなく、空間という概念に働きかける魔術は難解だが、竜相手に使用するには特に技術と魔力が必要なので、効果は高いが効率は悪い。

 間違えば、意識しない場の空間で事象が起こる。すぐ近くか、遠くの地でかは分からない。そのとき一般の民が巻き込まれてもおかしくない、制御できなければ危険な方法でもある。


「魔力の燃費が悪いから、ここからは処理が間に合わなさそうになった竜にだけ使う。あとは『これ』でやる」


 シェノンは魔力を圧縮した槍を作り出し、次々と魔術を付与する。

 出来上がった魔術の槍は、地に切っ先が触れただけで、ばちばちと石と空気と異音を響かせ、石を抉り取った。


「本当に、レナルドの師匠だけある」


 キースが驚きを通り越して、苦笑の雰囲気を滲ませ言った。

 自分以外の何かから評価されたのは、これまで魔王の祝福によってのみだったが、キースのその評価は不思議と不快には感じなかった。

 それどころか、ふっと口元に笑みさえ浮かびかけた。


「それはどうも」


 そのとき、観測の魔術師が竜までの距離を知らせる声が聞こえた。

 魔術具の大量生産型魔術弾では竜を多少妨害はできても、仕留めることはできない。


「竜討伐部隊、出撃用意!」


 キースが声を張り上げる。

 その声に、キースを含め横に等間隔に並んで立っていた魔術師が、手首の魔術具を操作した。途端に浮いたところを見るに、魔術具で飛び竜の元まで行くつもりらしい。攻撃以外の魔力消費を極力抑える計画か。

 これから竜に突撃する魔術師たちの顔には、緊張と恐れが表れていた。

 問題ない。竜が横を通り抜けようと、彼らは確実に目の前の敵を狩ればいい。漏れたのは自分がやる。レナルドやエトにも言ってきた。その責任は取る。


 直接声はかけず、シェノンは黙って首都の外壁から一歩踏み出し、宙を踏み締める。

 腕輪の設定範囲は、きちんと変えられているようだ。

 念のための確認を終え、シェノンは体に強化魔術を使用し、風のように前に飛び出した。

 首都の外壁から離れた前方で、シェノンたちは戦い始めた。

 騎士団は三人一組で竜を撹乱し、仕留めるのに対し、シェノンは一人で竜を屠っていく。

 宙が平らな地であるかのように駆け、跳躍し、あっという間に竜の眼前まで迫り、まず目を潰す。

 そして翼を貫き穴だらけにし、竜の振り回す爪を避け、何度かかけて心臓を貫く。

 お手本のような綺麗な流れで、また一体地に落ちていく竜を数秒だけ見送り、壁の方への一定の距離に侵入した竜を空間ごと魔術で捻り絶命させる。


「……昔の感覚を思い出すな」


 大量の魔力消費。

 血に濡れた地。

 戦でもしなければ、こんな状態には中々ならないだろう。

 竜の血を被った腕を見下ろすシェノンに影がかかる。

 シェノンが空の方を仰ぐと、竜の牙があった。

 自らを丸ごと喰おうと迫るそれを、シェノンは槍で受け止め、上に弾き飛ばす。竜が体の制御を失っている隙に、竜の上に移動し、上から高火力の魔術をいくつも降らせ、竜を地面に串刺しにしてしまう。

 離れた位置で、魔術師たちが竜に喰われかけているのを使い魔の視界で把握し、魔術を放つ。

 竜の周囲の景色が歪み、竜は空間ごと捻れ、原型を失った形で墜落していく。


 当初は十五体程度と聞いていたが、明らかに増えている。

 休む暇なく、魔術弾を遠くの竜に叩き込みながら、近くの竜を串刺しにしていく。どんどん手慣れてきて、処理の早さが増していく。

 返り血を浴びるたび、視界が鈍るどころか、感覚が研ぎ澄まされていくような。

 頭のどこかが警鐘を鳴らし始めるが、それが襲いかかってくる竜へのものか、自らの状態によるものか分からない。

 ただ、魔力を消費し、底が徐々に近づくにつれ、その感覚は強くなっていく。魔力を込めた魔術石で魔力を補充しなければならないと思う。自分の魔力を空にしてはいけないと。


「邪竜だ!」


 シェノンの足を止めさせたのは、不幸にも人間の悲鳴のごとき声だった。

 目の前の竜を倒しがてら、シェノンは右手の方を見た。


 ぞくり


 背筋に嫌な感覚が走った。

 その色を見た瞬間。その姿を見た瞬間。

 人間が人形に見えてしまうほど巨大な体は、純黒の鱗に覆われていた。空が晴れていたとしても、太陽の光さえ跳ね返さないだろう色は、人に本能的な恐怖を抱かせた。


「邪竜だ!! 行かせるな!!」

「ちょっと、待──」


 恐怖に戦きながら突撃した魔術師に対して、黒い竜は口を開いた。

 その口から、黒い揺らぎがちろりと覗いた刹那、シェノンは空間移動の魔術を使用した。


「退いて!」


 竜の前にいた魔術師を押し退けるとほぼ同時、目の前の口から黒い炎が吹き出した。

 腕を舐めた炎にシェノンは痛みを感じ、顔をしかめた。


「う、あああああ!」


 傍らから苦痛と動揺の声があがった先では、焼け尽くされずには済んだが、炎が触れたらしい。魔術師の腕が燃えていた。


「何だこの火、火が消えない……! 腕が、腐っていく……!」

「落ち着いて」


 シェノンは自らを燃やす火を消しがてら、魔術師の黒い炎を引き取る。

 しかし炎がなくなった部分は腐ったような焼け跡になっており、その範囲がじわじわと広がっている。まずい。


「神官の力での治療がいる。エトかレナルドのところへ連れていって」


 組んでいた他の魔術師二人に有無を言わせない口調で言うと、二人は青ざめた顔で、炎の餌食になった魔術師を連れて下がっていった。

 それを見送るシェノンの背後で、この短時間の間に簡易的にではあるが張っていた魔術の防壁が割れる音がした。

 振り向くと、案の定邪竜がいる。

 邪竜はシェノンに目を留めると、すっと目を歪める。


「忘れもしないその軟弱な見目──まさか、忌々しい人間と再び相まみえようとはな」

「……こっちの台詞なんだけど」


 直後シェノンが魔術で生み出した真っ赤な炎に、邪竜が黒い炎をぶつける。

 すかさずシェノンは魔術の槍を生成し降らせたが、他の竜を貫けるほどの槍は粉々にされ、炎も黒い炎に溶かされる。


「炎は温い、刃はなまくら。我が同胞がこれにやられたとは嘆かわしいことだな」

「本当にね。死にたくて来たとしか思えないくらい」


 ちょうどのタイミングで、ずん、と近くの地が揺れ、すぐ近くに竜が一体落下してきた。その体には何本もの魔術の槍が刺さっていた。

 シェノンが使い魔越しに周囲を見て、相手をしていた竜だ。

 魔術の気配が目の前にいる人間のものと察知してか、漆黒の竜の尾が振られ、尾は地に亀裂を入れ、周囲の地面を比ではないほどに揺らす。


「貴様!!」


 竜の咆哮は人間を怯ませ、体の制御を奪う魔術を生まれながらに帯びている。

 魔族の大半がそうだ。魔術を使うのではなく、生まれながらに魔術を帯びて生まれてくる。

 咆哮すれば、炎を吐き出せば、勝手に魔術の効果が発動される。使用する魔術が限られるが、呼吸するように力を使える。

 そして、最も多くの魔術を身体中の部位に宿して生まれてくるのが竜だ。

 濃い魔術の気配を纏う竜の咆哮に対し、シェノンは顔色一つ変えない。


「貴様が我が前に立つことこそ、死にたいからだろうな! 貴様のような『裏切り者』、再び会って生かしておこうはずもない!」


 大声で喚くものだ。巨体を持つ竜の声は、単純に喋るだけで音量が大きいというのに。

 砲撃と、他の竜の咆哮、魔術師たちが張り上げる声。そしてこの混乱。

 音に紛れるか、そうでなくとも聞く余裕など誰も持たないだろうが、まあ聞かれたところでどうということはない。

 裏切り者と大声で周りに知らされようが、魔王の祝福を受けた魔術師が、聖王の国にいるのだ。そういう意味だけで取るだろう。

 だから、今のところは聞かれても問題はない。

 シェノンは邪竜の言葉に、口の端に酷薄な笑みを浮かべる。


「裏切り者も何も、私は魔族じゃない。『ずっと』そう。人間を同胞と思っていたとでも?」


 竜が震えた。目に籠る殺気と怒りがより雰囲気を濃くしたことを思えば、それらを抑えきれなかったことゆえの震えだろう。


「少なくとも貴様は『陛下』のお気に入りだった。あの方に目をかけられ、魔術の教えを受け、あの方と同じ力を操り、祝福を得たくせに……!」


 これは良くない。雲行きの怪しいことを竜が口走り始めて、シェノンは内容と状況から笑みを消し、眉を寄せる。


「貴様と並び戦場に立ったこともある。陛下と共にもだ。それなのに貴様は変わった、裏切った、陛下に受けた恩を返さず、逃げようとした。何度殺せばいいと陛下を説得し、いっそ我が殺してやりたいと思ったことか」


 吠えない代わりに、この上なく低く、唸るように竜は言う。

 瞳孔の細い大きな目は、目の前の小さな人間一人を睨む。


「死体となった貴様を、あの方が復活した暁には御前に差し出してやる。蘇った裏切り者は、またあなたを裏切る前に殺しておきましたとな。二度とその姿を晒さぬようにあの方に──いや、もう一度貴様が『あの方の一部になる』などそれも腹立たしい」


 竜が口走った最後の言葉に、体の奥底から、または記憶から沸き上がってきた感情を一体どう表現するべきか。

 驚き? 怒り? 嫌悪? 憎悪? 屈辱? ──恐怖?

 少なくとも、今シェノンの体を動かしたのは怒りと嫌悪だった。

 殺意に満ちた魔力を発する中、シェノンは無表情だった。


「出来ないことは口にしない方がいい」


 しかし一転、シェノンはほんのわずかに笑う。限りなく人のような見た目をした魔族が浮かべるような、冷たく、嘲るような笑みだった。


「おまえは、私より弱いんだから」


 周囲の喧騒の中、シェノンと邪竜ヴィヴニールの間に確かに沈黙が落ちた。

 時が止まったかのごとき時間のあと、ゴオと突風が吹き荒れた音がした。

 その正体は竜が息を吸った音で、次の瞬間にはとてつもなく大きな咆哮と吐き出す息だけで嵐が起こると推測できた。

 だからその前に、シェノンはナイフの形をした魔術具を瞬間移動させ、邪竜の周囲を取り囲む。エトから連絡を受けてから、魔術城の研究室から取り寄せていたものだ。


「『発動』」


 シェノンの言葉を引き金に、魔術具は効果を発揮し、邪竜を四角の半透明な結界の中に閉じ込めた。

 邪竜が生む風の流れが止み、結界の向こう側で竜は吠えたに違いない。しかし音はこちらに一音足りとも聞こえなかった。

 あれはまず邪竜程度には出られない。

 邪竜もまた、この国の多くの者のように誤解をしている。シェノンが魔族を簡単に退けるのは、魔王の祝福の力ではない。

 ただの、魔術師としての力量だ。


 ──シェノン・ウォレスを魔王の祝福と切り離して見られる者は、聖王の国にも魔王の国にも少ない。

 それは危険などという魔族扱いにおいてもだが、魔術師としての実力についてもだ。

 しかし、レナルド・レインズが普段聖王の祝福の力を使わずとも、他の魔術師を軽く吹き飛ばすように、シェノンもまた祝福がなくとも、聖王の国にただの人間として生まれていたなら純粋に天才ともてはやされただろうほどの魔術師である。

 そして、それに加えて、聖王が直接統治していない聖王の国の魔術師よりも遥かに深い魔術理解を持つ。


 シェノンは魔術結界の中に閉じ込めた竜を前に、先程まで散々他の竜を仕留めてきた魔術を構築する。

 他の魔術を干渉させない魔術を組み込み、空間の分解数を細切れに。威力は過剰なくらいでいい。

 シェノンの手には、近づくのも躊躇われる魔術が存在していた。

 シェノンは手を邪竜に向かって広げ、目に見えず、触れられないはずの『空間』に触れる。

 致命傷を与えられなければ魔術空間に放り込む賭けに出るか、封印を試みることになるが、おそらくそうはならない。

 竜の戦い方を知っている。竜の性質を知っている。あの邪竜をどれほどの力でねじ伏せればいいのかを知っている。


「二度と目の前に現れないで、ヴィヴニール」


 シェノンが何かを掴む動作をすると、竜の周囲の空間が歪む。

 ぐにゃり、と周りの木々や曇り空までもが竜ごと歪む。そのままシェノンは、一気に他の竜と同じように捻ってしまおうと魔術を一気に解放する。


 そして竜は漆黒の鱗をばらばらと落とし、血を落とし、見るも無惨な姿に────なるはずだった。


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