7 「お前のような者がどうして聖騎士団にいる」




 魔術による眠りから目覚めて数日、シェノンは今日も今日とてレナルドの仕事について来ていた。

 騎士団の外の訓練場の一つの隅っこで、シェノンは小さな箱型の魔術具を専用の道具でいじっていた。


「シェノン、──シェノン」


 頭に負荷がかかり、手元を見下ろしているシェノンの頭ががくんとさらに下に落ちた。

 頭のてっぺんにかかる重みに、集中していたシェノンの意識が外に向く。

 剣がぶつかる金属音と、盾にぶつかる重い音が遠くから微かに聞こえ、うめき声や土に擦れる音が耳に入ってくる。

 空の方を見上げた視界には、レナルドが映った。


「そんなものいじってるなら、相手しろよ」

「そんなものってこれは防護魔術を張る簡易魔術具の強化版で、今討伐任務やらを受けられない私ができる仕事。訓練なら騎士団内でして」

「終わった」


 レナルドは騎士団内の魔術師相手に手合わせを始めていたはずで──レナルドの背後を見たシェノンは紫の目を丸くする。

 広い訓練場の中央には、魔術師騎士団の団員が二十人ほど倒れていた。

 レナルドが相手にしていたのは、いずれも魔術師高位の徽章をつけていた魔術師たちだ。遠くの方でその他の団員が訓練している。

 人によって色の違う徽章は、魔術師であることとは別に、魔術師の中での地位を示している。

 白金が最高、そこから順に金、銀、銅、青、緑。上に行くほど少数となる。

 今レナルドの背後に転がっているのは金か銀の徽章持ちだ。

 高位が与えられる基準は騎士団職、研究職などでそれぞれ異なるが、騎士団で最も重要視されるのは魔術での戦闘能力だと聞く。


「……協調性皆無で集団行動が出来ないと思われてたあなたが騎士団所属なんて学院生活が役に立ったんだなぁって思ってたけど、そうでもないよね」


 容赦がなさすぎる。騎士団の治療魔術師が走って治療に当たっている様子とレナルドを交互に見て、シェノンはぼやく。


「確かに周りに合わせなければならない時期は怠かったな。今は従える側で、戦うとしても単独行動だから周りに合わせる必要なんてない。俺が強ければ強いほどいい」


 レナルドはけろりとしている。

 言っていることは事実だ。おまけに、息も絶え絶えな団員が、起き上がれないままレナルドに「手合わせありがとうございました」などと満足そうに言っているので、彼らにとってレナルドが強ければこの国は安心だと感じるのかもしれないと思う。


「相手になる奴いないから、シェノン相手しろよ」


 レナルドがそう言った瞬間、治療を受ける魔術師たちの視線がシェノンに集まった。

 戸惑い、疑い、好奇、そんなものだ。

 レナルドが騎士団長をしているこの第一騎士団は、シェノンに対して魔王の祝福を受けた者への嫌悪より、好奇や様子見が強く、その中に戸惑いと疑うような感情が混ざっている。

 副団長曰く、レナルドは基本無表情なのに、シェノンを連れてきたここ数日はよく笑うものだから、レナルドを信用している団員はシェノンをどう見れば分からないのだろう、だそうだ。

 魔王の祝福を受ける者と聞けば、誰でも警戒し、嫌悪する。だと言うのに信頼する団長であり、聖王の祝福を受けるレナルドが屈託なく接するのでは戸惑うのも無理はないのかもしれない。

 魔王復活の予兆が出ている今、家族知人に被害が出ている者がいてもおかしくない。そういう者はシェノンを敵視するのが当然だろうに、振り回されて気の毒だ。

 仕方ないと思っても本当は恨まれるいわれはないと思っているシェノンとしては、他人事だが。


「馬鹿言わないで。あなたの相手をするのに最適な相手は騎士団以外にはいないでしょ」


 自分がつけている魔術師最下位の印である緑の徽章を軽く示し、シェノンはレナルドをあしらう。

 途端に不満そうな顔をするレナルドの襟には、もちろん白金色の太陽と鷲の徽章が光っている。

 こんなに不満げにしたり、笑ったり分かりやすいのに、魔術師になって以来無表情だったとは嘘だろうとシェノンは言いたかった。


「俺の教師をしている間、実戦形式で相手していた奴が今さら何を言ってる?」

「今は違う。それに相手をしてたのも八年前までの話。あなたも成長したし、私はろくに復帰させてもらえなくて腕も鈍ったままだし」


 勝てるイメージが湧かない。そもそも起きてからろくに魔術も使っていないので全ての感覚が鈍っている。


「別に、今のシェノンが弱いなら弱いでいい」

「……なんて?」


 敵わないと自分から全面に出しておいて、その言い方に引っかかるところがあった。

 魔術具いじりに戻りかけていたシェノンは思わず、再度レナルドを見上げる。


「ただ、確かめたい。俺が、シェノンより強いのか」


 レナルドは、そう言った。

 それはただの自己満足か、何なのか。


「団長」


 レナルドとシェノンの間に、珍しくレナルドの右腕、副団長が口を挟んだ。

 レナルドと同じ年の副団長は、口を挟まれて眉間にしわを刻んだレナルドに、「聖教会の使者が来ます」と言った。

 瞬間、レナルドの眉間のしわが深くなり、舌打ちする。


「あいつら、相変わらず王宮を勝手に行動しやがる」


 青い瞳が、ちらとシェノンを見た。


「俺が迎えに行くまで、ここに近づくな」


 レナルドの手がシェノンに触れ、魔術式が一瞬で展開され、ほぼ同時に発動される。

 並みの魔術師であれば、魔術式の展開から発動までしばらく時間があるが、さすがの腕前で、魔術式の概要を読み取ったシェノンが「どこに移動させるつもり?」と問う時間はなかった。


 そうしてシェノンが一度瞬きしたときには、ぽつんと一人で立っていた。

 第一騎士団の訓練場の広い景色はない。どこかの建物の中の廊下にいる。

 空間移動。エトも使っていた魔術だが、エトは自分の執務室にあらかじめ移動地点として前もって仕込みをしている。

 レナルドの執務室でもなんでもないこの場所は、仕込みがしてある気配はなく、全くの仕込みなしにあの場で魔術式を構築し発動させたと考えると、感心するしかない。


「聖教会の使者って言ってた……」


 三階くらいの廊下から見た下に、ちょうど真っ白な装束を着た者数人を見かける。聖教会の神官だ。

 シェノンはレナルドの厳しい表情を思い出す。

 聖教会とは聖王を祀り、国内で独特の権限を持つ一つの機関だ。

 聖教会に所属する『神官』と呼ばれる存在は、魔王の影響と言われる、人間に害を及ぼす瘴気を相殺する聖力を少なからず持っている。魔術とはまた異なる力だ。

 聖王の祝福の欠片と呼ばれる力で、正真正銘聖王の祝福を受けるレナルドは、神官の上位互換の力を持つ。

 そのため、レナルドは生まれたときから聖教会から神の子と呼ばれ、聖教会に所属すべきと言われてきた。


 人間たちの神、聖王。

 王とは言えど国を統治する王ではなく、そもそも人間ではない。

 聖王の祝福を受ける者は数百年に一人生まれるかどうかで、レナルドが生まれたときから聖教会からの使者の訪れが絶えなかったらしいと、ベルフェから聞いたことがある。

 いくら公爵家と言えど、神職は特別身分なので、無下には追い払えなかったと言っていた。

 しかし残念なことに、聖教会のそれらの態度はレナルドには不快だったようで、レナルドは聖教会が嫌いになった。国の重要な祭祀の行事さえ、彼らと会うのが嫌で拒否していたくらいで、未だにその印象は払拭されていないらしい。


「単純に私には機密の話か、聞かせたくない話か、もしくは私が聖教会に嫌われてることを理解していて、かな」


 最後の選択肢は、以前なら考えもしなかったことだ。だが、現在のレナルドはシェノンに向けられる負の感情に嫌に敏感だ。

 聖教会は、シェノンが家庭教師をしていることを聞きつけてきたときでさえ猛反対していた。魔術の知識と技量により説き伏せられていたが、それ以上はさすがにどうなるか。

 聖教会は悪い機関ではない。この国の民にとっては心強い存在でさえある。レナルドへの盲信を除けば、レナルドと聖教会は善く付き合っていくべきだ。

 ──自分とは適度な距離を保って


「どれくらいの期間ならいいんだろう」


 シェノンは手に持っていた魔術具を仕舞い、不眠生活を送るための魔術式を描き、魔術式をいじる。


「どれくらいならレナルドはあんな顔しなくなる?」


 二度と耐えられる気がしないと言った、レナルドの脆い顔が脳裏に過る。


「妥協点が見つけられれば、これは外れる?」


 遠ざかっていく聖教会の神官を視界の端に、シェノンは手首の腕輪を見つめる。


「好きだ、とか言ってるのは…………これをつけられていたら、嫌いになるかもしれないって言ったら外してくれるものかな」


 こんなに窮屈なのは久しぶりだ。国と契約している身であるが、行動の制限は困るものではないし、行動範囲は制限されていない。拘束具の類もつけられてはいなかった。

 しかしレナルドにつけられた腕輪は、重く、役割はシェノンを縛るものだ。

 本当は昔を思い出すこの腕輪も大嫌いな部類に入るはずなのに、シェノンが仕方がないと待てているのは不思議なことだ。


「…………なんでここまで私が悩む必要があるの」


 ここ数日レナルドに振り回されてばかりいるが、改めて考えてみると。


「っ」


 突如、体にもろに衝撃を受け、シェノンは軽く吹き飛ばされた。


「いった……」


 随分久しぶりの痛さに顔をしかめながら身を起こすと、血が頭から垂れた。

 魔術攻撃だ。敵襲? でも首都の王の居城の近くで? 様々な疑問が浮かんだが、前方に見た姿にシェノンの頭が冷える。


「『魔王の祝福』を受けたならず者じゃないか。魔族が首都に入り込んだかと思って撃ってしまった」


 どうやら、どこかも分からなかったこの建物は騎士団に属する建物だったらしい。

 騎士団の制服を着た男二人が近づいてくる。

 レナルドの騎士団所属ではない。魔術師の階級を表す徽章の色は白金だ。

 これだから騎士団には近づかないのだ。


「お前のような者がどうして聖騎士団にいる」


 剣呑な光を宿す鋭い目が、シェノンを見下ろす。まるで、魔王の眷族を見るかのような敵意あふれる目だ。


「……道に迷いまして」

「レインズ騎士団長が最近連れているようだからな。魔王の祝福を受けるならず者を犬にするのは大層お似合いだが、犬のしつけはしてもらわなければ」


 男の目が、シェノンの手首についた腕輪を捉える。

 どうやら厄介な誤解生んでいるらしい。


「どれ、代わりに躾をしてやろう」

「必要ありませんから、遠慮します」


 犬だの躾だの失礼だ。しかし腹を立てる意義も見いだせないので、シェノンはやんわりと流しにかかる。

 ただの噂であれば聞き流せばいいだけだが、時々こうして直接絡みに来る者がいるので面倒くさい。

 口の中が切れているのか血の味がする。嫌いな味に顔をしかめたいのをこらえて、さっさとこの場を離れたいと思う。


「──この状況を招いている呪われた存在が、のうのうと生きていられると思うなよ」


 男の形相が変わる。眉一つ動かさないシェノンに、男はますます腹を立てる。


「家族が魔物に殺された者、瘴気で故郷が住めなくなった者、呪いに家族が侵された者もいる。これまで我慢してきたが、魔王復活だと……?」


 今、魔王復活が囁かれる事態だとエトが言っていた。

 死人も出ているだろうし、魔国から発生する瘴気は吸うだけで悪影響を及ぼし、最悪死ぬ。放っておけば、土地に人が住めなくなりもする。

 だから今回八年ぶりに起きてから、魔術師たちの目はシェノンにより鋭く突き刺さる。


「上層部はお前が魔族討伐に役に立つと言うが、最下位の魔術師がどうして高位の討伐対象相手に無傷で帰って来れる? 魔王の祝福の力を使っているからだろう。そんな災いの力、いつ首都に影響を及ぼすか分からないと恐怖する者もいるというのに」


 男の手が、むんずとシェノンの胸倉をつかみ、無理やりどこかに連れて行きはじめる。


「……どこに連れて行くつもりですか?」

「魔族を相手に想定した模擬戦を我々第二騎士団としてもらう。いい訓練になる。少々やりすぎる者がいるかもしれないが、いい気晴らしになる」


 もはやシェノンを見ない目は、ぎらぎらと異様だ。

 第二騎士団所属の魔術師だったか。近くでよく見ると、制服のデザインがレナルドと全く同じで、騎士団長のものだ。

 この騎士団長が率いる騎士団相手に模擬戦とは、無抵抗でいれば殺されてもおかしくない。

 けれど、噂と多少のちょっかいは流しても、血の味は不快だし、痛いのは嫌いだ。一方的に嬲られる趣味もない。


「『模擬戦ですね、第二騎士団長』」

「そうだ」


 模擬戦と称して、明らかに鬱憤を晴らそうとしている騎士団長は、血走った眼で即座に肯定した。

 ──一歩的に痛めつけたいのなら、その選択が誤りだとは知らず

 シェノンは大人しく第二騎士団の訓練場まで引きずられていった。


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