Infinity Future

タイプライター2023

第1話 敗走 − リタイア −

 俺、朝比奈美桜は人を拾った。

そいつは、虫に食われた様に所々の肉がなかった。


 肉がないから骨が見える。

 穴の空いた胸から肋骨が見える。

 そして、肋骨からは心臓が見える。


 これだけボロボロな体なのに、グロテスクという言葉は一切、感じさせなかった。


 それは、雨のゴミ捨て場で輝くガラクタ。

欠けた体は血など流れることなく、真っ白な骨だけがその体を繋げていた。


 骨だけでは人は生きれないのに、その男は確実に生きている。その証拠にガラス細工の心臓が弱々しく光輝く。それは、信号機みたいに青くチカチカ光って、機械を思わせる。

 でも、地球のように丸い透明な器の中に青い血がゆらゆら揺れる様は


(神秘的だ……)


 機械的で神秘的。その男は、矛盾していた。






 透明な心臓は動きはしないが、光り続ける。俺はこの消えそうな生体信号を信じ、生きていると思った。


 衣服も着用していた様だ。上半身のシャツはビリビリの破片だけが水に濡れて、肌にくっついている。ズボンはダメージジーンズにしては派手すぎる損傷具合。


 体の方は傷だらけ。生きているのが不思議なぐらいで、もはや、人間なのか?と疑うぐらいだが、


四肢はある。顔もある。心臓もある。


 俺は人間だということを信じて疑わずに、いつも通りに 人助け をしようとした。


 顔は"無傷”だ。

雨にさらされて、熱を帯びて顔が赤くなっていく頰。


(このままじゃ、風邪ひくよな……)


 今更、常識を思い出した俺。

起きることもなさそうだし、一旦、家に連れ帰ることにした。


「よいしょっと」


 本当はおぶってやりたかったけど、相手の意識がないから難しい。

だから、お姫様抱っこというのをしてみた。


「なんかこうすると、ヒーローみたいでかっこいいな……!


余計なお世話かもしれないけど、風邪ひくよりはマシだろ。」


 自分に言い聞かせるようにつぶやいた。俺は人助けをしてるんだって。女の俺でも、軽々と持ち上げられる体。俺もそんな軽い気持ちで人助けをした。


以上。8月下旬。天気・雨。朝のゴミ捨て場にて。


 これが、俺たちの出会いだった。





 家に連れ帰って、数時間後。

暖かい布団と濡れたタオルを額に置いて応急処置。


 眠っている間に着替えと一緒に身元確認。

申し訳ないが、連絡の一個でもとらせてくれよ…


 ズボンとゴミ捨て場周辺を漁り、持ち物を調べてみた。


・自動車の鍵

・ミュージックプレイヤー

・に繋がっているヘッドフォン


見つけたのは、この3つだ。


(財布、どっかで落とした……?)


参った。まるで身元を確認できるものがない。


 視界の奥で寝ている男を見る。

上下する胸。ほんのり赤い顔。穏やかな寝息。


(起きたら、聞けばいいか……)


 体が布団に覆われているせいか、怪我さえ目をつぶれば、どこにでもいそうな青年に見える。すぐに起きるだろう……。そんな気がした。





 ところで、雨に濡れていたミュージックプレイヤーは大丈夫か?

 所持品は皆、電子機器。鍵は確かめようがないが、ミュージックプレイヤーとヘッドフォンはすぐに確かめられる。男はまだ起きなさそうだし、電源ボタンを押してみる。


起動チェック開始…


▶1,sister

 2,■■■■■■


 よしっ!プレイリストは問題なく表示された。これは、アーティストの名前か……?

 起動チェックが終われば、次は動作確認をしなければならない。

『sister』を選択。


▶死してなおあなたを思う


 入っていたのは3分弱のラブソング。正直、ラブソングは趣味じゃないけど……まあ聞こえればいいと思って


 ▶ ピッ


再生ボタンを押した。


 ❙ ❙ 0:01/3:24


ザザザザッ……


 ヘッドフォンに水が入ったのか?ノイズで全然聞き取れない。タオルで水気を取り、再び端子をミュージックプレイヤーに指し込む。


再起動。


 耳につけたヘッドフォンからはまだ異音がする。

 雑音だけが鼓膜に触れて、耳障りだ。だめだな。ヘッドフォンは雨にやられてしまったらしい。


 ブチッ


 端子の抜ける音が耳に障る。

端子は抜けた。抜けたはずなのだが……


『ザザザザッ……』


 俺の耳を覆うヘッドフォンはまだ鳴り続けている。

ワイヤレスでもないくせに、何かを受信している。


 ホラーだ!!

 あまりの機械の奇怪な現象にヘッドフォンを投げたくなった。

 しかし、これは人のもの。最後の良心で、ヘッドフォンを投げる手はあたふたと空を切っていた。

 つまるところ、怪奇現象にびびりまくり、俺はパニックになっていたのだ。


 しかし、怪奇現象は止まることを知らない。

ノイズだらけの世界に途切れ途切れに声が挟まる。


『鏡……鏡を見て……』


 そのセリフ、ホラー物の定番。幼子の声だから、余計に怖さに拍車がかかる。

 鏡を見たら、背中に髪の長い女が...とかいうんだろう。そんなこと言われたら、むしろ鏡など見る気が失せる!!


 目を閉じると、暗闇が広がるので余計に怖い。

 そもそも、今は昼間だ。怪奇現象など...起きるわけがない。


 ほら、見てみろ。

よーく見れば、ヘッドフォンの端子は“繋がりっぱなし”じゃないか。これはただの音楽。


「え?これ、どういうジャンル?」


 死してなおあなたを思う。

ラブソングのタイトルとしては聞こえはいいが……

ホラーなタイトルとして受け取ると……


「うわあぁぁぁぁぁぁ!!」


 ついに最後の良心すら、どこかへ飛んだ。

宙を舞うヘッドフォンはきれいな弧を描く。

ブチッと勢いよく外れたミュージックプレイヤーは地面を滑る。

嵐のような騒がしさ。しかし、男は起きることなく。


シーン……とした静けさがその場を支配していた。


『♪~』


 静寂を破ったのは、ミュージックプレイヤーの音。


 ❙ ❙ 2:01/3:24


 その曲はオルゴールが奏でていた。聞き覚えのない曲でも、オルゴールがアレンジするとなんだか懐かしいような感覚になる。いつもなら、和むのだろう。


 今はかえって不気味だから、逆効果だけど!!

ミュージックプレイヤーは無事なのはわかった。もう動作確認をする必要はない!

 急いで停止ボタンを押そうと床に転がったプレイヤーに手を伸ばす。


 ■ 2:22/3:24 ピッ


 ハッ……!!

音楽が途切れると同時に息が切れる音がはっきりと聞こえた。


「うわっ!」


 ムクリと起きる上半身。男が起きたんだ。

不気味さが支配していた部屋に変革が訪れる...


「…………」


 ことはなかった。

 男は目を見開いて、自分の手を 足を 体を その瞳で追っていく。驚くのも無理はない。

 生きているのも信じられないその体。こんな人間、誰も見たことがないだろう。


「お、おれ……」


 男の顔に汗がにじむ。ゆっくりとこちらの方に視線を移される。


俺に話が振られる。そう構えたが


「おれは、だれだ?」


その質問には俺も答えを出すことができない。


「ここはどこだ?」「なんでこんなからだになってる?」「おれになにがおきた?」


 口を滑らせた不安は止まることを知らない。

だが、俺もどの質問も答えを持ち合わせていない。


 まずい。俺がしようとした人助けは俺の手に負える範疇じゃなかった。

もっと俺よりも大人の人間に任せるべきだったかもしれない。


でも、投げ出す訳にはいかない。


「一回、深呼吸しないか?」


 焦るあまりに過呼吸気味だ。俺はこれから、もっと深刻な問題を叩きつけるんだ。

準備をしてくれ 背中は支えてやるから


すって はいて 吸って___吐いて___


「落ち着いたか?」


コクリと頷く男。


「そうかそうか……そりゃよかった。

喉は渇いてないか?コーヒーがあるんだ。


苦いコーヒーは頭も冴える。一口だけでも飲んで頭ん中、よーく整理しろよ」


 コンビニで買った缶コーヒーを渡す。本来はキャンペーンか何かで甘いコーヒーを買ったついでに苦いコーヒーがついてきた、おまけの品。

俺は甘いのしか飲めないので、押しつけたとも言う。


 カシュッ カシュッ


 プルタブを開ける音が俺の頭を日常に戻していく。

 男は素直に缶コーヒーを口に流し込んだ。その顔には不快感などまるでない。俺よりも大人だった。


「えー、さっきの質問なんだが

俺たち、実は初対面でさ……俺、おまえのこと知らないんだよね」


 男のコーヒーを口に運ぶ動きが止まる。下を向いているせいで表情は見えないが、ショックなのは間違いない。

やっぱり、言うべきじゃなかったか……?いや、俺は嘘をつくのが下手くそなんだ。


 俺も自分を落ち着かせるように缶コーヒーを口に運ぶ。


「うっ……苦ッ!

安心してくれ。名前も何も覚えてないってことは、記憶喪失ってことだ。

それは病気だから治る。多分。病院にはちょっとその体じゃ驚かれるからやめておくけど……それまで、俺が面倒を見るよ。」


 その顔があがる。その目をやめてくれ 視線が痛い。

頼りないのはわかる。俺も軽い気持ちでお前を助けたこと、申し訳ないと思ってる。


 でも、そんな不安そうな奴の顔を見ると放っておけないんだ。


「フッ……フフッ」


「えっ、ええ……?」


 笑われたんだけど俺。記憶喪失の人間に笑われる俺って、一体……?


「フフッ……申し訳ない。

あまりに変な顔をしながら、話すもんだから


話は理解したんだが、険しい顔で言われると面白くて……」


「変な顔……

待て。これはコーヒーが苦くて、険しい顔をしていたんだ。」


「珈琲が苦い?

オレがいただいたものは、そんな険しい顔をするような代物ではなかったよ。」


「うん?そのコーヒー、色がちょっと白かったりしないか?」


「ああ。確かに」


 間違えた。

 かっこつけておいて、渡す缶コーヒーを間違えてる。

押しつけるという行為が間違いだったのかもしれない。これは、天罰だったか……


「ハハハッ!ありがとう。確かに頭が冴えた。


いきなり、愚痴ですまないが

記憶喪失っていうのは、とてつもなく気分が悪い。

情報量が少ないあまりに、気持ち悪さで頭が痛くなるんだ。」


 グビッと缶コーヒーを飲みきって、清々しい顔を見せる男。どうやら不安は拭えたらしい。さっきの笑いをこらえていた声とは違い、今度は声を上げて笑った。


「珈琲、ごちそうさま。珈琲の甘さと君の面白さ……どちらも美味しかった。


 せっかくだ、俺が初めて覚えたこの記憶。

今、頭に刻んだこの情報に名前をつけたい。


 名前を教えてくれないか?」


 男はさっきの不安など嘘みたいに笑う。記憶喪失の前世は詩人だったのか。口が回る回る。


「あっ、ああ!俺の名前か!

俺の名前はあさひな みざくら。どうせ俺ん家で保護されるし、下の名前でいいよ。」


「みざくら……!朝比奈美桜!

改めて、美桜。


 オレを助けてくれてありがとう   

                」


 ありがとうだなんて、おおげさだ


俺はまだ救ってすらいないのに。

でも、一番言われたかった言葉だ。



 これが初日の話。

 その後、ちゃんと許可も出て、男は居候となった。

朝比奈家は母と父と弟と俺の4人家族。むしろ、男手はいればいるほど嬉しいと母は好印象だ。


 まず、決めようとしたのは、名前。

いつまでも『男』と呼ぶのは俺とて、きつい。


「美桜。オレ、名前を思い出したんだ。」


「思い出すの早いな。」


白紙に書かれた名は『Z』。ローマ字のZだ。


「Z?お前、ゼットって言うのか?」


「そうらしいんだが、オレも朝比奈家に居候する身として、画数の多い文字がいい。

これ一文字ではとても名簿表には載せづらい。オレも漢字で表記されたい。」


「え~、俺は好みだけど。

一文字に読み仮名が集まる感じ……!めちゃめちゃかっこいいと思うぞ」


「まあまあ、確かに『Z』、一文字じゃ名簿表に登録しづらいのは確か。

ここは公平に一番センスのいい当て字を考えた人が優勝選手権を開催します!!」


 個人的にカタカナで横文字感あふれる感じがいいと思うのにな……

 俺のカタカナ意見はスルーされ、こうして、母主催の『Z』の当て字選手権が行われた。


__________結果。


「優勝名は『絶刀』!優勝された『Z』さん、おめでとうございます!

名前の意味も、裏にぎっしり書かれてます!どれどれ...


まっすぐな軌道を描かなければ、刀は斬れないイメージがある。

俺はどんな物でも断てる刀のように、まっすぐな信念を持ち続けたい。


そんな意味合いを込めました。


キャー!!かっこいい!

優勝された『Z』……いや、絶刀さん。

今のお気持ちをどうぞ!」


「優勝できて、とても嬉しいです。

『Z』。誰がつけた名かわかりませんが、名付け親に恥じない当て字になったと思います。

こんなかっこいい当て字になれて、オレは光栄です!

今は、こんなにかっこいい漢字にしてくれた第二の名付け親に感謝を!」


「お前じゃい!」


 ということで、男は『絶刀』という名前になった。普通に読みはゼットで大丈夫。

 間違えて、ぜっとうと読んでも本人は喜びそうな気がするけど。



 そんなこんなで、絶刀という名を手に入れた。

 しかも、1日2日数えるぐらいには、もう家にも馴染んでいた。一番最初の不安に満ちた空っぽの頭も今では、朝比奈家の皆で情報がいっぱいだって喜んでいた。

言葉遣いは妙だが、愛嬌こそはあるみたいだ。


 でも、このまま馴染んでもらっても、それは一概に正解とは言えない。

記憶を失う前に何があったのか。

家族は? 友人は? 誰かに心配をかけているのかもしれない。


 それだけが問題だったのだが、その問題もすぐに解決しそうだ。


と、言っても記憶の戻り方は とても不思議なものだった。


 拾った翌日だったか。所持品の整理をしている時の話だ。


「お前の所持品なんだけど、これで何か思い出せるか?」


「車のキー?と音楽プレイヤーと……ヘッドフォン?」


 この3つを目にして一番に手に取ったのは、ヘッドフォン。耳にかけて、早速ミュージックプレイヤーを起動していく絶刀。


 ▶決定


 これで雑音のオンパレードからの謎ホラー台詞がうっすら聞こえた後、オルゴールが流れるという、とんでもない曲が流れるはず……!


 目をつぶって、ヘッドフォンに手を当てる。その姿は真剣に曲に集中している証拠だ。


俺にはまるでわからない感性だった。


「どっ、どうだ?何か聞こえるか?」


「確かに、何か聞こえる」


「鏡がうんたらかんたら言ってないか?」


「鏡?」


 聴覚に集中するために閉じていたまぶたを開ける絶刀。なかなかに通な聴き方をするもんだから曲に集中していたのかと思っていたが


「何の話だ?オレは、このsisterと会話してるだけだ」


「かっ……会話ァ!?」


 曲が流れてるんじゃないのか!?いつの間に、この端子接続型ヘッドフォンはワイヤレス通話機になったんだよ!


「sisterって誰だよ!?」


「このヘッドフォンにいる 昔のオレの友人 とのことだ。」


「ヘッドフォンにいる?ミュージックプレイヤーじゃなくて?」


 sisterというのは、ミュージックプレイヤーに入ってたプレイリストの名前だよな?いや、ミュージックプレイヤーの中にいるのもおかしいけども……!


 何か別のモノを再生している……?俺はミュージックプレイヤーを確認をするが、


「なあ、ミュージックプレイヤーどこに締まった?」


「さぁ?どこに置いたかな?」


「いや、ヘッドフォンから音がするってことは繋がってなきゃおかしいだろ。」


 そもそもヘッドフォンの線が背中に行くのおかしいだろ。尻ポッケに入れて忘れてるだけのパターンじゃないか……?


 そう思って、ヘッドフォンの線をたどる。


(お、あったあった)


 ヘッドフォンの接続先。それは、背中から見えた。服をちょいとめくる。


 背中も穴だらけだった。

 後ろからも心臓が見えて、数多の血管〈コード〉が所々見える背骨と一緒にまとめられている。その光景、まるで機材の裏側に刺さっている配線の様だった。そのチューブと一緒にヘッドフォンの端子が刺さっている。


「あ、やべっ。こういうデザイン、俺弱いわ。」


「何の話だ?」


「お前の背中がイケメンだってこと」


「背中で語るのが男だからな」


 まずは、この訳のわからない状況を楽しめる俺の厨二病心に感謝を。ビビってたら、逆に不安にさせていたかもしれない。


「冗談はさておき、sisterは過去のことは教えてくれないのか?」


「オレがお望みとあらば らしい」


「お前は?」


「美桜がお望みとあらば」


「お前のことだぞ。

でもまあ、俺も絶刀の過去は気になる」


「わかった。聞いてみるとしよう。」


 …………。静けさが訪れた。

 なんで会話してんのに声一つ、発されることはないのか。

ツッコみたい部分はあったが、真剣な表情でヘッドフォンに手を当てる絶刀を見て、空気を読んでやめておいた。


 …………。

 目を閉じて、仁王立ちする絶刀。息をしている音はするのに、1ミリも動かない立ち姿は、まるで彫像のよう。


「あの~できれば俺も会話に混ざりたいな~なんて……」


「…………」


 何も返答がない。少し肩を揺らしても反応なし。

 まずい雰囲気がする。前から電波系っぽいなとは思っていたが、やばい電波でも受信してるんじゃないだろうな!


「おーい!戻ってきてくれ!」


 グラリ

 きれいな立ち姿は、膝から崩れていく。


 _______近くにいて、よかった。

絶刀が倒れる前に支えることができた。

体調が悪いのか。そう聞く前に


「…………ぐぅ」


 場違いな寝息が耳に触れた。






「ごめん。寝落ちした。」


 あれから2時間後。1日の半分が過ぎた頃。やっと、そいつは目を覚ました。


 ガヤガヤと騒がしい都会のBGMに、俺たちの声は顔を近づけ、コソコソ話。


「別に気にしな……いや、気にする。

すごくびっくりした。会話するなら、人間らしく声を出してくれ。」


「申し訳ない。

なんでもヘッドセットじゃないから、音声を受け取ることはできないんだそうだ。今度から、オレの口からsisterに送信する内容を話すことにするよ。

ところで、記憶の話なんだが」


「あ、ちょっと待って」


 ピンポーン。

 騒がしい空間の中、耳に残る印象的な音。ボタンを鳴らせば、こちらに歩いてくる人間が一人。


「お待たせしました~!!ご注文、承ります!!」


 明るい女性の声。接客態度は文句なしの100点。メニュー表を広げて、注文を『はい。はい!』と快く頷く女性。


 俺たちはさっきからどこにいるか。


 家から徒歩5分。そこは家族ファミリーも、友達フレンドも、初めて会った人ナイストゥミーチューも歓迎される場所。


 ファミリーレストラン。略して、ファミレス。


 俺たちは今、絶賛ランチタイム中だ。




「ご注文、承りました。ドリンクバーはあちらになります。ごゆっくりどうぞ~」


そう言うと、店員は急いで、厨房の方に消えていく。


「彼女、忙しいな。」


「丁度、昼だしな。一番、人が来るときだから店も忙しいんだろう。まあ、ドリンクバーも並んでるみたいだ。ちょっとすいたら、俺、行ってくるよ

なにがいい?」


「じゃあ、冷たい珈琲。今度は砂糖もミルクもなしで頼む。」


 多分、缶コーヒーに影響されたな。

 俺もかっこつけたせいで、コーヒーを飲むキャラだと思われてそうな気もしなくない。俺もアイスコーヒー頼んで、シロップ多めに入れよ……


「わかった。アイスコーヒーね。

…………そういえば、記憶戻ったんだろ?前もコーヒーとか飲んでたのか?」


「珈琲ね……それを飲んでいたかはわからないが、


正直、オレの見た記憶は苦いものだったな……」


 苦い。

あまり良い記憶ではなかったんだろう。誰に似たのかわかりやすく、表情が暗くなった。


「辛いことは話したら楽になるって言うし、良かったら話、聞くぜ?

正直、気になるっていうのが勝ってるけど」


「いや~、現代とは世界の違いすぎる話でね。

このオレでもピンと来なさすぎて、自分が怖いぐらいだ。聞いても、退くなよ……?


なんてね」


 あれから口が達者になった絶刀だが、その目は余裕がないように思えた。肩にかけたヘッドフォンがカチャリと揺れる。

 俺たちの日常で不安を逃げることができても、その不安を打ち消すことはできない。

不安を打ち消すには、それと向き合わなければならない。


 過去は変わることのないもの。

『Z』と関わった人間、『Z』にしかできないこと。必ずあるはずだ。

 その空白を埋めることができなければ、『絶刀』を救うことはできない。

俺はそう考えている。


「もちろん、退く訳ない。もう俺は、お前の関係者だしどんなのが来ても最善を尽くす。それに十分、非現実〈フィクション〉みたいなのは見た。

今なら、お前の言うこと、全部信じられる自信があるね。」


 ははっ。

 それは、出会ったときのように。人が真剣に向き合っているのに、そのシリアスな雰囲気を壊す笑い。


「こりゃ、参ったね。

オレらのヒーロー様は、立派な精神を持ちすぎてて、眩しいぐらいだ。


……これ以上軽口を叩くと感謝すら伝わらないかもしれない。話はこれぐらいにして


今は素直に伝えておくよ。ぁ…………ありがとう」


 変に軽口キャラにしたせいで、素直に伝えるのが難しくなったらしい。顔が赤い。


「面白い奴……」


 ニヤニヤしてたのが、バレたか。袖で顔面の汗を拭った後、急に余裕がありますアピールなのか、手をおしぼりで拭き始めた。


「そりゃ、どうも」


 ははっ。少し乾いた笑いが今度は、俺の口からこぼれた。いつもの調子が戻ったようで、戻ってない。なんて不器用な人間だ。このぐらい人間らしいのが、丁度良い。


 だが、このままでは話が脱線したままだ。


「ま、とりあえず、話してみろよ」


「ああ、そうだった。ついつい話しすぎてしまった。」


 絶刀は、水を口に運ぶ。

顔が見えないぐらいにコップの角度は90°。いい飲みっぷりだ。ゴクゴクとドリンクのコマーシャルに似合う音を出すように、水が流し込まれる。余程、喉が渇いていたらしい。

ぷはっ。と息を吹き返す音が聞こえると


 カラリ……

 氷だけが残ったコップが静かに置かれる。周りは賑やかなファミレスの店内のはずなのに、その音はしっかり俺の耳に届いた。


「じゃ、話すとしよう。オレの過去の話とやらを」


 その声は低く、いかに本人が真剣なのかわかった。

 店内は、満員御礼。周囲は賑やかなのに、このテーブルだけは絶刀の語りが耳に残るぐらいに静かだった。


____________________


 オレの名前は『Z』。それは間違いないらしい。

ヘッドフォンの中のsisterという友人と言い、ここらへんじゃ聞かない名だ。


 では、どこで聞く名なのか。それは、


未来の地球らしい。


「未来の地球?」


 そうだ。未来の地球。

 明確に、オレがどんな場所に住んでいたか、何年後の未来なのかは特定はできないが、確実に今とは違う星になっていたのはわかる。


 このような飲食店もなかった。ここまで賑わった場所もなかった。

 そもそも、賑わえるような人がいなかったんだ。


「なっ……何が起きたって言うんだよ」


 滅亡だ。


 未来は、人間よりも遥かに強い生物が地球を支配した。


 それは人のようにバランスのとれる二足歩行ができる。顔もある。手もある。

 一見、人に近いものに見えるかもしれない。だが、そいつらはひたすらに凶暴なんだ。


 例えば地球上にいる動物...

 虎のような牙、タコのような無数の手、蝶のような美しい羽。


 それぞれ様々な形を各個体に備えている。

 それはなんのためにあるか。今、あげた例を人間サイズで使われる目的。


 それは、攻撃。

 そいつらは、自分のカラダに備わっているものを攻撃の手段として、人間に振りかざす。言うなら、そいつらは、凶暴なデザインをしているんだ。


「そんな奴ら、どっからわいたって言うんだ」


 わからない。この時代にはいない生物の名称だった。

 矛盾 ー パラドックス ー

 未来でオレたちはそう呼んでいた。


「パラドックス……!そいつらは、話も通じないのか?人間は……抵抗しないのか?」


 想像はつくが、話は通じない。顔こそ備わっているが、それは、自分の力の象徴だと見せつけるように人ではない……そのデザインの元になった動物に似ている頭部をしている。

 俺が見た奴は、クラゲの様な奴で口がないから鳴き声らしい声すらなかった。


「クラゲ?

確かに、触るとまずいイメージはあるけど……何か、陸だと生きづらそうだな」


 生きづらい?とんでもないね。そいつは水を得た魚以上に生きの良い奴だったよ。そのクラゲは、オレたちの……人間が唯一、生きれる場所で暴れたんだ。


 オレたちの家。いや、拠点と言うべきか。

そこは、太陽の光も届かない場所で360°が鋼鉄に囲まれた大きな檻の様。

常に壁に刻まれた発光マーカーの人工的な光が暗闇を照らした薄暗い場所だった。


「すっ、すごいな……想像もつかない」


 だが、すぐにその暗闇も晴れた。さっきのクラゲが天井をぶち壊したんだ。

 細くて長い触手は、その見た目には似合わない力でその鋼鉄を破壊した。


 しかも、そいつは性格が悪い。オレたちは、そのクラゲを見て、すぐに反撃しようとして……驚愕した。


 人の体に頭だけが、そのクラゲの傘を被っている。

見てわかった。寄生されたんだと。


「…………。」


 全く……デザインだけは、原作再現度が高くて困ったもんだ。

いや、一部、リメイクされていたかな。それも十分に質の悪いもので。


 全ての触手の先に機械的な銃口がつけられていたんだ。その銃口は、どんな手品か知らないが、弾の数が減ることを知らない。

 マシンガンじゃなかっただけマシなのか……触手を鞭のようにしならせることに飽きれば、その銃で丁寧にオレ達に鉛玉を一発一発、浴びせてきた。

_____それはもう、歯が立たなかった。


 オレ以外の奴ら……いや、オレもその銃でやられてしまったんだ。


「でっ…でも、ここにいるってことは、誰かしら助けてくれたんだろ?」


 ああ。その助けてくれた奴がsisterらしい。

 そっから先は、意識がなくて脳みそですら覚えてないんだが、sisterがタイムマシンを起動させて、オレを逃がしてくれたらしい。


 sisterもsisterで随分と重いもんを背負ってるもんで

聞いた話、パラドックスに殺されて、意識だけをこのヘッドフォンに移植されたらしい。


「そんなことが……確かにヘッドフォンに意識を移せるぐらい技術が進化してたら、タイムマシンぐらいあっても違和感ないか」


 多分、このギリギリ生きている体もsisterのおかげなんだろう。sisterはオレが過去に逃げた意味を考えてほしいと言っていた。


 オレなりにその意味を理解しようとしている。今はその途中だ。


____________________



 確かに想像もつかないぐらいの非現実。

 パラドックスのこと、sisterのこと


なにより、未来の地球は滅亡寸前ということも


全てがフィクションに思える。


 でも、筋は通る。

朝のゴミ捨て場、その地域の人なら必ず目にする場所で

誰にも見つからずに"突然"現れたこと。


その風穴だらけの体。


その体を動かす透明な〈スケルトンタイプ〉の心臓。


意思疎通ができるヘッドフォン。


「確かに想像はできないな……

そのタイムマシンも今、どこにあるか分からないし……


でも、嘘じゃなさそうだ。その心臓と言い、その体と言い、そのヘッドフォン?と言い……信じられる根拠はある。」


「タイムマシンか……オレもどういったものか分からないんだよな……」


 コトッ


 話に集中していた俺たちのテーブルに、コップが置かれる。


「お客様、ご注文のブラックアイスコーヒーが2つ。


そちらの方は、シロップ多めだったかな。とりあえず、5つ持ってきたよ」


それは店員ではなく、制服を着た女子学生。


「誰だ?」


 こちらに質問されてもわからない。俺の知人ではないのは確かだ。

 でも、この地域の奴だというのはわかる。その制服は、宙島高校の制服。俺がつい最近まで、通っていた高校だ。


「相席、失礼するよ。大丈夫。僕は、水だけもらえればいいよ」


 よいしょ、と俺の隣に腰をかける女。

そんなのどこだって飲めるだろ。

怪しい。一体、何が目的なんだ……?


「そう不審がらないでくれよ~!僕は、秋山美里。

宙島高校に通うただのJKさ。いや、ただのJKではなかったかな。


占い師。僕は占いを趣味としているんだ。


だから、さっきまでの話。とても興味があるな。」


「さっきまでの話って、こいつが話してた未来のことか?」


「そうそう!未来は滅亡したって奴!」


 明るいトーンで話す女。そんなトーンで話せるほど、さっきの話は明るくなかった。

 馬鹿にしてるのか。俺はそう思った。しかし、その言葉はすぐに撤回される。


「とても信じられる話じゃない。でも、僕は信じるよ。


僕は『Z』。君のことを知っているんだ。」


 !!


 これは、さすがに驚いた。

 まだ朝比奈家に保護されたばかりの『Z』の名前を当てに来やがった。これは、記憶の手がかりになるかもしれない。


 だけど、どこかそのまま情報を鵜呑みにできない。怪しい雰囲気がその女にはあった。


「オレのことを知っているのか?」


「もちろん!そりゃ、占い師を志しているのでね。


君が記憶喪失で悩んでいることも

君が透明な機械仕掛けの心臓を持っていることも


君が未来でパラドックスと戦っていたことも知っている」


「オレが、パラドックスと戦っていた……?」


『Z』がパラドックスと戦っていた。そんな情報は本人も思い出すことはなかったようで、困惑していた。


「それははつみ『_______!!!!!』


「うわっ!」


 突如、ヘッドフォンから大音量で不協和音が流れる。それは、俺らの耳にも届くほどのsisterの意思表示。


 俺は初めて、そのヘッドフォンに意思があることを確認した。


「怒られちゃったか……ネタバレが過ぎたようだ。


君だって、彼の再来を待ち望んでるんじゃないのか?


そうだろ?      。」


「え?」


 うまく聞き取れなかったが、聞き覚えのない名前であることは確かだ。


 今なんて?

 そう聞く前にぐびぐびと水を飲み、満足したように「ぷはぁー!」と声をあげると


「場を悪くさせて、申し訳ない。邪魔者は失礼するよ。

ごちそうさま。僕はこれで」


 女は席を立った。言いたいことだけ言って、こちらの質問を言わせないつもりだ。

だが、引き留める男が一人。


「ちょっと待ってくれないか」


しっかりと腕を掴む絶刀。少し力が強いのか、女は少し顔をしかめたように見えた。


「すまない。オレはこの手の話に敏感でね。本来なら、有益な情報をくれたあんたにはおつりが来るぐらいの代金だ。


だけど、もうちょっと付き合ってくれ。その話、興味がある。それは、オレの空白を埋めるパズルのピース。喉から手が出るほどオレが欲しいもんだ。


どうだ?お代と言ってはなんだが、その占い当たってるかどうか答え合わせしないか?」


 クールな口調だが、その言葉には熱があった。さっきの話と言い、自分の過去の話がよっぽど気になるみたいだ。


「はははっ!!

情熱的な誘い、ありがとう。だけど、君の保護者が怒っているみたいでね。


そうだな……ちょいと耳を貸してくれよ。」


 女は腕を掴まれていることを良い事に、絶刀を自分の方に引き寄せた。「おっとっと」と体のバランスを崩す絶刀。倒れかける体が、丁度、女の頭と位置が被さった所で止まる。

 女の口が小さく動く。あいにく、俺は読唇術も占いもできないので、何を言ったのかはわからない。でも、その内容は絶刀にとって驚くべきものだったらしい。その証拠に女を掴んでいた手が離れた。


 絶刀の手から開放された女が少し赤くなった腕を見て、嬉しそうに笑う。


「それだけかな。もっと話したいけど、僕が君に思ってることを素直に言ったら、もっと怒っちゃうからさ」


 じゃあね。

こっちに目配せをした後、女は去った。


 あの女、絶刀に気があったのか?なんだか俺を敵視していた気が……


「…………。」


 立ち尽くす絶刀。何を言われたか知らないけど、拳を握りしめて黙りこくるだけの置物になってしまった。寝落ちはしてないだけマシか。


「大丈夫か?」


 意識確認に、アイスコーヒーをピタッと手にくっつけてみる。


「!!」

 

 手に触れたアイスコーヒーの冷たさにびっくりした様子。反射的にガシッとアイスコーヒーを掴む絶刀。


 急にどうした。


 アイスコーヒーを一口で飲みきる絶刀。机に勢いよく置かれるアイスコーヒーのグラス。乱暴に袖で口元をぬぐって、格好をつけるものの「うっ」と苦みを感じた顔が隠せていない。


「苦いな珈琲」


「そりゃ、ブラックコーヒーだからな」


「だが、確かに頭は冴える。オレのやるべきことが分かる。


申し訳ないが、ランチタイムはパスだ。

オレはさっきの秋山美里を追う。


帰宅時間は……夕飯には戻ってくる。」


「あ」


 ちょっと待ってくれ!

 そう言う頃には、絶刀は自動ドアの隙間に消えていった。


(あいつ……今、俺に聞かなかったな……)


 自分のやるべきこと……

きっと自分の空白を完全に埋めるために追いかけたんだろう。


 滅亡する未来。攻撃性の高い怪物。タイムマシン……


(スケールがでけぇな……)


 そう思った数秒後、ハンバーグとランチプレートが机に置かれた。せっかく頼んだものだから、食わない訳にもいかない。


「肉がでけぇな……」


 俺も覚悟を決めないといけないらしい。




「ありがとうございました~!!」


 店員の明るい声がさっきまでの非日常を忘れさせる。自動ドアの敷居を超えて、蝉の鳴き声と車の音が耳に届く。

このバックグラウンドミュージックが俺たちの日常。


 このまま帰宅して、日常に戻るべきか

 それとも、絶刀に関わり続けるべきか


 そんな選択肢がよぎった。話を聞いて怖じけづいたのか、それとも美里とかいう女の方が絶刀に適していると思ったのか。


 スマホには、俺の位置情報ともう一つ、絶刀の位置情報が見える。


______まだ、手は届く。


「げっふ」


 深呼吸をするはずが、吐いた息はゲップの音。ちょいと食い過ぎた。

 だが、走れる。食後の運動にはきついが、急ごう。


 駆け出す足。しかし、俺の運動能力は低い。走る速度は、絶刀以下だ。体力も自信はない。

 それでも、走れるのは、人間の追い込まれたときに発揮する……火事場の馬鹿力という奴だろうか。


(ああっ!!くそっ!運の悪い日だな!!)


 広い交差点で赤信号。車も来ないのに、待たされる気分はいつもよりもどかしい。体は動くことに夢中だったせいか、急に止まると溜まった疲れがどっと来る。疲れが来ると膝に手をついて、下を向いてしまう。

こんな長く感じる赤信号があっただろうか。


 カッコー……カッコー……

歩行者信号の音が静けさの中で響く。ようやく青になったようだ。


 カッコー……カッコー……

疲れた体はまだ息切れをしている。信号は一定のリズムではあるが、俺の耳は急かしているように聞こえる。ちょっ、ちょっと待ってくれ……呼吸を整えるために2秒。


 カッコー……カッコー……

よしっ。やっと顔が上がった。随分、待たせたようにも感じる。それじゃあ、と右足を一歩、進


 カッコー……カッ

        

まなくて、よかった。


 感じたのは風。目の前スレスレで通ったのは白い車体。しかし、タイヤは地面を走っていない。


 その車は、空から降ってきた。


 ガシャン

 まず、鉄がひしゃげる音が序。


 パリン

 それに重なるようにガラスが割れる。見事に頭から行った車は燃料に火をつける。


 そして、


『___________!!!!』


 爆発。耳がキーーーンとなるぐらいの爆音。正確なオノマトペは言葉では表せない。

 熱風と土煙で目がやられた。目をこすって、細い視界が開ける。

 しかし、驚きで目は見開かれた。


 ドアが吹き飛ばされて、筒抜けの黒い座席。目の前に落下した白かった車体は内蔵をむき出しにして黒いグロい。そして、燃え上がる赤い火と黒煙。


 一瞬にして黒く染まった日常。突然の非日常に、俺は頭が真っ白。


 から回る頭はがむしゃらに情報を取り込んでいく。

 交通事故?じゃあなんで、宙に浮く?スピードの出し過ぎ?


 それなら、中に人がいるはずだ。


 中に人がいるなら、それはもう手遅れだ。燃えさかる炎がそれを物語っている。

 だが、俺は近づく。何が起きたか分からないあまりに、原因を探ろうと近づく。


 黒煙で痛くなる目を凝らし続ける。全てが黒くなった座席に人の姿などいるわけもなく。


(こんな大事になって、巻き込まれた奴はいないのか!?)


 いや、車の中はいなくても、外にはいるかもしれない。でも、俺が把握できることでもないし、見つけた所で対処できる自信もない……そもそもこの場を離れていいのか?

あああ!!!!もうテンパって仕方ない!!

他の人を……もっとプロの人を!!!


 ここでやっと、俺は警察を呼ぶことを思い出す。こういうときのためにすぐに通話画面に行くようになっているのに、それを俺の頭はガンスルー。電源を入れて、通話アプリを押す流れは焦りながらも、正確に行われた。


(まっ、まず何を言えばいいんだっけ!名前と場所と......今、どんな状況か。なんて、俺もわかんねぇよぉ!!)


 そんな迷いも振り切って、切羽詰まった親指が画面をスリータップ。通話ボタンはいつのまにか押されていた。


プルルルル…………


 ガチャ。何コールかしてから取れば良いのに。心の準備もできないまま、その受話器は取られる。

今更ながら炎の音がうるさいとまずいと思い、車に背を向けた。


『はい。こちら……


 A山市警察署。本来ならこう言葉が続くと思う。だが、その続きを聞くことはなく


「美桜ぁぁぁあああ!!!」


 ドンッ

 突如、横から衝撃が来た。突然なことだったから、俺の体は何も構えることができずその場から押し出される。手に持っていたスマホは地面を滑った。倒れた体は、少し切り傷ができて痛かった。普段だったら、文句の一つや二つ、つけてやりたいぐらいだ。


 何事か。

 俺の目がその全容を見たとき、自分の切り傷なんてどうでもよくなった。文句なんてつけられるはずがない。


「なっ!なんで、お前が…………!」


 なんでお前がここに。

そいつは、さっきまで俺がいた位置に立つ。そいつは、車の中から伸びる黒い一筋の線と繋がっている。


「絶刀!!!」


 シュッ____________

風を切る音と共に線が抜かれる。その反動で、力の抜けた体は膝から崩れ落ちていく。


「ッ…………!すごいな。

急に標的が変わったというのに、急所をこうも当ててくるとは……オレでなければ、死んでいた」


「余裕ぶってる場合か!!急所!?どこやられたんだよ!!」


「そりゃもちろん、一番痛い所を突かれたもんだ。アーイタイイタイ」


 最後に繰り出されるのは棒読み加減の訴え。しかし、抑えているのは胸部。本当なら声をあげて、痛みを訴えてもいいはずだ。

 だが、絶刀はいつもの調子で話を続ける。


「それより、あれを見てくれないか」


 前に出すぎないように。と手で俺を止める絶刀。

 指したのは、黒煙を放出し続ける車の残骸。中には誰も乗っていないはずなのに。


「さっきは、助けを呼ぼうと電話してみたいだが

 今、見るべきマニュアルは"事故"じゃない」


 さっきの伸びた線がうねうねと一本、二本、三本…………

途中で数えるのをやめた。それは、タコやイカの触手を思わせる生き物の体。


 それがコツコツと車の後ろから出てくる。2足歩行な点は人類と一緒だった。だが、それは形だけだった。


 肌が宇宙の様に虚空を見透かして

 顔があった頭部には、イソギンチャクの様に触手が生えている。それは次第に、手や肩から徐々に手数を増やしていく。ブチブチと細胞を破る不快な音を出して。


「そもそも、マニュアルなんてものはないのかもしれない。まだ、誰も想定していない。まだ、誰も経験してないのだから」


 一斉に頭から放たれた触手。


 クルマは今度こそ、形をなくした。


 フレームを突き破って出てきた触手。タイヤは飛び散り、ガラスは散乱する。一部の触手がそれで切ったらしく、人間では考えられない青い血を流していた。


「奴こそ、未来を支配する新生物。

 矛盾ー パラドックス ー。

 おめでとう、美桜。これで、オレたちは未確認生物第一発見者だ」


「こいつが……パラドックス……?」


 伸びる無数の手は張り巡らせた蜘蛛の巣のようで、伸びた影は俺らを覆った。俺らと等身大の人間サイズなのに、それは巨大な化け物に見えた。


『どうかされましたか?応答してクッ』


「ヒッ」


 パキッ。音が出る物に反応したのか、連絡手段を壊された。いや、連絡したところで何になる。


 触手は逃げ場をなくすように俺らを囲んで、渦を巻く。

 

 無理だ。こんな生物、見たことがない。

 こんなの歯が立つ訳ない______!!


「そう不安がるなよ。」


 膝をついた男が立ち上がる。

 濡れた手をズボンで拭いて、その化け物の前に立ち塞がる。


「何も無策でここに来た訳じゃない。


 ちゃんと勝算を持ってきた。」


 点々と地面に垂れたのは"青い"血。乱暴に拭かれた手にはペンキのような青い血。信じがたい光景に頭が困惑する。


 絶刀は肩に提げていたヘッドフォンを耳につける。


「なっ…………何をする気だ!」


「そりゃもちろん


 生き延びるための手段さ。」



 力を貸してくれよ ー sisterシスター ー!!



 その言葉で、この竜巻に一筋の希望かみなりが落ちた。


 青い光。レーザー光線という奴なのだろうか。それが触手を焼き払い、渦に穴を開けた。影が支配していた渦に光が差す。


 青い空。きれいな風穴から日光が眩しい。


 _____ゥゥゥン!!

 遠くからエンジン音が聞こえる。それは徐々に迫ってきて……


『マスター!!!』


 ブゥゥゥゥン!!

 元気なエンジンを聞かせて、嵐の中に飛び込むは"バイク"!!

_________誰も乗ってない無人のバイクだ。


 バイクの着地先は"渦の本体"。突然のことだが、周りを囲っていた触手を防御へと切り替えた。一瞬して、視界が晴れる。


 突然の乱入者であるバイクが逆光で輝く。


「あいつ……何者だ?」


「え?」


 腕で顔を覆いながら、絶刀は呟く。絶刀も覚えのないバイク。

 正体不明のバイクは、俺らを飛び越えて 通信回線を繋ぐ。


『衛星 ー サテライト ー

 1号機、2号機に信号!!

 指定コマンドウェポン▶レーザー!!』


 どこからか青い粒子が集まって、2つの小型球体ドローンになる。

 それは、極限のコンパクト。プロペラもついていないのに、飛ぶ球体。くるりと内蔵された銃口を見せると、レーザーを放ち、その壁を焼き払う。


 ここまで空中戦。秒単位で行われた抗争に、陸専門のバイクが着地する時には

______もう化け物のターンは来なかった。


 勢いよくぶつかるバイクとヒト型生物。ヒトというコンパクトサイズに収まっている以上、その力には耐えれる訳もなく化け物は吹っ飛ばされる。


 キィィィィィ!!

 ドリフトを決めて、その場で勝者らしく立つバイク。

 ビルの壁に叩きのめされた化け物は、青い血をぶちまけて、静まる。


『マスター!!ご無事ですか!!

 遅れて、申し訳ありません。マスターとしばらく、接続されてなかったもので反応を捉えることができませんでした。』


「バイクが喋った!!」


 驚きのあまり声が漏れる。聞こえるのは女性らしき機械音声。喋っているのは、無人のバイクだ。どうやら、このバイク………意思が宿っているようで、喋るたびにくねくねとハンドルが動く。


『申し訳ないですが、もう一度ユーザー認証をお願いします。

 そうすれば、あのパラドックスにも対抗できます。


 敵の状態はまだ再生中。あのパラドックスは、まだ未確認ですが、私達ならきっと!』


 主人に迫るバイク。その目は期待に満ちた目だ。

 主人は、震えて返答を返す。


「ごめん」


「オレは君のことを覚えていない。」


「戦い方も知らない素人だ。」


 _____。

 申し訳なさそうにコロコロと引き下がるタイヤ。

 この場の誰もが絶句した。

俺も絶刀もバイクも、記憶喪失の重大をまだ知らなかった。

絶刀もsisterに頼めば緊急事態だから記憶も戻すと思ったのだろう。

バイクも以前の『Z』なら太刀打ちできると思ったのだろう。


 しかし、主人とバイクの感動の再会は、前の記憶がないという悲しい再会に終わる。


「だが、戦いたいと思う。」


『!!』


 一瞬、絶刀の肩のヘッドフォンが揺らぐ。


「オレは記憶が戻らずじまいだが、未来の出来事は知っている。

破滅の未来。知っている者としては、オレには止める義務がある。


今のオレの名は、『絶つ刀』と書いて絶刀ゼット

その未来を絶つ者として、ちからを奮いたい。


すまないが、もう一度、力を貸してくれないか」


 コロコロと転がっていた足が止まる。バイクが悩んでいるんだ。この主人に託していいものかどうか。返事は


『ええ、もちろん。前も今も変わらないマスターで安心しました。』


 ブゥゥゥゥン!!

それは、喜んでいるように聞こえるエンジンの音。心地良いYESの返事だった。


『ユーザー認証は、私の名前を呼ぶだけで大丈夫です。

Keyの指紋認証によって、登録されたユーザーなのは確認しました。』


「鍵?ああ、これのことか」


 ポケットから出されたのは、手がかりには一番乏しかった自動車の鍵。こんな所で活きてくるとは思わなかったが、拾っておいてよかった。


『私の名前は、マスターがくれた名前です。


登録名は 『________。』』


「ッ......!」


 名乗る時にヘッドフォンが小さく不協和音を訴える。頭を抑え、歯を食いしばる絶刀。


 今のは、sister?


「すまないが、もう一度……頼む」


『では改めて、私の名前は『AAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!』


 !!!


 人間とは思えないほどの絶叫が、耳をつんざく。


(今の叫び……ヘッドフォンから!!)


 sisterには何か聞かれるとまずいことがある……?

 口を封じることができなければ、耳を塞げばいい。大音量で耳栓をされた絶刀は


『マスター!!』


 何の抵抗もできずに、倒れることしかできなかった。


「頭っ……あたまがわれる……」


 気絶もできずに頭を抑えて、苦しみもがく。俺はただ呼びかけることしかできない。

 ああぁ……どうしよう……せっかく良い感じの展開だったていうのに……頭が真っ白だ。


「一体、どうすれば……」


『バイタルチェックしましたが、生命活動に問題はありません。

その心臓も血液が漏れていること以外を除けば、内部は活動しています。専用の医療システムで修繕すれば問題はないです。』


 言われてみれば、点滅し続ける心臓にはヒビが入り、青い血が漏れ出ている。光輝くときは美しいのに、出てきたのは真っ青な絵の具。その純粋な青は、赤い血の様なグロテスクさを感じた。


「ええっ!?それって結構まずいんじゃないのか!」


『いえ、本当に問題ないのです。マスターの体は、対矛盾用に戦ってきたもの。その心臓は中でも特別製なので、即死攻撃でもない限り大丈夫なのです。


と、なると


やはり、私の名前。記憶を取り戻すことに繋がってしまったから…………』


「…………いや」


 ヘッドフォンはノイズを放つ。あの爆音を放ったのには結構エネルギーが必要だった様だ。かすれたノイズと今にも意識が途切れそうな絶刀の声が会話で混ざり合う。


「機械……なんだろ?半分正解で、半分外れ……

国語が出来過ぎたあまりに不正解だ。


お前って、本当に機械らしくない……奴だな」


 その言葉を最後に、薄っすらと開けていた瞼が落ちる。


「おい!!起きろってば!」


 肩を揺らしても、力なく体が揺れるだけ。心臓の点滅だけが元気に行われている。


『マスターの今の言葉……!もしかして……』


 プルルルル……プルルルル……

 ケータイの着信音が聞こえる。俺のスマホはすでに壊れている。それはバイクから出た音だった。



『こんな時に通信……?』



 微かにパラパラと音がする。それは俺たちから遠く離れた壁の方。ハッとして、目をそちらに向けた。


 まずい。奴が回復してしまった。本体が壁から抜け出し、触手がうねうねと動き始めた。 

 

 徐々に影が伸びてくる。恐怖のあまり、背筋が凍る。


『通信が終わりました。

送信主はアカウント名:惑星の心臓 − プラネット・ハート −。つまり、マスターからでした。』


 プラネットハート?聞き慣れない言葉だが、マスターという言葉……きっと絶刀のことを指しているんだろう。アカウント?送信?送信するタイミングなんて、いつあったんだ……


『ログを開きます。


ユーザー認証▶ボイス認証からパスワード入力に変更

パスワードを入力してください。


_ _ _ _ _ _


君 の 名 前 は _


チ ャ r i O _ _


通信状態が不安定です。もう一度、入力してください。


_ _ _ _ _ _


ぜ っ た い _ _


お も い だ し て


も ど t te ク る


か ら _ _ _ _


そ れ マ で _ _


まtttttt


アカウント名:惑星の心臓− プラネット・ハート −の通信が切断されました。』


『マスターの最後の言葉とパスワード入力の言葉からするに、マスターは今現在、記憶を取り戻している様です。


マスターの過去はその身をパラドックスに戦うことに捧げた戦士の鏡……きっと戦闘時の記憶も戻るでしょう。


それまで待っていて欲しいと』


「そんな……こっちはもうピンチだっていうのに……」


 ゆっくりとアイツが近づいてくる。ぬちゃぬちゃと気持ちの悪い足音がかすかに聞こえて、耳に障る。


 待つ?待つだって?いつ目覚めるかわからないのに?


 俺はずっと逃げることばかり考えて……俺に何ができるっていうんだ。


 絶望的な状況。その中でも、機械は冷静に


『そこの一般人の方に質問です


マスターを持ち運ぶことは可能でしょうか。』


 やるべきことを示す。


「あっ、ああ。こいつは驚くほど軽い。持ち運ぶだけならできる。」


『理想的な返答、ありがとうございます。あなたはマスターの協力者と見ました。

 一機、通信用を送りますので


 マスターを連れて、ここから離れていただきたい。』


『衛星 ー サテライト ー25号機

 通信モード

 指定コマンドウェポン▶シールド』


「なっ!貴重な戦力を減らしてどうする!あれに敵うのか!!」


 エンジンを沸々と震わせて、化け物を見据えるバイク。


『この身はバイクですので、走ることが取り柄。倒すことはできなくても、相手を翻弄することは得意です。ご心配なく。


マスターは必ず目を覚まします。その時、あなたは人類の希望を目にします。


その希望、あなたに託しました。』


「そんな!!いつ、目覚めるかわからないんだぞ!」


 その声はエンジンの音でかき消された。勇ましく、化け物に向かって、突進するバイクと無数のドローン達。


 感情豊かな女性の声は、冷徹な機械音声に。

 青白い光線が黒い荒波を切り裂いていく。

 また渦のように取り囲まれ、走る場所さえ失ったら……バイクに勝ち目はない。互角に見えるが、攻撃の一手に攻めきることができない。そう、感じた。


 それを眺めていると前方から青白い光が


 あ然とした俺に、足元へ一発。当たることはないが、地面は焦げて、煙をたたせた。


 バイクのライトと目が合う。


 ああ……

 あれは、巻き込まれる前に逃げろと言っている。


 見捨てる。頭にそんな言葉がよぎりつつも、俺はその戦場に背を向けて、走った。




 戦場の騒音が遠ざかって、日常の静音が耳に聞こえてきた頃……俺は、考える。


 どうして、二人はこんな絶望の中で勝ち目があると思っているのだろう。

 俺には到底あるとは思えない。


 でも、


『だが、戦いたいと思う。』


『破滅の未来。知っている者としては、オレには止める義務がある。』


 あの時の絶刀が忘れられない。

 ついこの前まで記憶喪失で、何も知らなかったはずの人間だったのにこの時の絶刀は、俺も遥かに大きい人間に見えた。


 今日だって、運が良ければ遭遇しなかった。いや、遭遇しても逃げられたはずなのに


『美桜ぁぁぁあああ!!!』


 俺なんか助けて……どうしようもない奴。


(いや、教えたのは俺か。)


 なんだか自分がちっぽけに見えてきた。

 あのバイクは俺たちを助けようとして、絶刀も戦うことで未来を救おうとしてた。


 俺はただ一人、誰かが助けてくれるのを待ってた。助けてくれないなら、どうすればいいとわめいて、手のひら返しても俺だけが醜いだけだ。


 逃げることしかできないけど、俺も信じてみよう。


 今はただ機会を待つだけだけど、きっと勝ち目はある。


 第1話


    『敗走』


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