第29話

 レベッカはベッドに載せていた自分の足を下ろし、ゆっくりと床についた。

 ケレンを一瞥し、流れるように視線をずらしていく。安宿の窓の外には、真っ白な月が浮かんでいる。

 ゆるりと腕を脱力させて、ウィスキーのロックをテーブルに置く。


 その横顔が微かに紅潮していたのは、ケレンの見間違いか。しかし、そうでなかったとしたら。

 風呂から上がったばかりだからだろうか。酒が適度に回ってきたからだろうか。


 ケレンには判断できない。しかし心を読むまでもなく、自分とレベッカが二人きりの空間にいるのは感じられた。まるでこの部屋が、外界から完全に閉ざされてしまったかのように。


「悪かった」

「あ、え?」

「あんたの境遇を、あたしは軽蔑して嘲笑った。だから、悪かった」


 謝罪の言葉。それも二回も。

 格好だけでなく、言動までもが昼間と大違いだ。そのギャップに、ケレンは脳内が茹で上がるような感覚に囚われた。


「……ってくれ」

「ん、んん?」

「何か言ってくれって言ったんだよ、畜生!」

「うわわわっ!?」


 グラスをテーブルに叩きつけ、レベッカはケレンに向き直った。どこから取り出したのか、その手には拳銃が握られている。

 反射的に、と言うことはできるだろうが、いくらなんでも物騒すぎる。

 

「あ、悪い」

「ぷはっ!」


 声も出せなかったケレンは、ようやく空気を肺に入れることができた。

 流石に今のレベッカの謝罪は、カウントに入らないだろう。


「だっ、だからあたしは謝ってるだろうが! そうウジウジすんな!」

「拳銃出されながら謝られても説得力ないよ! 突然何かと思えば――」


 ケレンの反論は、しかし途中で打ち切られた。


「ごめん。ごめんな、ケレン」


 そう言って、レベッカがケレンの頭部を抱きしめたからだ。

 ケレンには、何が何だか分からない。ただ、レベッカがケレンの後頭部に手を当て、強引に自分の首の下あたりに押しつけているのは分かった。


 穏やかな香りに包まれ、自分の呼吸が止まる。さっきも止まりかけたのだから、すぐに酸素を取り込むべきだ。

 が、そんなことはどうでもよかった。酸素がどうとか頭がどうとかは関係なし。

 今、この瞬間こそが、彼にとっての全てだった。


 レベッカによる拘束は、それほど長いものではなかった。そっとケレンから身を引いて、ぽん、と彼の頭に手を載せた。

 

 グラスの氷がカラン、と鳴るのを聞いて、ようやくケレンは自分の身の自由を取り戻した。

 レベッカの横顔を見つめていたが、彼女もまたグラスにちびちびと口をつけるばかり。


「……あたしの顔に何かついてるか?」

「いや、そうじゃない、けど……」

「用件はこれでお終いだ。お前も部屋に戻って休め。あの化け物、いつまた攻めてくるか分かったもんじゃねえからな」

「ん。じゃあ、おやすみ」


 ケレンの言葉に、レベッカは羽虫を追い払うように手を振った。

 危うい足取りで部屋に戻るケレン。入室した時、ゴンが爆睡しているのを見て、ケレンは胸を撫でおろした。

 今の自分の顔は、とても他人に見せられるものじゃない。


         ※


 翌日。

 真夏の朝霧を貫いて、真っ直ぐに日光が差してくる。


 ケレンが目をぱちぱちさせると、そこにはゴンではない、三人目の人影があった。


「ゴン様、ケレン様。セドです。作戦概要をお伝えに参りました。ひとまず宿のエントランスへお越しください。ケレン様にはこれを」


 ケレンは慌てて身を起こし、耐魔性能の付与された防具を受け取った。素早く身に着けていく。


「残念ですが、我々の方でご用意できたのはケレン様の防具だけです。ゴン様には、ご自分の身はご自分で、ということになりますが」

「了解した」


 ゴンはベッドのわきから、ぬっとその身を持ち上げた。いつの間に覚醒していたのだろう。

 少なくとも、こんな大男が突然現れても驚かない程度には、ケレンもゴンに慣れていた。


「それでは、わたくしは一足先に」


 ふっと消え去るセド。きっとレベッカの方にも、魔導士のうちの誰かが訪れているだろう。やはり、テレパシーで伝えるだけの魔力的余裕はなかった、ということか。

 

 案の定、レベッカは他二人とほぼ同時に部屋を出た。無言で頷き合う三人。

 階段を下りていく途中で、ゴンが異変に気づいた。


「ほとんど客がいねえな」

「ああ。いっぺんにいなくなった、って感じだ」


 レベッカがそう言い終える前に、ケレンが二人に向かって言った。


「あっ、セドさんがいる。あともう一人」


 この宿を訪れたのは、セドとシェンの二人。下っ端も含めた魔導士たちが、この街の全ての宿をまわっているのだろう。


 奇遇にも、作戦が決行に移されたのは、その概要が説明された直後のことだった。

 ごぉん、と大きな鐘が打ち鳴らされるような、それにしては破壊的、暴力的な音が、皆の耳朶を打った。


「お、おい、何だよ今のは!?」


 居合わせた弓矢使いが喚く。対して三人は目配せし、それぞれの得物を取り出した。

 レベッカは散弾銃、ゴンはサーベルを前の腕に一本ずつ。武器を持たないケレンは掌を擦り合わせ、嫌な汗を拭うのに必死だ。


「ケレン様。わたくしたちがあなたを安全な場所まで、テレポートでお送りします。他の皆様は、化け物――恐竜型の巨大生物と遭遇し次第、攻撃を開始してください。あとは作戦通りに。では」


 セドとシェンに挟まれる形で、ケレンはふっと消え去った。


「皆、行くぞ!」


 ゴンが先導する形で、集っていた賞金稼ぎたちは一斉に街に溢れ出した。


         ※


 レベッカは真っ先にメリッサの下へ向かった。盗難に遭っていないことに、安堵を覚える。

 だが、それは当然だ。昨日の恐竜出現後から、非戦闘員である民間人には退避命令が出されていたのだから。

 今の街路には人影もなく、しかし元々の車道がゆったりしているから、オートバイでの移動は容易だ。


 作戦は、一般の戦闘員(警官、兵士、賞金稼ぎたち)と魔導士たちとの間で分けて行われる。レベッカとゴンが為すべき最優先事項は、恐竜を海岸沿いまで誘導すること。

 それから魔導士たちが、弱った恐竜を海に叩き落とし、呼吸を停止させ、封印の魔術を施す。

 

「チームプレイってのは性に合わねえんだけどな」


 そう呟きながら、レベッカはぐんと速度を上げた。

 

 遭遇は、意外なほど呆気なく果たされた。瓦礫やガラス片、鉄骨などが破壊される硬質な音に、グワアアッ、という生々しい咆哮が混ざって聞こえる。

 高層ビル群の間を縫うように走る緩いカーブ。そこに入り、メリッサを減速させて広い視野を得る。


「ああ、あいつか」


 レベッカには、恐竜の背中が見えていた。既に狩りは始まっている。


「ま、あたしらと恐竜、どっちが狩りをしてるんだか知らねえが」


 言いながら、レベッカは背後の腰部から新たなパーツを取り出した。片手に収まる円筒状の物体。狙撃用のスコープだ。

 これは以前、この街を訪れた際に興味半分で買っておいたもの。


 扱い方の訓練をしておいてよかった。

 そう思いながら、レベッカは淡々とスコープを散弾銃に取り付けていく。改造パーツもちゃんと買い揃えてある。

 問題は、手先の器用なレベッカでも、散弾銃を狙撃銃に改造するのに時間がかかることだ。


「しばらく持ちこたえてくれよ、ゴン……!」


         ※


 この街の地図を完全に頭に叩き込んでいたゴンは、ある街路の上を立体車道が走っていることを捉えていた。

 高所からの銃撃と、近接戦が得意な賞金稼ぎたち。


「だったら足止めしねえとなあ!」


 ゴンは、その体躯からは想像できない速さで街路を駆け出した。

 アスファルトを踏み抜かん勢いで接敵するゴン。その視線の先には、こちらに向き直る恐竜が捕捉されている。


「ふっ!」


 勢いよく跳躍し、恐竜の目を狙って斬りかかる。が、今回は下顎で防がれた。

 素早くサーベルを持ち替え、喉元に斬撃。恐竜の表皮が、勢いよく裂かれる。しかし、大きな違和感をゴンは感じ取った。


「んっ!?」


 何故途中から刃が入らなくなったんだ?

 

「でぇい!」


 サーベルを顔の前で交差させ、防御態勢を取るゴン。

 もし一瞬でも判断が遅ければ、彼の上半身は鋭利な牙で食いちぎられていただろう。


 半分ほどの長さになったサーベルを投擲。それは、他の戦闘員たちが放った弓矢や実弾などを伴って恐竜の頭部に殺到する。

 しかし、そのいずれもが恐竜の表皮に弾かれた。


「いや、違うな……」


 じっと観察する。恐竜に当たった物体は僅かに食い込み、それから押し出されるようにして、地面に落下していた。


「こいつの中身、まさか魔力で構成されているのか?」

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