第18話

 しばし飲んでから店を出ると、レベッカとゴンは手分けをして、魔導士のテレポートの行先を調べ始めた。

 ローデヴィスにおいて、魔導士の存在や魔術の行使は特別な事柄ではない。今の時代の人間で、魔術の存在を疑ってかかるような人間はごく少数派だ。


 しかしそれは、魔術や魔導士という存在が親しみやすいものだ、という意味に繋がるものではない。

 魔導士たちのお陰で平和な生活が保たれているけれど、彼らが裏で何をやっているのかは分からない。住民の捉え方はそんな感じだ。


 この街の行政府が魔術師についての情報を漏らす、などということはあり得ない。

 逆に、その情報を秘匿するという支配構造が打ち砕かれたとも考えにくい。

 人間同士の紛争状態が終息した現在でも、人間の防衛本能を押しとどめることはできないのだ。


 それを利用してやろう。それが、レベッカのアイディアだった。


「大丈夫なのか? いや、確かにお前の目だったらどうにかなるかもしれねえが……あっ」


 しまった! と手を口に押し当てるゴン。だが、レベッカは振り返りもしない。


「そう。あたしの目はただの眼球じゃないからな」


 そう言いながら、レベッカはホルスターから拳銃を抜いた。無造作に上空へ向ける。

 ゴンが押さえつけようとするも叶わず、弾丸は見事に五、六発が宙へと舞い上がった。


「馬鹿! いくらなんでもやりようってもんがあるだろ!」


 事態に気づいて、民間人が逃げ惑う。まるでレベッカを中心に扇形を描くように。

 よほど治安のいい街なのだろう、警察の動きも早かった。パニックが最高潮に達する頃には、何両もの警察車両に完全包囲されていた。


「ま、こんなもんだろ」

「俺に言わせりゃ撃ちすぎだけどな」

「そいつは失敬」


 軽い雰囲気のレベッカに、ゴンは溜息をついた。しかし、そこを動くな! だの、両手を上げろ! だのという怒号に掻き消されてしまった。


         ※


 近づいてきた警官に、素直に全ての火器や凶器押しつけたレベッカとゴンは、促される間もなく囚人護送車へと乗り込んだ。


「ほう、綺麗なもんだな」

「この中で吐くような小心者はいねえってことだろうぜ」

「確かに」


 感嘆の声を上げるゴンに、指摘を加えるレベッカ。傍から見たら、ふざけているようにしか思われないだろう。だが、二人には車酔いするかどうかよりも、ずっと重要な任務があった。

 その任務を行うのに、警察車両を利用することは極めて好都合だったのだ。


 ローデヴィス経済特区の主要行政機関は、円形に展開された街の中心部に集中している。

 そしてその行政地区への民間人の立ち入りは、厳しく制限されている。

 この平和で安全な街で、唯一不気味、というか得体のしれない場所なのだ。


 レベッカとゴンが、向かい合うようにして荷台のソファに腰を下ろすと、車両はすぐに出発した。ここから先は、レベッカの目力に頼る部分が大きくなる。

 それを承知しているゴンは、レベッカに声をかけるのをやめた。


 頼むぜ、相棒――。


 この街に入る際、観光ガイドに渡された地下鉄の路線図を見下ろしながら、ゴンは小さく呟いた。


         ※


 同時刻。地下構造物内部。

 一瞬で切り替わった視野にくらくらしながら、ケレンはそっとジンヤに肩を支えられた。


「大丈夫ですかな、ケレン様?」

「は、はい。僕は大丈夫です」


 足を踏ん張り、ぐっと前に一歩踏み出すケレン。そっと背中を押されて、真正面を見遣る。

 そこには大仰なスライドドアがあり、父親の名前が彫られていた。


「父さん……!」


 会える。村を出ていったが最後、ずっと会えないと思っていた父親に会える。そして、何らかの食人獣対策の武器を提供してもらえる。


 これらの感情が一気に溢れ出し、ケレンは駆け出した。ドアに弾き飛ばされそうになりながらも、ドアを殴打する。


「父さん! 父さん、僕だ! ケレンだよ! 話したいことがあるんだ、早く開けてくれ!」

「そう焦るものではありませんよ、ケレン様」


 するとジンヤは、さっさと指紋認証と網膜認証をクリアし、正面のディスプレイに向き合った。


「博士、聞こえますか?」

《ええ、大丈夫ですよ、ジンヤさん。もしかして、そちらで喚き散らしているのは……?》

「ご子息のケレン・ウィーバー氏がおいでになりました。お会いになりますか?」

《おお、もちろん! ではドアを開錠します》


 ドアのスライドに合わせて発生した微風が、ケレンの頬を撫でる。すっと顔を上げると、そこには父親、デインハルト・ウィーバーの笑みがあった。


「と、父さん……」

「やあ、ケレン。大きくなったな」


 空気を読んで後ずさるジンヤに、博士は小さく頷いてみせた。直後、思いっきり腰回りを締めつけられた。


「父さん!!」

「おお! よしよし、よく来たな」


 やや白いものが混じった、もじゃもじゃの髪。愛用していた度の強い黒縁眼鏡。そしてその眼鏡の向こうから発せられる、優しい目つき。


 間違いない。この人こそ僕の父さんだ。

 それを意識した瞬間、ケレンの気持ちはいっぺんに奈落の底へと落ちていった。


「父さん、落ち着いて聞いてほしいんだけど……」

「ああ。母さんのことは聞いている。残念だよ」


 博士は苦悶の表情を形作っている。これこそケレンが博士に伝えたかったことだ。


「ぼ、僕は一体どうしたら……」

「一緒にこの街に住まないか、ケレン?」

「えっ、そんなことできるの?」

「ああ」


 さっきとは打って変わって、博士は偉そうにふんぞり返って言った。


「この研究が達成されて、お前が私を信じてくれるなら、ずっとこの平和な街で暮らせる」

「そ、そうなんだ……」


 ローデヴィス経済特区は、国内外問わず移住希望者で溢れかえりそうな都市だ。

 理由は単純で、食人獣の被害がほとんどないから。


 あんな化け物に命まで奪われてたまるか。

 そう思ってやって来る資産家や、その家族が後を絶たない。


「しばらくは食人獣の襲来はなさそうだ。少し街を見て回って――」


 と言いかけて、博士はぎょっとして唾を飲んだ。天井が崩落してきたのだ。


「うわっ! な、何だ……?」


 ケレンの声に応じて、砂煙の向こうから応答があった。


「ふう! やっと到着か! 無事か、ケレン?」

「レ、レベッカ! それにゴンも……!」

「何者だ、貴様ら!」


 博士が怒号を上げるが、レベッカたちは意に介さない。


「生憎、そこのケレン・ウィーバーってガキんちょはあたしらの雇い主でな。あたしらはまだ給料分の働きをしてねえんだ。まずはデインハルト・ウィーバー博士、あんたの身柄を拘束させてもらう」


 ゴンがずいっと前に出ながら、前後四本の腕を見せつけつつ、パキポキと指を鳴らす。


「何なんだ……。なっ、何なんだこれは!」


 時は十数分前、レベッカたちが身柄を拘束された時にさかのぼる。


         ※


 さて、始めるか。

 そう自分に声をかけ、レベッカはパチパチと数回瞬きをした。

 

 そっとこの荷台に配備された警備員を見遣る。人数は三。ゴンと協力すれば制圧は容易いが、それではわざわざ逮捕されたら意味がない。

 レベッカはがっくりと上半身を折って、さも脱力しているかのように見せかけた。


 そういえば、この目に秘められた能力を使うのは久々だな。

 眼球内部の仕掛けを起動させる前に、ほんの一瞬、レベッカは自身の過去を思い返した。


 ピピッ、という小さな音が、目元から生じる。普通の人間、言い換えれば、目を機械化していない人間には想像しづらいだろう。


 レベッカは両眼を失った、盲目の賞金稼ぎなのだ。いや、人工の眼球の使用申請を出すための試験要員として身を捧げた、と言うべきか。


 何故盲目になってしまったのか? 理由は単純。幼い頃に住んでいた村が鳥型の食人獣に襲われ、目元を負傷したからだ。この時に両親は命を落としている。


 視力を取り戻したレベッカは、しかし、あまりにも多くのものを失っていた。

 両親、友人、学校、家庭、他者との信頼関係。


 それでも、レベッカが得たものがないわけではない。

 食人獣に対する、焼けるような復讐心だ。だからこそ、今回の旅でケレンの依頼を引き受けた。彼も鳥型の食人獣に襲われ、食われかけていたから。


 自分の胸中で、波のように寄せては引いていく不安や怒り、闘争心を、ケレンも抱いていた。ここまでくると、元々の裸眼でも判断できたことだろう。


 そこから先の旅路は、ほとんど自分の都合と変わらなかった。レベッカの義眼の高度なシステムを維持するには、極めて精工な機械技術に頼る必要がある。

 そのために、ローデヴィス経済特区を目指そうとしていたのだ。ケレンの村を中継地にしつつ、情報収集をして再出発。そういう計画だった。

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