第16話【第四章】

【第四章】


 薄暗い廊下がある。

 金属製のブロックが敷き詰められていて、無機質な空間を演出している。壁も床も天井もブロック群で構成されていて、真夏だというのに肌寒さを押しつけてくる。


 その先には、対食人獣専門兵器開発班班長、デインハルト・ウィーバー博士の個人研究室がある。ここは博士のために準備されたアジトのようなものだ。

 研究室自体は、この真っ直ぐな廊下の突き当りに設けられている。反対側の突き当りにはエレベーターがあって、何か用事があればすぐに地上の共同実験棟に出ることができる。ただし、デインハルト博士がそれを利用することはほとんどない。


 この廊下では、食事や睡眠導入剤の提供がきちんと行われる。また、研究室の反対側には、トイレやシャワーなどの衛生管理に必要な設備一式が揃っている。

 これほどの生活環境を得られるのは、ここローデヴィス経済特区においても、ごく一部の富裕層だけだ。

 博士の場合は金ではなく、研究結果の発表や新兵器の開発のお陰であるのだが。


 ある日のこと。実に珍しく、博士の下へ来客があった。彼、または彼女は魔導士だ。テレポートの魔術を行使できる。しかし、礼儀を尽くそうという意図があるのか、研究室の中へ突然現れることはない。


「はいはい、今出ますよ、っと」


 博士は顕微鏡から目を離し、研究室の内側に設けられたインターフォンに顔を近づけた。


《デインハルト・ウィーバー博士、わたくしはセイクリッド・ナイヴス所属、シェンと申します》

「おお、毎度すまないね。今開ける」


 インターフォンの下のボタンに、博士は指を押し当てる。

 すると承認のランプが灯り、扉はスッ、とスライドした。

 目の前に立っていたのは、一見華奢な細身の女性だった。セドと同様、頭から真っ黒なフードを被っている。


 周囲から怪訝な目で見られそうな格好だが、博士にとっては見慣れた姿だった。


「SNも随分忙しくなっているね。もうこんな夜中だというのに」

「申し訳ありません」

「君が気にする必要はないさ。ま、緊張せずとも構わんよ」

「左様ですか」


 機械的な声音。それに博士は頷いて、今日の用件は? と尋ねた。


「ご注文されていた量の、実験用の魔力を持参いたしました。お納めください」

「ありがとう、感謝するよ」


 手渡されたのはガラスの球体。両手で支えなければならないほどの大きさと重さがある。

 博士は、球体に映った自分の顔を覗き込んだ。フレームのがっちりした眼鏡に、ぼさぼさの髪。首の下から足先までがすっと細く鋭い形を為していて、栄養失調なのではと疑われそうな姿だ。


「どうされました、博士?」

「いや。これなら何度も実戦訓練ができそうだな」

「それだけではございません」

「ん?」

「我々の諜報員が寄越した電報です。ご一読を」


 自分に電報? 何のために? とにかく読んでみるしかあるまい。

 

「ケレンが私の下へ? ローデヴィスに来るつもりなのか?」

「我々はそう推測しています。続きを」

「……」


 博士はすらすらと目線を走らせていく。しかし二枚目にはいったところで、博士の手が止まった。文書のうちの一ヶ所を、穴が開くほど見つめている。


「……妻が死んだそうだ。食人獣に、生きたまま食い散らかされて」


 これには流石の魔導士、シェンも、俯いたまま言葉をかけられなかった。

 それでも、自分が話を進めなければ。


「それで」


 シェンは一つ咳払いをして、無理やり言葉を繋げた。


「おいくつなんですか、ご子息は?」

「さて、今年で十一、二歳といったところか。無事にここまで来られると思うかね?」

「一人では無理でしょう」

「だがケレンのやつ、有力な用心棒を二人、連れているとのことだ」


 そう語りながら、博士は電報の内容が印刷された紙を二枚、懐に仕舞い込んだ。


「ありがとう、シェンくん。魔術通信用の回路は開いておくから、ケレンたちのことで何か分かったら知らせてくれ」

「了解しました」


 腰を折って恭しく礼をし、その姿勢のままでフッ、と消え去るシェン。


「ああ、あの子がここに来る、か……」


 独りになった研究室で、博士は眉間に手を遣り、テーブルに体重を預けた。

 あんなに臆病だったケレンに、そんなことができるのか。

 そんな疑念が脳内で膨らみ、半信半疑の胸中を圧迫していった。

 

         ※


 約三〇〇年前に出現した、食人獣と魔術の力、あるいはそれを行使する魔導士という存在。

 デインハルト博士たちは科学的に、魔導士たちは非科学的に、各々の手段で食人獣の殲滅を目論んでいる。

 問題は、科学者と魔導士の間に協力関係が結べなかったということだ。


 かねてから人類発展のために貢献してきたと自負する科学者たちには、自分たちこそ人類を救うのだというプライドがあった。

 一方魔導士たちには、これこそ食人獣に対抗すべく神が与えた能力なのだと言って、一歩も退こうとはしなかった。


 そんな中、現在に至り、ようやく二つの勢力の間で共同研究すべしと主張する人々が現れた。分野横断的な研究を行う研究者たちだ。

 この分野を先導し、その研究の第一人者となったのが、デインハルト・ウィーバー博士である。

 

「こんな状況だものな、ケレンが旅に出るくらいのことは、驚くには及ばんか」


 歪な笑みを浮かべる博士。

 だが、彼は気づいていなかった。息子よりも自分の方が、遥かに薄情者だということに。何故なら、妻が惨殺されたことに対して、なんとも思っていなかったからだ。


 彼の注意は、既に息子の同行に向けられている。


「お手並み拝見と行こうか、お三方」


         ※


「うわっ! いたたた……」

「よっ、と。ケレン、大丈夫か?」


 尻餅をつきながらも、ケレンは素早く立ち直った。レベッカの伸ばした手を握り返し、すっと立ち上がる。

 その直後のこと。ケレンは思いっきりレベッカに引っ張られた。そのまま抱きしめられる格好になる。


「おっと!」

「ひっ!?」


 顔を思いっきりレベッカの胸に押しつけられ、ケレンはじたばたと腕を振り回した。

 が、すぐに事態を把握し、大人しくなった。


「よおっと!」


 ゴンが、ずずん、と両足をついて、同じ空間に現れたのだ。


「ゴン、大丈夫か?」

「ああ、問題ねえよ」

「ぷはっ!」


 ようやくレベッカから解放され、ケレンは空気を思いっきり吸い込んだ。

 しかし、すぐさま違和感に囚われた。


 何の匂いもしないのだ。火薬臭くもなければ、血生臭くもない。


「ここって、もしかして僕が一度連れ込まれた――」

「左様です、ケレン様」

「誰だ!」


 周囲を警戒していたレベッカが、ざっとブーツの底を鳴らしながら振り返る。ゴンは背を向けたままだが、注意はすぐさま後方、声のした方へと向けられる。


 レベッカの薙刀と、ゴンのサーベル。

 そこから発せられる殺気をたった一人で受け流し、その人物は現れた。


「あっ、セドさん!」

「残念ながら違います。確かに、我々の背格好は似たようなものですがね」


 セドよりもずっと年嵩の、しかし明快な言葉運びで語る人物。取り敢えず、セドの仲間とみていいだろう。


「わたくしはジンヤと呼ばれております。セイクリッド・ナイヴスという組織のことはご存じですかな?」


 顔を見合わせるレベッカとゴン。それに対して、ケレンはじっとジンヤの方を見つめ続けた。


「聞いたことはあります。先日、バッタ型の食人獣を追い返した時に」

「ふぅむ」


 ジンヤは白く伸びた顎鬚を擦り、あやつも説明不足じゃな、と静かに言った。


「そもそも我々はケレン様のお父上、デインハルト・ウィーバー博士のお考えに賛同し、組織された者たちです。もっとも、我々は非科学的な魔術を使う戦闘技術の研究をしております。一見、お父上が開発なさっている科学的な兵器とは、だいぶ違うでしょうな」


 周囲に敵の気配がないことを確認し、ゴンもまた振り返った。

 レベッカとゴンは、静かに、しかし熱心にジンヤの話に聞き入っている。

 だが、ここには場違いな人物が一人いた。


「あ、あのっ」


 すっと手を上げるケレン。


「僕は自分の村に、食人獣を倒せるだけの兵器を持ち帰りたいと思っています。もう手遅れかもしれないけど」


 レベッカとゴンの両眉が、ぴくりと震えた。まさかケレンの胸中で、それほどまでの執念があったとは。

 とりわけ、レベッカは村の現状を直視してきた。あの状況下で村を立て直すといっても……。


「博士から、奥様とケレン様を村に残してきた、ということは聞いています。ただ、今は家庭問題を脇に置いて、あなたの魔力について調べさせていただきたい。よろしいですかな、ケレン様?」


 けたたましい警報が鳴り始めたのは、ジンヤの言葉が終わるところだった。

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