第11話【第三章】

【第三章】


 魔術。

 それは科学的に説明・解析の困難な、物理学を超越した現象を引き起こす術の総称である。


 誰もが行使できるというものではない。これは先天的かつ突発的に発現する能力であり、また、行使するには精神力が消費される。

 その個人差は極めて大きい。同じ行為を魔術で行うにしても、そこで消費したエネルギー――魔力を補填するのに、数秒という者もいれば丸一日の休息を要する者もいる。


 では、魔術を担う人間はいつ頃に現れたのだろうか?

 その起源ははっきりとしてはいない。だが、魔術を行使できる人間、魔導士が現れだした当時の記録は残されている。

 それは、人類が食人獣の出現という災厄に見舞われた頃、すなわち約三〇〇年前からだ。


 魔術を駆使すれば、食人獣を駆逐するのも決して困難ではない。

 そのため、すぐさま様々な実験・実地調査が行われた。それも、ほぼ世界中で同時に。

 それらを主動した国々の為政者には、被験者に対し非人道的な扱いを施す者たちも少なくなかったという。


 それから一五〇年後。

 治安維持機構を喪失した文明国家は完全に崩壊し、誰もが魔術についての研究開発を封印した。


 それから現在に至るまで、魔導士は神が人類に遣わした最後の希望となり、崇拝の対象にすらなった。


         ※


「しっかし分からねえなあ……」


 ゴンは呟いた。

 レベッカの部屋を辞したゴンは、床にあぐらをかいて後ろ腕の筋肉を震わせていた。ストレッチのようなものだ。


 頭を真っ白にしてストレッチをしていると、どうしても疑問が脳裏をよぎっていく。


 レベッカがケレンを連れ出した村。どうしてそこで、村民たちはケレンが村を離れることを了承したのだろう?

 これから新しい村を造成しなければならない、という状況下で、ケレンの行使し得る魔術は最高の防御性能を誇ったはずだ。その、復興の大いなる足掛かりとなったであろうケレンを、むざむざ行きずりの賞金稼ぎに預けるとは。


 加えて、ケレンは自分が魔術を行使できるということを知らずにいた。呆気なく鳥型食人獣の餌食になってしまうところだったのだ。たとえレベッカが彼を庇ったとしても。


 そして、これこそゴンが最も危惧するところなのだが――。

 ケレンは魔力の行使や再充填において、ずば抜けて優れている。その反面、自分の能力の限界や、どれほどの魔術行使が周囲にどんな影響を与えるのか、経験が浅すぎる。


「やれやれ……」


 ゴンは四本腕で、目を擦り、眉間に手を遣り、後頭部をぴしゃりと叩き、テーブル上のグラスに入ったウィスキーのロックに手を伸ばした。


 レベッカはいつも通り、淡々と、そして冷酷なまでに、ケレンの護衛任務を全うする気だ。

 だが、何がそれほど彼女を衝き動かしているのか。

 再び思い出しそうになったレベッカの過去を振り払うように、ゴンはぐるりと首を捻った。


 ふっと窓の外を見遣った。ようやく日が暮れてきたところで、真夏の夕焼けが穏やかな角度で森林を照らし出している。


「こんなところに、あんな化け物共がうろついているとはな……」


 今日遭遇したバッタや、過去に駆逐してきた食人獣たちを思い出す。

 連中も運悪く、何らかの方法で人間を食べる、という習性をもたらされてしまったのかもしれない。


 そんな感傷的で感情移入するようなことはするな。――これはレベッカの言葉だ。


 彼女は確かに冷酷だが、その冷たさを以てして、ようやく事態の全容が見えてくる。その事実、現実の非情さは、ゴンとて何度も経験してきたことだ。


「今はあいつに任せるしかない、か」


 ゴンはそう呟き、布団もなしに大の字になって胸の上で腕を組んだ。

 調子のいいいびきが響き始めたのは、ほんの数秒後のことだった。


         ※


 翌日、早朝。

 死人に口なし。もうどうにもならない。

 そんな無慈悲とも言える精神構造を有するレベッカだが、ひとまず昨日のバッタ型食人獣のために命を落とした者たちの墓の前にやって来た。両膝をつき、手を組んで軽く頷くように顎を引く。


「こんなところかな、あたしにできるのは」


 生憎、こんな時にどんな花を供えるべきなのか、まったく分からない。

 悪いな、と小声で言いつつ、立ち上がって膝の汚れを払う。

 その時、何やら周囲がざわめき始めた。


 別に賞金稼ぎ同士の喧嘩だったら、放っておいても沈静化する。互いに死者が出てしまうデッドラインがどこなのか、非常に詳しく知っているからだ。


 だが、今こちらに近づいて来るざわめきは、どうにも様子が違うようだ。殴打音や怒声が聞こえてくる気配がない。

 一通り顔を洗い終えてから、レベッカはこのざわめきの方を見遣った。

 迷いなく、真っ直ぐに井戸に近づいて来たのは――。


「あっ、レベッカ! おはよ――」


 と言いかけたケレンだが、レベッカは拳骨で打ち切らせた。


「いたっ! な、何するんだよ!」

「それはこっちの台詞だ、間抜け。ゴンはどうした?」

「まだ寝てるけど……。って違う! どうして僕は、挨拶がてらにレベッカに殴られなきゃいけないんだよ!?」

「あたしが怒ってるからに決まってんだろうが!」

「じゃ、じゃあ、どうしてレベッカは僕に怒ってるんだよ?」

「それは――」


 と言いかけて、レベッカは言葉を繋ぎきれなくなった。

 魔術を行使し得る者がどう振る舞うべきなのか、今すぐに答えろ。

 そう言いつけられているように思ったのだ。

 ケレン自身は真面目だし、学校などを通して勉強し、魔術の何たるかを把握するのは容易だっただろう。だがそれは、彼がまともな生活を送っていればの話だ。


 その日の食料に困らず、電気も少しは通っていて、何より学校という、同士の集う場所があれば。そんな場所、この大陸にどれほど残っているのやら。


 勘はいいが学はない。

 レベッカがケレンに下していた評価はそんなものだ。もちろん、実戦で必要なのは学などではなく勘、それも瞬間的で状況打開能力を帯びた直観力だ。


 だが、いくら賞金稼ぎだからといっても、いや、そういう業種である以上は、ある程度の計算能力は必要になる。

 請け負った任務に見合うだけの賞金の取引が必要になるし、直接金銭で遣り取りしなくとも、物価の変動に合わせた計算の下で物々交換を行う機会も多い。


 仮にこの大陸で食っていくなら、最低でも大きく分けて五、六地域の名産品や輸出入の状況は頭に入れておかなければ。


「その勘はいいが、ここまで学がないとはな……」


 レベッカは頭を抱えた。自分も歳を取ったのかもな、などとぼんやり考える。


「ど、どうしたのさ、レベッカ? 怒鳴ったと思ったら突然しゃがみ込んで」

「……はっきり言うぞ、ケレン。お前は勘はそこそこ利くようだが、学がない。学校で習得するような、基本的な生き方ができていない」

「何だって?」

「今周囲にいる皆の様子で分かるだろう?」


 するとケレンは立ち上がり、ぐるりと周囲を見回した。皆、違和感なく動き回っているように見える。

 ん? いや、少しばかりこちらの様子を窺っているような……?


「おい馬鹿!」


 レベッカはケレンの腕を引き、無理やり尻餅をつかせた。


「うわっ!」

「うわっ、じゃねえ! 目立つから腰を上げるなって言っただろうが!」

「言ってないよ、そんなこと!」


 するとレベッカは、ケレンの耳元に口を寄せ、さっと目の動きで何かを捕捉した。

 ケレンもそちらへ視線を合わせる。


「あの短刀使いがどうかしたの?」

「お前を生け捕りにしようと機会を窺っている」

「え、そ、そうなの?」

「ああ。昨日見た顔じゃねえ。それに腰回りが膨らんでる。拳銃を二、三丁は装備しているな」


 びくり、とケレンは背筋を伸ばした。


「僕を殺す気なの!?」

「生け捕りだって言っただろうが、間抜け」


 まあ、そっちの方がこの場で殺されるよりキツイかもしれないが。

 魔術を乱用させて、貨物の運搬でもさせられるのか。それだけでもかなりの重労働だ。

だが魔術の特徴の一つに、相手の神経系を滅茶苦茶にする、というものがある。

他人を拷問したり、自白させたりするのに、傷を残しにくいというのが魔術の特徴でもある。

 そんなこと、ケレンにできるはずがない。


「おい、ケレン」


 気づけば、ケレンはレベッカと腕を組むようにして立ち上がっていた。肘がレベッカの胸に押しつけられ、悲鳴を上げそうになる。


 レベッカは慎重に、周囲を警戒しながら念入りに顔を洗った。

 今日は湯舟のある宿に泊まろう。そう誓いつつ、レベッカは腕を組んだままケレンの部屋に踏み入った。

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