第42話 切り裂きジャックの正体

 やがて、宵闇が訪れ、夜になる。

 女王に倣い、遅めの夕食を終えたパーシーは、食堂から出る時、

「アンソニー君。今夜は後で食事をしては呉れないかい?」

 と、言った。

「お時間ですか?」

 何かを察したアンソニーは主人に尋ねる。

「もうそろそろ行かないと、影の警視総監として失格だ」

「判りました。では、私は全ての事が終わってから、食事にしましょう」

「有難う。その時は、僕も一緒になって祝杯を挙げよう」

 パーシーはインバネスコートを羽織り、外に出た。

 真昼に言っていた通り、馬車も入口で待っている。

「ロンドン港だ。宜しく頼むよ」

「……判りました」

 馬車は、昨日も闇の中を走ってきている。馬も少し疲れ気味だったが、御者が言うには、昼間に大層眠ったらしい。

 パーシーは馬車に乗り込んで、扉を後ろ手に閉めるアンソニーを見守っていた。そうして、扉が閉められた事を確認すると、御者は静かに夜道を走り出した。

「何を、そんなに焦っておられるのですか?」

 アンソニーは聞いていた。

「早くしないと、20年前の事件と同じ事になるのだよ」

 パーシーは答える。

「切り裂きジャックの?」

「そうだね。ロンドン港から、最終の貨物船が出るのが十時頃だから、もう時間がない」

 この主人は、一体何を言いたいのか。アンソニーは疑問を感じていた。20年前の切り裂きジャックの事件と同じ事——迷宮入りになる。

 そんな、事だろうか。

「もう少し、お考えを詳しく聞かせて下さい。私はあなたのヴァレットだ。秘密を共有できる権利があります」

「言ったね。アンソニー君」

 パーシーは苦笑する。

「切り裂きジャックは逃避行を図る、という事でしょうか?」

「良い推理だ。君もやっと僕のヴァレットに相応しくなってきたね。まぁ、それ以上は、着いてからのお楽しみだよ」

 パーシーは、それ以上を語る事はなかった。


 馬車はロンドン港へと至る。ロンドンは貿易で栄えた町だ。その為、港がひしめいている。

「フランスへ向かう貨物船が出る場所に向かって呉れ給え」

 パーシーが御者に向かって声を張り上げる。馬がいななき、馬車の速度は早くなった。

 そうして間も無く、

「ここが、フランスのドーヴァー行きの船が出る場所です」

 御者の声が聞こえた。

「行こう、アンソニー君」

 パーシーは早口に言った。

 アンソニーは急いで馬車を下りる。いつもは差し出した手を取るだろうパーシーが、それをかわして闇に消えてゆく。彼の手に持ったランプの明かりが、唯一彼の存在を表していた。

「お待ちください!」

 その明かりを頼りに、アンソニーはパーシーを追いかける。

 暫く走った後、船に積む貨物の木の箱の間で、彼の足は止まった。


「やぁ、やっと逢えたね」


 パーシーの声がする。掲げられたランプと月明かりに朧げに生み出されたのは、あの部屋の住人——メアリーと、写真に写っていた男の姿だった。

「あんた……」

 メアリーの鈴の鳴るような声がする。

「なんで、ここが判ったんだい?」

「君の父と同じさ。20年前の切り裂きジャック事件……それを名乗って怪文書をヤードに送ったのが間違いだったね」

「……ッチ」

 彼女は舌打ちをする。

「これからフランスに逃亡かい? 恐らく、向こうに協力者がいるのだろう?」

「良い勘だねぇ。お兄さん」

 娘は高らかに笑った。

「じゃあ、あたいの部屋の死体は誰なんだい?」

「数週間前に、フランスからとある殺人者が逃亡したという情報があってね。ルル——そんな名前だったかな? 君と同じ黒髪のレディだ。彼女にも、アルヴァと言う連れがいたようだけれど……今頃テムズ川に沈んでいるのだろうね。しかし、君の判断ミスが一つだけあった。それは、君よりも彼女は小柄だったと言う事さ」

「……一見見ただけじゃ判らないと思っていたけどねぇ」

 メアリーは腕を組んだ。

「僕を敵に回したのが、君の一番の計算ミスだ」

「成る程……行くよ、ジョー!」

 メアリーが走り出す。しかし、


「そうはいきませんよ」


 ジャスパー巡査の声が聞こえ、数々のランプの灯が、二人を包み込んだ。

「——畜生! あたいは、フランスで生まれ変わるんだ!」

 刑事達に取り押さえられ、メアリーは声を上げる。

「しかし、良く判りましたな、パーシヴァル候。彼女達がフランスに逃亡する算段だと」

 ケースリー巡査部長は感嘆の溜息を吐いた。

「僕の頭脳を持ってすれば簡単な事だよ。彼女の部屋を見回した時に、フランス語で書かれた絵葉書が数枚あった。性病についても、フランスの方が進んでいる。そうすれば、解けてくるだろう?」

「我々が見落としていた部分ですな。しかし、今回もお見事でしたぞ」

「世辞はいらないよ。後はヤードの諸君、任せたよ」

 そう言って、パーシーは振り向いた。

「帰ろう、アンソニー君。二人で祝杯を挙げにね」

「はい!」

 アンソニーは言葉を継いだ。

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