第39話 スチュアートの葬儀
それからの記憶は、朝の小鳥の囀りと共に朝日を浴びる迄、存在していなかった。
光がカーテンの隙間から差し込んで、無理やりにでも覚醒させられる。昨日は仕着せの儘眠っていたらしい。懐から取り出した懐中時計は、七時をさしている。慌ててもう一着のアイロンがけ済みの仕着せに着替えて、整髪剤で髪を整え、パーシーの部屋へと急いだ。三十分程寝坊してしまった。
その代償は、大きなものだ。
「お早う、アンソニー君」
寝巻の儘、パーシーは寝台の前で仁王立ちしていた。
「君にしては珍しい失態だね。覚めない夢でも見ていたのかい?」
「すみません、パーシー様。今、御髪を整えます」
アンソニーが整髪剤を手に取る。
「今日は、ブラックモア伯爵夫妻の葬儀の日です。季節がら、オールバックにしましょうか」
「そうだね」
髪を弄られる儘になりながら、パーシーは答えた。
髪が終われば、次は喪服だ。もう冬に近い。アンソニーはクローゼットから喪服と、黒いインバネスコートを取り出した。それから、棚からシルクハットを取り出すと、パーシーの頭に、丁寧に被らせた。
「いつも有難う、アンソニー君」
「いいえ、お気になさらないでください」
「行こうか。親友との、最後の別れだ」
ステッキを受け取り、パーシーは何処か寂し気に呟いた。
玄関に来ると、モーリス自らサンドイッチを包んだ簡易な弁当を持って待っていた。
「お気をつけて、帰ってきてください。お帰りは、夜も更ける頃でしょう。お夜食も、ご要望であればお作り致しますので」
普段寡黙な男が、主人の前ではこんなにもかわるものか。アンソニーは些か驚いていた。
「有難う、モーリス。行ってくるよ」
アンソニーが弁当を受け取った事を確かめると、パーシーは歩き出した。
外に出て、馬車に乗り込む。昨日もそうだった。
果たして、今回はどんな事柄が待っているのだろう。
サンドイッチは、クレソンとキュウリ、そうしてハムの三種類だった。揺れる馬車の中で食べるのは大変だったが、一つも床に落ちる事もなく、二人の腹におさまった。
太陽が天上の真上につく頃、ブラックモア伯爵領にある教会に辿り着いた。
「いやはや、腰が参ってしまうよ」
長旅に、パーシーは腰をさする。
そうして、葬列を見つけると、
「もう、始まってしまっているようだね」
そう言って、墓地の隣に走る道を駆けていった。
貴族間の葬儀には、その持っている財産や土地によって、葬儀屋の手配も数種類のものに分けられる。ブラックモア伯爵家は名家だ。手向けの花や、別れを惜しむ親戚たちが駆けつけていた。
アンソニーは、棺の中で眠る二人の顔を見た。銃弾によって砕かれた部分には黒い布がかけてあり、残った半分の顔が、安らかに目を閉じていた。
「さようなら、スチュアート……」
ヴァレットは棺に赤い薔薇の花を捧げる主人を見つめていた。その片方の頬には、雨のように涙が伝っている。“犯罪者”。そう述べていても、やはり幼馴染の死は辛いものだ。
パーシーは棺から離れ、最前列に座る老いた夫婦を見た。スチュアート・ブラックモアの両親だ。スチュアートの生前に、領土に関わる全ての権限を渡している。彼等には、子供はスチュアートのみで、そのスチュアートにも子供がいない。
ブラックモア伯爵家は、手向けの花と共に散って行くのだ。
「お久しぶりです」
シルクハットを取って、パーシーは挨拶する。
「おお、パーシー君か」
スチュアートの父親は、顔を上げた。
「この度は、息子の不祥事ですまなかった……」
「いいえ、誰も悪くなどありませんよ」
パーシーは言葉を継ぐ。
「一番辛いのは、家族ですから」
これは、己の経験から来ている言葉なのだろうか。主人の背後に立ち、アンソニーは思考する。
両親を亡くしたばかりの、幼かった頃のパーシーが、周りからかけて貰いたかった言葉ではないだろうか。
そんな話をしている間に、葬儀屋がやってきて、棺を墓地迄運ぶ為に集めた領民と共に、持ち上げた。
「本当に、最後なのだな……」
スチュアートの父は呟く。己よりも先に逝ってしまった息子への、これは悲しみの言葉なのだろう。
二つの棺は、墓地の一番奥——歴代領主の眠る小高い丘へと運ばれた。既に土は掘り返されてていて、後は棺を納めるのみとなっていた。
土の中に棺は入れられ、人々は再び手向けの花を投げる。それが終わると、スチュアート・ブラックモア伯爵夫妻は、地上と永遠の別離をする事になる。土がかけられ、それは現実になった。
アンソニーは、ふとパーシーを見る。その頬には、葬儀の時のように、涙が伝っていた。瞳も潤み、何処か生々しさすら感じる。このような所で考えるのは不謹慎だろうが、主人の横顔は、性交を誘う娼婦にも思えた。
「パーシー様」
思わず、彼は主人の名を呼んでいた。
「何だい? アンソニー君」
埋められて行く棺に視線を遣った儘、パーシーは言った。
「いえ……」
かけられる言葉が見つからない。アンソニーは刹那戸惑い、唇を開いた。
「私は、永遠にあなたの元におります。あなたが亡くなる際も、その手を握っております」
「あはは、嬉しいなぁ……」
その声は、濡れているように思えた。
「スチュアートは、本当に満足した生を送れたのだろうか」
「パーシー様、」
「僕と知り合わなければ、こんな最後を迎える事はなかっただろうに……」
「パーシー様!」
思わず、アンソニーは華奢なその身体を後ろから抱きしめていた。
「自らを貶めるのはお止めください! あなたの人生が運命づけられているように、スチュアート様の人生も、運命の女神がその糸を切ったのです!」
アンソニーの声に、周囲の目線が集まる。それを無視して、彼は言葉を継いだ。
「そう、かな」
パーシーは、小さく呟いた。
「お嘆きなのは判ります。しかし、それを悲観したあなたを自害に追い込むようなスチュアート様を、私は絶対に許す事はないでしょう!」
「有難う、アンソニー君……」
パーシーの声が、段々とはっきりしてくる。もう大丈夫だろう。アンソニーはその腕を離した。
「パーシー君は、良いヴァレットをお持ちだ」
スチュアートの父親が言った。そうしてアンソニーへと手を伸ばすと、
「これからも世話になるかもしれない。よろしく」
そう言って、握手を求めてきた。
「私なんかと握手をして、領民の顰蹙≪ひんしゅく≫をかいませんか?」
「ブラックモア伯爵家は、限りなく領民——庶民との繋がりが深い。大丈夫だ」
「判りました」
アンソニーはその手を取った。老人特有の、骨が判る程の皺のよったくしゃくしゃな手は、確りと、それを握り返してきた。
「息子と、その嫁の最後を見ていてくれて有難う……」
涙声で、老人は言葉を吐いた。
その後、滞りなくブラックモア伯爵夫妻の葬儀も終わり、パーシーは再びアンソニーと共にその領土を後にした。既に夕暮れが、馬車の閉められていないカーテンから射しこんでくる。それを暑いと感じたのか、パーシーは馬車のカーテンを閉めた。
「向かいも閉め給え」
パーシーは言う。アンソニーは頷き、それに従った。
「君がいて呉れて有難かったよ、アンソニー君」
ステッキで馬車の床を叩き、パーシーが言った。馬車の中のランタンに揺れる炎が、二人を照らす。淡いその光の中でみる主人は、やはり酷く生々しく思える。
こんな娼婦を抱けたなら、どんなに良いものだろうか。
やがて、
「黄昏時が過ぎたようだ」
カーテンを軽く開き、パーシーは言葉を紡いだ。
「見給え。もう月も昇っているよ」
揺れる馬車の中で、彼は楽し気に外を眺めている。向かいに座っているアンソニーは、カーテンを開いた。
確かに、大きな月が天に昇っている。
「綺麗ですね」
アンソニーが言うと、
「何処か恐怖を覚えるね」
パーシーは呟いた。
「こんな夜は、鬼がでる。殺人鬼という名のね」
「それは、勘ですか?」
アンソニーは尋ねた。
「どうだろうね」
はぐらかすように、パーシーは笑った。
満月が夜空を支配したその夜。ロンドン、イーストエンド地区のとある一室で、再び一人の娼婦の命が途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます