第8話 賭け事の行方

 アンソニーが彼の部屋に入ると、ジェイクは丁度使用人用の食堂から持ってきた昼食のパンを、口に放り込んだ所だった。

「どうしたんだ? アンソニー」

「殺人現場に踏み入れた為、パーシー様の靴が汚れてしまったのと、あと、馬車の床が血塗れに……」

 申し訳なさそうに、アンソニーはパーシーの履いていた靴を床に置き、こうべを垂れた。

「なぁに、気にすることはないよ。──って、いつから君はパーシー様と呼ぶように?」

 ヒースコート家に長く勤める従僕は、目を見開いた。

「最近ですね。うっかり、イーストエンドのホワイトチャペル付近を丸腰で走っていかれたので、咄嗟に呼んでしまってから……」

「成る程。俺は賭けに勝ったようだ」

 薄暗い部屋の中で、ジェイク・バーロウは足を組んだ。

「賭け?」

アンソニーは問い返す。すると彼は慌てたように、言葉を取り繕った。

「ま、まぁ何でもないよ。君ももう、ヒースコート家の一員だね」

 フットマンは主人と同じ事を口にする。少し嬉しくなって、僅かな後悔も消えていった。


 後から聞いた所によれば、アンソニーがいつ主人の呼び名をパーシヴァルからパーシーに変わるか。屋敷の使用人の間で密やかに賭けをしていたのだと言う。


「食事は?」

 立ち上がり、身体を伸ばしながらジェイクは言った。

「これからです」

「コックのマシューが言っていたが、少し料理が余っているそうだ。今日はご馳走にありつけるかも知れないよ」

 共に外へと出つつ、ジェイクは言った。

「取り敢えず、厨房に向かうと良い」

「有難うございます」

「俺は馬車の掃除だ。またな」

 背を向けて手を振りながら、ジェイクは玄関へと歩いていった。独り残されたアンソニーは、踵を返して、厨房へと続く階段を下りた。

 厨房は同じ使用人でも、入るのを躊躇う者も多い場所だ。コック長が全てを仕切る城があるようなものだ。更に、この時代には珍しい、男性使用人達がコックを勤めている。それに加え、使用人としての位が高いアンソニーは、コック長、モーリス・ブルックが少し苦手だった。

 彼は、子供時代からこの屋敷のキッチンに父親と共に立っていた、生まれながらのヒースコート邸の使用人だと言う。


「すみません、」

 アンソニーは厨房に続く扉を叩いた。

「誰だ」

 直ぐに声が返される。この声は、コック長のモーリスのものだ。

「すいません、アンソニー・ブルーウッドです。フットマンのジェイクから、昼食が余っていると聞かされまして……」

「──入れ」

 扉越しに、コック長は話しかけてくる。

「失礼します」

 アンソニーはそう言って、扉を開いた。

 厨房の中には、数名のコックが椅子に座り、皆各々昼休みを取っていた。その中に、先程ジェイクが言っていたマシューの姿もある。コック達は既に賄い飯を済ませたようで、洗われたばかりの食器に、雨粒のような水滴が流れていた。


「パーシー様は今?」

 シンクに頬杖をつき、モーリスは言った。

「自室にて、お休みになられています」

 アンソニーは答える。

「起こすのは三時頃で良いと言われたので、二時間程時間が余りまして……」

「成る程な」

 コック長は幾度か頷き、

「昼飯が余っているのは事実だ。食べていけ」

 と、言った。

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