第26話 それはかなわぬ望みなのかもしれない
「いったい、何があったんだ? マリーシャ」
「……なニ、なニがあったデすっテ」
パーシルはランタンを床に置き、身構えた。
ランタンが照らす光の限界ギリギリに『彼女』は立っていた。
腰まで伸びたぼさぼさの長い髪、生気がない痩せた体。
だが、その両腕は人の長さではなく、地面に指先がこすれそうなほど長い。
「あナたが、ナにモ、ワかっテくレなイからじゃナい!」
彼女はその腕を振り上げ、パーシルに向け振りかぶった。
とっさにパーシルは一歩横に動き、その射線から逃れる。
彼女の腕はムチのようにしなり、伸び床が砕ける音とともに、パーシルがいた場所を砕いた。
「……それは、君がいなくなったから」
「ナラ、どウしテ、オいカけテくれナかったノ!」
二度三度、わめく子供の様に両手を振りおろし彼女はムチのように伸びる腕を叩きつける。
パーシルは剣を抜き、その側面を盾として彼女の腕を受けた。
強烈な衝撃がパーシルを襲い、剣は足元にはたき落された。
「マリーシャ! 話を聞いてくれ!」
「あノこはワたしノこじゃナい! だカらコろす!」
「確かに考え方によっては俺たちの子ではないのかもしれない。だけどあの子を殺したところで何になるというんだ!」
「ナルのヨ、タくサンのイノチをウばい、あのコのカラだニそぎコめば、あのコはうまれかわるの! ヴェインになルの! ワタシみたいに!」
狂気的な笑顔を浮かべるマリーシャ。
パーシルの脳裏に先ほどの資料の言葉がよみがえる。
この宗教の祭り挙げる神は生まれ変わりをつかさどるものだという。
パーシルは理解し、剣を拾い上げた。
妻は殺されたのだと。
殺されて、魔物に生まれ変えさせられたのだと。
――彼女を止めよう。
彼女にもはや理性はなく、願望だけがゆがみ暴走している。
パーシルは剣を構え、決意した。
「そうなると、ヴェインは君のようになるのか?」
「そウよ! ソうなのよ! そのトオリよ! パーシル、ワカるノネ」
「いいや、あの子がヴェインなんだ。俺とマリーシャが授かった子供なんだよ」
「ウソよ! そんなハずはない」
今度は腕を横に振り、彼女は、影の魔物はしなる腕を薙ぎ払う。
パーシルはそれに合わせるように剣の刃を添える。
――どうしてこうなったのだろう。
パーシルの剣にぶつかった腕が切断されはじけ飛ぶ。
衝撃がパーシルを襲うが、受け身を取り、すぐさまパーシルは立ち上がった。
「チがウ! ゼッタいニ!!」
切られていない腕を刃物ののように変形させ、影の魔物は叩きつけてくる。
すさまじい速度の一撃だが、パーシルにはその軌道が予測できていた。
――どうして……。
パーシルは体をねじり、その斬撃を避ける。
砕けた石畳の破片がパーシルの顔にぶつかるが、彼はお構いなしに一歩前に出た。
――いや。
パーシルと、影の魔物との距離が縮まる。
影の魔物は刃物に変えた腕を素早く引き戻し、大きく横に払った。
腹部の両断を狙った軌道だ。パーシルはとっさ前に距離を詰め、その腕に剣の刃を添える。
最初の腕と同様にパーシルは弾き飛ばされながらも、影の魔物の二本目の腕を切断する。
――俺だって、俺の息子は、俺の息子でなく『異世界転生者』なのかもしれないと、思っていた。
両腕を切断し、好機と判断したパーシルは影の魔物に、剣を構え突っ込んでいく。
影の魔物は肩から第三の腕を生やし、槍のように尖らせ、パーシルを迎え撃つべく、突き出した。
とっさのことでパーシルは、反応が遅れた。
――それでも!
パーシルの肩に影の槍が突き刺さる。
だが、パーシルの剣も、影の魔物の胸に届いていた。
「ぐァ……!」
「しんで、おナじになりましょう。あなたも、パーシル!」
だが、それだけでは影の魔物は殺しきれなった。
無数の腕が影の魔物の背中から生え、それらすべてが凶器となり、抱きしめるように、殺意をもってパーシルに襲い掛かる。
――それでも! ヴェインは!
「――灯火よ集え。道迷わぬように、燃して明かりを授けたまえ!」
パーシルは呪文を詠唱した。
それは自身の持ち物に炎を授ける初級魔術。
本来は洞窟での探索等に用いられ、明かりの代わりに使われるものだ。
そしてそれは、ヴェインの名前の由来となった魔術でもあった。
パーシルの詠唱に応え、彼の剣の刀身が燃え上がり、貫いた影の魔物もまた燃え上がっていく。
「いや、イや、イヤぁぁ!!」
自身が燃え上がり、光源となったため、どこへ行こうとも影が生まれず、影の魔物はもはや、自身が燃え尽きるのを待つだけとなった。
「どうして、どうしてなのパーシル。どうして!」
はっきりと妻の声が聞こえた。
だが、パーシルは魔術の影響で膝を突き、顔を上げてその顔を見ることができなった。
「これ以上、マリーシャに迷ってほしくなかった……」
影の魔物は崩れ、その頭がごろりとパーシルの目の前に転がってきた。
炎が消えたそれは影の色をしていたが確かにマリーシャの顔をしていた。
背に置いたランプのせいか、パーシル自身の影が彼女の頭を覆い、その表情は泣いているのか、笑っているのか、彼にはわからなかった。
「私は、ただ、あなたと白紙のあの子を育てたかったの」
「……俺だって、マリーシャと一緒にヴェインを育てたかったよ」
「アア、ああ、ァァァァァ……」
そして、彼女は、パーシルの陰に溶けるように消えて行った。
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