3、白猫が美青年になった件

 フィロシュネーは足元に寄ってきた白猫に気づいて、抱き上げた。

 

(この白猫は、隣国のお客様がお連れの愛玩動物ペットではないかしら? 首輪のサイズが合っていなくて苦しそう。可哀想に)


 首輪を外すと、白猫は感謝するように鳴いた。

 

「にゃぁーん」

 

 すりすりと頬を寄せてくる。

 人懐こい猫だ。可愛い。


(ふふっ、癒されるわ。わたくし、揉め事よりも猫ちゃんと仲良くするほうが好き! 人生は限りあるもの、時間はとっても貴重なの。お父様だって『花の命は短い』とよく仰るもの。サイラスとのお話は終わりにしましょう)

 

「まあ、サイラスが物語の英雄みたいになるのは無理でしょう。なので、さようなら……――!?」

 

 フィロシュネーは気紛れに白猫のひたいにキスを落とした。すると、ふわっと目の前に白い光が咲いた。


「えっ」

「んっ?」


 フィロシュネーの驚きの声に青年の声が重なる。光に包まれた白猫は、一瞬で人間の青年へと変身した。

 それも、白銀の髪と王族の瞳をした全裸の美青年だ。


「きゃーーーーーーっ!!」


 近くにいた侍女が悲鳴をあげる。


 異常事態だ。

 でも、フィロシュネーは身動きができなかった。数秒間、感情が驚愕の一色で染まって、全身が凍り付いていた。


 どこか女性的な美しさも感じさせる、中性的な雰囲気。

 浮世離れした気配。

 光が収まって、その美青年がぽつんと残る。全裸で。

  

「にゃあ? あれ、私は人間? にゃーお?」

 

 その全裸青年が「自分が猫なのか人間なのか」という戸惑い全開の気配でのしかかってくる。


「ひっ?」

(待って。なぜこっちに倒れ込んできますの?)


「きゃーーーっ!! 姫様が押し倒されましたわーっ!」

 

 押されるまま青年と一緒に倒れこみながら、フィロシュネーは周囲の悲鳴と怒号を聞いた。


「無礼者!!」

「侵入者だ、衛兵! 衛兵!」

 

 わたくしは今、全裸の青年に襲われている――フィロシュネーは他人から見える自分の状況を認識して真っ赤になった。


「きゃ、きゃぁ……」


 自分の体なのに、思うように動かせない。

 悲鳴をあげようにも大きな声が出ない。


 動揺した自分は威厳がなくて、無力な感じがして、フィロシュネーはショックを受けた。

 

 いと貴き青王の第一王女、特別なフィロシュネーは、普通ではいけない。


 もっと優雅に、けれど可憐に、「このお姫様は特別で、自分たち凡庸な民とは違うのだ」と周囲に感じさせるように対応してみせなければならない。例えば「無礼者、正義を執行します!」「わたくしに触れるのではありませんっ」とバッサリと言ってのけるとか。


 なのに、今の自分はただ怯えている無力な小娘だ。よろしくない――そう思うのに、身体が竦んでいるのだ。びっくりして、何もできないのだ。

 このときフィロシュネーは「自分がただの小娘だ」とわからせられてしまったような感覚に陥っていた。

 

 自分を押し倒した青年の形の良い唇が「あれえ」と言葉を紡ぐ。


「私は人間ですか? ここ、どこぉ? 人形たちがみんな、本物の人間みたぁい」


 恥じらいも危機感も、何かをしようとする意思もない。

 おかしい。様子がとてもおかしい。

 

「その御方から離れろ、変態め」

 

 サイラスの声がする。ちょっと怖い声だ。

 先ほどまで話していたときより剣呑で、フィロシュネーはどきりとした。


 覆いかぶさっていた青年が引っぺがされる。侍女や騎士の腕が伸びてきて、フィロシュネーは救出された。


「姫様ぁー! だ、大丈夫ですかぁー!?」

 

 赤毛の侍女が泣いている。

 名前も知らない侍女へと、フィロシュネーはコクコクと頷いた。


「だ、だ、だい、だい……」

 大丈夫と言いたいのに、うまく言えない。動揺している自分が、

 侍女は「怖かったのですねー‼」と同情するように言って、フィロシュネーを抱きしめた。


 あたたかかさを感じて、フィロシュネーはほろりと涙が出そうになった。


「ああっ、姫様の名誉が傷ついてしまいました。許せませんね、あの変態。この世のものと思えないほど綺麗な男でしたけど……」

 

 赤毛の侍女が、ぐすぐすと泣いている。

    

(そ、そうね) 

 自分は全裸の男性に襲われたのだ。大事件だ。「傷物にされた」と貴族社会で囁かれるかもしれない……?

(いやらしい気配ではなかったけど、それでも名誉は大きく傷つきますわ……お相手、裸ですし……)

 

 他国の兵と自国の兵が押し合いへし合い問答して、青年の身柄を巡って現場は大混乱だ。

 

「お待ちください、その御方を傷つけてはなりません! その御方は呪われて猫の姿になっていた我が国の王兄ハルシオン殿下なのです!」

「我が国の王女殿下を襲ったのだぞ!?」  

「ハルシオン殿下、ガウンをお持ちしました。殿下、私がわかりますか? この指が何本に見えますか?」

 

 指を立てて認識確認をする騎士に、ハルシオンは「指がちゃんとあって偉いね」などと返事していてからサイラスに視線を移し、むにゃむにゃと寝言みたいな声を零した。

 

「むにゃむにゃ。あー、あなたは、外から来た新人類ではないですか。うちの娘を連れていっちゃうんですかぁ? 私は、私は……変態、ですかぁ。それ、私の名前?」

「何を言っているんだ? 正気ではないな、この男……」

 

(正気ではない。『変態』。そうね、そんな感じだわ……、あっ……?)


 ストンとその言葉が胸に落ちる。

 と同時に、フィロシュネーの中で何かがはじけた。

  

「あ、あ……っ?」

 白昼夢のように、その刹那、フィロシュネーの脳裏に現実と違う光景が閃いた。


 それは『自分が刺されて倒れ込み、死ぬ』という光景だった。

 見知らぬ果樹園を自分が歩いていて、たった今出会った『ハルシオン』そっくりの青年に殺される――そんな光景だ。

 

「え、ええっ……いや……!」

 

 目を見開いて呻くフィロシュネーに、周囲は狼狽えた。

 

 この箱入りの姫君はとてもショックを受けていて、可哀想なほど顔色を失い、震えあがっている。これは一大事、と医者が呼ばれて、抱き上げられて部屋へと運び込まれる。

 

「姫様、もう御身は大丈夫ですからお気を確かに……姫様!?」

 

 フィロシュネーは運ばれる途中で現実に意識を戻し、「あれっ」と思った。

 

 先ほどの白昼夢の中で、フィロシュネーは自分を殺したハルシオンのことを今わの際に「カントループお父様」と呼んだのだ。もうわけがわからない。


「わたくし、気が触れてしまったの?」

「姫様は突然の事件で一時的に強くお心を動揺させておられるだけです。ご不安でしょうが、お薬を飲んで今夜はもうお休みください」

 

 医者は「この姫に何かあれば自分の首が飛ぶ」と真っ青になりながらフィロシュネーに精神を落ち着かせる薬と睡眠導入薬を処方し、寝かしつけた。


「わたくし、夢をみたのかしら。夜にみる悪夢とはぜんぜん違う雰囲気でしたけど」


 そしてこれからまた寝るの? そういえば、わたくしを抱き上げて部屋に運んでくれたのはサイラスだったように思うのだけど、あれは現実かしら、夢かしら。


 ちょっと心配してくれていた気がする。


 すっかり混乱しつつ、フィロシュネーは薬に導かれて眠りに落ちて、翌朝にはすっきりとした気分で目覚めたのだった。

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