らしさ

コウゾウ

序章

”自分の夢に向かって確信を持って歩み、 自分が思い描く人生を送ろうと努めるならば、 きっと思いがけない成功にめぐり合うだろう”


If one advances confidently in the direction of his dreams, and endeavors to live the life which he has imagined, he will meet with a success unexpected in common hours.


Henry David Thoreau(一八一七 – 一八六二) アメリカ/ 作家・詩人・思想家のことばより



 いつの間にか、高校生と呼ばれる特別期間は終わっていた。

二〇二一年の三月九日火曜日。白田 康太朗しらた こうたろう十八歳。進学先は未定のまま卒業証書授与式を終えた。


 必死に勉強してきたこの三年間、志望していた理系化学専攻の大学からは軒並み不合格通知をたたきつけられ浪人生活が意図せず始まる。同級生は当たり前のように進学先が決まって新しい生活に胸躍らせているというのに。自分はまた同じ勉強の繰り返しを強いられる生活が待ち受けていることに憤りを感じていた。

「康太朗はどうすんだよ。」

卒業式なんて早く終わってしまえと耽っていたところに一番今耳にしたくない言葉を投げつけられた。

「どうするって…浪人するしかないんだよ。お前は指定校だろ?」

まぁな。と卒業アルバムを抱えたまま立つ祥太しょうたに不貞腐れながらも返す。

「お前さぁ、レベル高いとこばっか目指すからだよ。こだわらなければいくらだって行く場所あっただろ。俺と違って成績好いんだし。」

そんなこと言われたところで自分が浪人することには変わりはないのだ。

「そんで?浪人する俺になんか用?」

「まぁまぁそんな拗ねンなって!ローニンってよくある話なんじゃねぇの?気にすることねぇだろ!んで、俺はそんなお前に寄せ書きしに来た!!」

「いらねぇよ、別に…。」

そう言いながらもアルバムを差し出すと何やら書き込んでいた。俺の分の書いといて!と差し出された祥太のアルバムの余白にはカラフルに彩られた文字で埋め尽くされていた。どれも未来に向かって希望にあふれるメッセージばかりで今の自分には少し吐き気すら催した。

空いている場所をなんとか見つけ出し、当たり障りないことを書き込んではそのまま差し出した。祥太からは『今だな!と思った時に読むこと!』とアルバムを突き返されたので適当に返事を返しておいた。


 自分には関係のない将来の話をする担任をぼんやり眺めて卒業式はあっけなく終わった。


 三月末。浪人生活が始まった。今日から改めて今までの勉強の復習をする日が始まる。予備校の教室では自分と同士だろうと思われる学生が肩を並べて粛々と勉強していた。

(またこんな空気の中で一年間勉強するのか…。)

理解わかっていたはずの現実に教材の詰まったかばんが一層重く感じた。とにかく来年の今頃、ここから抜け出せていたらいいんだ。今はただそう思うことでしか自分を鼓舞することはできなかった。



 五月のある日。初夏の気候を感じ世の中が連休で賑わう中、今日も康太朗は重い足を引きずりながら予備校から帰る途中にいた。片手に持った手垢で汚れた英単語帳はところどころ開き癖が付き、何度も何度も繰り返し見返した形跡が見られる。帰り道でも時間がもったいなく感じて最近はもっぱら英単語を見ながら帰っていた。今日も月明かりを感じながら歩いていたが、どういうわけかその日は道を間違えたようだった。ぽつぽつと街頭に照らされているとはいえ夜道は視界が悪く少し道に迷ったようだ。

「めんどくせぇなぁ…。」

ぼそりと言葉を発するとスマホを取り出しマップアプリを立ち上げる。どこで道を間違えたのか、曲がり損ねたのかわからないがどうやらあまり来たことのない場所まで来ていたらしい。自宅の住所を入力して作り出されたナビに沿って歩くと急にぱっと開けた場所に出た。


 そこには、誰が描いたかもわからない絵が視界いっぱいに広がっていた。壁の高さは自分の身長を優に超え、二メートルほどだろうか。幅は夜のせいもあってか端は見えず、暗闇に溶けていっていた。

「なんだ…これ…。」

今までに感じたことのない感情をもった。びりびりと皮膚がしびれるような感覚に飲み込まれそうになりながらも目の前に広がる景色から目が離せなかった。

ビビットな色味がふんだんに使われ、あらゆる生き物や文字が一面に敷き詰められていた。しばらく時間を忘れたように眺めたのち、壁のふもとにはペンキ缶と刷毛のようなものと見慣れない道具がおかれていることに気付き驚いた。


 二〇一〇年代頃から人工知能AIの発展は著しく進み今や人が何かモノを創ることが殆どなくなっているというのに。職人技というものも限りなくゼロになり、世に出回るもののおおよそはAIを駆使した技術によってデジタルの世界で創られている。日用品や服飾などの刺繡もどれもAI学習した機械がこなしているのだ。いわゆる職人が創るアナログなものは法外な値段で交渉されており、それに伴い教育機関は芸術学問に対する進学を推進するのもほぼ辞めているような状態だ。そんな中でも美術大学に進学するものは相当なもの好きか、職人家系の者のみだった。


 康太朗はなんとなく聞いたことのある”職人”という存在以外に何かを創り続けている人が存在していることに驚きと経験したことのない感情を持った。

(AIじゃないこんなの描けるのか…。)

高値で取り扱われるアナログなものを見ることはたまに足を運ぶ博物館程度で、こんなにまじまじと触れられる距離に近寄るのはもちろんはじめてだった。

間近でみる刷毛の跡や文字の乱れは康太朗の目には酷く新鮮に、色鮮やかに映り、言葉には表現できなかった。

そっと壁を触ろうとしたとき、その手を遮るような声が夜道に轟き同時に持っていたスマホを落とす。

「ちょっと!さわらないでよ!」

だぼっとしたフードパーカーにさらに目深にキャップを被り、ペンキで汚れたパンツ姿の人物がこちらに向かって話しかけていた。

「えっこれ、描いたん、すか…?」

壁を指さしながら訪ねると、その人物は康太朗のスマホを拾い上げながら答えた。

「だったらなんなの?イホウだとかいうわけ?」

「いや。そうじゃなくって…すごい…なって…。AIじゃないんすよね…?」

「…AIは…所詮AIだよ…。」

ぼそっとうまく聞き取れないほどの声は女性だろうか。

「…それ…まだ乾いてないから。触っちゃだめだよ。…はい、これ。」

そう差し出されたスマホを受け取ると、じゃあね、と少女と思われる人物は闇に消えてしまった。

ヴヴヴ…という振動とともにスマホは通知を画面に映し出す。

『あんたいつまで帰ってこないつもりなの?』

母親からの連絡だった。

時間を見ると体感よりもずっと時間が経っており、急いで帰宅した。


康太朗の中で何かが動き出したように感じた。

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