第7話 アイスの棒

 それは、アイスの棒に始まった。


 その夜、僕らはデートで公園のベンチにいた。スーパーで安売りのアイスを買ってほくほくだ。僕が選んだのはミルクのやつで、彼女のはホワイトチョコミント。

 彼女はミント系の味には初挑戦だった。職場のおしゃれな先輩が強固なチョコミント党員で、ハミガキ味とは知っていながらもちょっと気になっていたんだそうだ。彼女は、体にも優しいホワイトチョコタイプだからこれは試すしかない、とはしゃいでいた。

 僕らはチョコレートを食べると腹を下すけど、ホワイトチョコは下痢ピー成分が少なめなので、大量に食べなければ何とかいける。

 しかし、僕が思っていた通り二口目で「この味苦手かも」が出た。彼女は残念そうだ。アイボリーとミントブルーがマーブルになったアイスバーを我慢している顔つきで食べていたけど、彼女はとうとうアイスの塊が二口分しがみついている棒を僕に渡してきた。

 

「やっぱりこの味苦手。残り、食べてくれる?」

「いいよ」


 ホワイトチョコミント味のアイスクリームは初めてだったけど、悪くない。

 僕は庭にわっさわさ生えているミントでミントティやノンアルコールのモヒートをつくってよく飲む。だから薄荷の匂いにはあまり抵抗はない。むしろ好きだ。


「……んー、結構好きかも」

「よかったぁ! その棒、お店に持ってったらもう1本食べられるよ」

「え、この棒?」

「ほら、こっち側のここ見て。当たりって書いてあるでしょ」


 僕が見ていたのと反対の白木の肌に、「あたり」の焼き印があった。当たりくじ付きを謳っているアイスバーに実際に当たりが存在するなんて都市伝説程度に思っていたので、僕はつい小躍りしてしまった。彼女もニコニコして僕に優しく頭突きする。

 はた目から見たら、おめでたいバカップルだったと思う。おめでたいのは当然だ、あたり棒を引いたんだから。

 ひとしきり騒いだ後、僕はその棒を大切にジーンズのポケットに入れた。


 帰宅後、僕はいつも通り彼女の痕跡をできるだけ消して、ハッピーな気持ちでベッドに入った。

 明日は土曜、弁当を作る必要はない。兄も休みでゆっくり寝るだろうから朝食の支度もせかせかしなくていい。

 洗濯も今の季節はよく乾くからのんびりやろう。


 そんな甘い考えを抱いてぐーすか寝て、物音で目が覚めた。

 誰かが台所でガタガタやっている。

 誰かと言っても僕以外には一人しかいない。

 兄も休みの日には家事を手伝ってくれることがあるので、僕は気にせず二度寝をキメた。


 三十分ほどして起きてダイニングに行くと、炒り卵ののった丼飯と青菜の味噌汁が僕の席に置かれていた。

 僕の席の向かいに、兄が座っている。


「おはよう」

「おはよう」

「朝ごはん、作ったんだ」

「うん」

「自分のは」

「もう食べた」


 だしや牛乳を加えず、ただほんの少しの調味料を入れただけの煎り玉子はぼっそぼそで、そこにちょっと鰹節ともみ海苔が天盛りしてある。TKGで済ませがちな兄にしては結構手の込んだ料理だ。ほんの少し減塩醤油を垂らして食べる。

 たまに自分のじゃない手料理を食べるとうまく感じる。

 さっそく褒めて兄の家事への意欲を育てようとしたが、兄の顔を見て僕は箸が止まった。

 端正な顔には表情がなく、切れ長の目は涼しさを通り越して冷凍室の冷たさだった。


「今日はすっきり目が覚めたから、いつも苦労かけてるからたまにはと思って朝食作って、洗濯もしてもう干した」


 内容とはかけ離れた、なんだか挑発的な口調だった。


「……サンキュー」

「それで、ちょっと聞きたいことがある」

「何だよ」


 僕は食べ終わった器を運び、流しに置いたままだった兄の食器と一緒に洗う。

 兄は静かに尋ねた。


「昨日、どこで誰と何してたんだ。ずいぶん遅いお帰りだったみたいだけど」

「どこで誰と何してても関係ないだろ」

「心配して悪いか」

「迷惑かけてないんだからいいじゃん。僕ももう大人なんだし」 

「そうそう、オトナだもんな、僕と違って」


 イラッと来る。

 兄は立ち上がってエレガントな手つきで細長いものをエプロンのポケットから取り出して僕に見せた。


「これが、洗濯もののズボンのポケットに入ってたんだけど」


 ヤバい。

 アイスバーの棒だ。

 ポケットに入れて、そのまま忘れてたんだ。


「き、昨日、それ、道端で拾ってさ、当たってるし、持って帰ってきたんだ」

「まあ、そういうこともある……かもしれないよね」


 兄はその白木の平たい棒を鼻先に持っていき、嗅いで見せた。


「かわいーい女の子がぺろぺろした匂いがするんだけどなーぁ?」


 兄は人間女子には「可愛い女の子」なんて言わない。言うのは自分の性指向の対象であるタヌキ女子だけ。

 もう、その棒を舐め回していたのがタヌキっであるのはバレている。僕たちはイヌ科だから、仕方がない。タヌキ女子の存在にナーバスな兄なら、ひと一倍敏感だろう。


「いや、ほんとに、道端に落ちてたんだよ」

「これ、君がしゃぶった匂いもするんだけど」

「しゃぶってない! ただ……」

「ただ?」

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