第3話 モノシラズ

 今日は曇り。この後小雨が降るらしい。

 屋外を歩くには向いていない日だと思う。

 

 人間の世界にやってきたのもこんな日だった。

 僕らは念入りに人間に化け、拾った服を着て精一杯めかし込んでいた。今思えばとても頓珍漢な出で立ちだ。

 兄はアルバイトで稼いだ日本円をぼろぼろの巾着に入れ、後生大事に握りしめていた。どういうアルバイトなのかと聞くと、兄は人間の通貨を拾いに街へ出たときに、面妖な格好の人間の女たちに囲まれ「金なら出す、写真を撮らせてくれ」と言われたらしい。渡された服を着て偽物の刀や銃を構えたり、寝そべって胸をはだけたりした写真を撮ってもらっただけで一万円ほどもらえたという。その服はぺらぺらてかてかとした化学繊維で変な飾りがじゃらじゃらついていて、非常に着心地が悪かったそうだ。

 またある時は、香水で鼻がもげそうに臭い紳士や淑女に食事を奢られ、小遣いとは到底かけ離れた額の札束を懐にねじ込まれたとか。

 兄曰く、それを数回繰り返すとまあまあいい金になった、と。

 兄はその頃について思い出すと、本当にモノシラズだった、と遠い目をする。


 ともかく、僕らはおぼこい田舎者丸出しでここへやってきた。

 兄は勉強に勉強を重ねて難関大学を受験し、僕はいやいやながらその辺の高校を受けた。兄はどういう手を使ったのかコセキやジュウミンヒョウまで支度していて、入学も就職もすんなりとできた。

 タヌキにしてはスマートに様々な手続きをこなしている兄だったが、やはりまごつくこともある。そういうときは、親切そうな人間が雌雄問わずやってきて、さくっと手伝ってくれるので苦労はないのだが、兄に馴れ馴れしく触ったり、手伝ってやったんだからつきあえ、などとを言ったりする気味の悪いのが半数ほどいた。さらにその半数は手伝ってくれたときの書類で知った僕らの住所や電話番号を悪用して粘着してきた。

 人間の親切は信じないほうがよいのだ。

 僕らは幾晩もタヌキの姿でパトロールし、家の近くをうろつく変なやつに噛みついて追い払った。

 当然、僕ら兄弟は心底疲れてしまい、二回ほど引っ越して今のこの家に住み着いてな平穏を手に入れた。

 

 雨音の中、僕は常備菜を作り置きし、兄は古本屋で買ったタヌキの写真集を真剣に見ている。特に女子タヌキのページは熱心に矯めつ眇めつやっている。

 人間にはかわいい野生動物の写真集なのだろうが、僕らにとってはグラビアのようなものだ。

 このスケベめ。

 僕は兄に声をかけた。


「ちょっと出かけてくる」

「どこに」

「友達が一緒にDVD見ようって。夜も食ってくるからちょっと遅くなる」

「ふーん。友達ってヒト? タヌキ?」

「一応タヌキ」


 タヌキと聞くと、兄はちょっとだけ眉間にしわを寄せた。兄には同族に友と呼べるような相手がいないので心がチクチクしてしまうらしい。


「一応って何だよ」

「枕詞みたいなもんだよ、気にすんなって」

「……」

「晩御飯は冷蔵庫にタッパーに入れてあるからあっためて食って」

「うん、わかった。晩御飯、何?」

「クリームシチュー」

「鶏入れた?」

「うん、鶏」


 兄は機嫌を直した様子で、気をつけて、と僕を送り出す。

 僕はいそいそとDVDのレンタルショップへ急ぐ。


 店の入り口近く、話題の新作の棚の前に彼女はいた。

 モニターのPV映像を見ている。画面の中、崖から落っこちそうなヒーローをはらはらした表情で見つめている。


 彼女は僕と同じく見てくれは平々凡々。幼馴染ではないが同郷出身で、いろんな面での価値観も合う。

 彼女の真剣にモニターを見ている表情には気持ちが和む。頬からおとがいにかけてのまるっこいフォルムなど、手を沿わせたくなるくらい可愛い。そして、彼女を愛らしく思えることにほっとする。

 身内に美的感覚をバグらせるやつがいるので、彼女との憩いの時間でデバッグしないといけない。


「待った?」


 彼女が顔を上げた。ふわあっと笑顔が浮かぶのがまたいい。


「ううん、大丈夫。これ見てたから」

「今日は何借りる?」

「これはどう? うちの係長がおすすめだって言ってたの」


 彼女おすすめの映画のパッケージには視聴したくなくなるような文言が並んでいる。見目好い主人公がストーカーに追い詰められ、肉体と精神を損壊されてしまうというやつだ。こんな映画を彼女に勧める上司というのは何なんだろう、とちょっと思った。

 謹んで彼女の選んだその作品は却下させてもらい、次の視聴候補を彼女に訊ねた僕は、彼女の部屋でカオマンガイを食べながらウィッカーマンを見る羽目になった。

 

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