第19話 好きなことを仕事に出来たら

 幸せな朝というのはこういうことを指すのだろう、とぼんやり考える。


 アラームを止めて重い瞼を開いていくと、目の前には最愛の恋人が。

 無防備かつ幼げな寝顔で、すうすうと寝息を立てている。

 整った顔立ちに白い肌、長いまつげに今は見えないがぱっちりした二重。

 何度見ても慣れること無いその可愛さに、思わず寝起きから心臓が跳ねそうになる。


 昨夜はうっかり真奈美の風呂上がりに遭遇してしまい、何やかんやあって明音も一泊することになった。

 目撃した俺を問い詰めるのは建前で、それを口実に会いに来るのは可愛すぎではないだろうか。

 普段凜としている明音だが、こういう所があるから愛らしい。


 そんな彼女は今も起きる気配は無く、しばらく夢の世界に旅立っていることだろう。

 起こすのも忍びないので明音はそのままにして起き上がろうとしたとき、腰回りに何かが引っかかった。

 よくよく見ると腕が回されており、つまり明音に抱きつかれていた。


 これまでの明音からは考えられないような密着ぶり。

 そもそも同じ布団で寝ることすらまだ数回しか無いのに、ここまでくっつかれると理性が持たなそうだ。

 ただそれ以上に幸福感が物凄いので、もっと抱きついてほしいという欲求もある。


 まあ最悪理性は飛んでも良いのでは? と最近では思っていたりもする。

 恋人として次に進むのは明音に好きになってもらってから、と考えていたけれど、もうすでに好意は持たれているはず。


 これが自惚れであったなら多分絶望する。


 なので2人きりなら問題ないかなと考えていた。

 そう、2人きりなら。


 残念ながらここにはもう1人生活しているため、それはしばらく叶わない。

 そして廊下に目を向けると、そのもう1人が台所で料理をしている。


 鼻歌なんて歌いながら、楽しそうに鍋をコトコト煮込んでいる。

 そしてこちらに気が付いたのか、「おはよー」と声を掛けてくる。


 ただ、俺と明音がハグしているのを確認すると、何とも言えない複雑そうな表情になった。


「なにか言いたげだな」


「朝一から両親が抱き合って寝てるのを目撃した娘の気持ちって分かる? もう何度も見てるけど。何ならからかったこともあるけどさ」


「なんかすまん」


「分かればよろしい。もうすぐ出来るからお母さん起こしてー」


 それなら仕方が無い。

 潔く体を起こし、明音も眠りから目覚めさせる。


 声を掛けたり体を揺すったりしたが、反応はあれどなかなか起きてこない。

 どうしたものか。


「『起きないとキスしない』って言えば良いじゃん。多分起きるよ」


 小鍋をテーブルに運んできた真奈美にとんでもないことを言われた。


「そんな恥ずかしいこと言えるか。それにそんな言葉で起きるとは思えないんだけど」


「えー? 起きるよ、多分。普段からお父さんそうやってお母さん起こしてるよ~」


 満面のいたずらな笑み。

 絶対嘘だろ。


 からかう気満々か。

 両親が仲良くするのを見たくないのか揶揄いたいのか、どっちかにしろよ。


「まーまー。ものは試し、って事で取り敢えずやってみなよ」


 本当は恥ずかしいが、渋々やってみる。


「明音ー、朝だぞ。……起きないとキスしないぞ」


 耳元でそっと声を掛ける。 

 くすぐったいのか、「んんっ」という甘い声が彼女から漏れた。

 これだけでも思わず抱きつきたくなるのだが、今は我慢。


 そして明音はゆったりと口を開いた。


「おきるー」


 寝ぼけなまこのまま体を起こし、こちらを視認したのか、ばふっと体重を預けてきた。

 慌てて受け止めると、明音はすかさずスッと動き、直後口に柔らかい感触が来た。


「おはよう、ゆずき」


「ああ……おはよう」


 まさか本当に起きるとは思わなかった。

 信じられないという風に後ろを振り返ると、にんまりと笑った真奈美がいた。


「朝から仲睦まじいようでなによりですよわたしは」


「誰目線だよ」


「娘目線」


 思わず突っ込むとサラッと返された。


「真奈美は俺達を揶揄いたいのかどうなのかよく分からないんだけど」


「まあからかった方が面白いから、からかいたいかな? でも極端にイチャイチャされるのはちょっと……」


「わがままだな、おい」


 そんな真奈美の言動呆れていると、クイクイと服を引っ張られる。

 引っ張られた方を見ると、目をパチクリさせている明音が。


「私今、何か恥ずかしいことをした気がするけど。気のせいよね?」


「明音にキスされました」


「ッ!? またなのね……」


 またしてもみるみるうちに顔が赤くなっていく。

 真奈美が初めて家に泊まったときも似たようなことあったな。



 そこからしばらくして、明音も復活したので朝ご飯にする。


「やっぱり真奈美の朝ご飯美味しいわね」


「えへへー、ありがとう」


 今日は俺も明音も2限からなので、朝はゆっくり出来る。


「それで柚希。結局家の仕切りは作るのよね」


「そのつもり。といっても既製品組み合わせるだけとかだと思うけど。何なら暖簾のれんみたいにしてもいいからな」


 昨日のような事を起こさないために、部屋と廊下、玄関にドアのような仕切りを作ることになったのだが、そこまで複雑な物にする必要は無く、簡易的にしようかと考えている。


 どのみち複雑にすると費用とか掛かりそうだし。

 一応真奈美には未来からお金が援助されているのだが、どのみち安いに超したことがない。


 設計から製作まで、機械科所属の大学生としては結構そそられる。

 具体的な形は追々考えていく。


 そしてそこから数日で、ある程度形に纏まったので次の休日にホームセンターへと材料を買いに行く事になった。


「この辺ってほんとに立地良いんだねー」


「まあな。おかげで家賃は少し高め」


 ホームセンターは家から大学とは反対側に歩いて15分程の場所にあり、大学近辺よりも幾らか車通りも多くなっている。


 この辺りには他にも店舗がいくつかあり、市内では以前行ったショッピングモール近辺に次いで栄えた場所だ。


「ホームセンターって入るだけでワクワクするの何でだろうな」


 買う用事が無くても偶に足を運び、中をふらふら見て回るだけでも楽しい。

 こう、何かを刺激されるというか、テンションが上がる。


「そう? わたしは別にワクワクとか無いけど」


 一緒に付いてきた真奈美は、残念ながら情緒は動かされないようだ。


「それは残念。まあ今日は目的の物買ったらそれでいいや」


「カーテンみたいな形にするんだよね?」


「そうそう」


 結局、形はシンプルにした。

 部屋と廊下の境目の壁に突っ張り棒を張り、そこに仕切りとなる壁を設置する。

 壁自体には少し工夫をするが、簡単に言えばこのような形。


 玄関の方は、暖簾のように布を突っ張り棒に引っ掛けるだけにした。


 何回か来ているので迷わず部品を揃え、ささっと購入して帰宅する。

 長居するととことん居座ってしまうからな。


 買った荷物をひっさげ、家までの道を辿る。

 まだ5月の下旬に差し掛かった頃の気候は、曇天と言うことも相まってポカポカと穏やかな気温だ。

 これからもうじき気温と共に湿度も上昇していくが、まだ長袖でもぎりぎり過ごせる。


 家に着き、早速製作に取り掛かる。

 壁材を加工して、突っ張り棒と組み合わせる。


 それを壁に取り付けたらこれで完成。

 製作時間1時間弱。


 案外時間が掛かってしまったが、出来映えとしてはなかなかだと自負できる。


 これで以前起こったような事故も起きることは無く、加えて冬は廊下の寒さを切り分ける事も出来る。


 費用も4000円も掛かっておらず、初めて自分でしたDIYにしては上出来だ。


「おおー! 何かそれっぽいね~。さすがお父さん、普段から物作りしてるだけあるよ」


 その完成度に、真奈美も感心していた。

 褒められて嬉しく無いことも無いので、素直に喜んでおく。


「それはどうも。でも普段からはそこまで物作って無いだろ。……あ、大人の俺が、か」


「そーそー。昔は家具とか自分で作ってたからねー。しかもちゃんと使えるの。こういうのは昔からなんだね」


「まあ、作る時とか楽しくはあったな。これがそのまま仕事に出来たら良いとか思うぐらいには好きだぞ」


 今は将来の職とかぼんやりとしか考えていないけど、そうなれたら良いなとは思う。


「へー。じゃあ叶うと思うよ?」


「え?」


 それはつまり、俺が将来メーカーなどに務めていると言うことだろうか。

 確認するように聞いてみると、やっぱり何でも無いとはぐらかされてしまう。


「ここで全部話したら未来変わっちゃうかもしれないでしょー」


 とのこと。そこまで大差は無いと思うが、そういうことにしておこう。


「まあそんな未来のことは置いといて、取り敢えずパシャッと1枚撮ってお母さんに送ろーっと」


 何枚か携帯で写真を取る真奈実を見ながら、将来は好きなことを仕事に出来たら良いなと、ぼんやり考えていた。

 そのために、今は勉強をしておこうと思い立ったところで、仕切りを作りたいがために目を逸らしていた課題達の存在を思い出した。


 機械科は、とにかく課題やレポートが多くしんどいのだ。


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