超悪女
闇之一夜
一
金剛寺(こんごうじ)麗香(れいか)は怒り狂っていた。愛らしい赤いリボンのついた縦ロールの髪を、美麗な顔の両側からツルのようにくるくると下げ、きりりとした吊り目の金剛寺財閥のご令嬢。いつもは優しい微笑を絶やさぬ学園の女神さまで通っているが、今回ばかりは激怒に顔をゆがめ、手当たり次第に刺し殺すようなアイスピックの視線を、そこら中にぶん投げて歩いている。ふだんは寄ってきて拝みまくる男女の取り巻きたちもビビって逃げる有様であるが、そうせざるを得なかった。
「も、もう勘弁なりませんわ!」
がに股でずんずん歩きながら歯をガチガチいわせ、拳を握る。
「あの女! 今日という今日はこの手で八つ裂きにして、あの時計台の分針に突き刺して、カラスにつつかせてやるわ! きいいっ!」と高らかに指差す。
「あら麗香、どうしたの」
長い黒髪をなびかせて木陰から現れた少女は、高校生の女子の中でもひときわ色っぽく低めの声で心配そうに言った。だが声色に似たその大人びた顔は、心配と同時に面白がっていた。彼女は麗香といるときは、いつも面白がっている。相手が面白いんだから仕方がない。
「あら、葵(あおい)」
忌々しそうに流し目を送る。といって、そんなに嫌そうではない。このとっつきにくいお嬢様に、これだけ親しく話しかけてくれるのは、学園で彼女くらいだから。
「な、なんでもないですわ」
人が真顔以外で吐く「なんでもない」は、百パーセント真逆である。
「どうせ、また男を取られたんでしょ」と、苦笑して髪をかき上げる葵。「あいつに」
「う、うるさいわね。今までのは、譲ってやったんだからいいのよ」
吐き捨てるように言い、腕組みするお嬢様。
「で、でも、今回は。あ、晃くんだけは……」
声が詰まって涙ぐむので、葵はあきれ顔になった。
「あんなにラブラブだったのに。晃さんもひどいね。なんであんなのにコロッと参るの。麗香のほうが何倍もイイのに」
ほかの取り巻きたちと違い、お世辞じゃないので嬉しかった。たちまち涙がとまり、小さく咳払いした。
「晃くんは悪くないわ。悪いのは、あの女よ。
でも分からない。どうして、あんなのがモテるの? だって、あんなの――」
葵は腕組みしたまま眉をひそめて校舎のほうを見ると、真剣に言った。
「あいつはいっぺん締めたほうがいいよ。いくら北条学園一の人気者だからって、このごろは目に余る。やりたい放題じゃない。あたしは男いないからいいけどさ」
「――あんなの……」
すると、校門のほうから騒ぎが聞こえてきた。女のキャーキャー声に混じり、男のウォーウォーと雄雄しい讃え声もする。男女双方に大人気のロックスターが来たかのようだ。
男十人、女十人の総勢二十人ほどの取り巻きをつれ、その真ん中にいるのは、いっけん男子生徒だった。制服も男子の学ランだし、背も普通の男子よりはやや低いが、女子と並ぶと高い。足は長く、細身でスタイルも抜群に良い。微笑する顔の美しさは凄まじいを超えた神のレベルで、その歯も唇も、午前の五月晴れの日差しにきらきらと輝いている。短く撫で付けた清潔な髪は王子のそれである。時おり周りに手を振って答えると、男女を問わず歓声がわく。
一見して、とくかくモテまくっていることだけは確かだが、その笑顔や仕草にキザったらしさはまるでなく、五月の風のように爽やかだった。
行列が次第に近づくにつれ、麗香は怒りにわなわなと震えだした。葵は眉をひそめ、口元をまげて見ていた。脇に来るや、麗香はついに指差して叫んだ。
「あんなの――ただの、オトコオンナじゃないの!」
人の垣根が割れて、彼女が歩いてきた。口元は笑っているが、目には嘲笑の色が光っている。
「おや、金剛寺麗香さんじゃない。僕に何か文句でもあるのかな?」
いきなり喋った声は、声の高い男にしか聞こえない。葵のほうが低いくらいである。言葉遣いもまるで男だ。
麗香は指差したままにらみつけ、再び叫んだ。
「冷泉(れいぜん)ひびき! あなたの横暴には、もう我慢なりませんわ! この泥棒猫!」
「なんだ、人聞きの悪い」
肩をすくめるひびき。
「僕が悪いんじゃない。相手が勝手に僕を好きになっちゃうだけさ」
「な、なんで、そんな――」
「さあね。僕があんまりにも可愛いすぎるからじゃない?」
そう言ってニヤニヤと爪を噛み、悩ましい目で小首をかしげる。湧き上がる黄色い声。男も「うっひょー! ひびきさんがエロったー!」などとスマホで写真を撮りまくっている。
見ながら、葵は不思議に思った。女がこいつにキャーキャー言うのは分かるが、どうして男もこうなるんだろう。どう見ても女性向のキャラクターだろう。世の中、おかしくなったんじゃなかろうか。
いや待てよ。
そういえば、自分の靴箱のラブレターが麗香のより多くて、驚いたことが何度もある。どう見たって麗香のほうが私より可愛いし、きれいだし、女の子っぽいはずなのに、実際に寄ってくる男の数はあまり変わらないのだ。
世の中みんな、変態と化してきているのだろうか。いや、私はそこまで男っぽくないから、私を気に入る男が別に変態とは思わんけど……。
「あ、あなたみたいなのを、なんていうかご存知?」
怒りに震え、押し殺すように言葉をひりだす麗香。マズい、と葵は思った。言うに事欠いて、良家の令嬢らしからぬ暴言を吐くかもしれない。
「へえ、なんだい?」
「淫乱ビッチの売女! ど淫売! 男たらし! セックス狂!」
「ほら、もう授業だよ!」
あわてて腕をつかんで引きずる葵。しかし麗香は激怒にゆがめた顔を向けてなかなか行こうとしない。
「晃くんを返してよ!」
「そう伝えとくよ」
「あんたなんか、サイテー! バカ! うんこ! 能無し!」
引きずられながら、麗香は最後まで叫んでいた。
「この泥棒! 悪女! ワルよりワルい、超悪女!」
麗香たちと入れ替わりに晃が来ると、ひびきは嬉しそうに駆け寄った。残念なため息に満ちる取り巻きたち。
彼らのヒーローの背を見送りながら、女の一人がぽつりと言った。
「なんで男がイイんだろ、あの格好で」
男たらしだけは当たっていたが、ど淫売もセックス狂もちがう。別に依存症で男をくるくる変えているわけではない。たんに付き合うスパンが短いだけだ。
冷泉ひびきは、靴箱の手紙どおりに校舎裏へ行った。いちおう会うだけだ。今は晃が好きだから、ほかの奴には目もくれないが、わかんないでしょ、いきなり天のイカズチに打たれるように新しい恋に落ちるとか、そうでなくても相手を気に入って、切るのは惜しいから使い走りにするとか、いろいろ楽しい可能性はある。
だが今まで、ただでさえ目立つ容姿なうえ、惚れっぽい性格のせいであれこれ噂の耐えない彼女も、二股以上かけたことはほとんどない。
飽き性ではある。自然消滅が多いと思っているが、実はそうではないかもしれない。たとえこっちから別れを切り出して男が承知しても、その寂しい笑顔の裏に重苦しい未練が糸を引いていたことも多々あるだろう。いや、何年も恨まれている可能性すらある。
でも気にしない。気にしていたら恋など出来ない。こっちが飽きたのに、惚れ続けるほうが悪いのだ。
そして「飽き」は突然やってくる。そして、すぐ次の恋が扉の向こうで待っている。世間はそれをサイテーとかビッチとか言う。勝手にしろ。自分は世間のために生きているわけじゃない。ただ、別れた男や、男を取られた女に恨まれて、ひどい目に遭わされる覚悟はしておかなくてはならない。
ちなみに、こっちがふられたことは生まれてから一度もない。ふってばっかだ。こんな生意気でいけすかない女でも、向こうが嫌いにならないんだから仕方がない。
ひびきが薄暗い放課後の裏庭で待っていると、両おさげの女の子が来た。なんだ、男じゃないのかと思ったが、いつものことである。だから手紙の主が女だと読まずに捨てているのだが、これはワープロなうえ、名前を見ても性別が分からなかった。それでとりあえず来てみたが、完全なる期待はずれだった。
「れ、冷泉さん、わたし、ずっとあなたが好きでした。わたしと、お、お付き合いして、ください!」
目を潤ませて言い、頭を下げるツインテの少女。それなりに可愛いが、自分は女に恋愛感情は持たない。
「ありがとう、嬉しいよ」
そういうと顔をあげて喜びに目が見開いたが、ひびきは冷たく続けた。
「でも、ごめん。僕、女に興味ないんだ」
たちまち世界が終わるような顔になり、ぼろぼろ泣き出したが、優しくするとドツボにはまるので、さっさと行こうとした。
すると後ろから上着のすそを引っ張られた。
「待ってください! 興味ないなら、せめて付き合ってみて、それから判断してください! お願いです!」
必死にすがる女に再び向かい、両肩をつかんで、真剣に見つめて言う。
「そういうことは何回もやった。僕は子供の頃から女の子っぽくなかったから、もしかして、って思ってさ。
でもダメだった」
手を放し、身を引く。
「僕は男にしかドキドキしたり、ぽーっとなるってこと、ないんだ。だから付き合ってみても無駄なんだよ、悪いけど。それじゃ」
そう言って再び背を向けると、今度は罵声が飛んできた。
「じゃあ、どうして、そうやって騙すんですか?! サイテー!」
「騙す?」
振り返って目を丸くすると、そこには怒りに震えて地面をぐりぐり踏みつける少女がいた。
「そうよ、そんな、男の制服なんか着てたら、勘違いするでしょ! てっきり女好きだから、そうしてると思うじゃん! わたし、本気で好きだったんだから! それをなによ! 人を傷つけて、楽しいの?」
一気にまくし立てて息を荒らげ、自分の胸のタイを押さえる。
「あなたが、こういうふうにセーラー服さえ着ていれば、最初からこんな手紙なんか出さなかったわよ! まぎらわしいっ!
だいたい、あなた、おかしいわよ!」
細い指を突きつけて叫ぶ。
「なんで男の格好なんかしてるのよ!」
責められて、かっとなったひびきは、背筋を伸ばして腕組みし、相手をにらみつけて怒鳴った。
「男が好きだからに決まってるだろう!」
ずんずん歩いて廊下に入ると、見知った顔にぶつかった。その顔は不審さの中に、妙な憐憫の情がにじみ出ていて、ぎょっとした。
「こ、金剛寺か。なんだよ、見たのか」
麗香は、ただじっと見るだけで何も言わない。自分を見ればあれだけギャーギャー騒いでいたこいつが何も言わないということは、やはり、さっきのやり取りを見ていたに違いない。別にこいつに見られてもどうってことないはずだったが、なにか恥ずかしかった。
さっさと行こうとすると、不意に麗香が声をかけた。
「男のオタクで、女の子があんまりにも好きすぎて、女の子になりたがって女装するのがいるそうだけど……。
あなたも、それみたいなものかしら?」
すると、ひびきは肩を震わせて笑い、振り向いて冷たく言った。
「君は、何も分かってない」
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