第20話 権力に立ち向かう
16日の今日も、イロハは投資部でチャートとのにらめっこを続けていた。
「うーむ、米国株は軟調じゃのう……」
花子がつぶやく。
5月13日までの週で、米国株は7週連続の下落を記録している。
「ここらで、上昇に転じそうな気はするのじゃが……」
花子は、投資部のパソコンを前に、頬杖をつきながら、米国株のチャートを見つめている。
アヤノも同様に、株や為替、商品の情報を表示している。
カリンは、大会への手続きなどが必要らしく、顧問の先生のところへ行っている。
そういえば、顧問の先生がいるとは聞いているが、部室では一度も会ったことがない。
1年生の担任をしている
いつも授業が終わるとすぐに職員室に戻っていってしまうので、投資部に入ったことを報告しようにも、挨拶ができない。
わざわざ職員室まで行って挨拶するのも、気が引けていて、まだ声を交わしたことがなかった。
「今週末までに、250万円を何かに投資しないといけないから、どうしようね」
アヤノが話しかけてきた。
「そうですね。確かに、アヤノ先輩が言うように、あまり値動きのない個別株に投資するって方法が、いいんでしょうか? 正直、わたし、まだよく分からなくて……」
「アハハ、そうだよね。まずは、本格的に投資してみて、学んでいくっていうのがいいからね」
とそこへ、部室のドアが開いた。
ドアの向こう側には、ムスッとして、いかにも不機嫌な顔をしたカリンと、
「大孫先生!」
顧問の大孫が立っていた。
カリンとともに大孫が部室に入ってくる。
無言だ。
(あれ、なんだろう、この空気……)
お世辞にも、よい空気とはいえない。険悪な空気が伝わる。
大柄の大孫が部室に入ってきたが、特に向こうからは何も言わない。
「あ、あの。新しく入りました、1年の
大孫は、ギョロっとイロハを見つめた。
(な、なんだろう。授業の時と印象が違う……)
「おまえが、楠木か。すると、そっちの小さいのが、
花子は名前を呼ばれたが、特に反応せずにパソコンのチャートを睨んでいる。
「さっそくだが、楠木」
「は、はい……」
どういうわけか、人を緊張させる話し方だ。
「おまえ、今裁判起こそうとしているんだってな」
「えっ、そ、そうですけど……」
はあ、と大孫はため息をついた。
「あの、裁判のことは、入学式の前の面談で、学校には伝えていましたけど、被害者側ですし、特に問題はないとのことでしたけど……」
「それでも、困るんだよなぁ」
イロハは、混乱してきた。はじめは、問題ないということだったのに、今更困るとは、どういうことだろうか。
「別に、これが普通の裁判なら、被害者である以上、特段問題はない。しかし、相手が相手だからなぁ」
イロハははっとした。あのあおり運転をした末に、自分の両親を殺害したのは、国会議員の息子だったのだ。
「もっとも、まだ警察の捜査段階っていうじゃないか。捜査次第では、刑事裁判はやることになるだろうし、それにおまえが呼ばれるのは仕方ないことだ。しかし、民事となると、話は別だ」
「それって……」
「学校としても、自分のところの生徒が、お金をくれる側の人を訴えていくと、やりにくいんだよなぁ」
「ちょっと、あの、意味が分からないんですけど」
「ああ?」
大孫はイロハを見た。
イロハはたじろいだ。
「学校の予算は、国会議員が口を出せば増えもするし減りもするんだ。この意味が、分かるよな」
イロハは、その先の言葉は聞かなくても分かった。
しかし、大孫は、イロハが思っているよりも、辛辣だった。
「そんなに、金がほしいのか?」
「お金のために、やるんじゃありませ……うっ……」
一瞬で怒りがこみ上げてきたのに、短い言葉を言い切る前に、涙が出てきそうになり、言葉に詰まってしまった。
「学校に所属したまま民事裁判なんて起こしてみろ。退学になるんだからな。そうしたら、お前の人生はなくなってしまうんだからな。どうすればいいかなんて、考えなくても分かるだろ」
イロハの頬を涙が伝った。
「おい、大孫! 部室には大会のことについて話にくるって言ったじゃないか! こんな話するんなら、二度と来るな!」
カリンが怒鳴った。
カリンに馬乗りされ、殴られたことのある大孫は少したじろいたが。
「ふん、見たところ、4人集まって、大会に出る準備もできてるみたいじゃないか。早くも仲間割れしてるようだったら、喝を入れてやろうと思っていただけだ」
「することないんだったら、さっさと職員室に帰れ! 二度と来るな!」
カリンは真っ赤になって怒鳴った。
大孫は、ふんっ、と言って部室を出て行った。
「イロハちゃん、気にすることないからね」
アヤノが、イロハを抱きしめてくれた。
自分でも、人前で涙なんて流すのは恥ずかしいと思う。
でも、金がほしいのか、なんて、あんまりな物言いではないか。
怒りと、無念さが込み上げてくる。
「あいつ、大会に出場していい成績をとれば、自分の評価があがるものだから、きちんと大会にむけてやっているか、確認したかっただけなんだ。それに、イロハにこんなこと伝えるのに、表立ってこれないものだから、わたしに、大会の話をする、なんて言って……」
カリンは、怒りが収まらないと言った顔をしていたが、
「イロハ、ごめん。こんなことになるんだったら、大孫なんて連れてくるんじゃなかったよ」
心配そうにイロハの肩に手を置いた。
「いえ、もう、大丈夫です……でも……やっぱり、民事裁判なんて、高校生なんかが一人で起こすのなんて、無理なんでしょうか……」
アヤノとカリンは顔を見合わせた。
「しかも、相手は国会議員の息子です。警察にも圧力がかかっているのか、どういうわけか捜査中から進展ありませんし、刑事裁判すらあるのかどうか……」
アヤノとカリンは、まだ黙っている。
「でも、もう、諦めた方がいいのかもしれませんね。退学になっちゃったら、どうしようもないですからね。悔しいですけど、人生挽回の機会は、まだあるでしょうしね」
「イロハちゃん!!」
アヤノが大声を出すので、イロハはびっくりしてしまった。
「諦めたらだめだよ! 頑張ろうよ!」
しかし、その言葉は、今のイロハが一番聞きたくない言葉だった。
「頑張ろうって……アヤノ先輩に何が分かるっていうんですか!!」
言ってしまって、はっとした。
(わたし、ひどいこと、言っちゃった……)
はっとしてアヤノを見た。
アヤノは少し困った顔をしている。
「あの、わたし、ひどいこと、言っちゃって……」
「ううん、ちょっと言い方が悪かったね、ゴメンね」
「い、いえ……アヤノ先輩は悪くないです。でも……」
アヤノは、まだ心配そうな顔だが、きちんとイロハの顔を見ていた。
「別に、根拠なく言ってるわけじゃないの」
「それって、アヤノ先輩も、裁判にかかわっているっていう、経験からですか?」
アヤノは、昨年交通事故でひかれてしまい、その刑事裁判や民事裁判への出廷の経験がある」
「ううん、それもあるけど、イロハちゃんの方が、状況は深刻だよ。わたしが言いたかったのは、裁判を受けるのは、国民の権利だっていうことだよ」
「えーと、それは……」
たしかに、裁判を受けることは、権利の一つだ。
「もし、イロハちゃんが圧力をかけられたってことが分かれば、それを盾に学校を訴えることだってできるんだよ」
「それは、そうですけど……でも、権力には勝てませんよ……」
「権力に勝つ努力は、しないといけないんだよ」
アヤノはウインクしながら、ポケットの中から、何かを取り出した。
「それって、ICレコーダーってやつですよね!!」
イロハは驚いた。
「こういう時のために、そなえておかないとね」
イロハは、おとなしそうなアヤノが、やはりやる時はやる人、という気がしてきた。
「アッハハハハ」
と、カリンが笑った。
「あ、ごめんごめん、深刻な話なんだけど、アヤノはさすがだなって思って」
「わたしも色々、学んだんですよ。それと、まだ言えないんだけど、私もちょっと考えていることがあってね」
アヤノには、さらに策があるようだ。
「あの、えっと、アヤノ先輩。本当に、ごめんなさい。それと、ありがとうございます」
「うん、頑張ろう。イロハちゃんが民事裁判をしたことで、学校からにらまれたって、わたしたちがなんとかするよ」
そうして、アヤノはニコリと笑いかけてくれた。
イロハは、自分の境遇を受け入れて、解決策まで持っているアヤノが、とても頼もしい先輩に思えた。
「まあ、あれじゃよ」
これまで、パソコンとずっとにらめっこしていた花子が口をはさんだ。
「ああいう輩やからは、人が一番言われたくないことを積極的に言って、精神力を吸い取ろうとする。それは結局、自信がないから、相手の自滅を促しているだけなんじゃよ」
正直、まだ、アヤノの「なんとかするよ」という言葉には半信半疑だが、花子に言われたことも
「正直、権力に勝てるのか分かりません。でも、権力に立ち向かおうと思います!」
「うん。それと、裁判も大切だけど、投資部の活動も、頑張ろうね」
「うう、そうですね。ちゃんと、勉強します」
イロハの気持ちは軽くなった。
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