2-9 一難去って

 静寂が崩されたのは、正午をとうに過ぎ、3時のおやつタイムの時間に差しかかろうとしているときだった。

 警察を名乗る男性が二人、探偵事務所の扉を叩いた。うち一人は見覚えがあった。先日、依頼人を尾行していた際、依頼人の兄をストーカー犯だと誤って捕まえたときに対応してくれた警察官だ。名を小値賀おじかという。

 何事かと慌てる渉を尻目に、六夏はいつも通りに応対する。


「ご苦労さまです。うちに何か御用ですか?」

「こちらの方をご存知ですね?」


そういって写真を差し出す。写真に写っていたのは依頼人だった。


「えぇ。ご相談にいらっしゃったことはありますけど」

「では、お名前もご存知ですね。実は進藤さんのお宅に空き巣が入りまして」

「空き巣ですか!?」驚きで思わず大きな声が出てしまった気まずさを隠すように渉が続ける。「進藤さんは無事だったんですか?」


 空き巣といってはいるが、住人が在宅していて、犯人と鉢合わせてしまうケースもある。何かが盗まれてしまうのも大きな被害だが、人命は何ものにも代えられない。


「空き巣が入ったときには進藤さんは不在だったので、ケガなどの被害はありませんでした」


 その言葉にほっと胸を撫で下ろす。


「じゃあ何かなくなっていたんですか?」

「いえ、なくなっていたものはなかったようです。かなり荒れてはいましたけどね。ご本人立ち合いのもと確認を行いましたが、なくなったものはないと。数日が経ちましたが、何もおっしゃっていなかったので、何の目的で空き巣に入ったのかわからない状況でして……こちらで進藤さんについて何かわかることがあれば状況提供いらだければと思い、お邪魔させていただいた次第です」

「進藤さんが被害届を出されたんですか?」

 それまで黙って話を聞いていた六夏が口を開く。

「え、いえ、進藤さんからは……」

 小値賀をもう一人の警察官が小突く。どうやら口を滑らせたらしい。

 もちろん、六夏が流してくれるわけもなく。

「からは、というと? 進藤さんからの依頼で捜査されているのではないんですね?」


 小突いた方の男性がおもむろにため息をつく。

「被害者宅近辺でも同様の事件が起きていまして、被害届はそちらから提出されています。類似性のある事件ですので、関係者周辺の聞き込みを行っているところです。ご協力お願いいたします」

「ご協力できることはしますが、有益な情報は何も持ち合わせていません」

「相談に来ていたとのお話でしたが、相談内容は?」

「守秘義務がございますので、相談内容についてはお話しできないんですよ」


 申し訳なさそうに眉を下げる。


「では、もし何かわかったことがありましたら、ご連絡いただけますでしょうか。些細なことでも結構ですので」


 警察官たちは存外あっさりとしていた。あまり期待していなかったのかもしれない。

 六夏に連絡先の書かれた名刺を渡して、すぐに踵を返す。

 がしかし、帰ろうとする警察官を六夏が引き止めた。


「ひとつお訊きしてもよろしいですか?」

「何でしょう?」

「進藤さん宅以外では盗まれたものがあったということですか? それとも、荒らされていただけでも被害届は出せるものなのでしょうか?」

「進藤さん宅以外では盗難の被害に遭っているお宅もあります。荒らされているだけでも、もちろん空き巣は犯罪ですから、被害者が望めば被害届は出せますよ」

「なるほど。すみません、ひとつと言いましたが、もうひとつ。空き巣の被害は進藤さんのお宅が初めてですか? それとも他のお宅が被害に遭って、そのあとご近所の被害が続いているんでしょうか?」

「進藤さん宅が一番初めではないですね。その前に別のお宅で被害があり、注意喚起していたところだったんですよ」

「そうですか。わかりました。ありがとうございます」


 警察官は不思議そうに首を傾げていたが、会釈して、今度こそ探偵事務所をあとにした。


「ストーカーの次は空き巣……立て続けに災難ですね」


 荒れ果てた部屋を想像するだけで気が滅入る。実際に被害に遭った側からすると、そんな言葉では表せないほどの恐怖や様々な感情が入り乱れるのだろう。到底推し量れるものではない。


「そういえば、あれどういう意味ですか?」

「あれ、というと?」

「帰りがけに訊いてたことです。何か気になったことでも?」

「ピョン吉くんはおかしいと思わなかった? 何も取られていない空き巣の捜査に、一度相談にやってきただけの探偵事務所にまで足を運ぶなんて。空き巣の犯人を探しているような風でもなかったしね。それに、もうひとつ不思議に思っていることがあるんだ」


 もったいぶるような言い方をする六夏に、渉は前のめりに続きを待つ。


「僕たちが依頼人を尾行したあの日、依頼人のお兄さんをストーカー犯と勘違いして捕まえたことがあったよね」


 捕まえたのは自分だけど、と内心悪態をつく。


「あのとき、思いのほかすぐに警察が駆けつけたでしょう? あれ、おかしいと思わなかった?」


 そう問われて考えてみるが、あのときも今もおかしいと思うところはなかった。


「巡回してたとしても、あの時間帯に、しかも徒歩であんなところにいる可能性はどのくらいあると思う?」

「えーと、偶然あのときはあの辺りを巡回してた可能性はあるかと……」


 生暖かい目を向けられる。いっそ真っ向からバカにされた方がマシだと思う。


「そうだね。可能性はゼロじゃない。それに、これは僕の邪推だ。邪推ついでにもうひとつ。うっかり依頼人から被害届が出ているわけじゃないと言ってしまった彼だけど、口だけじゃなく、全く嘘がつけないタイプなんだろうね。全部顔に出てたよ」

「顔に出てた?」


 小値賀の表情を思い出してみるが、六夏が何のことを言っているのか、渉には全くといっていいほどわからなかった。


「おそらくだけど、依頼人はストーカーでも空き巣でもなく、何かの事件に関わっている。関わっていると、警察は読んでる」

「それは被害者としてってことですか?」

「さぁね。でも、彼女の家からは何も盗まれたものがなかったという話をしたときのあの表情は、本来と思っていたものがなかったとも取れると思ったんだよね。彼らはそこに何かがあると思っていた。でもなかった。にもかかわらず、彼女は何もと言った。盗難届はおろか、被害届も出していない。近辺で同じような事件が起きて、その被害者から被害届が出されたと言っていたけれど、それも本当かどうか」


 渉は息を呑む。「それも邪推ですよね……?」


「さぁね。でもひとつ確実に言えるのは、誰だって被害者にもなれば、加害者にもなれる。ピョン吉くん、君も、そして僕もね」

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