1-5 憧れていたんだ!

「一体、どういうことですか?!」


 やっと絞り出した声に、六夏は何のことだと言わんばかりに首を傾げた。


「そんなことよりピョン吉くん、このあとの予定は? このあとっていうのは、今日これからという意味じゃなくて、明日以降も含めて今後のことって意味なんだけど」

「え、あ、予定ですか……」


 問いかけに対し、そんなことと言われ、流されたことにムッとしながらも、渉は六夏の質問に対する返答に頭を抱えた。


 予定などはない。加えていうなら、渉には帰る家すらなかった。


 渉は高校を卒業するまで祖母と二人で暮らしていた。

 物心つく前から両親はおらず、祖母が渉の親代わりだった。

 祖母の年齢のこともあり、外に出るつもりはなかったのだが、そんな渉の考えなどお見通しだったのか、高校二年の時に祖母が渉に言った。一度は外を見た方がいいと。そして、県外の大学を勧めた。

 高校卒業後、言われるがまま上京し、大学を出たあともそのままその場で就職した。 

 仕事に不満はなかった。が、上京してからずっと悩まされていることがあった。詳細は渉自身にもわからない。ただ、人の多いところに身を置いていた日に特に顕著に体の不調は現れた。

 人酔いするというわけでもなく、対人関係も悪くはなかったが、不調は夜にやってきた。いや、早朝と言った方がいいだろうか。

 理由はわからない。ただ、都会に出て、人の多いところで生活していく中で気づいたことだった。

 最初は思い過ごしだろうと気にしていなかったのだが、就職するや否や、それは悪化した。

 八方塞がりになった渉は仕事を辞め、祖母の一周忌に故郷に戻ってきたのだった。戻ることはずっと前から考えていた。けれど、祖母の手前帰るに帰れなかった。もちろん反対はしなかっただろうが、何となく気まずさを感じていたのだった。そんな意地を張らずに、もっと早くに帰っていたら、祖母ももう少し長生きしてくれていたかもしれないと考えても仕方のないことを考えたりもした。


 追い詰められていたということもあるが、何も考えず戻ってきたため、行くあてもなく途方に暮れていたところだった。

 幸いといってはなんだが、荷物は多い方ではなく、バックパック一つで事足りた。

 貯金が尽きるまではいろんなところを転々とし、自分のホームを見つけるのも悪くない。そんな呑気なことを思っていた。


「さっきも言ったけど、もしピョン吉くんさえよければ、僕の仕事を手伝ってくれないかな? 住み込みも可能だよ」


 事務所の上が住居になっているらしい。現在、六夏とバクの二人暮らしで部屋も余っているとのこと。


「佐々木さんもピョン吉くんが来てくれたら嬉しいよね」


 いつの間にか渉の膝の上に乗ってきていたバクが、鼻を鳴らした。同意の意味なのかは不明だ。

 見透かされているような六夏の言葉に、しかしその申し出はありがたいものではあったが、探偵の仕事の手伝いができるとは到底思えなかった。何せ、あの程度の話を聞いただけで依頼人を返してしまうような探偵だ。胡散臭いにも程がある。


「俺に手伝えることなんてないと思いますが……あ、もしかしてお茶を淹れるとか?」

 手伝ってほしいと言って頼まれた仕事内容だ。

「いやいや」六夏は顔の前で手を振った。「確かにピョン吉くんの淹れてくれたお茶は美味しいし、それもお願いしたいけど。もっと別のことだよ。君にしかできないことだ」

「俺にしかできない?」


 渉は眉間にシワを寄せる。


「佐々木さんが君に懐いているということは、君は選ばれた人間だということなんだよ」

「選ばれた……?」

「そう、佐々木さんバクは鼻が効くんでね」


 豚に似た鼻をヒクヒクさせている様子を見て、渉は自分がトリュフにでもなったような気分になる。……自己評価が高すぎるだろうか。


「それに何より、僕はね、憧れていたんだよ。探偵といえば助手だろう? あの有名な彼らのような探偵と助手になることが夢なんだよ!」

「何です、それ?」

「え、え、知らないのかい? あの有名な……ほら、ホから始まる……シャと言った方がいいだろうか。小説のさ、ほら」


 必死に訴えかける六夏に、渉は戸惑いを隠せなかった。

 渉はほとんど本を読んだことがなかった。熱く語る六夏の熱の一度も共感することができず、申し訳なさを感じる。

 そんなこととはつゆ知らず、六夏は諦めることなく、渉にヒントを与え続ける。


「じゃあ、じゃあ、助手がワから始まると言えばわかるかな? つまり君に当てはまるんだけど……そういうことだよ、ピョン吉くん」

「すみません、本はあまり読んだことがなくて」

「何と! 何と嘆かわしい……! いや、言葉がよくなかったね。育った環境は人それぞれだ、そういうこともあるだろう。……いやしかし、残念だ。ぜひとも読んでもらいたい……そうだ! 全巻貸すから、ぜひ読んでくれたまえ!」


 今すぐ取りに行こうと立ち上がった六夏が、仕切りの辺りで立ち止まり振り返る。


「手伝いの件も気楽に考えてみてほしい。とりあえず今日は泊まっていってくれて構わないし。というか、泊まってって。そして、ぜひ小説を」

「いいんですか、俺みたいな素性もしれない人間を簡単に家にあげて」


 六夏のお人好しさに、反対に渉が心配になる。本のことをスルーしたのは意図的ではない。


「大丈夫だよ。さっきも言ったけど、佐々木さんが懐いている人に悪い人はいない。……ちなみに、ピョン吉くんは料理できる人?」

「料理、ですか……? まぁ、人並みには」

「じゃあ、今日からこの家の料理担当はピョン吉くんだ!」

「はい?」

「これで今日からまともな食事が食べられるぞー!」


 人の話も聞かず、勝手に話を進め、両手を上げて喜ぶ六夏を横目に渉はため息をついた。

 ついさっきゆっくり考えればいいと言っていたにもかかわらず、料理係に任命されてしまったことに、もはや戸惑いを出し尽くしてしまい、別のよくわからない感情に苛まれる。

 とりあえず今日の宿が手に入ったことを喜ぶべきか、怪しいところに囚われたと後悔すべきか。

 考える暇もなく、ついでに部屋を案内してくれるという六夏のあとを追いかけた。

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