第二話 (思いつきに)流されて小豆島

 1月17日(月曜日) AM6:00


 頭がボンヤリする。眠れてたのかどうかもよくわからない。あれからずっと列車の揺れに意識を半覚醒状態にされていた。眠れたという実感はないけど、もしかしたらみーくんの言うとおり気付かないうちに寝ていたのかもしれない。


(6:00……もう朝になってる)


 スマホの時計を見ながら身体を起こす。眠れずに何度も寝返りを打ったせいか、身体がバキバキになっているということもなかった。もう明るくなってるころかなぁと思ってカーテンを引いてみる。すると……。


「えっ……暗い」


 外はまだ夜の景色だった。冬とはいえ、いつもなら空が明るくなり始めている時間にもかかわらず外はくらい。いまは兵庫から岡山のあたりで、進行方向から行って南側を向いているはずなのに、遠くの山の稜線さえもまだ紺色だった。


(なに? 今日って年に一度の日の出が遅い日とか?)

【↑☆なんか天変地異起こってないか?】

【↑🔷西に行けば日の出の時間は遅くなるってことに気付いてないんだね】


(まあでもそのうち昇ってくるでしょ。お日様だって寝坊したい日もあるだろうし)

【↑☆あってたまるか】


 ぼんやり暗い外の景色を眺めていると、控えめな音楽が鳴り、車内アナウンスが流れてきた。どうやらもうすぐ岡山駅に着くらしい。岡山駅では列車の切り離し作業が行われるようだ。サンライズ瀬戸とサンライズ出雲に分かれるらしい。


(スターファルコンとランドモゲラーみたいなものかな?)

【↑☆その喩えがわかるの特撮マニアだけだろ】

【↑🔷Mobile Operation Godzilla Expert Robot Aero-type】

【↑☆ここにもいた!?】


 その岡山駅に到着し、しばらくして再び列車は動き出した。時刻は6:30くらい。まだ外は暗いけど遠くの空が白み始めていた。なんていうか……この景色は何かの物語の応答のような雰囲気がある。明けない夜はない、みたいな? 買っておいたカフェオレをチビチビ飲みながら外の景色を見ていると、やたらと長いトンネルの中に入った。


 そのトンネルを抜けていくつかの駅に停車すると、やがて大きな橋に差し掛かり、眼下にやたら幅の広い川のようなものが見えた。そうしてしばらく眺めているうちに、自分がいまどこら辺にいるのかを思い出し……。


(あ、これ海だ)


 自分がいま瀬戸大橋を渡っていることに遅れて気が付いた。となると眼下の景色は瀬戸内海なのだろう。よくよく見ればいくつかの島が浮いている。私は今、海を渡って四国入りしているところなのか。本州を出るのもいつ以来だろう……そう考えると少しだけテンションが上がってきた。


 1月17日(月曜日) AM7:50過ぎ


 高松駅に到着した。列車から降りると寒い空気が出迎えて、寝不足でボーッとした頭をたたき起こされる。私は振り返って乗ってきたサンライズ瀬戸号を見つめた。


(……いつか必ずリベンジしてやる。次は必ず寝てみせるからね)

【↑🔷格好良く言ってるけど、全然格好良くないなぁ】

(次は、一階で)

【↑☆ちょっと懲りてるじゃん】


 私はバックパックを背負い直して、高松駅の改札をくぐった。さて、まずは……。


(……お腹空いたなぁ)


 朝ごはん予定の駅弁を買いそびれたため、まずは朝ご飯の調達からだ。せっかくのうどん県。その一食目はやはりうどんを食べないとね。そして駅を出てすぐのところに朝からやっているうどん屋があることに気付いた。私はその店に跳び込んで、とりあえずざるうどんを頼む。いつの間にか東京でも一般的になった自分で受け取る方式のうどん。


 席について早速うどんを啜る。モチモチシコシコしてて美味しい。出汁の利いたつゆもグッド。駅弁を買いそびれて良かったとさえ思える味だ。


(これがうどん県のうどん……東京じゃ食べられない本場の味だねぇ)

【↑☆……水を差すようで悪いが……ああ、これは言うべきなのかな?】

【↑🔷どうかしたの?】

【↑☆位置情報で確認したら、そのうどん屋、東京にも出店してる】

【↑🔷そうなの】

【↑☆上野や池袋にもある。なんなら食べたことあるし、美味かったよ】

【↑🔷……ドンマイ、ナトリン】


 私はとても満ち足りた気分でうどんを完食したのだった。

【↑🔷本人が幸せそうなのが余計に不憫だね】


 さて、うどんを食べ終えたところでどこに行こうかと考える。今日の宿は丸亀にとってるけど、宿に行くまでの予定はとくに考えていない。夜行列車のおかげでせっかく朝から旅先に行けるのだから、たっぷりある時間を有意義に使いたい。スマホで調べると、一番近い観光スポットは高松城かな。


 でも、まだ朝早いからほとんどの観光地は営業していないだろう。だからといってせっかく朝早くについたのに時間を持て余すのはもったいない気がする。なにかいい手はないものかとスマホで近くを探していると……。


(ん……港?) 


 駅の近くに高松港があった。どうやらそこから小豆島しょうどしまに渡れるらしい。


(小豆島……『あずきじま』って読んでみーくんに笑われたっけ)

【↑☆あ、根に持たれてたのか】

(みーくんだって浅草寺を『あさくさでら』って読んでたのに)

【↑☆ちょ、俺の恥をこんなとこで公表するなって】

【↑🔷まあまあ落ち着きなさいな、みーくん】


 小豆島……島ってことは船で行くんだよね。付いて早々に船に乗るってなんか楽しそうかも。……行っちゃおうか。あとの予定を考えると島に着いたとしても長居はできないだろうけど、いまは誰に気を遣うこともない気ままな一人旅なんだからそれもありかもしれない。港の近くをちょっと観て帰るというのもいいだろう。どうせなら、したことないことを沢山してみたい。幸い港は駅のすぐ近くにあるみたいだし。


(よし、行ってみよう)


 そして私は高松港へと向かった。案内板に従って進むとチケット売り場に到着する。どうやら券売機で買うか、もしくは窓口で女性の販売員さんから買うかするようだ。その窓口の上にはフェリーの時刻表があった。それを見るかぎり、一時間に一本はフェリーが出ているらしい。思ったより本数がある。


 私は窓口……ではなく、券売機で往復のチケットを購入した(人見知りに窓口か券売機かと聞けば、間違いなく券売機を選ぶだろう)。高松港から土庄港まで……って、これ、なんて読むんだろう。


(『つちとこ』? 『どしょう』? あ、こんな字で『はぶ』って読むのがあったような?)

【↑☆それは『土生』だろ。たしかに似てるけど】

【↑🔷お、詳しいね。浅草寺は読めなかったのに】

【↑☆……趣味のサイクリング繋がりだ。しまなみ海道に港があるんだよ】


 そんなことを考えていると、不意にアナウンスの声が聞こえて来た。


『高松港発、土庄どのしょう行き、間もなく出港します。ご利用のお客様は○番乗り場までお急ぎ下さい。○番乗り場はチケット売り場を出て……』


 へえ……これで『どのしょう』って読むんだぁ……ってぇ!


(えっ、もうフェリーが出るってこと!? これを逃したら一時間待ち!?)


 マズイマズイマズイマズイ。ただでさえ時間を持て余しそうだからフェリーに乗ろうって思ったのに、それで一時間も待ちぼうけをくらってしまったら本末転倒、意味ないじゃん。私は慌ててチケット売り場から飛び出すと、乗るべきフェリーを探した。どうせすぐに戻ってくるのだから嵩張るバックパックは駅のコインロッカーにでも入れておこう、なんて考えていたけど、そんな余裕もなかった。


 幸い乗るべきフェリーは売り場のすぐ傍に停泊していた。私は荷物を抱えて走ると、繋留ロープ近くにいたおじさんにチケットを見せて、そのフェリーへと跳び乗った。は~間に合った……あ、焦ったぁ。なんで旅の初っぱなから走らされてるんだろう。ろくに寝られなかった寝台列車といい、落ち着かない旅の始まりだった。


(これでべつのフェリーに乗ってたらマンガのオチっぽいんだけどね……なんて)


 考えてて不安になったので、念入りにフェリー内アナウンスに耳を傾ける。……うん、土庄行きのフェリーで間違いないようだ。私はホッと胸を撫で下ろすと、車置き場の脇の階段を上って客室へと向かった。さすがフェリーといった感じの客室は広々としていて明るく、テーブル席やテレビもあり、売店なんかもあって大学時代の学食を思い出した。


(ん? ヤドン?)


 なぜかいたるところにポケモンのヤドンが描かれていた。なにかのコラボ企画なんだろうか。可愛らしいコミカルな絵で子供には喜ばれそうだけど……でも、なんでヤドン?


(あ、一匹だけガラルヤドンがいる。ガラルヤドランには対戦で泣かされたなぁ)

【↑☆クイックリロードにせんせいのツメ持たせて運ゲーに持ち込んだの根に持ってるな】

【↑🔷常識みたいに言われても、ってみーくんが犯人か】


 荷物を持ったままデッキのほうに出てみる。港を出たばかりだけど、対岸が見えているためかあんまり海に出たって感じもしない。瀬戸内海は波の揺れもあまり感じず、箱根の芦ノ湖を遊覧フェリーで渡ったときの感じに近いかも。


(う~ん……やっぱ風は冷たいかぁ)


 よく晴れた今日は日差しこそ暖かいけど、潮風は冷たかった。私はいそいそとフェリーの中へと入る。あ、売店とかもあるんだ。きつねうどん? フェリー内でもうどんが売ってるなんてさすがうどん県だね。そんなことを思いながらテーブル席の一つに着き、スマホの地図アプリを起動させる。小豆島で見て回るところを決めないと。


(フェリーの出港は一時間ごと。だからさくっと一時間で観られるところがいいな)


 時間制限付きの観光。なんかこんなのお昼のバラエティ番組であったような気がする。ローカル鉄道沿線の名所や名産を探して、次の列車の時刻までに駅に戻らなければならず、せっかちな石○良純さんがゲストを急き立てて走らせる……みたいな。次の列車に間に合わなければ一時間以上待ちぼうけ……というのはいまの私の状況に近いだろう。


(なにかないかな……)


 へえ……ロープウェイがあるんだ。でも島の中心部だし、バスに乗っていく必要があるみたい。所要時間を検索してみたら結構掛かるようだし、今回は難しいみたいだ。行くなら小豆島内で宿をとりたいところだ。


(もっと港の近くに……ん?)


 土庄港の近くを探していたとき『迷路のまち』という文字が目に入った。なんだろう。街に迷路があるのか、迷路のような街なのか……なんとなくそそられる不思議ファンタジーな響きだ。そしてその周辺を拡大してみると『妖怪美術館』というものがあった。


(迷路のまちに妖怪の美術館?)


 ふむふむ、なんか良さそう。面白いのが観られれば善し。観られなかったとしても「迷路のまちの妖怪美術館に行ったんだぁ」と話のネタにはなりそうだ。ああ、でも地図だと近そうに見えるけど、実際はどれくらい離れてるんだろう? 歩いて行ったら次のフェリーの出発に間に合わないかも。かといってタクシーに頼る距離でもないし、そもそもすぐに拾えるかもわからない。どうしたものか……。


(……こういうときにはお友達の知恵袋)


 私はいまの状況をみーくんとさっちゃんのグループラインに投稿して、助言を求めることにした。二人からの返信はすぐに来て、旅先でいきなり船に飛び乗った私の考えナシの行動に苦笑半分呆れ半分といった感じだったけど、


ミナト☆:調べたらレンタサイクルあるっぽいぞ

さっち🔷:ああ、良いじゃん。船の次は自転車だね


 と、アドバイスをくれた。なるほどレンタサイクル。そんな手もあるのか。自分でも調べてみると港の近くにサイクルショップがあるみたいだ。着く頃には営業時間になっているだろうし、ここで借りれば良いか。私は二人にお礼を言うとスマホを閉じた。さて……到着まで結構な時間がかかるようだ。片道一時間二十分。往復だと三時間近くになる。


(本当に考えナシで乗っちゃったんだなぁ……ふぁ~)


 ヤバい。暖かい船内、眠い。


(そういえば昨日はあんま寝られなかったんだっけ。少し……寝ようかな……荷物は抱え込んでおいて……っと……Zzz……)


 私は壁に描かれているヤドンのようにぐでーっとテーブルに突っ伏し、眠りに落ちていった。


 ◇ ◇ ◇


(……はっ!)


 バタバタと人が移動する気配で目が覚める。どうやらそろそろ目的地に着くため、乗客たちが階下に移動しはじめたみたいだ。私は荷物を持つと逆にデッキに出るため階段を上り、外に出ると船が進む先に島の入り江が見えた。波がかかっている岸壁剥き出しの景色が、まさに島に来た、って感じだ。


(これが小豆島。えーっと……あ、からかい上手なあの子のいる島だっけ?)

【↑☆小豆島の知識、それしかないのか】

【↑🔷オリーブとかより先に二次元が出てくるオタク女子】


 私が階下に降りるとちょうど繋留ロープが結ばれ、橋が架けられていた。他の乗客たちと一緒に島への第一歩を踏み出す。一回島に降り立ってしまえば、港と言うよりはローカル線の駅前っていった感じの景色が広がっている。こうしてみると瀬戸内海って海って言うよりは湖のような感覚になる。


(さて、自転車を借りないと行けないんだけど……)


 スマホの地図を頼りにレンタサイクルへと来たのだけど、建物の前で逡巡してしまう。ホテルに隣接しているそのサイクルショップは外から見るだけでも小ぎれいでおしゃれ感が出ていた。……人見知りには敷居が高いって。


(うぅ……でも、時間もないし。ええい、南無三!)

【↑🔷女の子がそのかけ声はどうなの?】


「あ、あの……」


 声を掛けながら中へと入る。小洒落た感じのサイクルショップ。あっ……あっちにコインロッカーがある。もしかして荷物預けられるかな? そして料金表の書かれた立て看板の向こうに、なにやら作業をしているお姉さんの姿が見えた。


「あの……すみません……」


 お姉さんに声をかけたけど、返事がない。ただのしかばねのよう……ではなく、単純に作業に集中していて気付いていないようだ。人見知りとしては二回声を掛けても返事がない場合、心が挫けそうになる。でも、自転車は借りないとなので根性を出す。


「す、すみません」

「あ、はい」


 今度は聞こえたようで、ようやくお姉さんはこっちに来てくれた。それでなんとか自転車を借りたい旨を伝える。何時間かで値段が変わるようだ。最短で四時間からになるらしい。次のフェリーまで約一時間。その間に行って帰ってくるための自転車なので、一時間くらいで返すことになるけど、変に思われないだろうか。そんなことを気にしながら受付の紙にサインをする。


「それじゃあ、自転車の準備しますね」


 お姉さんが外に行こうとしたので「あ、あの!」と声を掛ける。


「そ、そこのロッカーに荷物預けて大丈夫ですか?」

「? はい、どうぞ」


 お姉さんがそう言って外へ出て行ったので、私はバックパックをロッカーの中に押し込む。お金戻ってこないタイプなのか。まあ百円だし、いいけど。荷物を預けて外に出るとカゴ付きのシティサイクルに変速ギアだけを付けたような自転車が用意されていた。


「こちらが鍵になります。行ってらっしゃいませ」

「あ、はい。いってきます」


 お姉さんに見送られて、私は自転車で出発した。漕ぎだしはいつも使っているママチャリと変わらないけど、この自転車には変速ギアが付いている。それを一回カチャッと押すと、ペダルがちょっと重くなるかわりにスイスイ進むようになった。


(おおー、これがギアチェンジ。【ナトリはこうげきとすばやさが上がった】)

【↑☆ちょいちょいポケモンネタ挟むのどうなんだ?】


 自転車がスイスイ進むと気分も良くなってくる。


「レイ!V-MAX発動! ……なんちゃって」

【↑🔷また古いの持って来たね】


 そんなノリになっちゃうくらい、旅先で自転車を乗り回すって気持ちいい。普段、自分の近所で乗るだけの自転車で、見知らぬ土地を走るって非日常感がある。みーくんがサイクリングにはまっている理由がちょっとわかる気がした。良い気分のままスイスイと進んでいくと、橋のところまでやってきた。

 

 その橋の上で左を向くとなにやらアーチ状のものが見える。そこには


『世界一短い 土渕海峡 ギネスブック認定』


 の文字が書かれている。土渕……なんて読むんだろう。

【↑🔷調べたら『どふち』海峡って読むらしいね】


(海峡ってことは、これって川じゃなくて海ってこと?)


 地図で見てみると、大きな一つの島に見えていた小豆島だけど、ズームしてみるとフェリー乗り場があったここらへんは本当から切り離されている小さな島だったのだ。小豆島って実は二つの島からできていたのか。


(なんか不思議……って、あれ?)


 気付けば目的地だった『迷路のまち』をほんの少しだけ通り過ぎてしまったようだ。私は橋から引き返して海峡沿いに進むと、すぐに『迷路のまち』というゲートが見えた。見たところ普通の街角にしか見えないけど……。近くにあった看板を見ると、どうやら海賊対策のために入り組んだ街並みにしてきたという歴史があるらしい。そんなこの街はいつからか迷路のまちと呼ばれるようになったんだとか。


(瀬戸内で海賊っていうと、村上水軍とかそういう感じのあれかな?)

【↑🔷ナトリンって以外と歴女なとこあるよね】

(でも、広島よりは兵庫のほうが近いし……兵庫水軍? 第三共栄丸さん?)

【↑☆そりゃ忍たまだろ】


 そんなことを考えながら街の中へと入っていく。ああ、たしかに小道が多い。高低差はないけど、いろんなところに抜け道があるみたいだ。自転車で適当に走っていると『妖怪美術館2号館』という建物があった。目的地が見つかったみたいだけど……2号館? 建物が複数あるのだろうか? どうやら受付は本館とやらで行う必要がある(そう書いてあった)ようで、私はスマホの地図を頼りに本館を探す。


 すると交差点の近くにその本館を発見した。妖怪美術館と言うには日当たりの良い建物で、鎌倉の裏路地にある隠れ家的な喫茶店のように見えないこともない。ただ、大きな看板にデカデカと書かれた『妖怪美術館』という文字と、その横に描かれている鬼なのか天邪鬼なのかわからない物の怪の絵は異様だったけど。


 建物の影に自転車を停めて、受付と思われる建物の中に入る。


「す……すいませーん……」


 おっかなびっくり声を掛けると、受付の奥のほうにおじさんが座っているのが見えた。うっ……レンタサイクルでなかなか気付いてもらえなかった記憶が蘇る。

【↑🔷地味にショックだったんだね】


 するとおじさんとバッチリ目があった。


「はい。いらっしゃい」


 のっそりとやってきたおじさんは淡々と受け付けて続きをしてくれた。妖怪の美術館と聞いて、どんな奇人変人が館長をしているのだろうと身構えていたけど、おじさんは愛想を振りまくでもなく、かといって態度が悪いといったこともなく、どこまでも事務的に手続きをするザ・事務員さんといった感じの人だった。


 そんなおじさんからこの美術館の見学方法を説明を受ける。なんでもこの妖怪美術館の建物はいくつかあり、迷路の街のこの周辺に分散しているそうな。そしてそれぞれの建物の扉は電子ロックされていて、この受付でもらえるパスワード番号を入力しないと解錠できなくなっているらしい。そして展示品の音声ガイドも用意されていて、スマホでアプリをダウンロードすると聞けるんだとか。………。


(妖怪の美術館なのに、めっちゃデジタル!?)


 入館料が科博の企画展並みなだけあるわ。しかし妖怪界隈にもデジタル化の波が来ているんだね。そのうちゲゲゲのあの子を呼ぶための妖怪ポストも、スマホアプリかなにかに置き換わるのかな。第10期とかになったらありえるかも……。そんなどうでもいいことを考えながら受付を済ませ、受付から出てすぐの建物で音声ガイドをインストールする。


 そしておじさんからもらった地図を頼りに1号館から巡っていくことにした。4号館まである妖怪美術館の建物のほとんどが、古民家をそのまま利用しているようだ。入り口の電子ロックが浮いている。そこに数字を打ち込んで中へと入る。暗い、狭い、階段が急、懐中電灯をもって進むところがある……となかなかに雰囲気がある。


 するとぼんやりとライトが当たっている壁に文字が見えた。


『妖怪はいない あるいは見えないだけかもしれない』


 そんなこの美術館を象徴するような文字が並んでいる。音声ガイドに耳を傾ければ、お姉さんの静かな語りと風や虫の音のような自然の音が聞こえる。まるでAMSRみたいだ。なにか驚かすような仕掛けがあるわけではないけど、妖怪と人とのかかわりについてやさしく語りかけられる。まるで気付いていないだけで、すぐそばに妖怪はいるかのように。


(美術館って名乗る意味がわかるかも。オバケ屋敷じゃなくて)


 私はお姉さんのの語りを聞きながら、そこでぬえやカッパのような有名な妖怪の像を見たり、ご当地妖怪のカボソの解説を聞いたり、気が付いたら“こたつの妖怪に食べられていたり”………。

【↑☆待て待て待て。これどういう意味だ? 食べられた?】

【↑🔷ナトリンにメールで聞いたら『この真相は是非自分たちの目で確かめてくれ』だって】

【↑☆昭和のゲーム攻略本かよ】


 そして建物を渡り歩いて順々に巡っていき、最後に辿り着いたのは畳の大広間だった。これまでのどこの部屋よりも暗い空間。薄暗い、などではなく真っ暗一歩手前だ。灯りもわずかで壁中にボンヤリと妖怪の絵っぽい物が描いてあるってことしかわからない。


(よく見えないなぁ……)


 目を凝らして見る。スマホのライトでも付けてしまおうかと考えたけど、やがて目が暗闇になれてきて、段々と部屋の全容が見えるようになってきた。思った通り、その部屋のふすまなどには妖怪の絵が沢山描かれていたようだ。そしてふと、天井を見上げたとき……。


(っ!?)ゾワッ


 天井に巨大な妖怪が張っていた。いや、もちろん絵なんだけど、不意を突かれたせいで背筋がゾクッとした。巨大な妖怪の大きな目玉がこっちを見つめている。つまり私が目を凝らして妖怪を見ようとしていたいまのいままで、私は四方と天井から妖怪たちに監視されていたというわけだ。その事実に思い至ってまたゾワゾワしてくる。


 ―――深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。


 出典とかはわからないけど、よく聞く言葉を思い出す。見えない物の恐怖。すぐそこにいる理外の存在。なるほど……これが妖怪なんだね。……あっ。


『妖怪はいない あるいは見えないだけかもしれない』


 この美術館に入って最初に目にした言葉を思い出す。妖怪は見えないだけ。だけど見えてしまったらそこら中にうじゃうじゃと……。小説だったら見事な伏線回収だ。私はしばらくその部屋に留まってボンヤリと絵を眺めていた。まるでこの空間だけ時間が止まっているかのようで……あっ。


(時間! いまどれくらい経ったの!?)


 その部屋から出てスマホを確認すると、フェリーの出航時間まであと8分になっていた。このフェリーに乗り遅れれば次はやく一時間後。フェリーでの移動時間一時間強を考えれば、高松に戻るのが二時間以上遅くなってしまう。


(ヤバイヤバイヤバイヤバイ)


 妖怪に心と時間を奪われすぎた。幸い、大広間から出口はすぐそばだった。


「あ、ありがとうございました」


 受付のおじさんへの挨拶もそこそこに、私は急いで自転車に飛び乗った。そして必死にペダルをこぎ続け、来た道を戻る。よく考えたら世界一短い海峡のところで折り返したので、私は小豆島の中でも小さい島の部分にしか足を踏み入れていないじゃん。今度はもっとちゃんと、しっかり来たいものだ……ってそんなこと悠長に考えている場合じゃないでしょ、私!


 私はゼエハアと息を荒くしながら土庄港の近くのレンタサイクルへと駆け込んだ。四時間借りておいて一時間で返すことを変に思われないかなとか考えている余裕もない。


「じゃあ自転車確認しますねー」

(お願い、ハリアップ!)


 受付のお姉さんが自転車に破損がないか確認している間、私はコインロッカーから荷物を引っ張り出す。急げ急げ急げ。


「大丈夫です。ありがとうございました」


 そんなお姉さんの声を聞くやいなや、私は「ありがとうございました!」と挨拶をして、荷物を抱えながらバタバタと走り出した。


「はーひー……」


 そして息を切らせ、若干女性がしちゃいけないような顔になりながら、100メートルも離れていない場所に停泊しているフェリーへと駆け込んだ。


(ま、間に合ったぁ……)


 私がヘトヘトになりながら客室までやってくると、フェリーが動き出していた。どうやら本当にギリギリだったらしい。時間に余裕を持つために夜行列車で朝一到着したのに、なんでここまでバタバタなんだろうか。

【↑☆思いつきでばっか行動してるからだろ】

【↑🔷ド正論w】


 私はテーブル席に突っ伏しながら、スマホを見る。あ、さっちゃんからメッセージだ。


さっち🔷:小豆島の港の近くに美味しいうどん屋さんがあるみたい。行ってみたら?


 ……うん、ごめん。寄ってる余裕全然無かった。でも、そういえばお腹減ったなぁ。朝ご飯、ざるうどんだけだったし。売店でなにかお菓子でも……って、あっ、そうだ。


(たしか売店でうどんが売ってたんだっけ)


 吹き抜けの客室の中央にある売店。見た目は駅で見るような売店って感じだけど、うどんの値段が書かれた張り紙が貼ってあった。


「すみませーん。肉うどんください」

「はーい。少々お待ち下さい」


 女性の店員さんが私の注文を聞くと、大鍋にうどんを投げ込んで湯がき始めた。待っている間に横にあった自販機で350ミリのペットボトルのお茶を買う。少しすると「おまちどおさまです」と店員さんがうどんを出してきた。


(あ、おいしそう)


 琥珀色のスープに浮かぶ太めのうどんの上に、煮込まれた牛肉とたっぷりの青ネギが乗っている。奇抜さなどはいっさいない。見ただけで安定した美味さだとわかるルックス。匂いも良いし、これで美味しくなかったら逆にビックリだ。


(いただきます)


 手を合わせながら心の中で念じて、私はうどんをすすった。うん、モチモチしてて普通に美味しい。ただうどん自体は東京で食べる讃岐うどんとそんなに変わらない気がする。それよりなによりスープが美味い。めっちゃ出汁がきいてて、塩気とうま味が自転車ダッシュでヘトヘトな身体に染み込んでくるようだ。


 朝昼晩に風邪のときなどいつでも食べられる味だ。ホッとする。


(さてと……)


 うどんを食べながらスマホを開く。高松港に付くのは午後12時半くらいか。こんだけ激しく動き回って、まだ一日目の午前を消化しただけというのがすごいなぁ。なんかもうこのままホテルに泊まって明日に備えようって感じでもいい気がしてくる。……まあ予約したホテルのチェックイン時間が早くても午後三時からなので、いまいっても入れてくれないだろうけど。


 宿をとった丸亀に向かう前に、高松周辺でなにか良さげなところはないだろうか。そう思ってうどんを啜りながらマップと睨めっこする。目に付くのは行きにも見た高松城。これは面白そうだし寄ろう。あとはなにかないかな? そう思ってマップをスクロールすると『屋島古戦場』の文字が見えた。


(あ、屋島の合戦の屋島って高松の近くなんだ。たしか田岡茂一……じゃなかった那須与一が扇の的を射貫いたんだっけ)

【↑☆なんで陵南の監督が出てくるんだよ】

【↑🔷語呂は似てるよね】


 その付近を拡大してみると『新屋島水族館』の文字が目に付いた。へえ、水族館があるんだ。お出かけ先として実は結構好きなんだよね、水族館って。室内だし、暑くも寒くもないし、遊園地みたいに騒ぐようなパリピもいないし、黙って見てられる。

【↑☆理由がことごとく魚関係ない!?】

【↑🔷筋金入りのインドア派だからね。よく旅に出る気になった物だよ】


 時間を持て余したら行ってみようかな。そんなことを考えながら、うどんを食べ終えた私は満腹なのも相まってウトウトとしてしまうのだった。

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