第7話 怨を返し鬼を断つ

 二人、鬼を抱えて都の外れを歩いている。のっぺりと黒い影が落ちて、ほかに人影はない。

「白鬼」

破丸がまず口を開いて

「なんだ」

白鬼がこたえた。破丸は鬼を見た。

「其れはどうする」

「京の外にと言われたろう。もう忘れたのか、仕方のないやれだな」

「忘れるかよ、その後のことを言っている。吾か、白鬼が……」

「忘れるかよ。報いは返さねばならぬだろうて」

「なら良い。忘れていたらと思っていた」

「そのために吾らは来たのだ」

「そうだな」

「ははは、しかし分下様もお人が悪い。殺せとは言わなんだが、何処へ生きて送れとも言わなんだ。場所が分からねば文も届けようがあるまいに」

くつくつと、仮面の奥で嗤う。


 ねじりおにはずっと二人に呪詛を吐いているが、どちらもまともに取り合わずに歩を進めたので野の石草ばかりがそれを聞き届ける。

 やがて、川に突き当たり、二人はその河原にごろりとねじりおにを転がした。手近に人のいない襤褸舟ぼろぶねが一艘、あしの隙間に見え隠れする。破丸がそれを引き寄せた。

「おぼえておれ、おぼえておれよ……」

 ねじりおにには既に暴れる力すらない。憎々しげに見上げるだけだ。

「いつか必ず、恨みはらしにきやるぞ。汝がどこに居ようが、必ずや」

「いやいや、根の国に、この白鬼が行く方がきっと早いぞ」


 ようやく、面の鬼が楽しそうに鬼の声に応えた。

 白鬼は太刀を引き抜いて、己の掌に軽く押し当てていた。黒い血がぼたりぼたりと地面に吸い込まれていく。それでも構わずに斬りつける。

 ねじりおにはぎくりと身体を揺らし、這うように距離をとる。何をしようとするのかを察したのだろう。

「では、では、乳母殿。鬼退治の時間に御座います」

「ま、待てや、待てや! この婆を殺すと申すか!」

しかり」

「其の方も鬼であろう!」

「然り」

悪びれもない。

「なに、鬼だからと言うよりも単純なことです。因果とは戻り来るものに御座いますよ」

「待て、殺すのはならぬ、旦那様はわが身を京の外へと逃せと、文を届けると、それは旦那様との契りと異なるではないのか────!」

「失礼ながら、ひとを捻り殺したなら、己もそう在るべきに御座いましょう。それに、吾らが約束したのは呪いを止めることに御座います。怨念を返すためにやってきたと申し上げましたでしょうに」

じりりと近づく。逃げる老婆の細首を、血塗れの手が掴んだ。ぶらりと身体が宙に浮く。

「己も鬼ならばわれを見逃せ……! 待てや、ひめさまからの文じゃ、ひめさまも乳母からの返事が来ねばきっと」

「いやいや、戯れを仰いまするな」

「鬼が鬼を呪うと申すか!」

「否や、否や、左様なことはできませぬ。呪いなどと、吾が為すは怨返しのみと申し上げました」

「おん……」

「破丸が怨返しは先にご覧の通り、次はこの白鬼めの怨返しをご覧に入れましょうぞ。とは言え、この白鬼ができるはたった、汝がしたことをその身に返すことのみ……たったそれだけの術に御座います。そら、ねじりおに。このつらを見よ。それで己の因果は戻り来る」


 言って、白鬼は面を外した。

 その下を見て、ねじりおには固まった。

 固まるほかないのだ。その瞳に囚われては動けなくなる。鬼であれ、元がひとであればその呪縛に変わりはない。鬼の視線に囚われて動けない。

「あ……、あ……」

「そうら、動けますまい。どれどれ、まずはひとつ捻りましょうか。ひとつ、ふたつ」

そう言って宙を掴んで捻る。ごきりと鬼の首が鳴った。もう一度捻れば、鬼は悍ましい声を響かせた。体が捻れる、けれども抗えない。

 ひたすら絞る。捻る。


「まだまだ、まだまだ。己が絞った命の数、これが汝が因果に御座いますよ、ねじりおに」


破丸は暫く見守っていたが、「相変わらず悪趣味だ」とさっさと踵を返して去っていた。


 それでも構わずに白鬼は襤褸布のように鬼を絞る。音。もう一度捻る。音。捻る。捻る。捻る。音が聞こえなくなるまで捻り切った。

 その回数、ちょうどこれまで捻り殺された女の数と同じ数。

 おわったそれを、腕だけもぎり、残りを舟に乗せると、繋いでいた紐を解き放つ。

 ゆったりとそれは根の国に向けて流れ始めた。

 既に動きもしなければ、声のひとつもしなくなった成れの果て。もぎった腕は懐に、足早に土手へと上がる。


 待っていた破丸は「終わったかよ」実に嫌そうな顔をして問うた。「終わったとも」白鬼は常の声で応える。それで二人は歩き出した。

「白鬼の食事の趣味は変わっている」

「慣れただろう」

「昔は獣ばかり食っていたはずだ」

「そうだったか?」

「鬼退治と重なっておるからな、別に文句はないが……」

破丸はため息を吐いた。

「鬼はいつになったらいなくなるのだろうな。北に出たかと思えば南に、東に、西にと面倒だ」

「この世にひとの心がある限り、鬼はなくならぬよ。破丸が己を殺したとて、別な鬼はすぐに現れる。そら今も、都の彼方此方におるではないか。ここにも在る」

白鬼は笑った。

「白鬼は別だ。他の鬼は好かぬ。吾が仇の同族じゃ。奴らは同じことを繰り返す……」

「それは人も、この白鬼とて同じよ」

「違う」

「さあてなあ……まあ、色々な鬼を見よ。おまえにはそれが必要だ」


 仮面の下で笑いながら、すっと指し示すのは朱雀門の方角である。

「次は彼方へ行こうか、破」

「うむ」

「ひとの怨念渦巻く都は、まこと鬼の都じゃ。うじゃうじゃととぐろを巻いて、おかげでこの白鬼も飢えることはないのだから。肥えて肥えて丸くなったところを汝が狩ればよいだろうさ。そうすれば一石二鳥だとも」

「無論だ。最後に白鬼を狩るのはこの吾じゃ」

破丸は口角を上げて、頷いた。

「因果応報、鬼を狩るぞ」

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