第24話

 雅樹との食事は、また黒兎の家で仕出し弁当を食べる、という形になった。雅樹のリードで和やかに食事は済み、落ち着いたところでまたあの質問をされる。


「結局、きみの好きな人がどんな人なのか、聞きそびれているね」

「……俺のことはいいよ……」

「そうかな? 友人としてそこは応援したいし」


 黒兎は人知れず息を詰めた。最近二人きりで会うことが多いけれど、黒兎と雅樹は友人関係なのだ。


(危ない……勘違いするところだった)


 雅樹は、内側に入れた人間には、とことん甘いらしい。確かに、視線すら合わなかった時からすれば、かなりの変わりようだし、それを知っている女性からすれば、なるほど、仲良くなりたいのも分かる、と黒兎は思う。


 あの、甘い笑みをたたえた美丈夫が、自分を甘やかしてくれる。そんな夢は女性なら一度は見たいだろう。



 そして時は少し経ち、ゴールデンウィーク。黒兎は招待された舞台を観に、電車を乗り継ぎ会場へ向かった。


 ゴールデンウィーク中の千穐楽に、招待してくれるのも破格の扱いだが、観劇後に隣の席のスタッフについて行くように言われ、変に緊張した。


 しかし舞台はその緊張も凌駕する程の、ヒューマンドラマだった。

 主役はやはりすぐるで、最後の『それでも、差し伸べられた手があれば、僕は迷わずそれを取ろう。それで僕にどんな災難が降りかかっても、後悔しない』という台詞に感動し、涙を堪えずにはいられなかったのだ。


 無事にキャストや脚本演出の光洋みつひろが舞台上で挨拶をし、幕が閉じると、黒兎は雅樹の指示通り、隣の女性に案内されてついて行く。


「おい瑠璃るり


 STAFF ONLY と書かれた扉から中へ入ると、いきなり声を掛けられた。

 見ると今さっきまで舞台上にいた、光洋がいる。


(いやそれよりも……)


 黒兎は案内してくれた女性を見た。黒のタイトスカートのスーツに、黒縁メガネ、マスクをしているけれど、明らかにその美貌は隠せていない。


 間違いない、Aカンパニー所属女優の、瑠璃だ。


 どうして彼女が、と思っていると、瑠璃は短くため息をついて光洋を見やる。


「あら、早いわね。もう少しキャストと遊んでくるかと思ってたのに」

「ちょっとそこの芋に用がある。あと引き継ぐわ」


 人のことを芋呼ばわりした光洋は、こっち来い、と黒兎を呼び寄せる。瑠璃はじゃ、よろしく、と言って去ってしまった。


「お前、何しに来た」


 瑠璃が見えなくなってすぐ、光洋は身も凍る程の冷たい声で聞いてくる。黒兎は光洋にそんな態度をされる覚えはないけれど、彼の剣幕に押され、おずおずと答えた。


「……舞台を観に……」

「雅樹の招待で? この間あんた、取り入るつもりは無いって言ってたよな?」


 グッと、黒兎は拳を握る。


「確かに雅樹はあんたを気に入ってるらしいが。……あんたは違うだろ」

「……っ、なに、が、ですか?」


 黒兎はカッと頬が熱くなった。平静を装って話そうとして、失敗する。さすが元俳優で、雅樹も認める観察眼だ。彼は黒兎が雅樹に恋心を抱いていることを、見抜いていたらしい。


 すると光洋はため息をついた。黒兎は床を睨みつける勢いで凝視していると、この際だからハッキリ言うけどな、迷惑なんだよ、とグサリとくる言葉が降ってくる。


「雅樹はお前と違って背負ってるものが違うんだ。堂々と公言できるような付き合い、できるのか? 雅樹に後ろめたさを感じさせないでいられるのか?」


 できねぇだろ、と言われ、視界が滲んだ。瞬きも忘れ、パタパタと落ちていく粒を見つめていると、分かったならさっさと失せろ、と言われて、のろのろと回れ右して歩き出す。


 そんなこと、言われなくても分かっている。


 袖で乱暴に顔を拭うと、スマホがポケットで震えた。しかし、黒兎はそれを触ることもなく、前に進む。


 そして、心に決めるのだ。雅樹とはもう会わないようにしよう、と。


 どうしてもそばにいると、やはり欲が出てしまう。それならいっそ、断ち切った方がいい。


 光洋の言うことは──例え彼に言われる筋合いはないとしても、一語一句その通りだと思った。雅樹は多くの人の生活を支えている社長だ、自分の存在が、彼の足を引っ張ることになるかもしれない。それは避けたい。


「……やっぱり、友達になるのも……難しかったか……」


 そう呟くと、喉の奥に何かが詰まったような気がした。唾を飲み込んで流そうとするけれど、何かに引っかかっているように取れない。


 少しの間だったけれど、彼の視界に入れたので十分だ。それ以上は望んではいけないと思う。


「黒兎……」


 不意に呼ばれて振り返ると、そこには内田がいた。どうして、と思う前に、辺りを見回す。


 帰り道の、駅のホームだった。

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