メッセージ 二
「神鏡なんじゃねーの?」
私と宮司の会話に坂本が割り込んで来た。
「鏡の神様が助けてくれたんだよ、きっと」
「またおまえは突拍子も無いことを……」
「だってさ、鏡は相手の姿を映すじゃん。その能力使って、村長のコピーを何体も造ったんじゃないか?」
「コピー能力……?」
「そうさ。そんでコピー達を散らばせて俺と兄ちゃんを呼んだんだよ。また神社で悲劇が起きるぞ、何とかしろって」
宮司は呆れ顔で反論した。
「それだったら十年前も助けてくれたはずだろう」
「十年前は、加賀見に村長居なかったじゃん」
私は坂本の指摘にドキリとした。
「村長はさ、神鏡に別の姿映るし陽菜ちゃんの幽霊にも気付くし、たぶん霊的なものと相性がいいんだよ。それで、利用っつーと言葉悪いけど、神様は村長使って事件を解決しようとしたんじゃないかな?」
「会長は
私は慌てて否定した。自治会長に続いてシャーマンに祀り上げられては堪らない。
「いやいや、私が不思議なものを見るようになったのは、加賀見地区に戻ってからだよ。その前はサッパリだった」
「じゃあさ、この土地と相性がいいんだ。土地神様に愛されてるのかもな」
そう言って坂本は悪戯っぽく笑ったが、私は全く笑えなかった。万が一その通りだとしたら、私はこの先も恐ろしい目に遭うかもしれないじゃないか。
「会長……」
宮司が神妙な顔つきで話し掛けて来た。
「いつもは酔っ払いの
「宮司さんまで……」
「四十年振りに加賀見に戻って来られたあなたが、陽菜さんの霊に会い、因縁深い幼馴染の修羅場に立ち会うことになった。これが全て偶然とは思えません」
「そんな」
「会長が英司くんと一緒に居なければ、彼は翠さんを絞め殺していたでしょう。いえその前に、英司くんが翠さんに刺し殺されていたのかもしれない。あなたが二人の命を救ったのです。おかげで十年前の惨劇が繰り返されずに済みました」
確かに。翠の包丁の一撃は、私が突き飛ばさなければ英司に刺さっていた。英司が翠の首を絞めた時も、私が邪魔をして時間を稼がなければ坂本は間に合わなかった。
「あれだけの修羅場でも死人は出なかった。そして会長は無傷。何らかの守護の力が働いていたのではと考えてしまいます」
「私は無我夢中だっただけです。たまたま上手くいったんですよ」
「そうでしょうか。私は土地があなたを呼んだように思えます」
「………………」
私が加賀見に戻って来たのは、妻を失って寂しかったから、そのはずだった。だが坂本と宮司に言われて自信が無くなってきた。
そうだ。寂しいのなら、妻との思い出が溢れる都会の家に残っていれば良かったのだ。子供達だって帰省しやすい。しかし私は強い郷愁の念に囚われ、急ぎ加賀見の土地へ帰って来た。
やはり、私は呼ばれたのだろうか? ここに。
「ただ判らないのが、複製された会長の容姿ですね。どうして若い姿なのでしょう。今の会長ではいけない理由でも有るのでしょうか?」
「さあ…………」
「神鏡は、どんなメッセージを我々に伝えようとしているのでしょう?」
メッセージ。
陽菜を殺した真犯人の顔。気を付けての言葉。そして少し若い姿の私。
受け取ったのは三つのメッセージ、これらに統一性は有るのだろうか。それぞれ違う誰かが送ってきたものなのだろうか。
それともう一つ。ただの煙がそう見えただけかもしれないが、私は空に亡き妻のシルエットを見付けたのだ。
「会長、どうかなさいましたか?」
「ああ、いえ。やはり今日は帰ります」
飲む気になれなかった。幸い、まだグラスには口を付けていないので運転できる。
「ええ~、村長帰っちゃヤダ~」
「何かご用でも?」
「いろいろと考えてみたくて。すみません、せっかくお誘い下さったのに」
「そうですか……。残念ですが、一緒に飲むのはまたの機会に。夜道の運転は危険ですからお気を付けて」
『気を付けて』
ドクン。
心臓の鼓動が跳ね上がった。私の耳は確かに捉えた。宮司の気を付けてという言葉に、別の誰かの声が被さったのだ。周囲を見渡しても、私達三人以外には誰も居ない。
「会長?」
宮司が不思議そうに私を見た。彼には聞こえなかったようだ。坂本にも。あれは私にだけ届いた声。私に向けられたメッセージ。
あれは……!
気を付けて。宮司とハモったのは女の声だった。私はそれが誰だか判った瞬間、ずっと見逃してきた大切な事実に気付いたのだった。
私は宮司に一礼して、坂本のブーイングを背に受けながら神社を後にした。
安全運転を心掛けたが、早く自宅に着きたいと心が逸った。
行かなければ、会わなければ、彼女に。
祭り客はとっくに帰っていたので道路は空いていた。私はスムーズに自宅に辿り着くことができた。
家に入った私は迷うことなく仏間へ向かった。仏間と言っても既に仏壇は無い。子供達が皆家を出て行ったので、継ぐ者が居ないと見なされた仏壇は、晩年の両親によって寺で処分されていた。
かつて仏壇が在ったスペースには、実家に戻って来てから私が、三人分の位牌と遺影を置いていた。両親のものと、妻の育子の分だ。ちなみに今日の供え物は坂本から貰った桃だった。
「育子……」
私は妻の遺影の前に正座した。もみじ饅頭を持って笑っている育子。広島旅行の際に撮った写真だ。紅葉の季節には少し早かったが、私には花より団子よと笑っていた。
「おまえだったんだな」
気を付けて。その言葉は育子の口癖だった。行ってらっしゃい、気を付けてね。
「ごめんな、気が付かなくて」
宮司は言っていた。ほとんどの人間は霊が傍に居ても気が付かないと。聞き流したあの時の自分を殴りたい。せめてあそこで冷静になれていたら。
私には二人の女の霊が憑いていたのだ。殺された陽菜と、病気で亡くなった妻の育子。
陽菜は真犯人の顔を私に見せた後、満足してすぐに離れたのだろう。つまり宮司の友人の柏木が遠隔で霊視して、メッセージを受け取った相手とは育子だったのだ。
育子はその後に起こる英司と翠の諍いを予想して、私に注意喚起をしてくれたのだ。首に走った静電気のような警告も、彼女からだったのだろう。
「ありがとう」
私は育子が幽霊になって傍に居るなど考えもしなかった。
サッパリして、どこか達観していた彼女。癌が発見された時も、終活頑張らなきゃねと笑っていた。
だから、とっくに天国なり極楽なりに旅立っているものと思っていた。
まさか独りになった私の身を案じて、霊となってこの世を彷徨っていたなんて。
気を付けて。育子はこうも思っただろう。気付いて、と。
「俺は、もう大丈夫だから」
あなたはしっかりしているようで、変なところで抜けてるからねぇ。生前の育子に何度も指摘されていた。
ただの軽口だと私は思っていたが違ったのだ。育子は真剣に私を心配し、愛してくれていた。彼女の魂が死後も私に縛られる程に。
「加賀見はいい所だよ。田舎特有の人付き合いの濃さは少し厄介だが、慣れたら何てことはない。私だって元々田舎者だしな」
遺影の育子の笑顔が、更にほころんだ気がした。
「友達もできたんだぞ。私よりだいぶ年下だが坂本くん。宮司さんとも親しくなれそうだ。桃川さんも良い人だし。彼女はゴシップ好きなのが玉にキズなんだが……」
自然と私の目頭が熱くなっていった。
「なんて、全部知っているよな。ずっと傍に居てくれたんだから」
育子と話したい。直接会いたい。でも、駄目だ。
「これからは食事にも気を付けるからな。油と塩分控え目に、酒も程々にする。誓うぞ。だから……」
言わなければならない。別れの言葉を。
「だから、俺のことはもう心配するな。おまえはおまえで、次の段階に進まないと」
死後の世界の仕組みは判らない。それでもこうして、私に縛り続けられることが正しいとは決して思えない。
「行くんだ。おまえが行くべき所へ」
思い出した。私は育子と病室で、ちゃんと今生の別れをしていなかった。
彼女が居なくなる覚悟を最後まで持てなくて、瘦せ細って反応が無くなった手を握りしめて泣いていただけだった。子供達と看護師に引き離されるまで、ずっと。
そんな不甲斐無い姿を見せられて、情の深いあの女が旅立てる訳が無かったのだ。
「俺は、大丈夫だから」
涙を堪えて笑顔を作った。やせ我慢だが、二年前はこれすらできなかった。
『本当に大丈夫?』
聞かれた気がした。温かい声に。
「大丈夫さ。あ、でもお盆には様子を見に帰って来いよ。今年はもうすぐだから来年からで。それを励みに一年間頑張るからな!」
『まるで織姫と彦星ね』
今度は確実に聞こえた。間違いない、育子だ。
『じゃあ、少しの間、お別れね』
温かい声と気配が私を包んで、母に抱かれる赤ん坊のような満ち足りた心地に浸った。
そしてやがて気配は消えて行った。
「………………」
我慢していた涙が両目から溢れた。
行った。育子は漸く私から解放されたのだ。
「くぅっ、うう……」
声が漏れた。
神鏡が映した私の姿は正しかった。私の中の時間は、育子を失った二年前に止まってしまっていたのだ。
私は妻が死んで以来初めて、声を上げて泣いた。
自分の中の時間が、動き出すのを感じながら。
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