第6話 それでも頑張る理由

 初めて食べたスモークサーモン以下略サンドは美味しかったとは思うが、味は覚えていない。



 今は食事も終わって、大きなマスクに隠れてしまったあの顔を、忘れないようにとしっかり頭に刻み込む作業で忙しかった。


「美味しかった。でもお腹って、食べてすぐの方が鳴らない?」


 本末転倒な話題を振ってくるも、それに答えはしなかった。


 しばらくの沈黙のあと、もう一度少女が口を開いた。


「私、平松琴音ことね。そしてあれがうちのお母さん」


 急な自己紹介よりも、指差す先を見て驚く。


 スカートに赤いジャケットのような物を羽織ったゾンビが、緑の芝生を歩いている。


「お父さんは家ゾンビになってる」


「両親共って……御飯とかどうしてるの? いやむしろ一緒にいたら君までゾンビになっちゃうよ」


「勝手に親の口座からお金下ろして、買ってるし、カプセルホテルを取ってる」


「そっか、心配した」


「家には居られないんだ。お父さん、私にお説教してる時に発症したから……」


 ゾンビが人の言葉を話すことはない。

 しかし、彼らの最後の感情は、自制心を無くして発現する。雨が降っても外を出歩いてしまうように。


 口喧嘩の最中に運悪くゾンビになったものが、相手を殴り殺す事例もある。



「殴られるの?」

「うん」


 彼女……琴音ちゃんは小さく頷きながら言う。


「でも殴られても仕方ないの、だって二人を感染させちゃったのは私なんだもん」


 そう言うと、嗚咽おえつを噛み殺す声をもらす。


 俺は理由を聞くのを躊躇ためらっていた、いつの間にか心にまでソーシャルディスタンスが刻み込まれていたのだろうか。


 しかし、しばらくして落ち着くと、琴音ちゃんはその壁を簡単に越えてきた。



「私、両親が発症する前に、映画館に行ったんだ」

「デート?」

「まぁそうなるのかな」


 言葉を濁したが、少し胸にチクッと何かが刺さる。


「好きだった男の子が居て、その子が誘ってくれたから行ったんだけど、館内ゾンビが何人も居て、全然落ち着かなかった」


 映画館のゾンビは大抵しょっぴかれる。


 そうじゃない場合は椅子ごとクリアケースで覆って、感染予防をする。


「一人は腕輪無かったし、普通に座ってたし。でも大丈夫だって彼が言ってて」


「対策取れていないのはダメだよ! 早く保健所に連絡しなきゃ」


「もう二週間以上前の話だよ?」

「あ、そっか」


「で、帰りに喧嘩したの、感染しちゃうって。だけど彼は、五年も何もなかったしみんな騒ぎすぎだ、って言って聞いてくれなくて」


「絶対にそんなことはない。根絶するまでは危険はあり続けるんだから」


「うん、わかってる。結局そのあと彼はゾンビになっちゃったし」


「それって……」


「私は隠しちゃった、彼と映画に行ったこと。他の誰も知らなかったから」


「……」


「でもね、それからしばらくしてお母さんが発症して、お父さんに問い詰められて……」

「君は無症状だったんだね」


 琴音ちゃんは、また小さく頭を縦にふると、体育座りの膝に顔を埋めたまま喋らなくなった。


 自分の不注意で、人を傷付けるかもしれない。


 わかっていても俺たちは人間だ。

 好きな男の子から誘われたら、出掛けたくもなる。

 応援しているバンドがライブをするなら跳ねたくなる。


 特に鬱屈とした空気感の中、そうやって少しでも心を明るく保ちたいと思ってしまうのは当然だ。


 それを他人は絶対的には断罪できないが、後悔という自分の気持ちは、どこまでもどこまでも自分自身を追い込んでゆく。


 特に、家族、友達、職場を巻き込んでしまえば尚更だ。


 ほんの少しの気の緩みが、自分達を苦しめることになる。


 話さない琴音の代わりに、俺が口を開いた。


「俺の両親は、ウイルスで死んだんだ。四年前にね」

 返事は無かったが、俺はそのまま続けた。


「あの頃はちゃんとした対応策が見付かってなくてさ、結構致死率が高かったんだ。僕がやっている、ゾンビを管理する仕事もなかったしね」


 俺は冷めきった、カフェラテを口に含む。


 はじめ飲んだときは、甘さが足りないと思っていたのに、今飲むと美味しく感じた。苦味がちょうど欲しかったのかもしれない。


「親父は喘息を持ってて、二週間経たずに容態を悪くして。母は元気だったのに、後を追うように死んでしまった。二人はおしどり夫婦だって、俺でも思う仲良し夫婦だったからなぁ」


「可愛そう」

「そうだね、もっと一緒に居て欲しかったよ」


 緑の芝生に赤いジャケットのゾンビが存在感を誇示している。


「最近は管理されて、亡くなる方も殆ど無くなったけど、日常生活に戻れるかどうかは別なんだ。職を失ったり、近所から後ろ指さされたり……そんな人を見続けると。五年も経ってんだから、いい加減日常として許容してやれって思ってるんだけどね」


 別に日頃の鬱憤うっぷんを晴らしたい訳ではないが、ソーシャルディスタンスの内側にいる彼女に、つい愚痴ってしまった。


「日常とは思いたくないのね」

「だろうね」

「自分だけは大丈夫って思ってるのね」

「だろうね」


「そんなこと、自分に振り掛かるまでわかんないのね」

 そう言ってから本格的に、泣き始めた。


「俺は、その時保健所で働いていた。周囲からは、お前が無症状で両親を殺したんだと揶揄やゆされたこともあった、接する機会が多い分、他人よりも窮屈きゅうくつに暮らしているのに、他人からは避けられるんだ」


「ぞんな、おじさんばわるぐないのに」

 鼻声で琴音は俺を擁護ようごしてくれた。


「そう言えばそろそろおじさんはやめてくれ、37歳は微妙なお年頃なんだ」



「お父さんの一つ上だよ」

「おじさんでいい……いや、一応土方さんと呼んでくれ」


「土方歳三の土方?」

「まんま本名だけどな」

「なにそれ、新撰組なの?」

「ゾンビよりは新鮮だけどな」


 まだ少し鼻声だが、笑ってくれた。


 そう言えばこの名前で人を笑顔にできるなんて考えたこともなかった。

 あまり好きじゃなかった自分の名前が一気に好きになってきた。


「おじさんも色々あったんだね」

「色々あるよおじさんだし。でも土方さんと呼びなさい」

「じゃぁ人生の先輩に聞きたいの」

「なんだい、琴音ちゃん」


「……そこ名前で呼ぶ……?」


「え、だめ?」

「じゃぁ歳三って呼ぶよ?」

「あはは、親にしかそう呼ばれたことないな」


 俺は気恥ずかしそうに頭をポリポリと掻く。

 それを見ていたずらっぽく笑う琴音。


「では、改めて」

「なんだい?」


「私……これからどうしたらいいと思う?」


 家族からゾンビが出た。

 しかもクラスターの中心だ。

 だとしても……


「当たり前の日常を送るしかないね」


「どうやって? もうみんなが当たり前に見てくれないよ」

「ゾンビウィルスが身近にある当たり前を生きていくしかないよ、彼らだっていつかはそれに気付く筈だよ」


「気付いてくれるまで、おじさんはみんなに避けられるの?」


「おじ……そうだよ、そういう仕事をしてる。だけど、そんな人たちばっかりじゃない。琴音ちゃんのように心配してくれる人や、元気付けてくれる人もいる。感謝の言葉だけで俺たちは頑張れるんだ」


「……私もそんなかっこいい生き方できるかな?」


「できるさ」

「根拠は?」

「かっこいい大人を知ってるから」

 俺は親指で自分を指す。


「あはは。自分でいう?」

「自分で言えるくらい、自信を持って生きていかなきゃね」


 琴音ちゃんはそれを聞いたあと、目線をお母さんに移して呟く。

「……そうだね、そっか」

 母が治療を終え、元の生活に戻ったとき、支えるのはきっと家族だろう。

 だからこそ、琴音ちゃんは強くなければならないと自分に言い聞かせているように見えた。



 そんな俺たちの頭の上に、ぽつんと雨が一滴落ちてきた。


「あっ、ついに降ってきたね」

「ああ、ピクニックは終わりだな」


 琴音は折り畳み傘を取り出すと、立ち上がって開いた。


「おじさんは傘ないの?」


「もうおじさんでいいよ……車で来たからね、もう戻るよ」

 俺は立ち上がると、食べ物のごみを集める。

 そして、二人の間に置いたままの、猫の刺繍の入ったハンドタオルを拾った。


「次会ったとき返す」

「うん」


「じゃぁまた」


「がんばってね、歳三」


 俺は背中越しに、握りこぶしを空に掲げ、止まらずに歩き続ける。


「かっこつけんな、歳三!」


 後ろからヤジが飛ぶ。やりすぎたか。



「最初からかっこいいんだから」

 願望のような台詞が風にのって聞こえたような聞こえなかったような……



 そして俺は日常に戻る。

 チャック付きビニール袋にいれた、洗ったハンドタオルを鞄に入れて。

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