冬の明けるころに

@Violalula

第一頁:夏の始まりは、存外に静かである

 きん、こん、かん、こん、とチャイムが鳴り、当番の生徒が号令をかける。


「きりーつ、きをつけー、れーい」


「「「ありがとーございましたー」」」


 入学してから数か月、すでにダレたような号令に生真面目と噂の担任教師は若干顔を顰めるが、今日が終業式であることも加味してやり直しといった工程は避けられた。周囲の多くの生徒が開放感のままに動き始める。叫ぶもの、部活に駆け出すもの、友人と談笑をするもの、多種多様に各々が青春を過ごしていた。

 そんな中、教室の中心にあたる席で、苦い顔をしているものが一人。俺、一ノ瀬 冬樹いちのせ ふゆきである。なぜ終業したのにも関わらず、渋い顔をしているのかといえば答えは一つ。周囲の青春が眩しくて直視できなかったのである。

 そして同時に、一ノ瀬冬樹は今世紀で最も焦っていた。


そう、青春の送り方が分からなかったのである。


「あはは、またフユキが変な顔してる」


 そう言って前から覗き込んでくる茶髪イケメンは鍬田 三兎くわた みと。俺の数少ない友人であり、中学のころからの付き合いである。どれほどのイケメンかといえば、俺と同じく男子校の中学だったにも関わらずなぜか彼女が絶えなかったという実績があるほどのものである。


「そりゃあ渋い顔もするよ。俺の青春高校生活はこんなはずじゃ……」


「出た、青春。ずっとこだわってるよね、フユキ」


「当たり前だろ、何のために血反吐を吐きながら勉強してまで共学に来たと思ってるんだ」


「僕とおんなじとこ来るためって言ってた気がするんだけど」


「そういえばそんなことも言った気がするな……もちろんミトと同じ高校に来るためだぜ?」


「こんなに嘘っぽいことないよね。ま、でも女子の友達出来たんだし上等じゃない?」


「あれは訳アリというかなんというかだな」


「せっかくできたんだからえり好みしちゃだめだよ」


「ぐっ……正論だ。悔しい」


 そんな会話をしていると、教室の入り口から声が響く。


「一学期の間に図書館棟で借りた本、まとめて返しに行くからみんな出してー!」


 噂をすれば影。一学期のクラス内図書委員長、兼俺の唯一の女子の友達である四之宮 心春しのみや こはるが声を張る。図書委員という肩書のわりにダンス部所属の制服魔改造陽キャだというのだからこの世界は何かがおかしい。ちなみに副委員長はここで駄弁っていた鍬田という男である。


「お、噂をすれば。僕も借りたままの本あるし返しに行こうかな」


「そうしてやれ、きっと喜ぶぜ。ついでに俺も借りたまま読んでない本があるから返しに行っといてくれ」


「おいおい、数少ない友人をパシる気かい?」


「パシるもなにもお前は副委員長だ、女子一人に仕事任せてないで行ってこい」


 こん、と本でミトの頭を叩き、恐らくはミトが来るのを待っているのであろう視線をこちらに向ける四之宮の方へとミトを促す。


「あだっ、痛いところを突かれたな。仕方ない、行くとしよ───待った、今日何曜日だっけ?」


「今日? 今日は木曜だろ。それがどうかしたか?」


「うーん、だよね。ごめんフユキ、返却任せてもいい? 今日図書館棟へいくとなんだか僕は大変後悔しそうなんだよ」


「分からんことを言う奴だな、まぁ返却くらい構わんが……あとで四之宮に謝っとけよ」


「さすが、フユキは話が早くて助かるよ。じゃあ最終手段のジュース代はしまってと」


「しまうなしまうな。メロンソーダ楽しみにしてるぜ、容量大きめの方な」


「冗談だよ。メロンソーダね、了解」


 そういって本を受け取って四之宮の方へと歩いていく。友人が向かって来ているのだ、と言っても誰も信用してくれないほどに四之宮の顔が一歩、一歩と進むごとに顰められる。


「仮にも友達に対してその顔は酷くないか?」


「鍬田は?」


「所用で行けないらしい……いやごめんって、そんな親の仇みたいな目で俺を見ないでくれ」


「懺悔なら往路で聞くから。行くよ」


 あからさまに不機嫌と言った様子で先を進み始める四之宮の手から本を半分取って、隣に並ぶ。歩きながら、四之宮が口を開く。


「ま、鍬田が来れないって言ったんならそれ以上は追及しないけど」


「助かる。俺も理由は聞いてなかったからなんて誤魔化そうか迷ってたんだ」


「それただパシられてるだけなんじゃない?」


「メロンソーダが教室で俺を待ってるから等価だな」


「そういうもの? 納得してるなら別にいいけど」


「なんならジュース代のが負担としては大きいまである」


「それは知らないけど。でもあんたで丁度良かったかも、聞きたいこともあったし」


「聞きたいこと?」


  普段の勝気な性格からは想像もつかないほど一瞬でしおらしくなり、急に声が小さくなる。しかし、図書館棟に行く以外に用途の無い通路では人通りがなく、二人きりの空間では小さくなった声ですらもはっきりと聞こえる。


「えっと……その、さ」


閑静な廊下に夏の始まりを告げるじっとりとした空気が充満し、すでに練習を始めた野球部の掛け声が廊下の窓の向こうに響いているのが分かる。数刻の沈黙を置いたのち、四之宮が意を決したように再度口を開く。重々しく開かれた唇に塗られた色付きリップが校則への微かな抵抗を想起させる。


「好きな人とか、いる……?」


 蝉の合唱が心音を埋め尽くす。夏が始まる音が、けたたましく鳴り響いた。

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