愛が重いだけじゃ信用できませんか?

歩く魚

プロローグ

「もしかしなくてもお前、高校生?」


 男はダブルベッドに腰掛けてシャツのボタンを外していたが、ふと、脈絡もなくそんなことを聞き出した。

 アジアンテイストの照明からは、オレンジ色の光が放たれていて、それに照らされる女の脚が、妙に瑞々しく見えたからだ。


「お前って言わないで」


 しかし、返ってきたのは肯定でも否定でもなく、冷たく吐き捨てるような一言だった。

 なるほど。男は心中で頷く。

 男は普段、異性のことを「お前」とは呼ばないが、あいにくこの女の名前を聞いていなかったし、少しばかり焦っていた。


「それもそうだ。悪かったよ」

「……ん」

「これで仲直りな。ってことで、本当はいくつなの?」

「……もし高校生だとしたら、何か問題あるわけ?」


 あるから聞いているのだ。男の胡散臭い笑みに少し苛立ちが現れる。

 彼の年齢は20歳。大学2年生である。

 部屋にいる女とは一時間前に道端で知り合い、カフェでとりとめのない、しかし判断力を麻痺させるような、深そうで浅い会話をした後、この場所に来た。

 当然、男が声をかけた段階で年齢は聞いていたし、それに対して彼女は大学生と答えていたため、彼は追求を行わなかった。

 もちろん、女が本当に大学生であるなら問題はない。

 ここがどこだろうと、何をしようと咎める人間はいない。

 だが、仮に彼女が嘘をついていて、本当は高校生だとしたらどうだろう。

 18歳になっていれば性行為自体には問題はないが、18歳未満であれば、条例だかなんだかで罰せられてしまう。

 また、18歳未満を家に連れ込めば誘拐になる可能性もあるし、それがラブホテルだったとしても、同様に危険であることに変わりない。

 女が女ではなく、少女だとしたら、問題大ありなのだ。

 そのため男は、基本的に高校生とは関係を持たないと決めていた。


「……ま、お兄さんとは普通に遊びたかったけど、そういう感じならしょうがないよね」


 少女はショートパンツのポケットからスマホを取り出し、数秒ほど両手の指を器用に動かした後、またしまった。

 二人の会話はそこで終わっていた。

 少女はなんでもないことのように澄まし顔でソファに座っているし、男は観念したのか、虚空を見つめている。

 このまま逃げることもできるのだが、そうしてしまえば少女に通報されてしまう。

 入店時点で監視カメラに顔が写っているため、逃げても意味はないのだが。

 そして、通報されてしまえば、口では大学生と聞いていたとしても、実際に身分証を見て確認していなかった場合、社会的に負けるのは男の方だ。

 しかし逃げなければ、おそらくこの後部屋に来るであろう「商売仲間」なり「彼氏」なりに、手持ちの金をむしり取られてしまう。

 アンニュイな雰囲気のある整った顔立ちも、浮世離れしたような白い髪も、この場においては何の意味もなくなっていた。

 ただ、猫背が自信のなさを表しているようだった。


 数分後。扉を乱暴に叩く音が部屋に響く。

 少女は身体をびくっと振るわせた後、小走りで鍵を開けに行った。


「もぉ〜、遅いよリュウくん!」

「へへへ……わりぃわりぃ、道に迷っちまって!」

「なんでいつもやってるのに迷っちゃうのよ、まったく」

「それで、今日のやつは奥にいるのか?」


 はぁ、と男はため息をついた。

 今日のやつというのは間違いなく自分のことだと。

 楽しげ……というよりやかましいというべき会話が途切れたのは、男が取り立てのスイッチを入れたからだと理解していた。

 待っていると、木造建築の二階に住んでいたらクレームが入りそうな、体重を乗せた大きな足音が近づいてくる。


「おうおう、お前が俺の女に手ぇ出した馬鹿野郎か?」


 嘲るように半笑いで話しかける男は、背丈が180を超えていて、筋肉質なのが服の上からでもわかった。

 短く刈り上げた金髪や茶色い肌が、表情を見ずとも雄としての自信を醸し出している。

 それに比べて白髪の男は172くらいの身長で、ひょろいと言われるほどではないけれど、女子と見紛うような中世的な顔立ちのせいで逞しくは見えない。

 だが、目の前に自分より強いであろう男がいるにも関わらず、彼は怯える様子も出さず、ただ虚空を見つめていた。


「……おい。お前もしかして無視してくれちゃってんの? この状況わかってる?」


 なおも反応を見せないことに痺れを切らした「リュウくん」は、白髪の男のシャツの襟を掴んで無理やり立たせる。


「もう一回聞くけどよ。お前が俺の女に手ぇ出した馬鹿野郎か?」

「出してないよ。お前の女が高校生だったから手を出さないでおいてやった」

「手を……出さないでおいてやった?」


 先程までの脱力とは打って変わって小馬鹿にしたような態度をとる男を見て、腕に力が入る。


「そうだよ。もし行為に及んでいたら二度とお前に連絡が行くことはなかっただろうし、俺が法律を遵守する真面目な男で助かったな」

「はぁ!? てめぇ、自分が誰に喧嘩売ってんのかわかってんのか!?」


 シャツを掴んでいた手を離し、素早く右の拳を顔面目掛けて振り下ろす。

 しかし、不意打ちと言っても良いタイミング、速度で放たれたそれは、目の前の男のぬるりとした動きで避けられしまった。


「お前……まじでぶっ殺す」

「ぶっ殺すって、そんなことしたらわざわざ俺をハメた意味がなくなっちゃうだろ。半殺しくらいがちょうどいいんじゃないか?」

「じゃあ半殺しにしてやんよ! それも上半身だけボコボコにして、可愛い顔が原形を止めないほど、鏡も見れねぇほどになぁ! あと法律じゃなくて青少年保護育成条例だから間違えんじゃねぇ!」


 室内を震わせるほどの、雄叫びのような煽り。

 しかし、それが効果を発揮したのは、後ろで事の経過を眺めていた少女にだけだった。


「下半身が元気だったら講義受けなくちゃいけないじゃねぇか。まぁでも、暴力で解決するっていうのはありがたいな。俺は優しいから利き手じゃない方をボコボコにしてやるよ」


 白髪の男は余裕そうに笑みを浮かべた後、相手の技の出だしに合わせて踏み込みながら――。


「しょうがない。少し痛い目見てもらうか。」


 そう呟いた。

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