友と、扱いに困る男と

 * * *


 黒騎士団詰所の物置部屋では、ギイスが腹を抱えて笑い転げていた。

 報告を終えたザシャは部屋を片付けながら、結局耐えきれずにギイスの笑いに巻き込まれる。


 無欲な友がいつの間にか強欲に転身していた。王太子近衛という肩書は確かに、立派な盾になる。


 ただ、クウィルとザシャが得た新しい肩書は、通常の近衛隊とは形が異なる。近衛といえば城に勤めるものだが、新設の特務部隊は黒騎士の詰所に部屋を構える。王太子が、クウィルとザシャの王城入りを回避させた形だ。

 そういうわけで、ギイスの手を借り、ザシャはせっせと物置部屋を片付けている。


 聖堂と神殿の完全解体と、魔獣についての恒久的な解決という名目の新部隊。王の直轄となるはずだったこの部隊を、王太子が手に入れた。

 部隊に、クウィルとザシャを必ず引き入れること。指揮権を望む王太子に、王が突きつけた唯一の条件だ。


 おそらく王は今も、失われた秘術の復活を狙っている。転移術、呪術。そして、新たに存在の知れた聖女の炎も。


「ザシャ。気をつけろよ」


 ギイスがふいに真面目くさった顔をする。

 ザシャはいつもどおり、暢気にぐっと背伸びしてうなずいた。


「オレは大丈夫です。クウィルが隣にいる限りは」


 もしも自分の見た目が、クウィルのようにはっきりと血筋を証明するものだったら。周囲から石を投げられて生きる人生だったら。

 自分はとっくに転移術に手を伸ばしていただろう。ザシャはそう思う。


 だが、クウィルは似合わないと言った。彼は信じている。ザシャ自身が疑ってやまない、ザシャ・バルヒェットの善性を。


 窓に寄りかかり、修練場を見下ろす。ここで初めてクウィルと顔を合わせた日を、懐かしく思い出す。


「団長。なかなか、外の世界も面白いもんです」

「そりゃぁ連れ出した甲斐があるな」


 禁書庫にいた頃は、他人など無いに等しかった。友に祝福を贈る日が来るなど、あの頃の自分に言っても鼻で笑うだろう。


 珍しく感傷的になったところで、目の前にドンと壺が置かれる。


「……なんです? これ」

「俺の秘蔵の酒だ。祝いに持っていけ」


 全て終わったら、夜明けまで飲んで騒いで愚痴を言い合って歌おう。

 友との約束にうってつけの壺が登場するから笑ってしまう。あとはここに肉が必要だ。


「んー。せっかくならここに置いときましょ。クウィルが全快したら、快気祝い兼ねて三人で空けましょうよ。そのほうが絶対旨い」


 なるほどと納得したギイスが、壺を棚に押し上げる。


「しかし、あれだな。その頃には結婚祝いも兼ねるのか」

「あれ。侯爵閣下ともあろうかたが、ご存知ない?」

「なんだ?」

「あのふたり、結婚できませんよ」


 ギイスがつるりと取り落とした壺を、ザシャは間一髪で受け止めた。


 * * *


 貴族間の婚約を破棄するときは、誓約錠を断ち、証拠として貴族院に届け出る。

 

 素材にもよるが、誓約錠は簡単かつ一方的に、ともすれば秘密裏に断てるような物だ。そのため過去には大きな揉め事も多かった。見直すべきとの声はあるが、今日まで永く愛されてきた伝統である。


 さて、そんな婚約。

 簡単に解消できるからには、ただ解消しましたで済ませるわけにいかない。伝統を守るためにも、現在では、婚約の先の婚姻にひとつ制限がかけられている。


 ――婚約を破棄した者は、向こう一年の間、婚姻を禁ず。


 リネッタが断った誓約錠はクウィルの手の中にあった。当然、貴族院には破棄を届け出ていない。

 だがあの雨の中で大々的に披露してしまった婚約破棄は、王都どころかアイクラント全土までまたたく間に広まった。


 言い逃れの余地がない。そのことをリネッタは気に病み、何度もクウィルに詫びてきた。

 けれど、リネッタには何の罪もない。本来デビュタントをこなした令嬢が教わるその制限を、聖女となったリネッタが知る機会は設けられなかったのだから。





「クウィル、待たせたな!」


 王都でも一番賑やかな通りを、マリウスが駆けてくる。手には小ぶりな木箱を持ち、喜色満面だ。

 色男は周囲の目を存分に引き付けながら、クウィルの前で足を止めた。


 近頃クウィルはこの色男になつかれている。かけられる声の高さからして違う。立ち話の最中にはやたらと肩を叩かれ、食事や飲みに誘われることもしばしば。

 これまで散々この男から、腕によりをかけた不快煮込みを食わされてきたクウィルだ。まして、リネッタに一服盛った張本人である。

 マリウス・クラッセンの華麗な転身についていけていない。ザシャはその変貌へんぼうぶりを面白がって、酒のさかなにするほどだ。


 だが、今日ばかりはクウィルも両手を広げて歓待を示す。


「クラッセン卿。この度は、なんとお礼すれば良いか」

「堅い!! いい加減、そんな他人行儀な話し方はやめてくれ、な?」


 どうもこうも、他人だが。

 クウィルが今日明日でマリウスを旧友のごとく扱えば、それこそ転身もはなはだしい。


 彼の不満を適当にあしらいながら、箱を受け取って胸のポケットにしまおうとした。すると、マリウスが何か言いたげな素振りを見せる。

 クウィルは首を傾げ、何事かと箱を開けた。


「これ……は」

「細工師に確認したら、これを選んだと言うから。もちろん、仕上げの費用に手出しはしていない。そんな野暮な真似は――」


 焦ったようにカラカラと口を回すマリウスに、クウィルは腕一本でがしっと抱きついた。


「しな、とおおおお!?」

「ありがとう。おかげで間に合う。心よりお礼申し上げます」

「だ、だから堅いっ!」


 マリウスの抗議の叫びを聞きつけ、行き交う人々が何事かと視線を寄越す。あまりこの姿で長居してはおかしな噂がたってしまうかと、クウィルはさっと腕を離した。

 抱擁が解けたのが気に入らなかったのか、マリウスの顔はしょんぼりとしおれた。

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